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一章

硝子の伽藍の謎

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 セドナの断崖から突き出した、この巨大な硝子の伽藍の中で、現状探索可能な領域はひと通り歩いた。
 吹き抜けを頂く1階ホール部分。
 地下へと続く階段。通路を封鎖していた鉄扉。通路。
 そして、地下に広がるこの広い部屋。
 以上が、この建物の現状での探索可能領域だ。
 上階へと続く階段は崩落して通行不能。
 そのため2階層以降については、現状は探索不能と見るべきだろう。

 この建物に足を踏み入れた時と同じ問いを、モンターナは再び投げかける。

「……この建物、いったいなんだと思う?」

 この建物に関する第一印象として、カノンはショッピングモール、俺はサナトリウム、モンターナは研究所と言っていた。
 ここまで見てきて、あの時とはかなり印象が変わっている。
 どちらかと言うと、怪しげな方向に。

「……研究所、かなぁ、やっぱ」
「フーガもそう思うかね」
「1階部分は、まぁいいんだけど。
 この地下階層が、どう考えても怪しすぎる」

 まず、この広い空間があやしい。
 この地下階層の、幅10mほど、奥行き20mほど、高さ3mほどの巨大な一つの空間。
 デパ地下というには、あの鉄扉が邪魔をする。
 防音を利かせたダンスホールというには、あのポータルが邪魔をする。
 あの――この空間の奥にある、隔離されたポータルが。

 怪しいと言えば、もう一つ。

「この建物、窓がないんだよな……」
「窓がないというのは、それなりに理由がありそうだ。
 この地下でなにかあやしげな研究をするにしたって、地上部分まであやしくする必要はない。
 むしろ、窓のない建物とか『怪しいことをやっています』とアピールするようなものだ」
「そりゃそうだ」

 3階建てか4階建ての高さに屹立する、窓のない白い箱。
 そんな建物、あまりにも怪しすぎるわ。

「……だから、逆に考えてみてもいいかもしれない。
 すなわちこの建物には、窓がないほうが良い理由があった」
「おん?」
「陽光を避けた方がいいものを扱っていた、とか。
 考古学資料とか、研究試薬とかは、日の光を避けたいだろう」
「なるほど、ありえそうだな」

 怪しくなってしまっても、そうしたほうが良い理由があった、と。
 どちらかと言えば、そっちの方がだろう。

「図書館、みたいな?」
「どちらかといえば資料庫を兼ねた研究施設、という感じかな。
 あの吹き抜けは、この場所では後ろめたいことをやっていません、来訪された方はどうぞご覧になってください、というアピールだったのかもしれない」
「それは……どうだろうな……」

 確かに、この建物に入ってすぐ、この建物の上の階層の様子も見えるわけだ。
 渡り廊下があった以上、上の方の階層でやっていたことは、そこまで機密性も高くなかったのかもしれない。
 なにかあやしいことやってて、渡り廊下を渡っている最中に資料が散逸する、なんて間抜けなことが起こるのも考えものだろう。

「……そういうわけで私としては、この建物は、そうした陽光を避けるべき物品を扱う研究棟だったのではないか、と思う。
 この地下室は、とりわけ厳重な注意を要する物品の研究区画。
 ポータルは、それらの物品の搬入・搬出用かな?」

 ふむ、面白い仮説だな。
 ひと通りの筋は通っているように思う。

「フーガも研究所のように思ったというが……どうかな?」
「うーん、俺はちょっと違うかな。
 ……研究所と言えば、研究所なんだが」
「ほう。では、なんの?」

 これについては、この建物の中に入ってからちょいちょい引っかかっている、とある一つの疑問が尾を引いている。
 そっちについてはあとで二人と相談するとして……今は結論だけ言おうか。

、とか」
「……、……?」
「……ぇ?」
「……。――っ!!」

 今回も結論だけ先取りしてしまっているから、またカノンを困惑させてしまったかもしれない。
 だが……モンターナには、俺が言っている意味がなんとなくわかったらしい。

「地上部分については、いったん無視する。
 この地下階層の部屋の構造、ただそれだけを見てのイメージだ。
 この広い区画と、ガラス窓越しに見えるポータル。
 俺にはこの場所が、ポータルの観測所、あるいは実験場に見える。
 ……いったい、なにを実験していたのかは知らんが」
「その……フーガの言う『ポータルの研究施設』というのは。
 ……ポータル、そのものについての、ということ、か?」
「……この建物については、どうにもいろいろ引っかかっててな。
 その辺が尾を引いていて、そっちに引っ張られてる。
 ただ、まぁ――馬鹿げたこと言ってるとは思う」
「……。」

