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一章
硝子の中へ(1)
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セドナ川に掛かる丸太橋の前で、3日ぶりに再会した俺たちとモンターナ。
俺たちに冒険に付き合って欲しいと言ったモンターナは、続けて次のように言った。
『実は私は、その場所に、ほんの一歩だけではあるが、踏み入っている。
正確には、その場所の外観だけは見られる場所まで踏み入った。
だが、その場所でなにかしらの神秘を目撃する前に、撤退した』
その場所の外観だけは見られる場所。
それは恐らくは、この台地の上のことだったのだ。
セドナを取り巻く断崖絶壁から突き出した、ガラス化したコンクリート・ブロック。
その外観自体は、見た。
だが、モンターナはそこで撤退した。
撤退したということは、その先にまだ、探ることができる場所があったということで。
外観があるということは、その中があるということで。
「――死ぬかもしれんが、死ぬなよ?」
崖に足を掛け、挑発的に笑うモンターナと、俺たちの視線の先。
この白い岩山の、セドナの崖から垂直に突き出している片面は、傾いている。
セドナの断崖絶壁に対して水平な方の側面は、俺が先ほど覗き込んだとき、同じように垂直な崖になっていたけれど。
セドナの断崖絶壁に対して垂直な方の側面は、傾いている。
斜度は――75度から80度くらいだろうか。
時計の針で言えば、11時と12時の間、かなり12時寄りくらい。
かつて地面に垂直に建っていたであろうこのガラス化したコンクリートブロックは、セドナの台地に呑み込まれ、持ち上げられたときに傾いたのだろう。
俺たちが立っていた上面が、10度から15度ほど緩やかに傾いでいるのだ。
ならば、かつて直方体であったと思われるこの構造物の側面もまた、その上面に合わせて傾いているはずだ。
その斜度の合計は、当然直角になるだろう。
そして、俺たちが立っている台地の上から10mほど降りたところ。
斜面の中腹やや下あたりに、暗い窪みが開いている。
窪みの周囲には植物が繁茂し、白地の側面にあって、その縁を際立たせている。
その窪みは、かなり深そうに見える。
あるいはあそこから、このコンクリートブロックの中に入ることができるかもしれない。
だが――
ヒュォォォォォオオオオオ――
その窪みの下には、5mほどの白い急斜面が続き。
そして、その先には何もない。その下には何もない。
遥か眼下、1,000mほど下方まで続く、なにもない空中。
この斜面から滑落すれば、同じ距離を紐なしバンジーすることになるだろう。
……落ちたら、死ぬ、よな?
空気抵抗はいったん無視して、重力加速度も地球と同等として……
……15秒後くらいに、時速500kmで地面にぶつかることになるな。
木の枝に引っかかったとしても、まぁ……死ぬよな。
偶然生きていられる確率ってどんなもんだろ。経験上コンマパーセントもなさそう。
生死判定のダイスロールをさせて貰えるかと言えば、断じて否だ。
「……『ワンダラーとしての君たちの力を借りたい』、だっけ?」
「ああ。まぁ……これは、死を恐れているものには頼めないだろう」
「じゃあ、モンターナにも無理じゃねーか」
「むっ……たしかに、そうだな。
では……死を覚悟していないものには、でどうか」
なるほど、それなら、まぁ……。
ああ、そう考えると……いろいろ得心する。
モンターナが冒険に誘いたかった仲間の条件って、めっちゃ厳しいんだな。
彼と同じように本気で、ここがゲームだからと手を抜かないで冒険してくれる人で。
死に戻りを計算に入れず、最後までちゃんと生きようとしてくれる人で。
そのうえで、死を覚悟して、死ぬかもしれない状況にも身を晒せる人。
死を本気で避けようとしたうえで、死に瀕することを怖れないもの。
それってたぶん、かなり狭い層になるだろう。
……で、モンターナの考える中で、それにあてはまりそうなのが、俺たちと。
正確に言えば『ワンダラーとしての』俺たち、であるわけだ。
自分から死地に向かい、その上で死に立ち向かっていた人種。
