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第24話 EQUES
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「……再戦頼むよ。僕が勝つまで」
ユーエスの言葉で、漸くユウビが体を向けた。
「……瘴気に侵された者を、見たことがあるのか?」
探る視線を受け、睨み返す。
「……大切な、人だった」
「そうか」
「他人事だよね……っざけんな」
ユウビの態度が気に入らず、吐き捨てる。
逆手に持ち替えた氷剣にエーテルを込め、凍った足元に突き立てた。
足元から発生した氷の波がユウビを襲う。
ユウビは籠手にスティグマを集中させ、振り払う。
たったそれだけで氷の波を砕いた。
更に氷の波の陰に隠れて迫っていたユーエスの斬撃を受け止める。
拮抗する力。
互いに力んだ腕が震えていた。
ユーエスの攻撃は終わらない。
氷剣を消し横にずれる。
高速移動用に乗っていた水魔術と風魔術の水流が、氷の杭となって飛び出した。
氷波、斬撃、氷杭の連撃。
その一つ一つが必殺級の一撃であり、どれか一つですら防ぐことも逃れることも困難だろう。
だが三手目の氷杭さえ、ユウビは体を捻って躱してみせた。
この程度では倒せないと見越していたユーエスが氷剣を作り直し横から薙ぐ。
ユウビは地に手をつき、躱した勢いを利用して低い姿勢から回し蹴りを繰り出す。
蒼黒の鎧を纏った悪魔の足が躰道のような身のこなしで氷剣を受け止めた。
地につけたユウビの手から蒼黒の水溜りが広がり、這い出た腕がユーエスの背に迫る。
先の戦闘でユーエスの致命傷に繋がった、不意を突く一手。
二度同じ手は食わない。
ユーエスは振り向きもせず片手を後ろへ向け、背後の腕を凍らせた。
腕伝いに水溜まりまで凍っていく。
このままでは危険だと判断したユウビが弾かれるように距離をとり、腕を振るう。
飛沫を上げて現れた蒼黒水が複数の球を形成し周囲に浮かんだ。
一方ユーエスは正面に水球を生み出し、氷剣で斬る。
飛び散った飛沫が凍り、拳ほどの大きさの雪の結晶となって浮かぶ。
似通った魔術。
魔術の多彩さにおいて、ユーエスはユウビに劣っていた。
それは偏に強者との戦闘経験の差によるもの。
死線を潜り抜けた数が違いすぎた。
同程度、もしくは格上相手にどうすれば勝てるか。
現状のユーエスを脅かす強者が周囲におらず、搦め手などの手練手管を弄する必要がなかった。
そのため鍛錬は主に使用できる魔術の威力、精度を上げるに止まっていた。
その差を埋めるためユーエスはこの戦闘の中、ユウビの魔術から着想を得て新たな魔術を編み出す。
元々両者ともに水を使う魔術師だったこともあり、魔術が似通うのは自然でもあった。
二人が手を前に翳す。
蒼黒の濁流が。
水流から変化した氷流が。
激しく衝突した。
立っているのが困難なほどの余波が拡散。
魔術がぶつかり合い、互いに想像を絶する負荷がかかる。
それでも二人は魔術を維持したまま前に出る。
至近距離に迫った二人。
同時に力を振り絞り、ついに互いの魔術が弾けた。
砕けた氷が飛散し、蒼黒の飛沫が舞う。
それを合図に接近戦に移行し、ユウビの格闘術とユーエスの剣術が鎬を削る。
周囲に浮かんだ蒼黒球からは細い水流、雪の結晶からは雹が放たれる。
水流と雹は時にぶつかり相殺し、時に両者の体を掠めて傷を作った。
局所的な悪天候下での戦闘は、互いの体力を急速に削っていく。
エーテル。
スティグマ。
力が尽きる前に決着を付けようとした二人が大技を展開する。
「お前の存在を許容してしまえば……!」
ユウビがスティグマを凝縮した蒼黒球を握り潰す。
溢れ出した水が滴り、水溜りが急速に広がる。
これまでのような徐々に侵食していく広がり方ではない。
