クラムレンリ 嫩葉散雪

現 現世

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11話

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「ラムちゃんはデイタのどんなとこ、好きになったの?」

 困ったように笑うアリス。

 ラムが凍ったように動きを止めたのは、季節のせいじゃない。

「はぁ? べつに私は……」

 つい否定しようとした。けれど続く言葉を飲み込み、口を噤む。何故だかその気持ちを偽りたくないと思った。

(散々嘘ついてきたくせに)

 今更になって、こんなことで悩むなんて。

 気づいていたけれど向き合うのが、認めるのが怖かった。

 思えばいつからだろう。

(私なんか見てないあいつだから一緒にいても気が楽だったのに、今は私のこと、見て欲しくて……)

 人から向けられる視線が怖い。それは今も変わらない。だけど。

 ラムは誰にも見られていないというのに、顔を両手で隠す。

 都合が良いことばかり。こんな気持ちに限って、なんで嘘じゃないんだろう。

「ごめん、好き」

 声が震えていた。

 勇気を振り絞ったわけでも、アリスとちゃんと話そうとしたわけでもない。

 その気持ちがどうしようもなく本心なんだと気づいた時には溢れていた。

「生意気なところとか、笑った時に目がなくなるところとか、ガキっぽいところとか、強引なところとか、私がちゃんとついてきてるか振り返るところとか、なんかもう、全部好き」

 一つ一つ上げていたらキリがない。一緒にいた時間を思い返せば、その全てが理由になってしまうから。

「たらし……」

 アリスがぼさぼさ頭の少年を思い浮かべながら不貞腐れたように呟き、横向きで寝そべる。顔に雪がつかないよう腕を枕にしていた。

「ごめん」

「やだ」

 ラムは自分よりも早く同じ気持ちを抱えてきたアリスに対して罪悪感でいっぱいだった。自分に向けられた言葉ではないとわかっていても、口をつくのは「ごめん」。

 本当なら、アリスはそうやって拒絶していたいとも思うけれど。

「……けど、仕方ないもんね」

 アリスがもぞもぞと動き、頭をラムの膝に乗せる。

 顔を隠す手を退けたラム。アリスの横顔が映る。きれいな鼻筋に小さな小鼻、乾燥した空気にも負けないうるうるとした唇。とても可愛らしいが、その顔がラムのお腹の方へ向いていた。

 なんとなく恥ずかしいので、「へ……?」と戸惑うアリスを反対に向けた。アリスはきょとんとすると、太ももに横顔を擦り付けるようにして頭のポジショニングを整える。

「でも大変だよ? 好きになってくれないし」

 アリスの言葉に、撫でようとしたラムの手が止まる。

「あいつが、アリスちゃんのこと好きだから?」

 かわいい顔してえげつないこと言うね、と笑顔がピクつく。デイタが振り向くことは絶対にないと、そういうことを言っているのかと。

「違うよ! そうじゃなくて!」

 アリスは誤解に気づき、仰向けになって慌てて手を振る。

「わかったから」

 ラムは苦笑して、下敷きになってしまっているアリスの髪を掬う。

「……デイタはね、ずっと前にそういう気持ち、なくしちゃってるの」

 アリスの形の良い唇が一音一音を紡ぐ。だがラムにはその意味するところがわからない。あまりにも突飛な話だ。気持ち、感情がなくなるだなんて。

「そういうって?」

「誰かのこと思いやったり、好きになる気持ち」

「好きっていうのは、その……れ、恋愛的な意味でってこと?」

 ラムは恋愛と口にするのを躊躇っていた。単純な恥ずかしさと、人を騙し陥れてきた自分には不相応な感情だという引け目がそうさせた。

「うん」

 アリスが頷く。

 その意味が沁みて、ラムの心が痛んだ。顔には愁色が浮かぶ。

「……まぁ鈍そうだとは思ってたけどさ、でもあいつ意外と気を使ったり、するよ?」

 後ろを着いてきているか確認することや、男の視線を外してくれたこと。周囲からの視線や人を欺く行為に嫌悪感を抱いている、と気づいてくれたこと。ヒヅキを安静にするためにプテラと戦ったこと。どれも相手を思っての行動だ。思いやる感情がないと言うのは違和感がある。