それがワンダラーという存在だったと言えなくもない。
正直、それはちょっと買い被り過ぎというか……たぶんワンダラーのみんなはそんなに難しいこと考えてなかったと思うけど。
一言で言えば「それが愉しい」と思っていただけだから。
そういう愉しみ方をしていたプレイヤー層が、結果的には、モンターナの理想的な冒険の仲間像にも適っている、というべきだろう。
「あの、穴のところまで、行きたい、の?」
「ああ。カノン。あそこまで行きたい。
あそこから、このガラス化したコンクリートの……廃墟のなかに、入れると思う。
たぶんこの廃墟は、その大部分がセドナの岩壁に埋まっている。
これだけの質量が崖から突き出していてもなお、崖から崩落していないんだ。
つまり、この台地の広さの倍以上の部分が、崖の中に埋まっているのだろう」
……そうか。
この白い台地は、崖から突き出しているんだもんな。
崖にくっついているとか、引っかかっているわけじゃない。
文字通り、崖に食い込む形で埋まっているんだ。
となると……かなり大きな建物ということになる。
「高さは……15mくらいだよな?」
「ああ。通常の建物の高さから考えれば、4階建てか5階建てと言ったところだ。
だが、建物には基部もあるからな。
それを考えれば、3階建てか4階建てくらいという可能性もある。
つまりあの窪みが一階入り口で、そこから上が地上部分というわけだね」
「高さは分かれど……埋まっている部分を考えると、敷地面積は未知数、か」
「少なくとも、この台地の二倍以上の広さはあったのではないかと見ている」
ふむ……。
そこまでの広さならば、なんらかの施設である可能性もあるか。
あらためて斜面を覗き込む。
この構造物のなかに入ることができそうな窪みは、10mほど下方にある一つしかない。
それ以外には、窪みはまったくない。
(……。妙だな)
俺がさきほど覗き込んだ、セドナの崖に水平な方の斜面にも、窪みのようなものはなかったように思う。
ほんの小さな、窪みすら。
「……なぁ、モンターナ。この廃墟ってさ、妙じゃないか?」
「……なにかな」
「こんだけでかい建物ならさ……窓とか、なかったのか?」
「……。」
「あっ、たしかに。……ない、かも?」
「まぁ、そういう建物も、あるだろうけど……」
岩壁から見た、湖に立ち尽くす白い岩山には、小さな無数の窪みがあった。
そこに植物が繁茂して、緑の檻のようになっていた。
赤い花も咲いているようだった。
だが、この建物には、それがない。
窓のない――白い箱。
肩をすくめるようにして手を上げて、モンターナは言う。
「……わからないな。
まぁその辺りも、実際に入ってみればなにかわかるのではないか?」
「そりゃそうだ」
*────
さて、この台地に降り立ったときに続いて、ロープ降下の第2ラウンドだ。
先ほどとちがい、今回はぎりぎりではあるが崖に傾斜がある。
すなわち、這いつくばれば、摩擦で引っかかることができる。
……とは、思うのだが……
「……つるつるなんだよなぁ」
この斜面の材質はガラス質だ。
つるっつるやぞ。
「いかにも、滑り落ちてくださいと言わんばかりのこしらえだが」
「バラエティ番組でありそう」
あるいは年末に一度だけやるアスレチックチャレンジ番組。
この斜度なら、挑戦者10人のうち9人は滑落して落ちるだろう。
あまりにもきつすぎて、来年にはなくなってるやつ。
「で、モンターナはどうするつもりだったんだ?」
「……素直にロープ降下かな。
さいわい、こちら側はセドナの崖に垂直な側面だ。
このガラスブロックにはペグは打ち込めないが、左手の岩壁ならばペグを打ち込める亀裂がある。
そっちにペグを打ち込んで、そこからロープ降下するのはどうだ」
ここから先は、モンターナもノープランだったらしい。
あるいは俺たちと一緒に相談する前提で、考えずにおいてくれたのかもしれない。
彼という冒険家の同行人ではなく、一緒に冒険する仲間であることを強調するために。
それなら、嬉しい。
ぜひともその期待に応えたいところだ。
「カノンは、どう思う?」
「……滑り台みたいにして、あの穴にすぽっと、とか」
「それだと戻って来れないぞ」
「あっ、そっか」
「そもそもその滑り台はいくらなんでも怖すぎないかね」