一定の位置で蒼黒水が止まり、水嵩を増していった。
見えない巨大な円柱型の容器に水を溜めるように。
全てを染め蒼黒以外を許さぬ怨嗟の沼が、ユーエスを引き摺り込まんと手を伸ばす。
「チビを救えなきゃ……!」
上空に上がったユーエスは氷剣にエーテルを集中させた。
剣身が伸びる。
輝く剣は天を突き。
その一振りは空をも割るだろう。
剣身から冷たい嵐が巻き起こり、凍てつく風刃と雪の結晶が吹き荒れた。
雪の結晶が守るべきものを守り、風刃が敵を切り刻む。
守護対象と敵を篩い分ける選別の氷風域が、騎士の盾として使命を果たす。
全身全霊。
持ち得る限りを解き放った二人が睨みあい、
「「先に進めない!!」」
己が信念を貫かんと吠えた。
奇しくも重なる言葉。
だが貫き通すことができるのは、どちらか一方のみ。
「来い、怨拉業……!」
ユウビが下から上へ手首を捻る。
そうして沼から、恨みを具現化した異形を呼び出した。
現れた両の手が水面を掴み、這い上がる。
胸部から上だけを覗かせるそれは、畏怖の象徴。
見たもの全てに恐怖を植え付ける負の巨人。
山羊のような頭部。
空洞の眼窩と、飢えに苦しむ舌。
蒼黒の体は溶けているようにドロドロと粘着質な水を滴らせ。
肩甲骨のあたりから翼のように生えた三対六本の腕が触手のように蠢く。
異形の怪物が、ユーエスに向けて八本の腕を伸ばした。
ユーエスが巨大な氷剣を構え、風と水の魔術を進行方向とは逆に向けて放つ。
流星の如き急降下。
対して異形の腕が、凍てつく風刃を呑み込みながら襲い来る。
ユーエスは空中で体を自在に操って掻い潜り、斬り飛ばして進む。
嵐が人の形をとっているような、凄絶な剣技。
何度も再生を繰り返す異形の腕の絶え間ない連撃を、その剣一つで捌き切った。
「はあぁぁぁぁぁぁっ!」
尚も手を伸ばす異形の本体に、剣を荒々しく振り抜く。
力任せの一撃が異形を両断。
異形の体が崩れて沼に沈んでいく。
異形が消え、ユーエスとユウビの視線が交錯した。
決着の時。
この戦いに終止符を打つ一手を浴びせるのは、果たしてどちらか。
ユーエスが返す剣を振るう。
しかし。
異形だったものが巨大な氷剣に纏わりついており、氷剣が蒼黒に染まっていた。
エーテルを染めることが出来なかったはずの、ユウビの魔術。
それがエーテルの剣を侵食し、溶かした。
更に異形だったものは剣からユーエスの手へ伝う。
「っ!?」
蒼黒水に染められ、腕に激痛が走る。
内側から神経を直接撫でられるような悍ましい感覚。
ユーエスは自身の腕を凍らせて侵食を食い止めた。
即座に腕の氷を解く。
迅速に対応したものの、生じた隙は命運を左右させるには十分。
ユウビの手に、蒼黒水が流れ込む。
展開していた蒼黒球や沼から水を吸い上げ、スティグマを圧縮した蒼黒球を正面に浮かべた。
何かの拍子に破裂してしまいそうなほど不安定な球体が妖しく輝く。
そしてユウビが膨大なエネルギーの塊を渾身の力で殴った。
怒り、恨み、悲しみ。
エーテルさえ道連れにする異形を生み出した、負のエネルギーの奔流が解き放たれた。
ユーエスは剣を溶かされるも、自身の魔術の勢いそのままに高速移動を続けていた。
必然、負の奔流に呑み込まれるまでは一瞬。
しかしその一瞬でユーエスの正面に氷風が流れ込む。
氷風域を形成していたエーテルが一つになり、水色に輝く雪の結晶となった。
雪の結晶を盾に、負の奔流の中を突き進む。
負の力の内部では、関節がなく不気味で長い腕が無数に蠢いていた。
それらがユーエスを妨げようと掴みかかる。
「っぐ……!」
不気味な腕が僅かに触れただけで痛みが走る。
体を内側から壊し、別のものに変えられていくような。
自身の肉体を奪われていくような。
気が狂い、自ら生を投げ出してもおかしくない激痛。
それでも。
(いま身体が動きさえすれば……!)