「思いやる感情はないけど、理解したいって心はあるから。考えて考えて、手探りで動いてるの」

「それを思いやりって言うんじゃないの?」

「わたしも、そう思う」

 アリスが微笑を浮かべる。分からず、理解したいと思うからこそ、誰よりも考えている。アリス自身そのように振る舞うデイタを好ましく思っている。

 そんなアリスを見て、ラムは自分の発言を取り下げたくなる。「意外と気を使ったり、するよ」なんて言ってしまった。その瞬間は何故かラムだけがデイタをよく見ていてそれを知っていると勘違いしていた。ラムよりも長い時間を共有しているアリスが、それに気づいてない筈ないのに。

 恋愛と口にした時とは違う、過去の自分を殴りたくなるような恥ずかしさに、顔が熱くなった。

「気持ちがなくなったのって病気か何かなの?」

 ラムが誤魔化すように質問を重ねた。

 デイタの人を思いやる感情は表面上、機能しているように見える。だがその内側の動きが、感情の仮定でしかないとしたら。聞けば聞くほどラムには分からない。特定の感情がなくなってしまうことなんて、あるのだろうか。

「そうじゃないけど、うーん……」

 珍しい病気や、脳の障害かとも思ったが、アリスの反応を見るにどうやら違うらしい。

「元々デイタはそういうのわかんなくて、わかるようになったんだけど、いろいろあってまた戻っちゃったって感じかな」

 要領を得ないアリスの言葉。

「えーっと……」

 ラムが気まずそうに頭を悩ませる。

「ごめんね、説明難しくて」

「いいよ、でもそれなら辛かったね」

 ラムがアリスの髪を撫でる。どれだけ想いを寄せても、相手にはそもそも恋愛感情がなくて答えてくれない。それでも想い続けることは、きっと辛い。

 最近自分の感情に気づいたラムでさえ、デイタに恋愛感情がないと知って甚く悲しくなるのだから。アリスがそんな気持ちを抱え続けてきたのだと思うと、ラムは自分のことのように胸が苦しくなった。

 ラムもアリスも自分の気持ちに見返りを求めているわけじゃない。ただ、時々期待してしまうことくらいはあるから。

「うん、けどいつまでたってもわたしの気持ちは変わんないし、どうしようもないなって。わたしより辛いはずの人は、そんな素振り見せないしね」

 諦めたように笑うアリス。そうやって笑えるようになるまでに、どれだけの月日がかかったのか。ラムには想像することしかできないけれど。

(かなわないな)

 アリスの笑顔が、二人の思い出が眩しすぎて、触れていた手を引いた。入り込む余地なんて、ない。

 そう思ったラムの手を、アリスが掴んだ。

「辛いはずの人って、ラムちゃんもだよ?」

「……?」

 デイタのことだと思っていたラムは不意打ちをくらって呆ける。

 アリスはぐいっと体を起こし立ち上がる。普通ではない力を持って生きてきたから、同じように力を持って生まれた人間が苦難の道を歩んでいることくらい想像できる。それがなかなか理解してもらえないことも、それ故の孤独も。

「今日会ったばっかりだけど、なんでも言っていいからね。絶対力になるよ!」

 橙色の夕陽が、可愛らしく体を傾けたアリスの背を照らす。

「うん、ありがとう。頼りにしてる」

 今日だけで、ラムの感情がいろんな方向へ行ったり来たり。かき乱されてめちゃくちゃだった。それが気が付けば整頓されて、温かいものだけが残っていた。

(同じ人を好きになって、嫌われてもおかしくない筈なのに、私のことまで考えてくれてさ……)