 俺の言葉を聞いたモンターナは、なにやら考え込み始めた。
 そりゃ、そうだよな。
 俺だって、ずっと考えているんだ。
 その可能性の意味を。
 その可能性が内包する一つの事実を。

 そちらについて考えはじめると、たぶん盛大に脱線することになるだろう。
 だからその前に、カノンの意見も聞いておこうか。

「カノンは、どうだ。この建物について、なにか気になったことはある?」
「……え、と。二人みたいに、具体的なのは、思いつかないんだけど」
「いいぞ。ふわっと行け、ふわっと」

 カノンは本質直観型だからな。
 ものごとの表層しか見えていない俺とはちがう見方をしているかもしれない。

「……こわかった、んじゃないかな」
「え?」

 怖い?

「なにが……だ?」
「え、と……いろい、ろ?」
「怖かったのは、この建物のなかにいた人が、だよな」
「……うん」
「その人たちは、なにかが怖かったんだよな。
 どうして、カノンはそう思った?」

 やはりカノンは、なにかを感じとっているようだ。
 俺やモンターナが感じたものとは、ちがうなにかを。

「……、から」
「うん?」
「この場所は、閉じてる、の。
 窓がないし、鉄の扉で塞いであるし。
 だから――なにかが、怖かったんじゃないかなって」
「なにか、って……?
 ……、……。――ッ!!」

 あ、れ。
 その可能性もあるのか。
 いや、それはどうだ。
 たしかに、筋は通ってる、のか?

「……カノン、一つずつ行こう。
 この建物には、窓がない。
 その理由が、怖かったから、だな?」
「う、ん。そうかな、って……」
「それは、んだな?」
「うん」
「外……?」

 モンターナが疑問するのも無理はない。
「外が怖い」というのは、極めて抽象的な表現だ。
 たとえば、この建物の内部を誰かに覗かれるのが怖い、というのも「外が怖い」に入るだろう。
 だが、そういう抽象的な表現ではなくて、もっと直接的な。
「外」そのものが、怖いのだとしたら。
 だから、窓を作りたくなかったのだとしたら。

「なぁ、モンターナ」
「……なにかな?」
「おまえ、雨戸を閉めたこと、ある?」
「うん?そりゃあるけど」
「なんでだ?」
「え?」
「なんで、雨戸を閉めるんだ?」
「そりゃ、危ないからだよ」
「なにが危ないんだ」
「えっ、台風のときとか、窓ガラスが、割れるのが……、――っ!!」

 どうやらモンターナも気づいたようだ。
 その具体的なものはまだ見えてこない。
 恐らくカノンにも見えていないだろう。
 いったいなにが「こわかった」というのか。
 だが、窓を作らないというのは、そっちの線もあるということ。
 その指摘、そのような見方があるということは重要だ。

「……フーガ。カノンの言っているのは、つまりこういうことか?
 外が危ないから窓を作らなかった、と。
 窓を作るのが危ない、と」
「その可能性はあるよな」
「……盲点だったな、それは。
 見られたくないのではなく、そもそも穴を開けたくなかったと」
「異常気象、異常生物、神話的恐怖、なんでもいいぞ。
 とにかく、窓というのは穴、弱点なんだ。
 それを作らない理由としては、そっちの線もあるかもしれない。
 外界のなにかから身を護るため、敢えて作らなかった。
 つまり、この建物が、ある種のシェルターだったという可能性だ」

 これが、カノンの言う「こわかった」の1つ目だろう。

「……カノン。鉄の扉があるから、こわかったのかも、って言ったよな。」
「う、ん」
「そっちはなんでだ。
 なにが、こわかったんだ?」
「なにかが、とか。
 ……なにかが、、とか」
「……うわぁ……」