通り過ぎたら死ぬ滑り台。なかなかクールだな。
いやしかし、これは確かに「死に戻り前提探索」したくなるシチュエーションだ。
滑り落ちる危険性にせよ戻って来る必要性にせよ、どちらも「死に戻り」で解決できる。
ワンチャンが通るまでデス滑り台を敢行し、運よく成功して中に入れたら、中を調べ終わったあとで自殺ボタンをポチっとすればいい。
普通のプレイヤーなら、それを由とするだろう。かしこい。
でも俺たちはかしこくないんだよなぁ。ざんねん。
モンターナが俺たちに声を掛けた理由もわかろうというものだ。
「カノンのもスリリングで好きだけど、帰途も考えるとモンターナの案が良いと思う。
でも、ロープ1本だと怖いから保険を掛けるのはどうだ。
ペグを2本打ち込んで、ロープも2本垂らす。
そのうち1本は、さっきの崖降下のときと同じで手繰る用。
で、もう1本は降下する人の胴体に結び付けて、命綱にしよう。
降下する人があの穴にすぽっと入れたら、その綱をほどいて、次に降りる人がその綱を上まで引き上げて、命綱として再利用する。
こうすれば、最終的には2本の綱があの穴まで垂れ下がることになるだろ。
登るときも、1本は命綱として結び付けて登ることができる。
俺たちの荷重も2本に分担されるし、いい感じじゃないか」
「……。」
「よさそう、じゃない?」
「……す、すまん、二人とも。実は、ロープが1本しか……」
再び項垂れる自称冒険家の男。
いや、そりゃ現状では同じ道具を複数持ち運ぶのは辛いよな……。
いまはまだ圧縮バックパックがないから、すべての道具は自分で持ち運ばないといけない。
そんな中でいろんな状況に対応しようと思ったら、できるだけ広く少なく道具を用意するのがもっとも対応力が高いのだ。
ロープだけ5束も抱えてる冒険家とかいかにも頼りがいがない。
「こんなこともあろうかと、こっちでもロープつくってきたから安心しろ。モンターナ」
「なに、ほんと――あっ! ……くそ、言われた……っ!」
「え?」
「冒険家が言いたい台詞ランキング第7位の台詞……」
「それたぶんお前の独断ランキングだよな」
こんなこともあろうかと。
人生で一度は言いたい台詞だよな。
ちなみに今回のロープは「こんなこともあろうかと」持ってきた道具ではない。
ご存知の通り、ただの偶然だ。
6mじゃなくて12mで作ってきて本当に良かった。
「フーガくん、すごい、ねっ」
「すまん、ホントはただの偶然だ。だからその無垢な眼差しで俺を見ないでくれ」
俺を過大評価しがちなカノンは本当に俺がこの事態を予見していたのだと思いそうだから困る。
幻想はしっかり否定しておこう。カノンに失望されたくない。
「……でも俺たちのロープ、樹脂を練り込んであるとはいえ、強度的にはまだ検証不足でな。
モンターナの持ってるロープを命綱にして、俺たちのロープを手繰り綱にするのでどうだ」
「ちなみに、ロープの素材は?」
「革だ。ちょっと怖いだろ?」
「……合成革は劣化が早いが、水に濡れて乾いてを繰り返したりしてなければ大丈夫だと思う。
樹脂が練り込んであるならそう簡単に繊維が千切れたりもしないだろう」
「じゃ、その方向でいいかな」
「うむ。二重ロープ作戦で行こう。かなり現実的だ」
大まかな方針は決まったようだ。
で、まぁもう決行してもいいのだが。
「で、この作戦の行きと帰りで、想定しうるハプニングはなによ」
「……ロープが千切れるとか」
「それは現状では対策のしようがないから覚悟しとこうか。
荷重の分散を意識して、うまく2本のロープを使うしかない」
「……ロープが、どっか行っちゃう、とか?」
「あー、それはありそうだな。うまく降りた後は、あの穴の中のどっかに括っとければいいんだが……」
「あの窪みの縁に繁茂している植物に括りつけられるのではないかね?」
「あ、それがよさそうだな」
「ほかには……」
みんなで相談して一通りの懸念を潰しておく。
ハプニングっていうのは、予想できるものと予想できないものがある。
後者については覚悟しておくしかないが、前者についてはことが起こった後に思慮の浅さを悔やむことになる。
浅い失敗で事故る可能性は、みんで相談して事前に潰しておこう。
三人寄れば文殊の知恵だ。
*────
カンッ! カンッ!