更に加速する。
(チビを助けた後なら……奪ってくれて、構わない!)
後方に放った爆発的な水と風の魔術を推進力に。
四肢を、首を、体を掴む不気味な腕を速度のみで引き千切り、進んでいく。
水飛沫が氷片となって、その軌跡に煌めいた。
暗い昏い闇の中。
水色が一筋の光となって貫く。
蒼黒の奔流の根元から、ユーエスが飛び出す。
正面には、前方を削られた雪の結晶の盾。
手には氷の剣を構えて。
歯噛みするユウビ。
ユーエスが雪の結晶を透過した。
雪の結晶が崩れ、そのエーテルが氷剣に宿る。
水色に輝く氷の刃先がユウビに向けられた。
(少しずつ、歩いていくよ)
クシリアを救えず、止まったままだった時間。
何の為に生きているのか。
手を取り、隣を歩んでくれていた人がいきなり遠いところに行ってしまい、一人になった。
どこに道があるのかも、踏み出し方もわからなくて。
踏み出す気力も、無くて。
途方に暮れていたけれど。
──歩みだすと決めたから。
「六出……!」
突きを放つ。
その剣筋は六つ。
逆境にあって冴え渡る思考。
冴えはその身体を伝い、剣技へと昇華され。
雪の結晶を模る六つの斬撃が同時にユウビを捉えた。
液化を逃さぬ氷の刃がユウビを貫き、穴を穿つ。
傷口が凍り付き、ユウビの体温を奪っていった。
「ごふっ……」
ユウビが血を吐く。
力を使い果たし、体に六つの穴を開けられ。
もう動くことも出来ないだろう。
普通ならば。
その手が、剣を突き込むユーエスの腕を掴んだ。
「っ!?」
ユーエスの顔が驚愕に染まる。
(これでも、届かないのか……!)
勝利の手応えから一転、ゾワゾワと絶望がせり上がる。
しかしすぐにユウビの手から力が抜けた。
氷剣を引き抜くと、ユウビが倒れ伏す。
「……」
暫しの間警戒するも、今度こそ動く気配はなかった。
腕を掴んだ時、ユウビは既に意識を失っていた。
体を動かしていたのは執念。
その事実に気づいたユーエスから冷たい汗が流れる。
何がユウビを突き動かしているのか。
気にはなるが今優先すべきことは、他に。
◇
戦いの余波で凍り付いた戦場の端。
ストーンゴーレムにフォールンが群がっていた。
ユーエスが魔術で加速。
消えたと思った次の瞬間には、ストーンゴーレムの前に現れた。
何をしたのかフォールンの軍勢が吹き飛び、須らく凍り付く。
「チビのこと僕に任せてくれない?」
ユーエスの提案。
ストーンゴーレムはすぐに頷くことが出来なかった。
主であるラヴィポッドの安全は何よりも優先される。
ユーエスは主を託すに足る人物なのか。
自身の手から離して良いのか。
迷いを見て取ったユーエスが一歩前へ。
「……必ず、助ける」
その時、ストーンゴーレムが何を感じてそうしたのかは分からない。
ユーエスから何かを感じ取ったのか。
自身ではラヴィポッドを救えないと理解したのか。
ラヴィポッドをユーエスの前にそっと降ろした。
「ありがとう」
ユーエスは主を託してくれたストーンゴーレムに感謝し、憔悴したラヴィポッドの手をとった。
焦点が合っていないような、ぼんやりとした目が向けられる。
「すぐ楽になるから」
ユーエスが安心させようと声をかける。
「……し、死んじゃうってことですか?」
「ごめん、言い方間違えた」
怯えだしたラヴィポッドを見るに逆効果だったのだろう。
張り詰めた空気が少し緩み、ユーエスは薄く笑う。
そして気を引き締め直し、樹木化したラヴィポッドの腕に手を翳した。
(絶対に、守ってみせる……!!)
