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第1章 魔力要員として召喚されましたが暇なので王子様を癒します

27 レヴィのいない日常2

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 翌朝になり、玲史は、昨日の侍女の不手際が単なる行き違いではなかったと知ることになる。
 昨日は客間に届けられていた着替えが、今朝は届いていなかった。
 着替えは衣裳部屋から出してくればいいだけなので生活に支障はないが、汚れた衣類がどこを彷徨っているのかと思うと良い気分ではない。
(洗濯が遅れているだけだ。持ち去られたり捨てられたと決まったわけじゃない)
 面倒ごとを押し付けられるのは日常茶飯事だったが、善良な気質の玲史にとって悪意を向けられることには慣れていない。
 そんなストレスから、昨夜から食事抜きなのに全く食欲が出ない。
 それでも体調管理は社会人の義務だ。気を取り直して身支度を整え、護衛騎士に侍女を呼んでもらう。
 今後の食事は、使用人の食堂で取ることをごり押しして、彼女に案内を頼んだ。
「本当によろしいのでしょうか。ナヴィ様がお召し上がりになるようなものではございませんが……」
 急な申し出に戸惑う侍女に、「私は元々貴族ではないので、世話を待つのが苦手なんです」と、笑って答える。
 言いたいことは色々とあるが、彼女に言っても不手際を謝罪されるだけで、改善も原因究明も期待はできない。それよりも、少しでも自分が過ごしやすく状況を整えていく方がいい。
 食堂では、硬いパンを味の薄い野菜くずスープに浸して完食する。
 侍女から見れば、王子と共に過ごす者に出せる食事ではないのだろうが、栄養補助食で済ませていた以前に比べたらずっとましだ。塩分控えめのスープは温かく、食欲不振の玲史にはちょうど良い。
(大丈夫、これくらいのこと、何とかするさ。もっとひどい状況は過去にいくらでもあった。これを機に、レヴィやゲンドルの保護が無くても動ける環境にしていけばいいだけだ)
 自分に言い聞かせるが、言いようのない不安に、体が強張るのを感じた。

 レヴィが旅立って一週間が経つ頃、予想通り衣類は届いたり届かなかったりだし、伝言は時々忘れ去られているが、期待するのをやめたことで困惑することもなくなった。
 遠征の影響で、城内の慌ただしさは日々増していた。
 いつもスローライフなこの国の人々にはキャパオーバーなのか、どことなく殺気立っている。
 だが、忙しかろうが、暇だろうが、必要な業務は滞りなく行われなければいけない。
 仕事が多いなら増員するなり、業務時間を伸ばすなり対応をすべきだ。業務手順なども、予想するに非効率なことが多いのではないだろうか。
 遠征や後処理が落ち着いたら、これもセティに相談をして、もしも玲史が直接口出しをしても良いのなら、テコ入れをする準備はある。寧ろ、口出ししたい。
 そんなわけで、日常生活では大して困ることもなく何とか過ごしているのだが、毎日送られてくる花束だけはどうしていいか分からない。
「失礼いたします。フロスティ公爵令嬢から花束の贈り物でございます」
 扉を開けた途端に、悪意ある圧力に押されて、ソファに座り込んだ。
 侍女には全く影響がないらしく、ただの豪華な花束として花瓶に生けて去っていく。
 届けられた初日に、咄嗟に花束に対して治癒魔術を強めにかけたら、不快な圧力は消えてなくなった。
 呪詛なのかもしれないが、花には罪はないから、治癒魔術で解呪してそのまま飾っている。
 だが、今日の花束はひと際大きく呪詛も強力で、治癒魔術を施しているそばから、強い匂いで吐き気が込み上げてくる。
 寝室からシーツを持ってきて花束を包んだら、匂いだけは消えた。
 匂いが漏れないうちに、部屋を出て護衛騎士を呼ぶ。
「すみません。この包みを処分したいので、侍女に伝えていただけますか」
「承知しました」
 一人の騎士が侍女を呼びに行っている間、もう一人の騎士が包みに手を掛ける。
「これは何ですか? 危険な物でしょうか」
「開かないでください!」
 玲史が言う間にシーツが開かれ、中から押しつぶされた赤い花が見えた。
「う……おぇ」
 油断していた玲史の口に、酸っぱいものが上がって来る。
「匂いが……臭いので捨てたいんです」
 この場で呪詛などと言っても、騒ぎになるだけで問題解決にはならないだろう。
 送り主があのヴァナディスでは、面倒が増えるばかりか、反対にこちらが不利な状況に追い込まれかねない。
 それよりも早くこの不快感を解消したい。なのに、更に不快な声が聞こえてきた。
「まあ、臭いから捨てるだなんて、ナヴィ卿はやはり私を疎ましく思われているのね」
 弱々しそうな声で、件の令嬢が従者にしな垂れかかる。
 そこに、護衛騎士と侍女が戻って来た。
「私が大切に育てた薔薇は、そんなに不快な匂いでしょうか」
 ハンカチを目元に当ててヴァナディスが泣き声で問えば、三人揃って首を振る。
「いえ、不快だなんて。とても良い香りです」
(それは、俺専用の呪いがかかってるからだよ!)
 出かかった言葉を押さえて、上がってくるものを飲み込む。
「私は苦手なので、処分を、お願いします」
「婚約者の大切な方だからと面倒を見て差し上げているのに、酷い屈辱です」
 騎士の二人はヴァナディスを気の毒そうに見ている。
 そんな中で、侍女が決意を秘めた眼差しで、玲史に小さく頷いて見せた。
「フロスティ公爵令嬢、男性の中には花や香水を臭いと言って良さをご理解くださらない方もいらっしゃいます。差し出がましいお願いですが、私がいただいてはいけませんでしょうか」
「まあ、なんて優しい方でしょう。潰れてしまった哀れな私のお花を貰ってくれるのね」
 侍女の言葉で流れが変わった。女心が分からない無作法な殿方という体で、侍女が貶しながら庇ってくれたので、玲史は、吐き気を堪えて、何も言わずに茶番劇が終わるのを待った。
 ヴァナディスが、ハンカチに隠しながら、玲史にだけ勝ち誇った笑みを見せて去っていくと、玲史は部屋に駆け込んだ。
 洗面台に置いてある桶の両端を掴み、昼食を全て吐き出す。
 侍女が、心配そうに玲史の背中を撫でる。掌から感じる久しぶりの温もりに、小さく安堵する。
「ナヴィ様、ご安心ください。フロスティ公爵令嬢は、お怒りではありませんでしたよ。噂では少し怖いお方だと聞いておりましたが、とても美しく高貴な振舞いのお優しい方でした」
 侍女の嬉しそうな顔を見て、何も言えなくなる。
「私などが言う事ではないかもしれませんが、フロスティ公爵令嬢のお心遣いを少しでいいのでご理解いただけないでしょうか。令嬢が、その……とても気の毒で……」
 諭すような声色に、「そうですね」とだけ答えて、彼女には部屋を出て行ってもらった。
 親切心で言っていると分かるからこそ辛い。控え目な非難に、酷く傷つく。
(大丈夫、そんなこともあるさ。身近な人が分かってくれていればいい)
 フラフラと寝室に戻り、仔馬のケースに頭を押し付け、そのまま微睡みに落ちて行った。