 ああ、そうか。
 その可能性は……あるなぁ。
 閉じてる、鎖されている。
 この地下区画は、遮断されている。

「……今回は、私にもわかる気がするよ。カノン。
 つまり、こういうことかな。
 あの鉄の扉は、なにかの出入りを封じるためのものだった、と」
「う、ん。……どっちかは、わかんない、けど」

 この地下に、なにかが入ってくるのが怖かった。
 あるいは、この地下から、なにかが出ていくのが怖かった。
 だから、鎖した。鋼鉄の扉で。
 エレベーターが通っていることなんて、問題にならない。
 なにかを入れたくないなら、地上から地下へは行けないようにしておけばいい。
 なにかを出したくないなら、地下から地上へは行けないようにしておけばいい。
 そうしておけば、この地下区画は封鎖される。
 この、なにをやっていたのかわからない、広い部屋も。
 その奥にある、隔離されたポータルも。

(……。)

 ポータルのある小部屋へ続いていると思わしき、金属扉を見る。
 あれも、そうなのか?
 なにかを入れたくないから。
 なにかを出したくないから。
 なにかの出入りを、とざしているのか?

「……うわぁ、なんか一気にぞわっとしたぞ」
「う、む。……面白い見方だ。
 窓がないことや、頑丈な鉄の扉を設えることに、恐怖という人間の感情を絡めて考えると……なんともおぞましいイメージが湧くね」
「ホラーゲームかな?」
「ホラーゲームをしていたのは、この建物を使っていた者たちかもしれないがね」

 外界から遮断されたこの箱の中で、彼らはいったいなにをしていたのだろう。
 なにかを――研究していたのだろうか?
 見ることのできない外界に怯えながら。
 だが、そんな彼らの痕跡は――この廃墟の中にはほとんど残されていない。

「……どれも、ありそうなんだよな。
 モンターナの考えた説も、カノンの説も」
「フーガの説もわかるよ。
 あのポータルは、たしかに隔離されている。
 私の説で言えば、あそこまで隔離する必要は――いや、ある場合もあるか。
 外部からなにかを持ち込む前に、それらを滅菌するための空間があってもいい。
 ポータルのある小部屋へ続いていると思わしき、あの金属の扉の向こうにあるのは、滅菌室ってこともあるんじゃないかな。
 なにかをこの建物の中に持ち込むのを怖れていた、とか」
「なにかっていうのは――カノンの説みたいなものか」
「病原菌とか、あるいは虫とか?
 とにかく、人の生活圏に持ち込みたくはないものだ」
「怖かったから、鎖した、か……」
「だが、その説で言えば、あのようにガラス張りにする必要はないな。
 明らかにあのポータルは、この部屋からされていたように見える。
 だから、フーガの説もわかるにはわかるんだが……」

 ……うん、いいタイミングだ。
 議論するならこのあたりで、かな。
 実のところ、俺の説の妥当性については、どうでもいいのだ。
 それよりも、その可能性の考察を通じて、先ほどから俺が気に掛かっていることについて、一度思考のうちに入れておいてもらった方がいい。
 もしかするとまったく的外れな、余計な入れ知恵になってしまうけど……まぁ、それはモンターナなら取捨選択してくれるだろう。

 それに、セドナ仮説の例もある。
 この手のメタ方面の考察もできるのが、モンターナだろう。
 相談にのって貰うつもりで、聞いてみようか。


「……ごめん、カノン。
 この建物がなんなのかっていう話から、いったん脱線していい?」
「えっ、うん。いいよ?」
「ありがと、いっしょに考えてくれると嬉しい。
 ……で、モンターナ。ちょっと考えたいことがあるんだけど、いいかな」
「なにやら大層な前振りだが……もちろん、構わない。
 なにか、気になっていることがあるのだろう?
 先ほど言った、ここが『ポータルの研究施設』だと考える理由に、通じるものが」

 うん、話が早くて助かる。
 いまいち頭の中でまとまっていないが、モンターナと話している間にまとまるかもしれない。

「なぁ、モンターナ。ちょっと聞きたいんだけど――」

 さて……どこから切り出したものかな。

「――?」

 ……この辺から行ってみようか。

「……えっ」
「それは……哲学的な意味で、かね?」

 あれ、なんか出発点をミスった気がするな。
 これ、うまいこと着地できるかな。
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