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4.Side: Ritz
しおりを挟む学者肌の家系で知られるラストロ伯爵家には5人の子供がいる。上の4人は男で、次男であるリッツは今年で20歳だ。一番下の妹ラディアはまだ学園に通う学生である。
リッツは物心ついた時から勉学に夢中で、特に数学に関しては才の開花は早かった。暇さえあれば、また紙とペンさえあれば際限なく数式を書き続けていた子供だったと思う。数式を解いている時が一番幸せで、もう一生これさえできればよい!とも思ったが、高い地位に憧れる気持ちは一丁前にあったらしい。父親が宰相だったこともあり、自分も大人になったら宰相として国王の右腕的存在になりたいと思っていた。いや、なるものと疑いもしなかった。自分の才能の限界を知るまでは。圧倒的な才能の差を思い知らされるまでは。
今でこそ、兄と本気でやり合えると信じていた自分を可愛らしく思える。リッツはかつての己の黒歴史を思い出し、はぁと重い溜息を吐いた。
自分が凡人であることに気がついたのは、いつのことだったか。はっきりとは覚えていない。ただ、他の人間よりは早くそれを経験したのではないだろうか。自分の才能の限界の自覚という体験。そして、夢と現実のギャップを突きつけられたことによる自分の可能性への諦観。
長男でありリッツの二つ年上のケイは、いつもリッツの先を進んでいた。リッツが追いつこうとしても、決してその差を縮めることはできなかった。いくらリッツが勉学の方面で功績を残しても、それはただケイの軌跡を歩いているだけであり、さらにケイにはリッツには備わっていない、他人と上手く関係を築く力を持っていた。
幼い頃より人と相容れない性格であり、また一人で問題を解決できる力があったため人に助けを求める必要もなかったのだろう。
だが同じ優秀であるはずのケイは、そこが上手いのだ。周囲から天才と認められているのに、何故か人に溶け込める雰囲気を持っている。知らない間に人の懐に入り込むのが上手く、それも天性の才能と呼べるものだろう。
ケイは人と関わりを持つのが上手い。だから、彼の世界はどんどん広がっていき、リッツとの差も同じだけ広がってゆくのだった。
とっくのとうに諦めたつもりだった。だがそれは、諦めることで自分の惨めさを曖昧にしただけであったようで、今でも見事な嫉妬心が心の片隅でゆらゆらと揺らめいている。
だから世間から『阿呆かつ傲慢なお坊ちゃま』と影で馬鹿にされているような、クラネット家次男の専属家庭教師の話が舞い込んできた時には、自分はここまで落ちぶれたのかとショックを受けた。自分はこんな程度の者に教える人間ではないと、傲り高ぶるっていたのである。
聞くところによると、クラネット家次男リツカは使用人を人間とも思わず酷い扱いをし、欲望のまま飲み食いした挙げ句に身体を壊して医者からも身を案じられている戯け者らしい。知能の欠片もなく、欲望の向くまま生きている、リッツの苦手な『言葉が通じない』相手だった。こんな低俗な人間に自分が教えること事態が勿体ない、と本気で思った。
噂は当てにならない。一見は百聞にしかずという言葉通り、一割程度はどんな奴なのかという期待があったが、それは初対面で打ち砕かれた。やはり阿呆。どうしようもないくらいに。
明らかにやる気のない態度。爵位を見て相手を見下す目。
それからというものリッツは週に二度、彼の幼稚な対抗手段に耐えることとなったのだ。年上である自分を完全に舐め腐った態度に最初はブチ切れていたが、数度目からは言葉も通じない家畜以下の奴に貴重な感情を向けることも無駄だと思うようになった。
少しでも勉学に興味を持って貰えたらと期待する公爵に対し、思わず『もう諦めた方が良いですよ』と喉元まで出かかってしまったが、実のところ本心から彼に同情をした。
想像できないが、自分がもし愛する人と結ばれ、その愛の結晶として子供が生まれてきて、それが『あんなの』であったら・・・・・・と、考えただけで頭が痛くなった。
だが、この屈辱的な時間もあと少しの辛抱、そう思ってなんとか繕ってきた。
リッツは今年の春から貴族が通う学園の高等部で教師を務めることが決まっている。そのつなぎの仕事として、仕方なくリツカの家庭教師を引き受けていたのだ。理由は簡単、報酬が規格外だからである。
このお子様も、今年で初等部に入学か。・・・・・・・マジで大丈夫かこの頭で?
自分の腕を疑われはしないだろうかと一瞬不安を抱いたが、彼を見れば自業自得の結果だと誰もが理解するだろう。きっと彼はこのまま真面目に勉学と向き合うということを知ることもなく学園へ入学し、自分の世間知らずさを知って慌てふためくであろうな・・・・・・、などとリツカの行く末を考えるが、自分には一ミリたりとも関係のない事柄であるためリッツはすぐに他のことに思考を移した。
あと数ヶ月。適当にやり過ごせば自分は晴れてこの七面倒くさい役目から解放され、学園で教師をやりながら研究し放題の生活を過ごせる・・・・・・!と夢を思い浮かべながらその日もリッツはクラネット家を訪れた。
今日も今日とて真面目に授業を受ける気など皆無の猿に付き合わねばならないのか、と半目状態で屋敷へ招かれると、先週訪れた時には見なかった目新しい召使いが出迎えた。
リトという田舎くさい少年は、最近入ったリツカ付きの召使いらしい。さぞかし酷く虐められているのであろうと容易に想像できた。
リトはオドオドとした態度であったが、リツカの部屋へ向かう足取りに恐怖などのネガティブな感情は見られなかった。それに首を傾げながら、到着した部屋の扉をリトがノックすると、中から『はい』と大人しい小さな声が聞こえてきた。
今までに一度たりとも礼儀正しい返事など聞いたことがなかったため、面食らう。今日は一体何を企んでいるのだろう、と懐疑心を抱きながらリトが開けた扉の中に入っていく。
「入りますね・・・・・・おや、リツカ様。今日はなんだかすごく・・・・・・大人しいですね?」
自分が入ってきた瞬間に何かアクションを起こしてくるかもしれないと身構えながら入ると、予想と反して彼は手を身体の前で組み大人しく立ってリッツを出迎えたのだった。
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