 翌日は、全身の怠さと発熱で一日寝込んでしまった。
 疲労の為の頭痛肩こり胃痛は慢性だったが、熱を出して寝込むのは若い頃以来だ。
 久しぶりの嘔吐で食道を傷めたのか、何も食べたくない。
 花束の呪詛が、地味に効いているのかもしれない。
 ヴァナディスとの遭遇率が高いのも、徐々にメンタルを削られている。
 いくら高貴な生まれのご令嬢だからと言っても、あれは二十歳前の娘の威厳ではない。魔力のせいなのか護符でも身に着けているのか、初めて魔石の間に入った時のような圧力を彼女からは感じる。
 起き上がって、水差しからグラスに水を注いだ所で、ノックが聞こえた。
「はい、どなたですか」
 グラスを置いて寝室から出ると、扉に立っていたのは護衛騎士に伴われたゲンドルだった。
「なぜ俺を呼ばない」
「ゲンドル、忙しいでしょう」
「お前さんの保護以外に優先することなどない」
 そう言って、玲史の髪を撫でる。
 思わず涙ぐみそうになり、眉間に力を込めた。
 配置に戻る騎士に礼を告げ、ゲンドルを客間に通す。
「高魔力者の瘴気障害が悪化しているのは、瘴気が増えているだけであって、癒し術の効果が落ちたわけじゃないからな。気に病むことはないぞ」
「瘴気障害が悪化してるの?」
「それでふさぎ込んでいるんじゃないのか?」
 ここに来てからの様々な事を聞いてほしいが、その前に瘴気障害の悪化が気になる。
「癒し強化の魔道具や飲料でも効果ないの?」
「いや、王族専用の方は十分な効果が出ているが、量産品の効果が十分ではない。そもそも、丸薬がもう殆ど効かない。魔石の間の瘴気が急激に増加しているのだが、今のままでは調査の限界だ。これで魔石の間の床をぶち抜く申請も通るだろう」
 ヴァナディスの怪しい行動が、呪詛かもしれないとディースが言っていたことを思い出す。あの花束も呪詛の可能性が高いし、彼女が何らかの関りを持っている可能性はないだろうか。
 それをゲンドルに伝える。
「フロスティ公爵は、公然とレヴィ殿下を王太子に推している。何かを企んでいるかもしれないな。で、その花は処分したんだろうな」
「治癒魔術で、不快な圧力は消したよ。でも、昨日の花束は酷くて、侍女に持って行ってもらった」
「レイジの治癒は解呪もできるのか……どちらにしても、レイジ自身の治癒が必要だな」
 ゲンドルは、玲史の方を向いて詠唱を始める。玲史の体が光ると、すぐに体が温かくなり、頭が軽くなった。
 治癒で体の不調は改善しても、胸の重苦しさは無くならない。
「さて、短い間にそんなやつれちまったのはどういうことだ?」
「話せば愚痴のようになってしまうけど……」
 前置きをして、客間に移ってからのことを話した。行き違いで放置されていることはもういいが、そこに悪意はないか、ヴァナディスの行動は、玲史を陥れようとしたものではないか、玲史の生命を脅かす何かにつながっているのではないか。自意識過剰だと馬鹿にされてもいい。気になっていることを全て話した。
「こうして話してると、気にしすぎだな、俺」
 自嘲気味に呟いた玲史を、ゲンドルが抱きしめた。
「ここを出て、俺のところへ来い」
「ゲンドル……」
「気にしすぎなものか。なぜ今まで黙っていた。俺はそんなに信用ないか?」
 再び鼻の奥がツンと痛くなり、涙を飲み込んだ。
「信用してるよ。迷惑かけちゃ、いけないと、思ってね」
「仕方のない奴だ。泣くぐらいなら最初から俺を頼れよ」
「泣いてないから」
 ゲンドルの首元に頭を押し付け、鼻を啜る。
「ああ、そうだな。泣いてない」
 あやすような優しい声色で、抱きしめたまま背中を撫でる。
「でもな、レイジ。泣きたいときは泣いた方がいいんだ。頭の中に詰まったどうにもならないようなモンを、涙と一緒に全部流し出してしまえよ」
 唆す言葉に、玲史の涙腺が決壊した。大粒の涙が溢れても溢れても止まらない。
「38歳のおっさんが、子供みたいに、涙をボロボロこぼして泣くなんて、滑稽すぎて笑えないよ」
「レイジはおっさんじゃないだろ。心も姿も美しい青年だよ。お前さんの涙を笑ったりするものか。いつだって、何とかしてやりたくて胸が痛くなるよ」
 ゲンドルには、レヴィの怪我に狼狽して泣きべそをかいた時にも見られている。
 レヴィに心を奪われてからの玲史は涙もろくなった。
 誰にも開くことのなかった硬い扉を開けて、柔らかい所を晒してしまったから、その部分が傷つくと今までのように冷静ではいられないのだ。