エーテルの力も氷の力も、全てはこの時のために。
ラヴィポッドの腕を凍らせる。
守護の氷はラヴィポッドを守り、侵食した瘴気のみが極低温に耐え切れず死滅していった。
そうして僅かばかりの時が過ぎ。
氷を解いた。
ラヴィポッドの腕から樹皮がポロポロと剥がれ落ち。
畑仕事をしていたにしては筋肉の少ない、丸っこい腕が覗く。
「……どう?」
ラヴィポッドに具合を聞く。
「頭が、ぐわんぐわんします……」
「腕は……動かせる?」
瘴気を排したからと言って体調が急に回復する訳ではないのだろう。
熱っぽさは消えていないらしい。
手は尽くした。
体調に関しては時間が解決してくれることを祈るのみ。
では最も瘴気に侵食されていた部分はどうか。
ラヴィポッドが腕をプラプラと動かす。
「痛くない?」
「大丈夫、です」
安堵し深く息を吐く。
大丈夫。
その一言が胸に沁みていく。
ラヴィポッドを救ったのはユーエスだが。
同時にユーエスも、救われた。
救えなかった幼馴染に少女を重ね、それで過去が変わることはない。
けれどあの日の延長線上で救うことが出来たなら。
これまでの日々が決して無駄ではなかったと。
そう思える気がして。
ゆっくりと歩み始めた先でいつか。
遠いところへ行った彼女に出会えたのなら。
立派な騎士になれたよと、彼女の目を見て言えるように。
「良かった……」
心の底から思う。
長かった時間に終わりを告げ。
力を使い果たしたユーエスは倒れた。
守るべきものを失っても約束は消えない。
痛みも辛さも全て抱えて歩み抜けば。
振り返ってみた時、そこに騎士として生きた意味が見えてくるのかもしれない。
そんな風に思ってみても、良いと思えた。
ユーエスの言葉で、漸くユウビが体を向けた。
「……瘴気に侵された者を、見たことがあるのか?」
探る視線を受け、睨み返す。
「……大切な、人だった」
「そうか」
「他人事だよね……っざけんな」
ユウビの態度が気に入らず、吐き捨てる。
逆手に持ち替えた氷剣にエーテルを込め、凍った足元に突き立てた。
足元から発生した氷の波がユウビを襲う。
ユウビは籠手にスティグマを集中させ、振り払う。
たったそれだけで氷の波を砕いた。
更に氷の波の陰に隠れて迫っていたユーエスの斬撃を受け止める。
拮抗する力。
互いに力んだ腕が震えていた。
ユーエスの攻撃は終わらない。
氷剣を消し横にずれる。
高速移動用に乗っていた水魔術と風魔術の水流が、氷の杭となって飛び出した。
氷波、斬撃、氷杭の連撃。
その一つ一つが必殺級の一撃であり、どれか一つですら防ぐことも逃れることも困難だろう。
だが三手目の氷杭さえ、ユウビは体を捻って躱してみせた。
この程度では倒せないと見越していたユーエスが氷剣を作り直し横から薙ぐ。
ユウビは地に手をつき、躱した勢いを利用して低い姿勢から回し蹴りを繰り出す。
蒼黒の鎧を纏った悪魔の足が躰道のような身のこなしで氷剣を受け止めた。
地につけたユウビの手から蒼黒の水溜りが広がり、這い出た腕がユーエスの背に迫る。
先の戦闘でユーエスの致命傷に繋がった、不意を突く一手。
二度同じ手は食わない。
ユーエスは振り向きもせず片手を後ろへ向け、背後の腕を凍らせた。
腕伝いに水溜まりまで凍っていく。
このままでは危険だと判断したユウビが弾かれるように距離をとり、腕を振るう。
飛沫を上げて現れた蒼黒水が複数の球を形成し周囲に浮かんだ。
一方ユーエスは正面に水球を生み出し、氷剣で斬る。
飛び散った飛沫が凍り、拳ほどの大きさの雪の結晶となって浮かぶ。