モンターナが持っていたペグ2本を岩壁の亀裂に深々と打ち込んで、俺たちの赤茶色の革ロープと、モンターナの黄褐色のきめ細かく編みこまれた樹の繊維ロープを括りつける。
どちらも強靭そうだ。きっと俺たちの重さに耐えてくれるだろう。
岩壁に打ち込んだペグも、角度を考えて打ち込んである。
揺らぐ気配は微塵もない。
さて……そろそろ突入と行こう。
仮想端末を確認すれば、時刻は午後9時を回っている。
モンターナと待ち合わせたのが午後8時。
ここまで来るのに40分ほど。ここで話していたのが20分ほど。
まだまだ、今夜の冒険の時間的猶予はある。
「で、行くわけだが、モンターナ。順番はどうする?」
「二人の希望があれば聞こう。今回の発案者は私だからな」
そう遠慮しなくてもいいと思うが、彼としてもそこは譲れない部分だろう。
素直に甘えるとする。
「カノンはどうする?」
「……フーガくんの、あとが良い」
「うん?」
俺を毒見役にするというようなことは、カノンはしそうにないが。
「……先に行って、待ってて、欲しい」
「――っ」
……そうか。
「――わかった。先に行って待ってるから、来いよ?」
「うんっ!」
もしも彼女が落ちて行きそうになったら、意地でも引きずり込んでやろう。
きっと、その心配は無用だけれど。
「っと、そういうわけで、俺、カノンの順番で行く。
悪いけどモンターナ、俺たちが降りてる間、ペグ周りを見といてくれないか?
揺らぐ気配があったら、声を掛けてくれ」
「了解した。万一外れるようなことがあったら、私が全力で引っ張ろう」
「馬鹿、そんなことしたら、いっしょに落ちるだろ。
そん時はおとなしく――」
「馬鹿はそちらだ、仲間が掴まるロープを離す冒険家なんていないだろう?」
……たしかに、そうだな。
そのシーンで手を離す冒険家なんて、見たことない。
悪役が掴まってるロープを切り落とす冒険家なら見たことあるけどね。こわい。
「……すまん、愚問だったな」
「ま、それはお互いが助かる前提で、だがね。
安心しろ。そうならないよう、それなりに場数は踏んでいる。
……もっとも、それこそ釈迦に説法だろうが」
肩を竦めて返事とする。
それに、どうせこのロープ降下は冒険のイントロシーンなんだ。
このロープ降下判定のダイスロールに失敗しても、この冒険自体が台無しになるわけではない。
気負いなくやろう。落ちるときは落ちるもんだ。
そうして腹を括って、命綱をわきの下に通し―― っ! そうだ!
「カノン、いい機会だ!もやい結びの結び方を教えるぞ!」
「えっ。あっ、たしかに、いい機会?」
「あー、いいよね、もやい結び」
うんうんと頷くモンターナを尻目に、カノンの目の前でもやい結びを用いた身体固定の実演をする。
やったぞっ!