 引っ越しの日、空からは、白い物がはらはらと舞い落ちていた。吐く息も白い。
 ゲンドルの部屋は魔術省の者が多く住まうエリアの高層部で、窓からは城下町が見下ろせる。
 王族の住まいは王城の最奥のエリアにあり、玲史が仮住まいをしていた王族の客室もその中にあるのだが、王城勤めで王都に屋敷を持っていない者の住居は、執務室や訓練場に近い、王城の中でも表に位置する場所にあった。
 二人きりではないので、転送魔術を使うことはできなくて、城の端から端をゲンドルと使用人を連れて歩く。
 使用人が運んでくれた荷物は、普段着と日用品が少し。それと仔馬のガラスケースだった。
 リビングの奥にはゲンドルの寝室、その隣にある狭い客間が今日から玲史の部屋だ。狭いと言っても、前に住んでいたワンルームマンションよりもずっと広い。
 部屋に荷物を置いたら、使用人を連れて再び王族の客室に向かった。
 そこには、セティやレヴィが用意した正装と宝飾品が残っている。
 値の付けられないようなものを持ち歩く勇気はないので、専属の侍女が管理をできるように、レヴィの私室にある衣裳部屋に戻すことにした。
 片付けられていく衣装を確認していると、ヴァナディスにつけられた魔石が目に入り、侍女に処理を依頼することを思い出した。落ち着いたら依頼しようと、衣装箱を閉めた。
 使用人に礼を伝えて扉を閉め、レヴィの寝室に入る。ベッドに横たわると、レヴィの匂いと魔力に包まれた。
 途端に胸が苦しいくらいに痛み、羽毛布団を丸めて抱きしめる。
「レヴィ、好きだよ、愛している。お願いだから、早く帰って来て」
 元の世界では鳥になって好きに生きたいと叫んだはずなのに、今、この瞬間は好きな男に囚われ、閉じ込められ、愛でられるだけの愛玩になりたいと思っている。
 人は、恋をすると馬鹿げたことを考えたり行動するものだと、幾人もの経験談を聞いてきた。
 例に漏れず愚者になり果てた玲史だが、それでも、恋を知らない以前の自分よりも、愚かな今の自分のほうが好ましいように感じた。
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