似通った魔術。
魔術の多彩さにおいて、ユーエスはユウビに劣っていた。
それは偏に強者との戦闘経験の差によるもの。
死線を潜り抜けた数が違いすぎた。
同程度、もしくは格上相手にどうすれば勝てるか。
現状のユーエスを脅かす強者が周囲におらず、搦め手などの手練手管を弄する必要がなかった。
そのため鍛錬は主に使用できる魔術の威力、精度を上げるに止まっていた。
その差を埋めるためユーエスはこの戦闘の中、ユウビの魔術から着想を得て新たな魔術を編み出す。
元々両者ともに水を使う魔術師だったこともあり、魔術が似通うのは自然でもあった。
二人が手を前に翳す。
蒼黒の濁流が。
水流から変化した氷流が。
激しく衝突した。
立っているのが困難なほどの余波が拡散。
魔術がぶつかり合い、互いに想像を絶する負荷がかかる。
それでも二人は魔術を維持したまま前に出る。
至近距離に迫った二人。
同時に力を振り絞り、ついに互いの魔術が弾けた。
砕けた氷が飛散し、蒼黒の飛沫が舞う。
それを合図に接近戦に移行し、ユウビの格闘術とユーエスの剣術が鎬を削る。
周囲に浮かんだ蒼黒球からは細い水流、雪の結晶からは雹が放たれる。
水流と雹は時にぶつかり相殺し、時に両者の体を掠めて傷を作った。
局所的な悪天候下での戦闘は、互いの体力を急速に削っていく。
エーテル。
スティグマ。
力が尽きる前に決着を付けようとした二人が大技を展開する。
「お前の存在を許容してしまえば……!」
ユウビがスティグマを凝縮した蒼黒球を握り潰す。
溢れ出した水が滴り、水溜りが急速に広がる。
これまでのような徐々に侵食していく広がり方ではない。
一定の位置で蒼黒水が止まり、水嵩を増していった。
見えない巨大な円柱型の容器に水を溜めるように。
全てを染め蒼黒以外を許さぬ怨嗟の沼が、ユーエスを引き摺り込まんと手を伸ばす。
「チビを救えなきゃ……!」
上空に上がったユーエスは氷剣にエーテルを集中させた。
剣身が伸びる。
輝く剣は天を突き。
その一振りは空をも割るだろう。
剣身から冷たい嵐が巻き起こり、凍てつく風刃と雪の結晶が吹き荒れた。
雪の結晶が守るべきものを守り、風刃が敵を切り刻む。
守護対象と敵を篩い分ける選別の氷風域が、騎士の盾として使命を果たす。
全身全霊。
持ち得る限りを解き放った二人が睨みあい、
「「先に進めない!!」」
己が信念を貫かんと吠えた。
奇しくも重なる言葉。
だが貫き通すことができるのは、どちらか一方のみ。
「来い、怨拉業……!」
ユウビが下から上へ手首を捻る。
そうして沼から、恨みを具現化した異形を呼び出した。
現れた両の手が水面を掴み、這い上がる。
胸部から上だけを覗かせるそれは、畏怖の象徴。
見たもの全てに恐怖を植え付ける負の巨人。
山羊のような頭部。
空洞の眼窩と、飢えに苦しむ舌。
蒼黒の体は溶けているようにドロドロと粘着質な水を滴らせ。
肩甲骨のあたりから翼のように生えた三対六本の腕が触手のように蠢く。
異形の怪物が、ユーエスに向けて八本の腕を伸ばした。
ユーエスが巨大な氷剣を構え、風と水の魔術を進行方向とは逆に向けて放つ。
流星の如き急降下。
対して異形の腕が、凍てつく風刃を呑み込みながら襲い来る。
ユーエスは空中で体を自在に操って掻い潜り、斬り飛ばして進む。
嵐が人の形をとっているような、凄絶な剣技。
何度も再生を繰り返す異形の腕の絶え間ない連撃を、その剣一つで捌き切った。
「はあぁぁぁぁぁぁっ!」
尚も手を伸ばす異形の本体に、剣を荒々しく振り抜く。
