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 会おうと言ったものの、実際この姿で会ったら問題になることはすでにわかっている。なので研は、即席で『研治』を作ろうと学校を出てすぐ手近な店に入り、髪を結ぶゴムを適当に調達した。
 待ち合わせ場所となっているのは天野家の近くにある川にかかっている橋。研は変装をするため、学校から待ち合わせ場所までにある公園のトイレに駆け込んだ。
 少し汚れている鏡を覗き込み、いつも裕がやるように見よう見まねで癖のある前髪を束ねていく。研の髪の癖は相当なもので、束ねても束ねても次から次へと手から髪が零れ落ちてしまうのだった。
 時間も迫ってきて焦る一方、手間取り苛つき始めた研はガシッと乱暴に前髪を掴むとゴムですぐさま根元を縛った。
「ふぅ-・・・・・・こりゃあ大変だ・・・・・・」
 涼しくなった額には、汗が滲んでいる。すこし不格好だがもう時間もないので、研はそのまま待ち合わせ場所に向かうことにした。
 そろそろと歩いて行くと、橋から下を覗いている鈴音の姿が見えてくる。研は並木に隠れ、忘れないようにメガネを外して鞄の中に入れ、足下に注意をしながら近づいていった。
「おまたせ。ごめんね」
「っ!だ、大丈夫、デス・・・・・・」
 こちらに気づいた鈴音が後半を小さな声で言いながら俯いた。
「どっか、喫茶店に入る?」
 小さく頷いたのを確認して、研は裕と時々入る家の近くの喫茶店へ鈴音を案内した。扉を開けると、カランと軽やかな音が聞こえ店員の明るい声が響く。
 だが次の瞬間、店の中がザワついたような気がした。一斉に店内にいる全員に見られているような心地になり、非常に気まずくなる。が、身体を近づけ扉を潜ってきた鈴音の『うわぁ~お洒落~!』という声に下げかけた顔を上げ、お気に入りの席へと歩いていった。
「ご注文はお決まりですか」
「いえ、まだ・・・・・・」
 いつも裕と来るときにいる店員のはずだが、なんだか今日は声の調子が高い気がした。普段裕と来るときも、彼女は裕の顔を見て顔を真っ赤にして注文を聞く。だが今日は、何故かその時よりも緊張を含んだような声色だった。
 鈴音が一緒だからだろうか。メガネのない今、店員の顔を見ることはかなわなかったが、なんとなく気になり遠ざかっていった彼女を目で追ってしまった。
 テーブルに置かれた水を一口含み、メニュー表を広げる。正面に座る鈴音に何がいい、などと聞きながらメニュー表の全く読めない文字をぼんやりと眺めていたが、何やら今日は、店内が騒がしい。
 いつもはこれほどまで人の声は気にならなかったはずだ。まさか、自分の素顔があまりにも酷いからじゃないか・・・・・・、と、研は頭の先から血の気が引いていくような心地になった。今の研は家にいるように前髪をゴムでとめ、メガネを外し完全に素の顔を晒している。それが見るに堪えないから、皆影でヒソヒソと悪口を言っているのではないか。
 そう思えてくると、手が震えてきた。
「僕、チョコレートパフェにする!研治さんは?」
「おれ?・・・・・・俺はコーヒーにしようかな」
 僕コーヒー飲めないんだ、研治さんは大人だねとほんわかとした声で言われ、緊張していた心が少しだけ緩んだような気がした。顔は見えないが、鈴音の声の色から嫌悪は見えない。ならば、店が騒がしい気がするのは気のせいなのかもしれない、と思うことにした。
 テーブル上の小さなベルを鳴らし、店員に二人分の注文をする。店員は再び上擦った声で注文を反復してから、キッチンの方へと姿を消した。
「・・・・・・」
 店員がメニュー表を下げたのでテーブルには何も目を向けるものはなく、一気に沈黙の世界に陥る。何か話しかけた方が良いのか、それとも鈴音の話したいことについて訪ねた方が良いのか、この様に裕以外で人と二人きりになる時間が今までなかったため、研は初めて体感する緊張感に手先の温度が下がるのを感じた。