図らずもこれで、死亡フラグは解消できた……っ!
俺たちに冒険に付き合って欲しいと言ったモンターナは、続けて次のように言った。
『実は私は、その場所に、ほんの一歩だけではあるが、踏み入っている。
正確には、その場所の外観だけは見られる場所まで踏み入った。
だが、その場所でなにかしらの神秘を目撃する前に、撤退した』
その場所の外観だけは見られる場所。
それは恐らくは、この台地の上のことだったのだ。
セドナを取り巻く断崖絶壁から突き出した、ガラス化したコンクリート・ブロック。
その外観自体は、見た。
だが、モンターナはそこで撤退した。
撤退したということは、その先にまだ、探ることができる場所があったということで。
外観があるということは、その中があるということで。
「――死ぬかもしれんが、死ぬなよ?」
崖に足を掛け、挑発的に笑うモンターナと、俺たちの視線の先。
この白い岩山の、セドナの崖から垂直に突き出している片面は、傾いている。
セドナの断崖絶壁に対して水平な方の側面は、俺が先ほど覗き込んだとき、同じように垂直な崖になっていたけれど。
セドナの断崖絶壁に対して垂直な方の側面は、傾いている。
斜度は――75度から80度くらいだろうか。
時計の針で言えば、11時と12時の間、かなり12時寄りくらい。
かつて地面に垂直に建っていたであろうこのガラス化したコンクリートブロックは、セドナの台地に呑み込まれ、持ち上げられたときに傾いたのだろう。
俺たちが立っていた上面が、10度から15度ほど緩やかに傾いでいるのだ。
ならば、かつて直方体であったと思われるこの構造物の側面もまた、その上面に合わせて傾いているはずだ。
その斜度の合計は、当然直角になるだろう。
そして、俺たちが立っている台地の上から10mほど降りたところ。
斜面の中腹やや下あたりに、暗い窪みが開いている。
窪みの周囲には植物が繁茂し、白地の側面にあって、その縁を際立たせている。
その窪みは、かなり深そうに見える。
あるいはあそこから、このコンクリートブロックの中に入ることができるかもしれない。
だが――
ヒュォォォォォオオオオオ――
その窪みの下には、5mほどの白い急斜面が続き。
そして、その先には何もない。その下には何もない。
遥か眼下、1,000mほど下方まで続く、なにもない空中。
この斜面から滑落すれば、同じ距離を紐なしバンジーすることになるだろう。
……落ちたら、死ぬ、よな?
空気抵抗はいったん無視して、重力加速度も地球と同等として……
……15秒後くらいに、時速500kmで地面にぶつかることになるな。
木の枝に引っかかったとしても、まぁ……死ぬよな。
偶然生きていられる確率ってどんなもんだろ。経験上コンマパーセントもなさそう。
生死判定のダイスロールをさせて貰えるかと言えば、断じて否だ。
「……『ワンダラーとしての君たちの力を借りたい』、だっけ?」
「ああ。まぁ……これは、死を恐れているものには頼めないだろう」
「じゃあ、モンターナにも無理じゃねーか」
「むっ……たしかに、そうだな。
では……死を覚悟していないものには、でどうか」
なるほど、それなら、まぁ……。
ああ、そう考えると……いろいろ得心する。
モンターナが冒険に誘いたかった仲間の条件って、めっちゃ厳しいんだな。
彼と同じように本気で、ここがゲームだからと手を抜かないで冒険してくれる人で。
死に戻りを計算に入れず、最後までちゃんと生きようとしてくれる人で。
そのうえで、死を覚悟して、死ぬかもしれない状況にも身を晒せる人。
死を本気で避けようとしたうえで、死に瀕することを怖れないもの。
それってたぶん、かなり狭い層になるだろう。
……で、モンターナの考える中で、それにあてはまりそうなのが、俺たちと。
正確に言えば『ワンダラーとしての』俺たち、であるわけだ。
自分から死地に向かい、その上で死に立ち向かっていた人種。
それがワンダラーという存在だったと言えなくもない。
正直、それはちょっと買い被り過ぎというか……たぶんワンダラーのみんなはそんなに難しいこと考えてなかったと思うけど。