力任せの一撃が異形を両断。
異形の体が崩れて沼に沈んでいく。
異形が消え、ユーエスとユウビの視線が交錯した。
決着の時。
この戦いに終止符を打つ一手を浴びせるのは、果たしてどちらか。
ユーエスが返す剣を振るう。
しかし。
異形だったものが巨大な氷剣に纏わりついており、氷剣が蒼黒に染まっていた。
エーテルを染めることが出来なかったはずの、ユウビの魔術。
それがエーテルの剣を侵食し、溶かした。
更に異形だったものは剣からユーエスの手へ伝う。
「っ!?」
蒼黒水に染められ、腕に激痛が走る。
内側から神経を直接撫でられるような悍ましい感覚。
ユーエスは自身の腕を凍らせて侵食を食い止めた。
即座に腕の氷を解く。
迅速に対応したものの、生じた隙は命運を左右させるには十分。
ユウビの手に、蒼黒水が流れ込む。
展開していた蒼黒球や沼から水を吸い上げ、スティグマを圧縮した蒼黒球を正面に浮かべた。
何かの拍子に破裂してしまいそうなほど不安定な球体が妖しく輝く。
そしてユウビが膨大なエネルギーの塊を渾身の力で殴った。
怒り、恨み、悲しみ。
エーテルさえ道連れにする異形を生み出した、負のエネルギーの奔流が解き放たれた。
ユーエスは剣を溶かされるも、自身の魔術の勢いそのままに高速移動を続けていた。
必然、負の奔流に呑み込まれるまでは一瞬。
しかしその一瞬でユーエスの正面に氷風が流れ込む。
氷風域を形成していたエーテルが一つになり、水色に輝く雪の結晶となった。
雪の結晶を盾に、負の奔流の中を突き進む。
負の力の内部では、関節がなく不気味で長い腕が無数に蠢いていた。
それらがユーエスを妨げようと掴みかかる。
「っぐ……!」
不気味な腕が僅かに触れただけで痛みが走る。
体を内側から壊し、別のものに変えられていくような。
自身の肉体を奪われていくような。
気が狂い、自ら生を投げ出してもおかしくない激痛。
それでも。
(いま身体が動きさえすれば……!)
更に加速する。
(チビを助けた後なら……奪ってくれて、構わない!)
後方に放った爆発的な水と風の魔術を推進力に。
四肢を、首を、体を掴む不気味な腕を速度のみで引き千切り、進んでいく。
水飛沫が氷片となって、その軌跡に煌めいた。
暗い昏い闇の中。
水色が一筋の光となって貫く。
蒼黒の奔流の根元から、ユーエスが飛び出す。
正面には、前方を削られた雪の結晶の盾。
手には氷の剣を構えて。
歯噛みするユウビ。
ユーエスが雪の結晶を透過した。
雪の結晶が崩れ、そのエーテルが氷剣に宿る。
水色に輝く氷の刃先がユウビに向けられた。
(少しずつ、歩いていくよ)
クシリアを救えず、止まったままだった時間。
何の為に生きているのか。
手を取り、隣を歩んでくれていた人がいきなり遠いところに行ってしまい、一人になった。
どこに道があるのかも、踏み出し方もわからなくて。
踏み出す気力も、無くて。
途方に暮れていたけれど。
──歩みだすと決めたから。
「六出……!」
突きを放つ。
その剣筋は六つ。
逆境にあって冴え渡る思考。
冴えはその身体を伝い、剣技へと昇華され。
雪の結晶を模る六つの斬撃が同時にユウビを捉えた。
液化を逃さぬ氷の刃がユウビを貫き、穴を穿つ。
傷口が凍り付き、ユウビの体温を奪っていった。
「ごふっ……」
ユウビが血を吐く。
力を使い果たし、体に六つの穴を開けられ。
もう動くことも出来ないだろう。
普通ならば。
その手が、剣を突き込むユーエスの腕を掴んだ。
「っ!?」
ユーエスの顔が驚愕に染まる。
(これでも、届かないのか……!)
