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一章

変わらないもの

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「――なぁ、カノン。

「俺たちのまわりにある世界はさ、日々、変わっていくよな。

「ふとした拍子に、なにかきっかけがあれば、変わってしまう。
 その変化ってのは、ミクロな視点で見れば、偶発的で、指向性のないものかもしれない。
 意味を見出せない、アトランダムな変容かもしれない。
 でもマクロな視点で見れば、すべての変化には意味がある。
 生きているすべてのものは、一つの方向に向かって変化していくんだ。
 生き抜くのにもっともふさわしい、あるべきかたちへ。
 なぜなら、そっちの方が、生きやすいから。
 そっちの方が、より自然に生きられるから。
 生きるために、生きやすくするために、
 ――生き延びるために、変わっていく。
 
「でも、なかには変わらないものもある。

「深海には、数億年も姿を変えないと言われる生き物がいる。
 森の奥地には、数万年も前から生える樹木がある。
 なぜ、かれらの姿は変わらないのか。
 簡単だ。変わる必要がなかったからだ。
 かれらの姿を変える契機が、なかったからだ」

「この世界にある、変わらないもの。
 その一つが、それだ。
 かれらは、かれらが生き抜くのにもっともふさわしい、あるべきかたちを、既にしているから。
 だから――それらは、変わらない。
 変わる必要がないんだ。
 それがかれらの、もっとも生きやすい形だから。

「変わるものがある。
 変わらないものもある。
 それら全部が、同じ時間、同じ場所に立っているのが、世界なんだ。
 変わっていくものと、変わらないものに、優劣なんてない。
 それぞれが、より生きやすい形を取ろうとしているだけなんだ。
 変化っていうのは、それだけの話なんだ。

「だからさ、カノン。
 いいんだぞ、変わらなくたって。
 それが、カノンのもっとも生きやすい形なら。
 カノンが、もっとも生きやすくて。
 カノンが、もっともカノンであるべきかたちなら。
 無理して、変わろうとしなくたっていいんだ。
 それでも、世界はカノンを置き去りになんてしない。」
 

 *────


「ちがっ……う、のっ!!」

 天蓋に咲く蒼花から目を逸らす。
 変わらないものから目を逸らす。
 かつてのわたしから目を逸らす。

「わたし、かわり、かわっ……り、たいっ……」

 どろどろのなかに沈んでいくのは、
 甘くて、気持ちよくて、愉しいけれど。
 このままでは、フーガくんから離れてしまう。
 それはわたしの、もっとも生きやすい形では、ない。
 いまのわたしは、わたしらしくなんてない。

「ほかのものなんて、どうでもっ、いいっ……けどっ!
 ふーがくんとは、いっしょに、いたいっ!!
 いっしょに、いきたい……っ!!」

 だから、変わらないと。
 変わらないといけない。
 かれと、いっしょにいるために。

「このまま、じゃ、だめなのっ!!
 ふーがくんから、はなれちゃ――」
「カノン」
「――っ、……ぁ」

 かれのにおい。かれのおと。
 あたたかいねつに包まれる。

「……カノン。
 カノンは、変わらなくてもいいんだ。
 あるがままに、生きてもいいんだ。
 でも……変わりたいと、思ったんだな?」
「う、ん。……だって、ふーがくん、に。
 ……いやな、おもい、させちゃった、から」
「4年前の俺は既に半殺しにしてあるから、これ以上はいじめないでやってくれ」
「んぅ?」
「……なんでもない。
 でもさ、カノン、あの花を見ろ。
 6年経っても、世界が変わっても。
 ……数万年か、数億年経っても、姿を変えていないんだ。
 生き抜くために、姿を、変えられなかったんだ。
 変わるってのは、それだけ難しいことなんだよ」

 やさしい声音で、ふーがくんは、わたしをあやしてくれるけれど。
 そのやさしさが、とおい、の。

「でも、フーガくん、は、変わった、よね?」
「えっ、どのへんが?」
「まえは、こんなに、さわってくれなかった、し」
「ぅぐっ」
「こんなに、やさしいめ、してなかった、し」
「ぐはっ」
「こんなに、やさしいこえ、してなかった、し」
「フルコンボだドン! もうやめっ――」
「おしごとも、まだ、してなかった、よね?」
「……それは、そうだな。そうか、なるほど……そこか……」

 フーガくんは、またなにかをかんがえているみたい。
 わたしは、なにもかんがえられない。
 かれのにおいが、ちかすぎて。

「……カノン、いま言った俺の変化について、全面的に弁明しよう」
「うん……。……べんめい?」
「まず後半の、仕事が始まったことだが……こっちは簡単だ。
 カノンだって、もう……成人しただろ?」
「うん。……大学、行ってる」
「……そっか。それは……かなり、安心した。
 で、だ。俺が大学生から社会人になったことなんて、
 カノンが高校生から大学生になったようなもんだ。
 ただ、立場が横に移動しただけだ。
 カノンが考えてるほど、特に大きな変化でもない」
「そう、かな?」
「そうだ。俺が、たとえば新興宗教にドはまりしてたり、会社の社長に就任してたりしたら、それはもう変わっちまったなお前と言わざるを得ないかもしれんが」
「ん、ふふっ」
「だから、俺だけ立派な大人になって、自分は子どものまま、なんて考えてるなら、そりゃ俺というか、社会人を買い被り過ぎだ。
 社会人なんて、大したことないぞ」
「そう、なの?」
「平日に連休取って1日中ゲームできるくらいには大したことないぞ」

 そういわれると、わたしのなかで、社会人のハードルが下がった気がする。
 たしかに、大学生のときのフーガくんと、あんまり、かわってない、かも。

「で、だ。前半の、俺の変化だが」
「うん」
「カノンは、どうなんだ」
「……えっ?」
「前は、ここまで俺に近づいてきたか?」
「……ぁ」
「1日中、俺と一緒にいようとしたか?」
「……ぅ」
「俺を見るだけで、そんなに嬉しそうな顔してたか?」
「……それは、してたかも」
「かぅんたっ!?」

 かぅんた?

