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無事鑑賞後、二人とも黙ったまま正面を向きエスカレーターから降りる。
思ったよりも激しいシーンがあり、鑑賞中思わず裕とのキスを思い出してしまった。スクリーンの中で躱されていたような大人のキス。実はそこまでやっていない。最初は小さなバードキスから、そして舌を入れ始めたのはつい最近のことだ。
同年代の者は笑ってくれてもいい。奥手だと。しかし、幸い裕の方もそういうコトには疎く、初心者二人による歩みは赤ん坊や亀並にゆったりとしている。だが、それでいいとも思っているのだ。一緒にいられる時間はたっぷりある。だから、ゆっくりと同じ道を歩んでいきたい。
しかし映画で濃厚なキスシーンを目にし、最近激減した”ふれ合い“により雑魚状態になっている、精欲抑制のための鎖が緩んで締まったのだ。
危うく芸術作品を鑑賞しながら勃起してしまうところだった。
隣にいる鈴音の存在を思い出しなんとか作品に集中することができたが、隣にいたのが裕で、しかも場所が家だったなら、きっと自分は我慢できなかっただろう。
映画を観た後は、少し離れたところにある評判の喫茶店で軽く食事をし、ショッピングモールで時間を過ごした。
店々を興味深そうにきょろきょろする様子や、始終はしゃぐにぎやかさに、心がほっこりとする。きっと『微笑ましい』とはこの状態のことだろうと思った。
先ほどの映画館でも、子どもが嬉しそうにポップコーンの容器を持っているのを羨ましそうに見ていて、それが無意識の内に可愛いと思ってしまった。普段”研“でいる自分に対しては毒舌なのだが、そのギャップに惹かれているのかもしれない。
自分の言ったことに一生懸命答えてくれる。笑顔で、慕ってくれる。
素顔の自分に対してそうしてくれる相手は、裕以外に誰もいなかった。だが鈴音もいた。鈴音は、心底研のことが嫌いであることは伝わってくるものの、学校の皆たちのように見て見ぬふりをするのではなく、きちんと接してくれていた。それこそ、本音を言い合えるほどに。
裕にはしたくない乱暴な言葉遣いも、鈴音にならできる。気づかないうちに、気の置けない中と言えなくもないような関係になっていた。
そんな鈴音も研の素顔を見たことはないが、なぜだか鈴音は研が素顔を見せても態度を変えないような気がする。
今まで鈴音のことが苦手だった。初対面のときには思いきり睨まれ、いつも研に対して上位にいようと必死な姿。睨みが通常になり、裕に対するものとは異なる粗雑で小憎たらしい態度。
しかし、それを『研』ではなく『研治』の立場で見ていると、研に対する態度もそう悪くないものだと思えてきたのだ。鈴音と長時間過ごして色々な面を見ることで、あのような態度を取る鈴音の気持ちが少しだが、わかったからかもしれない。
羨ましがり屋で、寂しがり屋、少し意地っ張り、負けん気が強い。
それを知るからこそ、家での鈴音も可愛く見えてくるだろう。
と、そんなことを思いながら、足が待ち合わせ場所であった橋に差し掛かる。
「じゃ、ここで」
「うん・・・・・・」
蝉の囁きほどになった声にやや寂しさを感じながら、研は踵を返して歩き出そうとした。
すると後ろから呼び止められ、振り返ると夕日に照らされているからか顔を赤くした鈴音が不安そうな目で自分を見ていた。
「覚えてないかも知れないけど、僕、昔研治さんに助けられたことがあるんです」
自分が、鈴音を助けた・・・・・・?
瞬間的に、思い当たることはなかったので、誰か他の人と勘違いしているのかもしれないと思った。
「はい。小学校2年生頃、公園のブランコで遊んでいたら知らないおじさんに声をかけられて、連れて行かれそうになったのを、助けてもらいました」
本当に自分が助けたのか訪ねると、鈴音は確信している顔つきで頷き、詳細を話す。
『鈴音が小学校2年生だから・・・俺は3年生で、ちょうどその頃は自分に自信が持てなくなった時期だな』
小学一年生のときのショックな出来事で前髪を伸ばして顔を隠すようになり、二年生に上がる頃に眼鏡デビューを果たした。だがまだ近視がそれほど酷いわけでもなかったことから、時々頭を締め付ける眼鏡を外して束縛から解放されていた。
『そうか、あのときか』
思い当たることが一つあった。
あの日は確か疲れた目を休めようと裸眼で外をぶらぶらしていたときに、通りがかった公園から子どもの声が聞こえてきたのだった。
男の声と嫌がる子どもの声に急いで駆けつけると、不審な男が子どもの腕を引っ張ってどこかへ連れて行こうとしていたところだった。その子どもが鈴音だということに気がつき一瞬体が硬直したが、大声を出しながら走って行き、男の手を鈴音から引き剥がしたような気がする。
その時は、とにかく鈴音を助けなければと無我夢中だったので、どうやって男を追い払ったのか記憶が薄いのだ。
結果的に助けることができたが、目に大粒の涙を抱えながらお礼を言ってきた鈴音は自分が研であることに気づいておらず、研もあえて別人のふりをして鈴音の頭を撫でたのだった。
初めて撫でた鈴音の頭は、すごく柔らかくて、温かくて、この柔らかな存在が無事で本当によかったと安堵したのは鮮明に覚えている。
次に研として会ったときには当然いつもの邪魔者に対する態度であったので、いつしかその出来事を忘れていったのだった。
「あの時のことか・・・・・・覚えてたんだ・・・・・・」
まさか、あのことを覚えていたとは。
そのことをとても意外に思う。
「やっぱり、研治さんだったの?」
「う、うん。今思い出したよ」
あくまでも、研治として返事をした。あの時も裸眼で素顔の状態だったので、嘘ではないだろう。
すると鈴音は勢いよく頭を下げ、大きな声で礼を言ってきた。顔を上げた彼の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっており、美形が台無しになっている。
無意識の内に手が伸びて、頭を撫でていた。
「うん。本当に、無事でよかった」
「う゛ん゛・・・!」
嫌がるのではないかと思ったが、目を閉じて気持ちよさそうにしてくれるので、研はそのまま、しばらく撫で続けていた。
手の平に感じる感触はあの時と変わらず、優しくて柔らかくて繊細だった。
研の心の中に、再びじんわりとした温かみが広がった。
***
『今日はありがとうございました!とっても楽しかったです!!また遊びに行こうね!』
ピコンッという音と共に『きゃぴっ』と言っている羊のイラストが送られてくる。
それに口元で笑い、返事を打ち込み送信した。
昼から体に流れる温かいもの。心からじわじわと染みだして、体全体を包む温かさが心地よい。
今さっき会話の終わった画面を撫でると、口元が緩むのがわかった。
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