勝利の手応えから一転、ゾワゾワと絶望がせり上がる。
しかしすぐにユウビの手から力が抜けた。
氷剣を引き抜くと、ユウビが倒れ伏す。
「……」
暫しの間警戒するも、今度こそ動く気配はなかった。
腕を掴んだ時、ユウビは既に意識を失っていた。
体を動かしていたのは執念。
その事実に気づいたユーエスから冷たい汗が流れる。
何がユウビを突き動かしているのか。
気にはなるが今優先すべきことは、他に。
◇
戦いの余波で凍り付いた戦場の端。
ストーンゴーレムにフォールンが群がっていた。
ユーエスが魔術で加速。
消えたと思った次の瞬間には、ストーンゴーレムの前に現れた。
何をしたのかフォールンの軍勢が吹き飛び、須らく凍り付く。
「チビのこと僕に任せてくれない?」
ユーエスの提案。
ストーンゴーレムはすぐに頷くことが出来なかった。
主であるラヴィポッドの安全は何よりも優先される。
ユーエスは主を託すに足る人物なのか。
自身の手から離して良いのか。
迷いを見て取ったユーエスが一歩前へ。
「……必ず、助ける」
その時、ストーンゴーレムが何を感じてそうしたのかは分からない。
ユーエスから何かを感じ取ったのか。
自身ではラヴィポッドを救えないと理解したのか。
ラヴィポッドをユーエスの前にそっと降ろした。
「ありがとう」
ユーエスは主を託してくれたストーンゴーレムに感謝し、憔悴したラヴィポッドの手をとった。
焦点が合っていないような、ぼんやりとした目が向けられる。
「すぐ楽になるから」
ユーエスが安心させようと声をかける。
「……し、死んじゃうってことですか?」
「ごめん、言い方間違えた」
怯えだしたラヴィポッドを見るに逆効果だったのだろう。
張り詰めた空気が少し緩み、ユーエスは薄く笑う。
そして気を引き締め直し、樹木化したラヴィポッドの腕に手を翳した。
(絶対に、守ってみせる……!!)
エーテルの力も氷の力も、全てはこの時のために。
ラヴィポッドの腕を凍らせる。
守護の氷はラヴィポッドを守り、侵食した瘴気のみが極低温に耐え切れず死滅していった。
そうして僅かばかりの時が過ぎ。
氷を解いた。
ラヴィポッドの腕から樹皮がポロポロと剥がれ落ち。
畑仕事をしていたにしては筋肉の少ない、丸っこい腕が覗く。
「……どう?」
ラヴィポッドに具合を聞く。
「頭が、ぐわんぐわんします……」
「腕は……動かせる?」
瘴気を排したからと言って体調が急に回復する訳ではないのだろう。
熱っぽさは消えていないらしい。
手は尽くした。
体調に関しては時間が解決してくれることを祈るのみ。
では最も瘴気に侵食されていた部分はどうか。
ラヴィポッドが腕をプラプラと動かす。
「痛くない?」
「大丈夫、です」
安堵し深く息を吐く。
大丈夫。
その一言が胸に沁みていく。
ラヴィポッドを救ったのはユーエスだが。
同時にユーエスも、救われた。
救えなかった幼馴染に少女を重ね、それで過去が変わることはない。
けれどあの日の延長線上で救うことが出来たなら。
これまでの日々が決して無駄ではなかったと。
そう思える気がして。
ゆっくりと歩み始めた先でいつか。
遠いところへ行った彼女に出会えたのなら。
立派な騎士になれたよと、彼女の目を見て言えるように。
「良かった……」
心の底から思う。
長かった時間に終わりを告げ。
力を使い果たしたユーエスは倒れた。
守るべきものを失っても約束は消えない。
痛みも辛さも全て抱えて歩み抜けば。
振り返ってみた時、そこに騎士として生きた意味が見えてくるのかもしれない。
そんな風に思ってみても、良いと思えた。
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