 ラムはアリスのことも好きになれたから。

 きっと、頼ることはない。

 ◇

 ラムとアリスは展望台を降りて、デイタと別れた店の前まで戻ってきた。太陽は早めに仕事を終え、街の明かりと交代している。

「なに、あれ」

 ラムの視線の先には、昼にはなかった筈の大きなかまくらができていた。中から僅かな明かりと煙が漏れている。更に香ばしい匂いがラムとアリスの鼻腔をくすぐった。

「お肉焼いてる人がいるの?」

 アリスがその香りに反応する。

「たぶん」

 ラムの予想も概ね同じだ。

 二人が近づくと、かまくらの中からデイタがヒョコっと顔を出す。

「やっと帰ってきた! 食おうぜー!」

 やっぱりかとラムが肩を落とす。街中でこんなことをしていれば、当然注目も集まる。しかしラムが来たことによって「なんかの撮影か?」と勘違いされ始めていた。

「デイタ! もう戻ってたんだ」

 アリスが嬉しそうにぐいぐいとラムの手を引いてデイタのもとへ。。

「ちからつよ」

 ラムはアリスの細腕からは想像できない腕力に驚く。

 そうしてデイタに招かれるまま、二人はかまくらに入った。

「ひろ」

 ラムが呟く。外側から見たときよりも内部が広く感じる。そして内部で最も存在感を放っているのは、金網に乗せられた串焼き。豊富な具材を用意しているようで彩も豊かだ。

「もう少しでできるから座ってていいよ」

 デイタが示す先には雪で作られた長椅子。ラムはそこにアリスを座らせてデイタを手伝う。

「お皿ある?」

「一応」

 デイタが脇に置いていた袋から紙皿を取ってラムに渡す。

「ありがとう」

 ラムは皿にいくつか串を載せて「はい」とデイタの方へ。

「さんきゅー」

 デイタが有難く串を一本頂戴する。

「君にじゃなくて……」

 ラムは豪快に食らいつくデイタにため息を吐いてアリスの方を見やる。それでデイタも意図を察したようだ。

「ん? じゃあなんで俺に渡したんだよ」

「持ってってあげて」

「いいけどさ」

 デイタにはいまいちラムの意図が分からず、うんうん唸りながらアリスのもとへ向かった。

 ラムも焼きあがった串を焦げないよう端に寄せてから、一本手に取ってアリスの隣に座った。

「おいしいね」

「うん、美味しい」

 ラムがアリスに笑顔を返す。

「俺の分は?」

「さっき食べてたよね?」

「あれはアリスの分じゃん」

「そうだけどさ」

 食べたのは君でしょと、ラムが呆れながら串を取りに行って、

「ん」

 とデイタに差し出す。

 するとデイタが串にかぶりついた。

「!?」

 てっきり手で受け取るものだと思っていたラム。突然のことに慌てて手を引っ込める。

 デイタが驚くラムを見て、悪い笑みを浮かべる。

「……っ!」

 振り向いてデイタに背中を向けたラム。その体がわなわなと震えていた。

「……なんでこんなやつ」

 そう呟いて外に出た。今は顔を見られたくなかったから。

 熱くなった顔に、冷たい風が心地よい。浸っていたい気分だが、そうもいかない。人が集まっているため、多くの視線を向けられてしまうから。気圧されそうになるが、もう慣れた、と自分すらも騙して俯いた。

「ラム?」

 そんなラムに人ごみの奥から声をかけたのは、

「ヒヅキさん?」

 ちょうど通りかかったヒヅキだった。ラムと同様にマフラーを巻いている。

「顔が赤いな。今日はよく冷える」

「ええ」

 赤らんでいる理由を勝手に勘違いしてくれたヒヅキ。

「にしても、立派なものだな」

 大きなかまくらを見て嘆美の声を発した。

「あいつが作ったんですよ」

 褒められたことが自分のことのように嬉しくて、ついラムが口を滑らせる。

「あいつ? ……デイタか? 街中にかまくらとは……」

 ヒヅキの表情が曇る。

(まずい……)

