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一章

ちょっと川の様子を見てこよう

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 ここは惑星カレド、とある脱出ポッドの内部。
 それは瞬きの間に行われた。
 一角に設えられたアンティーク調の椅子の上に、
 どこからともなくふっと現れた無数微小の青白い粒子が、
 くるくると渦巻きながら、人の形を形成する。
 そんな青白いヒトガタに、
 ぱりぱりと、どこかホログラフィックなエフェクトが覆いかぶさり、
 そこに現れたのは――


 *────


  ザァァァァアアアア――

 脱出ポッドの中に響く、なにか硬いものを打つ雨の音。
 惑星カレドはセドナ、今日この地の天候は――どうやら、大雨のようだ。
 昨日の雨模様から、雨量がさらに増したらしい。

(カノンは――いない、よな)

 自分以外に、人のいない脱出ポッド。
 この景色を見るのは、……3日ぶりくらい。
 普通のプレイヤーなら、まるで実家のように見慣れることになる光景なのだろうけれど。
 自分にとっては少々物寂しい。
 そして今後は、この物寂しさとも度々たびたび付き合っていくことになるだろう。
 今日のようなパターンは例外としても、カノンと時間が合うときばかりではないだろうから。

(……。)

 ……単独行動、単独行動かぁ。
 なんだか懐かしい。
 『犬』の頃は基本的にソロスタイルだったから、好きな時間にログインして、好きなことをやるのが普通だった。
 なお好きなことというのは、概ねテレポバグを指す。
 この世界ではまだ、テレポバグはできない。
 では、なにをやろうか。
 カノンはいないが、……だからと言って途端にやることが見つからなくなるほど、彼女に依存しているわけではない。


 まずは、資源の在庫の確認をしよう。
 しばらく確認していなかった、圧縮ストレージの中を覗き込む。

「……減ってるよなぁ」

 以前にも一度確認したのだが、100kg相当のカオリマツの原木は、衣類スタンドに椅子にテーブルに、筌に円筒容器に箸に皿にと湯水のように使っていた結果、もはや1/10ほどしか残っていない。
 採取してきた岩石に関しても、花崗岩に関しては石の楔づくりで使い切ってしまったようで、残っているのは5kgほどの玄武岩の岩塊1つだけだ。
 カオリマツの葉に関しては問題ない。雨に濡れる前に大量に採っておいてよかった。

 ……うん。資源の補充は、今日やるべきことの一つだな。
 特に岩石に関しては、ほとんどが俺の望んだ用途に費やされたようなものだ。
 今日この時間を使って追加補充しておこう。

 木材は……やっぱり、外に転がっているカオリマツの幹を採取できるようにしたい。
 金属のアテがないし、こうなったら小さく研磨した石片と残っている木材を組み合わせて、原始的なのこぎりでも作るか。
 歯の部分だけを石で作った、間に合わせもいいとこのノコギリモドキになるだろうが、製造装置の研磨が合わされば木の繊維くらいは断ち切ってくれるだろう。
 そんなに頻繁に使うわけではないだろうし、耐久度が低そうなのはこの際我慢する。
 これについては木材が残っているうちに作っておいた方がいいだろう。
 ならば……玄武岩もここで使ってしまおうか。
 玄武岩を研磨した際の石刃の硬度も見ておきたいところだ。

 だが……外はいま、雨だ。
 濡れた木材は、水分を含んで膨張するし、重くなる。
 刃も滑って繊維を切りにくくなるだろうし、とてもじゃないが木材の解体に向いた環境ではない。
 いまノコギリモドキを作っても幹の解体自体は後回しになる。
 そうなるならノコギリモドキもカノンと一緒に作ったほうが良いだろう。
 わいわいと雑談しながら、一緒に作ったほうが楽しいし。


 つまり、今日俺がやるべきことの一つは石材の補充だ。
 拠点と南の岩壁を往復して石材を拾ってこよう。
 雨だし夜だが、問題はない。
 むしろそうした悪環境で資源採取をした場合に、どういう問題が発生するのか調査するチャンスだ。
 なにせこの世界では、俺の命は有限ではない。
 死ぬ気はないが、死ぬかもしれない場所を調査することを躊躇う必要はない。

 そして、それ以外にあと2つ。
 カノンがいない間にやっておきたいことがある。
 それを考えれば、今回の探索コースもおのずと決定されるというものだ。


 *────


 今日の行動方針も決まったことだ。
 探索の準備をしよう。

 初期装備の上下一式に加え、滑り止めを施したレザーグローブにレザーブーツ。
 この上にレザーコートを纏うのが、いまの俺ができる最強装備だ。
 貧弱極まりないが、ないよりましだ。特にレザーブーツが大きい。
 服というのは、着ているだけで行為を容易にしてくれる。
 それに加えて持っていくのは、大きめの採取用革袋と、花崗岩の楔の残りの2本。
 つくった5本の内、2本は筌の繋留に使ったままで、1本は投擲の練習で割ってしまった。
 今回は石材を20kg程度は持ち帰ってくるつもりなので、革袋は背負えるタイプで。
 20kgと言えば、水で満タンの18Lポリタンクより重い。
 ……採取するのは15kg程度にしておこうか。
 雨で夜ということを考えると、いくら【運搬】があるとはいえ、さすがに無茶かもしれない。