「……ま、まぁいい。つまり、俺もカノンも、大したちがいはないってことだよ。
 カノンが進んだと思っているほど、俺は進んでいないし。
 カノンが足踏みしていると思っているほど、カノンは足踏みしていないんだ。
 俺はあんまり変わってないし、カノンもけっこう変わってるんだよ。
 なんというか、俺を過大評価しすぎだし、自分を過小評価しすぎだな」

 フーガくんが、また、せなかをなでてくれる。
 からだをつつむ、かれのからだのあたたかいねつ。
 からだをあずけて、なにもかんがえたくなくなるけど。
 わたしのなかにはまだ、あのどろどろがある。

「でも、わたしは――変われて、ないよ。
 また、飛びたく、なっちゃったし。
 ううん、飛ばなくても、もっとほかに、方法があったなら――」

 わたしは、別に飛びたいわけではない。
 わたしは、ただ、こわれたい、だけだ。

「……そっちも同じだよ、カノン。
 カノンと逢う前に、俺がなにしたか、言ったっけ?」
「えっ、と。……川に、落ちたんだよね。死に戻り、して」
「なんで死に戻りしたんだっけ」

 フーガくんが、わたしの拠点を使ってくれるようになった理由。
 フーガくんの脱出ポッドがなくなった理由。
 その理由は、さいしょに聞いている。

「こっちでも――、だんだよね」

『いぬ』の、ランダムテレポートバグ。
 わたしを、『いぬ』に引き寄せ。
 わたしとかれを惹き合わせてくれた、もの。
 わたしの、どろどろを、
 満たしてくれていた、もの。

「うん。……なぁ、カノン。
 俺のそれも、カノンの言う、変わってない、ってやつじゃないのか」
「……ぁ」
「変わってないんだよ。俺もさ。
 カノンと同じで、いまでもそれに惹かれてる。
 この4年間、その愉悦を一度も忘れたことはないし。
 発売前には禁断症状でぷるぷるしてたし。
 カノンとの約束があったのに、テレポバグを優先したし。
 それって、今回のカノンと、なにがちがうんだ?」
「……それ、は……」
「……同じだよ。俺とカノンは。
 同じように変わったし、同じように変わってない。
 カノンが思ってるほど、俺は進んでないし。
 カノンが思ってるほど、俺は変わってない。
 とくに、俺が一番自然体でいられる、フーガという人格は。
 4年前、あの世界が終わったときから、止まったままだった。
 そして、この世界でアバターを引き継いだ時、ようやくまた動き出したんだ」

 かれのすがたは、かわっていなかった。
 かれのなかみも、あんまりかわっていなかった。
 なら、わたしとかれのきょりも、
 わたしが、おもっていたよりも、

 ――はなれてなんか、いなかったのかもしれない。

 なんだろう。
 そうおもえたら、なんだが、とっても、
 あんしん、した、ような――

「だから、安心しろ、カノン。
 俺はいまのところ、大きく変わる気はないから。
 カノンが変わるのを、変わらないまま待っていられる。
 少なくとも、このゲームが終わるまでは猶予があるとみていいぞ。
 ……あと10年くらいは、続いてくれるといいんだが」
「……ん、ふふっ」

 あとじゅうねん。
 じゅうねんかぁ。
 そうしたら、わたしもふーがくんも、さんじゅっさいになっちゃうね。

「……カノン、やっぱり眠いんじゃないか?」
「ん、ねむい、かも……」

 あんしんして、あたたかくて。
 きもちよくて、ふわふわして。
 ふーがくんも、ここにいて。
 いまはもう、なにもしんぱいしなくてよくて。
 なんだか、ねむくなってきた。

「……寝ていいぞ、カノン。
 この世界でも寝られるのは、りんねるが実証済みだ」
「ん、いい、のかな」
「いいぞ。俺も寝るし」

 いい、んだ。
 でも、あれ。
 なに、かを、
 わすれ、て、
 る、ような。

「……カノン。せっかくだし、なにか、してほしいことはないか?」

 ここで、それを、きくの。
 わたしに、きいて、いいの。
 いやしい、わたし、に。

  ――――とか、――――とか……

 なにか、いってくれてる、けど
 ねむいし、あったかいし、
 きもちいいし、ふわふわだし、

「ふーが、くん」
「――――とかも多少なら覚えが……ん、なんだ?」

 もう、わた、しを
 とめ、られ、ない

「ふく、じゃま」
「…………ぇ」

 ずっと、じゃま、だった
 それさ え、な ければ

「ふく、ぬいで」
「…………ぉ」

 もっと、もっと、もっと
 かれを、かんじ、られる

「こ、これで、よろしいか――」
「んっ」


 ああ――あたた、かい



 わたしの しあわせの ぜんぶが

 いま ここに ある
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