 ヒヅキは真面目な風紀委員長。街中に出来たかまくらは風紀こそ乱していないが、外観を損ねていると感じるものもいるだろう。このままでは説教コースかもしれないと、ラムが言い訳を考えていたが、

「なかなか趣があるな」

 その心配はなさそうだった。

「ヒヅキさんも食べていきます?」

「いいのか?」

「もちろんです」

 ラムが用意した訳じゃないが、一人増えた程度では困らない量の食材はあった。デイタも文句は言わないと考えての提案。

 ヒヅキは特に予定もなかったので誘いに応じる。漂う香ばしい匂いと、温かい食事の誘惑には抗えなかった。

 連れ立ってかまくらに戻る。

「失礼する」

「げえっ女騎士っ!?」

 デイタはヒヅキを見るなり椅子からずり落ち、食べ終えた串をフェンシングのように構えた。

「女騎士?」

 アリスがきょとんとする。

「お、かわいらしい子がいるな。初めまして、ヒヅキという。同席させてもらっても良いだろうか」

 ヒヅキはデイタを無視して屈み、座っているアリスに高さを合わせた。

「初めまして、アリスです。これおいしいですよ!」

「ありがとう」

 差し出された串を了承の意と受け取ったヒヅキはアリスの隣に腰を下ろす。

「美味しいな」

 そのやり取りを見ていたデイタが構えを解く。

「女騎士が、キレてねぇ……」

 ありえない、愕然として立ち尽くす。

「君がいつも怒らせてるだけでしょ……」

 それからはお腹が満たされるまで四人の穏やかな時間が流れた。面倒見の良いヒヅキと気配りのできるラムが率先して焼いていく。アリスも時折手伝おうとするが、ヒヅキが「気持ちだけで嬉しい。座っていてくれ」と待っているよう促す。

 親切心で言ったのだろうが、座って待っているアリスは少し寂しそうに見えた。その様子に気づいたデイタが隣に座って話し始める。

 隙を見てデイタがヒヅキに串を投げつける。

 ヒヅキは串を掴み、何事もなかったかのように捨てた。

 デイタが悔しそうに歯噛みする。

 途中で警察が駆け付けるアクシデントも起きたが、デイタが入り口を塞ぎ換気用の穴をいくつか開けて立て籠もった。外からは警察のラブコールが聞こえてくるが、四人の胸はときめかない

 串のほかに餅なども用意していたのでそれも焼く。かまくらの中で膨らんでいく餅を眺める面々の力が抜けていく。多忙なラムやヒヅキにとっては、ここ数年間で最も心の安らぐ時間だった。

(こんな時間が、これからもずっと……)

 三人を眺めるラム。

 アリスの皿から串を奪おうとしたデイタ。その手が、ヒヅキに叩かれる。

 怒るデイタ。

 素知らぬ顔で串を食べるヒヅキ。

 状況を理解して笑うアリス。

(次があるなら、みんなと並べる私に……)

 ラムが一歩を踏み出そうとしていた。

 ◇

 ラムはスーツ姿の男と対面していた。

「もう、依頼は受けない」

 ぎゅっと手を握り、言い放つ。これまで背負わされていたものを放り投げる時がきた。

「でしょうね」

 男は予想していましたとばかりに言って、ネクタイを締めなおす。

 ラムはその反応が少し気がかりだったが、追及はしない。こうもあっさり辞められるとは思ってもみなかった。裏があるのではと疑うが、下手に深堀してこの話がなくなってしまうことが怖かった。

「では、貴女の処遇に関しては持ち帰らせていただきます」

 背を向け歩き出す男。

「心臓止められたって、あんなことは二度としないから」

 その背にラムが決意をぶつけた。

 男が立ち止まり、一瞬目を丸くする。しかし何も言わずに立ち去った。

 肩の力が抜ける。今までも辞めたいと訴えたことはあった。しかし命を引き合いに出されては、頷くしかなかった。先刻のやり取りに拍子抜けするが、これで少しだけ前に進める。

 こんなことで過去の罪は償えないけれど。

 少しずつでも、彼らに胸を張れるように。
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