(……装備は、こんなもんでいいかな)

 装備を整え、最後に脱出ポッドの入り口に立つ衣類スタンドから、レザーコートを手に取る。

(……。)

 俺のレザーコートの下には、カノンのレザーコートがある。
 カノンの革装備一式も同様だ。

 どうやらカノンは、普段着の状態でダイブアウトしたらしい。
 つまりカノンは、体調不良でダイブアウトしたとき、脱出ポッドの中にいた可能性が高い。
 外に行っていたわけではない、ということだ。
 その点に、少し安心する。

 ……出かける前に、カノンになにかメッセージを送った方がいいかな。
 ちょっと外行ってくる、と。
 だがそういうメッセージを送ることで、彼女はこの世界にダイブインしたくなってしまうかもしれない。
 本音を言えば、今日はゆっくり休んでいて欲しいところだし、……やめておこうか。

 それにカノンなら、衣類スタンドに俺のレザーコートが掛かっていないのを見て、俺が外に行っているということくらい、容易に察するだろう。
 特になにかメッセージを残していかなくても大丈夫そうだな。
 カノンはもう子どもではない。
 俺が一から十まで気を配らなくても、自分で考えて行動するだろう。

「――よし、行くか」

 装備確認、よし。
 後顧の憂い、なし。
 最後にやるべきは、技能スロットの確認だ。
 だが、今回つけていく技能はほとんど決まっているようなものだ。
 迷う余地があんまりない。
 ――――――――――――
 【石工術】  ―― Lv1
 【運搬】   ―― Lv2
 【夜目】   ―― Lv1
 【聴覚強化】 ―― Lv1
 【危機感知】 ―― Lv1
 ――――――――――――
 旅歩きは役立ちそうだが、スロット不足なので外れてもらう。
 耐寒についても同上。
 今回は、のために下3つが必須枠となっている。
 そのため技能スロットに余裕がない。

 ……いやあ、このかつかつの感じ、癖になるね。
 ソロプレイだと技能の選定に毎回気を遣うのが普通なんだ。
 『あれつけてくるんだった!』なんていう羽目にならないことを祈る。

 では、いよいよ探索へ向かおうか。
 現在時刻は午後9時前。
 トラブルがなければ、1時間半くらいで戻って来られるはずだ。


 *────


  ザァァァァアアアア――

(……景気よく降ってるな……)

 外に出た途端に身体に打ち付ける雨粒。
 空を見上げれば、なにも見えない。
 雨雲すら見えない、漆黒の空だ。
 これは夜目でもかなり厳しい。

 ……まぁ、それでも見えると言えば見える。
【夜目】のおかげだが、夜目で見えるということは、ある程度の光量自体はあるということ。
 厚い雨雲でさえ、星明りを完全に閉ざすに足りない。
 この星の夜は、意外と明るいのだ。

 雨が降り込まないように手早く脱出ポッドのハッチを開けて、出て、閉める。
 ハッチの構造上、雨の時に外に出ようとすると、ハッチの内側が濡れちゃうんだ。
 SF的なイメージを重視した結果だろうが、この構造ってどうなんだろう。

 ……さて、まずは東に向かおう。

 今回の目的の1つ目。
 カノンがいないときやっておきたいこと。
 それは、雨天時のセドナ川の環境調査だ。

 ちょっと川の様子見てくる。


 *────


  ジャクッ ジャクッ

 雨が降りしきる、暗い樹林帯の中。
 湿気った腐葉土を踏みしめる、レザーブーツの足音。
 すぐに水分を吸ってぐちゃぐちゃになるかと思っていたが、意外と頑張っている。
 革靴に比べると、やっぱりブーツの方がサバイバル適正は高そうだ。

 この樹林帯はどうやら水はけがいい様子とはいえ、流石にこの雨量は捌ききれないようで、あちこちに浅い水溜りが出来ている。
 それらを避けつつ、周囲に耳を澄ませながら東へ向かう。
 もっとも注意するべき音は、水流の音。

 多量の雨の受け皿となるはずの、セドナ川の下流域は今、いったいどうなっている?
 増水、氾濫、冠水はもちろん、鉄砲水も怖い。
 あの川、普段の水量自体は多いし土手もあるが、多量の水を受け止められるような構造をしていないように思える。
 俺が墜落したあたりのセドナ川の両脇の土手の高さは、せいぜいが2m半といったところだろう。
 つまり、それ以上に水位が上がれば、溢れる。
 溢れて、そして……?

