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「恥を知れ!」
 ぴしゃりと言い放たれたこの言葉に、頭の中が真っ白になる。あまりにも衝撃的すぎて、身体を一ミリも動かすことができぬまま、扉を開け去って行く小さな背中をただ見送ることしかできなかった。
「あーあ、兄さん、とうとうクラウス様に呆れられちゃったねー」
 クスクスと笑いながら一部始終を見ていた弟が自室へと戻っていく。たった今婚約者に見捨てられたリツカは、踊り場で蹲り、しばらく経ってもそこから動くことはできなかった。

 自分はリツカ=クラネット。名門クラネット家の次男であり、第二王子クラウス=ラチェットの婚約者である。リツカは頭痛に耐えながら、そんな当然のはずの自分の情報をまるで他人事のように再確認したのであった。
 性別に関係なく婚姻を結べるこの世界は、前世自分が生きていた世界とは明らかに異なる。自分は今まで片瀬かたせ梨津花りつかという名の平凡な男子高校生で、確か通学途中に突っ込んできた居眠り運転のトラックに跳ねられ意識を失ったはず。これは、所謂異世界転生というものをしてしまったということだろう。と、何故か冷静に納得できた。
 今自分は、子供には過ぎる程の豪華な部屋の天蓋付きベッドの上で、先ほど小姓が運んできた水を飲み、我身が置かれた現状について考えている。
 思い返すと、自分はかなり我儘な小僧だったらしい。亜麻色の癖っ毛に同色の丸い瞳。その可愛らしい容姿に両親、長男はメロメロで、これでもかというほど甘やかされて生きてきた。現8歳男児。自身の腹部を見ると、たるんだ肉が肉まんのようにぷっくりと盛上りを見せている。手で摘まんでみると、かなりの厚さであることがわかる。
 元来プライドが高く、傲慢で人に物を譲るぐらいなら捨てた方がマシと言うほどのドケチな性格。人を見下して優越感を抱く、幼いながらに人格に難ありの人物だ。これで容姿が天使であれば小悪魔だと称することも、無理はあるができるかもしれない。しかしリツカは、甘やかす親たちを良いことに、何でも好きな物を食べ続けた結果超肥満体型となっていた。そこまで酷くはないが、ここら辺ではあまり見かけないほどの大きな身体。走ると痛みが響く膝。この年でこれはヤバい、と自分でも不安を抱く。
 よし、まずは痩せよう。そう決心し、翌日からダイエットをするぞと意気込んでいたのだが・・・・・・。この世界に慣れそうもないという問題に直面した。
 前世の記憶を思い出しただけで、自分がこの世界にリツカとして生まれたことには変わりはない。だから人格が分裂したとか、特にそういった問題はないのだが・・・・・・前世の自分は、超が付くほどの恥ずかしがり屋だったのだ。
 貴族は生活を送るにおいて、使用人にさせる範囲がとても多い気がする。少なくとも、この家では多い。着替えや湯浴み、普通に自分でできることを、わざわざ人にやってもらうことがとても恥ずかしい。しかも、自分にとっては人と近距離でいるということさえあがってしまう原因となるのだ。昔から人見知りで恥ずかしがり屋、ちょっとのことで落込みがちな、まさにメンタルミジンコ人間なのだ。
「どうしたリツカ、食欲がないのか?」
「全然食べてないじゃない。具合でも悪いの?」
 心配そうに伺ってくる両親を前に、リツカはきゅうと閉まった喉でごくりと物を飲み込んだ。やや震える手でフォークを置き、俯いていた顔を上げる。
「いえ、大丈夫です・・・・・・」
 自分の両親であるはずなのに、身体から緊張が抜けない。前世の記憶を取り戻したことで、彼らをどこか他人だと思えてしまうからだろうか。
「食が進まないのだったら、後でシェフにシナモンロールを作って貰おう。好物なら食べられるだろ?」
「父様、母様、それに兄様も、リツカ兄様にだけ甘すぎます!だからクラウス殿下にも愛想を尽かされたんですよ!?」
 同じ亜麻色の髪に母譲りの見事な碧眼の兄、ロイが太くてしっかりとした髪と揃いの眉を下げ、甘ったるい声で魅力的な提案をしてくれる。それに返事をする前に、先ほどから不機嫌極まりなかったリツカの弟であるロアがだん!と机を叩きながら抗議した。その音にもビクリとしたし、自分を責める声に汗が出てくる。
「あら、きっと殿下の照れ隠しよ。ロアちゃん、そんなに怒った顔をしてると可愛いお顔が台無しよ?」
「ハハハ、そうだぞロア。それに、私たちはリツカだけ可愛がっている訳ではない。ちゃんと、ロアとロイのことも愛してるぞ」
「母様、父様まで!」
 もうっ!と頬を膨らませるロアにギロリと睨まれる。
 今日は久方ぶりの殿下の来訪で、リツカは張り切っておめかしをして出ていった。しかしいくらこちらが盛り上げようと話をしても、彼は適当に聞いており、終いには公務の合間に来たから帰ると言ってその場を後にしようとしたのだ。なんとか彼の気を引こうとしたリツカは、最近入った新入りの使用人を紹介どころかクラウスの前で貶め、笑いの種にしようとまでした。それが見るに堪えなかった彼はとうとう怒りを露わにし、下品な婚約者に向かって『恥を知れ』と宣ったのだろう。
 クラウスのその言葉によってリツカは前世の記憶を思いだし、言葉通り『恥』を知ったのだが。知った、というより、思い出したのほうが正しいか。
「ご、ご馳走様です・・・・・・」
 少なめに取り分けた野菜を食べ終わったので、部屋へ戻ろうとナプキンを机に置くと、それまで軽い会話を交わしていた家族たちがギョッとして一斉にこちらへ視線を寄越した。
「では失礼します」
 あわあわと何か言おうとしているが言葉にできない彼らに向き合うこともできず、俯きながら退室する。元々人と目を合わせて話すことすら緊張してできないのだ。背後に視線を感じて居心地の悪さを感じながら、リツカはやや背を丸めて食堂から出ていった。
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