一言で言えば「それが愉しい」と思っていただけだから。
そういう愉しみ方をしていたプレイヤー層が、結果的には、モンターナの理想的な冒険の仲間像にも適っている、というべきだろう。
「あの、穴のところまで、行きたい、の?」
「ああ。カノン。あそこまで行きたい。
あそこから、このガラス化したコンクリートの……廃墟のなかに、入れると思う。
たぶんこの廃墟は、その大部分がセドナの岩壁に埋まっている。
これだけの質量が崖から突き出していてもなお、崖から崩落していないんだ。
つまり、この台地の広さの倍以上の部分が、崖の中に埋まっているのだろう」
……そうか。
この白い台地は、崖から突き出しているんだもんな。
崖にくっついているとか、引っかかっているわけじゃない。
文字通り、崖に食い込む形で埋まっているんだ。
となると……かなり大きな建物ということになる。
「高さは……15mくらいだよな?」
「ああ。通常の建物の高さから考えれば、4階建てか5階建てと言ったところだ。
だが、建物には基部もあるからな。
それを考えれば、3階建てか4階建てくらいという可能性もある。
つまりあの窪みが一階入り口で、そこから上が地上部分というわけだね」
「高さは分かれど……埋まっている部分を考えると、敷地面積は未知数、か」
「少なくとも、この台地の二倍以上の広さはあったのではないかと見ている」
ふむ……。
そこまでの広さならば、なんらかの施設である可能性もあるか。
あらためて斜面を覗き込む。
この構造物のなかに入ることができそうな窪みは、10mほど下方にある一つしかない。
それ以外には、窪みはまったくない。
(……。妙だな)
俺がさきほど覗き込んだ、セドナの崖に水平な方の斜面にも、窪みのようなものはなかったように思う。
ほんの小さな、窪みすら。
「……なぁ、モンターナ。この廃墟ってさ、妙じゃないか?」
「……なにかな」
「こんだけでかい建物ならさ……窓とか、なかったのか?」
「……。」
「あっ、たしかに。……ない、かも?」
「まぁ、そういう建物も、あるだろうけど……」
岩壁から見た、湖に立ち尽くす白い岩山には、小さな無数の窪みがあった。
そこに植物が繁茂して、緑の檻のようになっていた。
赤い花も咲いているようだった。
だが、この建物には、それがない。
窓のない――白い箱。
肩をすくめるようにして手を上げて、モンターナは言う。
「……わからないな。
まぁその辺りも、実際に入ってみればなにかわかるのではないか?」
「そりゃそうだ」
*────
さて、この台地に降り立ったときに続いて、ロープ降下の第2ラウンドだ。
先ほどとちがい、今回はぎりぎりではあるが崖に傾斜がある。
すなわち、這いつくばれば、摩擦で引っかかることができる。
……とは、思うのだが……
「……つるつるなんだよなぁ」
この斜面の材質はガラス質だ。
つるっつるやぞ。
「いかにも、滑り落ちてくださいと言わんばかりのこしらえだが」
「バラエティ番組でありそう」
あるいは年末に一度だけやるアスレチックチャレンジ番組。
この斜度なら、挑戦者10人のうち9人は滑落して落ちるだろう。
あまりにもきつすぎて、来年にはなくなってるやつ。
「で、モンターナはどうするつもりだったんだ?」
「……素直にロープ降下かな。
さいわい、こちら側はセドナの崖に垂直な側面だ。
このガラスブロックにはペグは打ち込めないが、左手の岩壁ならばペグを打ち込める亀裂がある。
そっちにペグを打ち込んで、そこからロープ降下するのはどうだ」
ここから先は、モンターナもノープランだったらしい。
あるいは俺たちと一緒に相談する前提で、考えずにおいてくれたのかもしれない。
彼という冒険家の同行人ではなく、一緒に冒険する仲間であることを強調するために。
それなら、嬉しい。
ぜひともその期待に応えたいところだ。
「カノンは、どう思う?」
「……滑り台みたいにして、あの穴にすぽっと、とか」
「それだと戻って来れないぞ」
「あっ、そっか」
「そもそもその滑り台はいくらなんでも怖すぎないかね」
通り過ぎたら死ぬ滑り台。なかなかクールだな。
いやしかし、これは確かに「死に戻り前提探索」したくなるシチュエーションだ。