  ――ォォォォォ……――

(……おっと)

 カオリマツの細い葉は、雨や雪を受け流すつくりになっている。
 そのため、雨粒が樹々の梢を打ち付ける音は、意外と小さい。
 そのおかげか、かすかに耳に届く――ごぉごぉという、水流の音。

(……氾濫はしていない、か)

 ……よかった。この様子だと、氾濫はしていないようだ。
 氾濫しているなら、もっと静かに、こちら側に染み入るように冠水してくるだろう。
 激しい音がするということは、土手が水流を受け止めているということだ。

(……だけど、要警戒には変わりない)

 ここからは、警戒レベルを一段上げよう。
 大雨の時に川の様子を見てくるという自殺行為をしている自覚はある。
 だからこの調査は、カノンがいないときにやっておきたかったのだ。
 なお今回の調査の目的は、台風の時に用水路の様子を見てはしゃぐ小学生の子供的な愉しみのため、ではもちろんない。
 雨天時に、カノンの脱出ポッドの位置が、あの場所のままでいいかを確認するためだ。
 もしもセドナ川がこの程度の雨を受け止めきれないようならば、もう少し内陸部へ引っ込んだほうが良い。
 ちゃんとした流域調査を行えば、セドナ川が氾濫した際の冠水地区なども推測できるだろうし、そこを避けて配置することもできるかもしれないが……俺にそこまでの地質学知識はない。
 今回はとにかく、安全そうかそうでないか、その程度のざっくりとした評価でいい。


 *────


  ゴォォォォ――――
     ザァァァァ――――

 低い、地鳴りのような音。
 やや広がった水面に打ち付ける雨の音。
 川面を跳ねる飛沫の、淀んだ匂い。
 雨天、夜のセドナ川。
 その様子は――怖い。

(……受け止めきれてはいる、ようだな)

 川の水位は明らかに上昇している。
 水位計を見ているわけではないから、記憶の中の様子からの概算値だが、水位の上昇は、だいたい1mほどだろうか。
 この雨は、昨日の時点から降り続いている。
 そして今日までに、およそ20時間程が経過しているわけだ。
 このあたりはセドナ川の下流域、もっとも水が集まる場所。
 このあたりでこの程度なら、まだ余裕はある、か。

 ……いや、この雨がしばらく降り続くとなると危ないかもしれないな。
 なにせ、水位はここから更に上昇するだろうから。
 この勢いの雨があと2日も3日も降り続けるようならば、土手を超えて冠水してくるかもしれない。
 このあたりからカノンの拠点までは、およそ1kmほどの距離がある。
 土手の上と、カノンの拠点のあるあたりの標高差は、恐らくほとんどない。
 川の水位が土手を超えた途端、堤防が決壊するようにカノンの脱出ポッドがあるあたりまで水が流れ込んでくるということもないだろうが……
 警戒はしておこう。
 場合によっては、脱出ポッドの位置をずらすことも視野に入れて。

  ゴォォォォ――――
    ザァァァァ――――

 ……この様子だと、仕掛けた筌は全部流されてるだろうなぁ。
 楔を打ち付けたあたりはすっかり川の中だし。
 雨が降ると分かっているのだから、仕掛けっぱなしにするのは悪手だったな。
 仕方ない。こういう失敗も、サバイバル生活にはつきものだ。
 いちいち嘆いていても仕方ない。命さえあれば儲けものと思おう。


 その後数分ほど観察を続けたが、水位の上昇は目に見えるほどではなかった。
 あと1時間程観測を続ければ、水位の上昇の目安がわかるかもしれないが、ここで1時間ぼうっとしているのも時間の無駄だろう。
 ということで……取り出したるは花崗岩の楔。
 これを、いまの川の水位ぎりぎりの土手に打ち込む。
 ここまで川の水が来ましたよ、という簡単な指標だ。

  ――ジャクっ

 これで花崗岩の楔は残り1本。
 つくった5本の内、筌を繋留するために使い、いまは川の中に沈んだのが2本。
 投擲の練習中に割ってしまったのが1本。
 今回の指標に打ち込んだのが1本だ。
 残りの一本は、護身用兼、石工用に残しておく。

 こんな感じで、楔は、持っておくとなにかと便利だ。
 これでもまだまだ、全然紹介しきれていないくらいに。


 *────


 さて、ここで調べたかったことは調べられた。
 雨が降り続いたときの、セドナ川の様子の変化。
 今のところは大丈夫、でもこのまま雨が降り続けたら危ないかも。
 それがわかっただけで十分だ。

 さて、では次なる目的を果たすため、このまま南下しようか。
 南へ南へ、そのままセドナの果ての岩壁まで。

 次の目的は、岩場での石材の追加採取。
 玄武岩を5kgほど、花崗岩を10kgほど持ち帰りたいところだ。

 ……あの塩入りの玄武岩も欲しいな。
 20kg運搬、行けるか……?
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