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しおりを挟む「おはよう、ソイン」
朝、目覚めると真っ白なベッドのシーツに逞しい身体。愛しい人の顔が優しげに緩められていて、小窓から注がれる朝日に溶け込んでいて神々しい。
ソインは、こんな幸福な朝を迎えることができていることが、本当に今でも信じられない、そう思った。
ラッシュの母親、前王妃は彼を出産したしばらく後に身体を壊し、すぐに儚くなってしまった。王は悲しみに暮れ、国では長い期間喪に服すことが命じられた。いつまで経っても塞ぎ込んでいる王を見かね、側近たちは新たな王妃を探すべく上位貴族たちに働きかけた。
そして家柄と年齢を考慮した上で白羽の矢が立ったのが、後のスロウの母になる公爵家の次女、ソインだった。
半ば適当に了承の意を示した王は初めから第二王妃と仲睦まじくするつもりはなく、容姿が悪く貰い手がなかったという噂をされていたソイン自身も、人の目から隠れるように日々静かに王宮で過ごしていた。
誰もが、形だけの王妃だと思っていた。
側近が努力し二人が顔を合わせる機会を設けても、ソインはひたすら申し訳なさそうに顔を隠し、王はソインの姿を目に入れようともしない態度を取っていた。
午後の公務の休憩として設けられたティータイムでも、王はただ妻が植えた庭園の花々を眺めて回想にふけるだけだった。
ラッシュは、廊下からその様な様子を目にする度にソインを蔑ろにする父親に腹を立てていた。ある夕食の席、いつものように顔を俯かせているソインと気にする様子もない父親という非常に静かな時間の流れる中、ラッシュはスプーンを置き口を開いて父に自分の思うところを話した。
するとカッとなった王が手でテーブルを叩き、スープ皿がガチャンッと音を立てる。ソインはわかりやすく肩を踊らせて驚き、僅かだが躰を震わせて怯えているようだった。
後ろに控える召使いたちも一様に緊張した面持ちになっていた。
「やはり私は彼女以外愛せないんだっ!!アーリア以上の存在なんていないっ!!!」
「ちちうえっ!そりゃあそうです」
幼いラッシュが素直にそう言った瞬間、ソインは目を見開いて口に手を当て、見るからに泣きそうな表情になる。
「ははうえ以上のそんざいはいない。でも、それ以下もおりません」
「ラッシュ、お前何を言って――」
「そしてソインさんにも、ソインさん以上のそんざいもソインさん以下のそんざいもおりません。べつのにんげんなんです。
ははうえが亡くなったことはわたしもかなしいです。でもソインさんはははうえではないし、ははうえにもなれない。ちちうえは、もっとソインさん自身を見るべきだとおもいます」
食堂がシンと静まりかえった。ソインも思わず口に手を当てたまま固まってしまい、目を見開いてラッシュを凝視している。そして王も同様に驚きに目を開き、握りこぶしをテーブルに置いたままの状態である。
誰もが口を開かない中、ラッシュはナプキンで口を拭い、食事は終わりだとさっさと食堂から出ていってしまった。
後には、唖然としている王とソイン、そして召使いたちだけが取り残された。
次の日から王は、ラッシュに言われたようにちゃんと“ソイン”自身を見るように努めた。エスコートをして庭園を歩いていると、ソインはふと進路を曲げるときがある。それは前王妃が頑張り屋だからとそのままにしていた、整備された石畳の間に咲く花を避けていることがわかった。その、当たり前のことだが、大半の人間が気にも止めないようなことに気づくという点に、まず惹かれた。
共に食事や茶を楽しむ際、苦手な味に出会ったときに僅かだが一瞬口の端をきゅっと結ぶ仕草にもなんとも言えない甘い気持ちが浮上する。
気がつくと王は、ソインに惹かれていた。そして、自身もソインに好かれたいと思うようになったのだ。
後日王はラッシュに進言への感謝を述べた。
ラッシュは二人の初々しい様子を見、にっこりと笑ったのだった。
ソインは、あれから数年経った今でも信じられない心地でいる。誰も愛さず、誰からも愛されないと思っていた自分の人生。だが王は自分の内面、容姿も含めて好いてくださっている。向けられることのなかった温かい眼差しは大変面映ゆいのだが、それだけ胸が温かくなる。
きっとあの時、ラッシュ様の進言がなければ自分は離縁を言い渡され暗い実家に帰らされていたか、それこそ愛のない、形だけの夫婦になっていたかのどちらかだろうと思う。それでもソインただ一人だけが不幸になるだけだ。
だが、ラッシュ様は皆が幸せになる方向へ導いてくださった。
言いようのない感謝と、愛しい人への愛を込めて、ソインは寝起きの夫の顔を見つめて今朝も言う。
「おはようございます」
と。
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