滑り落ちる危険性にせよ戻って来る必要性にせよ、どちらも「死に戻り」で解決できる。
ワンチャンが通るまでデス滑り台を敢行し、運よく成功して中に入れたら、中を調べ終わったあとで自殺ボタンをポチっとすればいい。
普通のプレイヤーなら、それを由とするだろう。かしこい。
でも俺たちはかしこくないんだよなぁ。ざんねん。
モンターナが俺たちに声を掛けた理由もわかろうというものだ。
「カノンのもスリリングで好きだけど、帰途も考えるとモンターナの案が良いと思う。
でも、ロープ1本だと怖いから保険を掛けるのはどうだ。
ペグを2本打ち込んで、ロープも2本垂らす。
そのうち1本は、さっきの崖降下のときと同じで手繰る用。
で、もう1本は降下する人の胴体に結び付けて、命綱にしよう。
降下する人があの穴にすぽっと入れたら、その綱をほどいて、次に降りる人がその綱を上まで引き上げて、命綱として再利用する。
こうすれば、最終的には2本の綱があの穴まで垂れ下がることになるだろ。
登るときも、1本は命綱として結び付けて登ることができる。
俺たちの荷重も2本に分担されるし、いい感じじゃないか」
「……。」
「よさそう、じゃない?」
「……す、すまん、二人とも。実は、ロープが1本しか……」
再び項垂れる自称冒険家の男。
いや、そりゃ現状では同じ道具を複数持ち運ぶのは辛いよな……。
いまはまだ圧縮バックパックがないから、すべての道具は自分で持ち運ばないといけない。
そんな中でいろんな状況に対応しようと思ったら、できるだけ広く少なく道具を用意するのがもっとも対応力が高いのだ。
ロープだけ5束も抱えてる冒険家とかいかにも頼りがいがない。
「こんなこともあろうかと、こっちでもロープつくってきたから安心しろ。モンターナ」
「なに、ほんと――あっ! ……くそ、言われた……っ!」
「え?」
「冒険家が言いたい台詞ランキング第7位の台詞……」
「それたぶんお前の独断ランキングだよな」
こんなこともあろうかと。
人生で一度は言いたい台詞だよな。
ちなみに今回のロープは「こんなこともあろうかと」持ってきた道具ではない。
ご存知の通り、ただの偶然だ。
6mじゃなくて12mで作ってきて本当に良かった。
「フーガくん、すごい、ねっ」
「すまん、ホントはただの偶然だ。だからその無垢な眼差しで俺を見ないでくれ」
俺を過大評価しがちなカノンは本当に俺がこの事態を予見していたのだと思いそうだから困る。
幻想はしっかり否定しておこう。カノンに失望されたくない。
「……でも俺たちのロープ、樹脂を練り込んであるとはいえ、強度的にはまだ検証不足でな。
モンターナの持ってるロープを命綱にして、俺たちのロープを手繰り綱にするのでどうだ」
「ちなみに、ロープの素材は?」
「革だ。ちょっと怖いだろ?」
「……合成革は劣化が早いが、水に濡れて乾いてを繰り返したりしてなければ大丈夫だと思う。
樹脂が練り込んであるならそう簡単に繊維が千切れたりもしないだろう」
「じゃ、その方向でいいかな」
「うむ。二重ロープ作戦で行こう。かなり現実的だ」
大まかな方針は決まったようだ。
で、まぁもう決行してもいいのだが。
「で、この作戦の行きと帰りで、想定しうるハプニングはなによ」
「……ロープが千切れるとか」
「それは現状では対策のしようがないから覚悟しとこうか。
荷重の分散を意識して、うまく2本のロープを使うしかない」
「……ロープが、どっか行っちゃう、とか?」
「あー、それはありそうだな。うまく降りた後は、あの穴の中のどっかに括っとければいいんだが……」
「あの窪みの縁に繁茂している植物に括りつけられるのではないかね?」
「あ、それがよさそうだな」
「ほかには……」
みんなで相談して一通りの懸念を潰しておく。
ハプニングっていうのは、予想できるものと予想できないものがある。
後者については覚悟しておくしかないが、前者についてはことが起こった後に思慮の浅さを悔やむことになる。
浅い失敗で事故る可能性は、みんで相談して事前に潰しておこう。
三人寄れば文殊の知恵だ。
*────
カンッ! カンッ!