「お待たせ致しました。チョコレートパフェをご注文の方――どうぞ、ごゆっくりお召し上がりください」
 やや本調子が戻ってきたらしい店員が鈴音の前にチョコパフェを、研の前にコーヒーを置くと伝票を端に置いてその場を立ち去っていった。
「ん、おいしー!」
 上に乗っている巨大なソフトクリームを小さなスプーンで掬って口に入れ、鈴音は上機嫌にそう言った。よくは見えないが、おそらく女子高校生のように頬を押さえて笑顔を作っているのだろう。
 研は、湯気の立ち上ったコーヒーを口に含み、その独特な深みのある苦さを舌に吸い取った。
「あのね」
 しばらくしてだろうか、突然鈴音がぽつり、と口を開いた。
「研治さん、僕と――
 研は傾けていたカップをソーサーに戻し、見えないものの正面の鈴音を捉えようと顔を上げた。
「友達になってくださいっ!」
「へっ?」
 一体、何を言い出すのだと頭が真っ白になる。
「ダメ、ですか・・・・・・?」
「だっ、ダメじゃないよっ」
 涙を含んだ鼻声でそう言われ、人慣れしていない研の脳内は早くもキャパオーバーになっている。すかさず返事を返してしまった。少しだけ、返事が弱っぽくなってしまったのは後悔しても遅いが。
「よかったぁ~~・・・・・・」
 心底嬉しいというような声でそう言われ、『友達になって』など言われたことのない研は、心がどこか温かくなったような気がした。心を形作るその外側が、ほわほわと暖かい。
 ともだち、友達かぁ-・・・・・・。もしかしたら初めての友達かもしれない、まぁ従兄弟だけどと思いながら研はコーヒーを飲み干し、鈴音がパフェを食べ終わるまで待っているのだった。

「ごちそうさまでした!美味しかった!」
「それはよかった」
 勘定を支払う際に鈴音は渋ったが、年上だし彼はまだ中学生なので研が二人分を支払った。申し訳なさそうにしていたが、気にするなと言う代わりに丁度良い位置にある頭をわしゃわしゃとかき混ぜると、びっくりしたが恥ずかしそうに笑った。
 なんだか、弟ができたみたいだ・・・・・・。研は裕よりも背の低い彼を見て、そう思ったのだった。
 それから天野家の前までの道を、鈴音からの質問に答えながらゆっくりと歩く。今日は学校で何をしていたのかという質問に対しては、補習とは言えず『学祭の準備』だと適当に誤魔化してしまい、そこから学祭についての質問攻めに遭ってしまった。
 夏休みが明けたら学園祭が近いのは事実である。しかしクラスにいてもいなくても変わりがない研は、ほとんどクラスの出し物の準備に参加することはなく、詳細に自分のクラスが何をするのかわからなかった。が、わかる範囲で答えていくと鈴音は満足したように礼を言ってきた後『いいなぁ・・・・・・僕も行きたいなぁ』と零した。
 家の前まで来ると、どちらからともなく足が止まる。
「その、これからも・・・・・・夏休みの間だけだけど、僕と一緒に遊んでくれま、せんか・・・・・・」
 自信がなさそうに尻すぼみになっていく言葉。
 そんな弱々しい態度、普段なら自分が取っているのにと少し可笑しくなり、よく考えずに『いいよ』と返事をしてしまった。それは後々後悔するのだが、今研は初めての友達に頭がぽわんとなっているので、そんなことを考える余裕はないのだった。
 『じゃあ、また』と言って鈴音と別れ、メガネを掛けるとまた公園の方へ歩いて行く。そしてすぐトイレへ入り、  無造作にゴムで止めてあった前髪をほどいた。
 適当に縛っていたからかさらに変な癖がついており、整えるのが面倒になってバサバサと手で前髪を広げさせる。多分元通りになったのを確認し、研は家へと向かって急いだ。

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