モンターナが持っていたペグ2本を岩壁の亀裂に深々と打ち込んで、俺たちの赤茶色の革ロープと、モンターナの黄褐色のきめ細かく編みこまれた樹の繊維ロープを括りつける。
どちらも強靭そうだ。きっと俺たちの重さに耐えてくれるだろう。
岩壁に打ち込んだペグも、角度を考えて打ち込んである。
揺らぐ気配は微塵もない。
さて……そろそろ突入と行こう。
仮想端末を確認すれば、時刻は午後9時を回っている。
モンターナと待ち合わせたのが午後8時。
ここまで来るのに40分ほど。ここで話していたのが20分ほど。
まだまだ、今夜の冒険の時間的猶予はある。
「で、行くわけだが、モンターナ。順番はどうする?」
「二人の希望があれば聞こう。今回の発案者は私だからな」
そう遠慮しなくてもいいと思うが、彼としてもそこは譲れない部分だろう。
素直に甘えるとする。
「カノンはどうする?」
「……フーガくんの、あとが良い」
「うん?」
俺を毒見役にするというようなことは、カノンはしそうにないが。
「……先に行って、待ってて、欲しい」
「――っ」
……そうか。
「――わかった。先に行って待ってるから、来いよ?」
「うんっ!」
もしも彼女が落ちて行きそうになったら、意地でも引きずり込んでやろう。
きっと、その心配は無用だけれど。
「っと、そういうわけで、俺、カノンの順番で行く。
悪いけどモンターナ、俺たちが降りてる間、ペグ周りを見といてくれないか?
揺らぐ気配があったら、声を掛けてくれ」
「了解した。万一外れるようなことがあったら、私が全力で引っ張ろう」
「馬鹿、そんなことしたら、いっしょに落ちるだろ。
そん時はおとなしく――」
「馬鹿はそちらだ、仲間が掴まるロープを離す冒険家なんていないだろう?」
……たしかに、そうだな。
そのシーンで手を離す冒険家なんて、見たことない。
悪役が掴まってるロープを切り落とす冒険家なら見たことあるけどね。こわい。
「……すまん、愚問だったな」
「ま、それはお互いが助かる前提で、だがね。
安心しろ。そうならないよう、それなりに場数は踏んでいる。
……もっとも、それこそ釈迦に説法だろうが」
肩を竦めて返事とする。
それに、どうせこのロープ降下は冒険のイントロシーンなんだ。
このロープ降下判定のダイスロールに失敗しても、この冒険自体が台無しになるわけではない。
気負いなくやろう。落ちるときは落ちるもんだ。
そうして腹を括って、命綱をわきの下に通し―― っ! そうだ!
「カノン、いい機会だ!もやい結びの結び方を教えるぞ!」
「えっ。あっ、たしかに、いい機会?」
「あー、いいよね、もやい結び」
うんうんと頷くモンターナを尻目に、カノンの目の前でもやい結びを用いた身体固定の実演をする。
やったぞっ!
図らずもこれで、死亡フラグは解消できた……っ!
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rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。
保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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