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第1章 魔力要員として召喚されましたが暇なので王子様を癒します

14 討伐訓練

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 草原は朝露に濡れ、緑を色濃く輝かせていた。
 さっきまで、寒そうに背中をぴったりとこちらに寄せていた異世界からの客人は、今は馬上からの景色を無邪気に喜んでいる。愛馬も今朝から上機嫌で、いつもより行儀が良い。
「あそこに見える塔は何ですか? あれもお城ですか?」
「あれは、この土地の領主の城だ。さっきまで震えていたのに、元気だな」
 呆れたような声で返したが、実を言うと、レヴィも今朝から浮かれた気持ちが治まらない。
「走っている馬に乗ったのは初めてなんです。あんなに早くて風が冷たいなんて思わなかったから驚きました」
 夜明け前に王都を出て、隣の領地に日帰りで魔獣討伐に向かっている。
 召喚からもうじき一か月。魔力充填だけでなく治癒魔術も習得した玲史に、本人の希望もあって討伐を経験させることになった。今回は訓練生数名の実地訓練を兼ねているので、討伐対象も難易度が低い。
「あれ、ウサギじゃない? 野ウサギですよ!」
「食べたいのか? 今は討伐に向かう途中だから、狩りは討伐が終わってからだ」
「え、あ……ウサギが可愛いと言いたかっただけで、食べないです。いや、必要とあれば食べます」
 困ったように言葉を選んで話す。玲史は時折そうして、考えながら話すことがある。もどかしそうにしているが、それでも苛立つことなく丁寧に言葉を選んで話してくれる。そんな誠実さにも最近気づいた。
 暢気に観光をしている場合ではないが、緊張ばかりでは疲れてしまい、肝心な時に力が出せない。だから、緩急が必要なのだと兄王子から教わった。
 レヴィは兄を誰よりも尊敬している。
 今回の討伐訓練も、とある領地同士の争いに備えて、実践を増やすことを訴えている、セティからの提案だった。
 そんな兄から第一騎士団への、玲史の守護についてはレヴィへの依頼だから、当然張り切っている。
 ちなみに、第一騎士団は魔獣を始めとする討伐が主な任務で、第二騎士団は王都の治安維持が主な任務、また、第三騎士団の任務は辺境警備で、北西と北東の二か所の国境を守っている。王国には三つの騎士団があるが、最も個人単位で殺傷能力が高い者が所属しているのが第一騎士団である。そんな最強軍団だが、レヴィの祖父である団長と、アンディとレヴィの実力は拮抗しており、三人に敵う者は今のところ誰もいない。
 最近、瘴気が魔獣にも影響を与えて凶暴化していることから、第一騎士団への討伐依頼が増えていた。
「レヴィ殿下、魔術省で借りた本とは状況が違うのですね」
 馬を止めて水を飲ませていると、玲史がメガネ越しの黒い瞳で見上げてきた。
「魔獣とは魔力が高い動物で、姿形も通常の動物より大きく、主に聖域に存在する。聖域近くの人里にも生息しており、肉食の魔獣は時に人を襲うこともある。ですよね? 時には襲うこともある、と言うレベルではないのですね」
「その通りだ。本来なら、こんな所まで魔獣が下りて来ることはない。しかも、瘴気の影響で魔獣も動物も凶暴化している。瘴気を何とかしなければ解決にはならない。我々が魔獣討伐を行っているように、魔術省も瘴気について調べている」
「そうなんですね。お役に立てることがあれば何でもお手伝いさせていただきます」
 玲史の笑顔が今日も輝いている。眩しくて目を逸らした。
 最初は負担でしかなかった、枯れ木のようにくたびれた男。だがそれはレヴィの思い違いだった。
 今まで出会った誰とも似ていない、真面目で努力家で誠実、芯の強い、思いやりに満ちた心の美しい男。
 考えてみれば、最初から彼は真直ぐにこちらを見つめ、臆することなく堂々とした態度で王族と対峙していた。明らかに度を越して失礼なユーハンにも、常に丁寧な態度で接している。
 本当は幼馴染がしているように名前で呼び合い、気軽に話しかけたい。しかし、八つ当たりで冷たく接してしまったレヴィに、今更、真逆の態度などできなかった。
 馬の休憩が終わったところで出発の合図を出し、先に馬に乗る。玲史の手を取って引き上げると細くて軽い。この男の事を知れば知るほど、守らなくてはいけない存在なのだと思い知った。何も知らずに魔力切れを起こして倒れた彼を、延々と歩かせてしまったあの時の自分を、殴り倒してやりたいほど後悔している。
 馬を走らせ、山里の集落に到着すると、先を進んでいた団長の伝令が、状況を説明に来た。
「村外れで、先遣隊が討伐開始しています。アンディ様が訓練生を率いて向かいました」
 レヴィも合流する旨を伝え、玲史を乗せたまま現場に向かった。
 着いた先では家畜の小屋が荒らされ、大量のヤギが血だらけで横たわっていた。傍らには狐魔獣が何頭も倒れている。既に先遣隊に討たれたのであろう、今回の討伐対象だ。
 玲史が唖然とした表情で息をのみ、痛まし気に眉を寄せる。彼は視線を走らせ、じっと周囲の様子を伺っている。野ウサギを愛でる男には酷な光景だろう。
「ナヴィ卿、大丈夫か?」
「はい……血の匂いが、凄いですね……」
 確かに、周囲はむせ返る様な血の匂いで溢れている。
「戻るか?」
「大丈夫です。想定内です。適応しました。進みましょう」
 いつも柔らかさを崩さない顔が、険しいものへと変わった。
 小屋の先では、アンディが見守る中、四人の訓練生が魔力を纏った剣で魔獣に対峙している。対する魔獣も四頭。一人、二人と止めを刺した時、一人の訓練生が緊張のあまり剣を取り落としてしまった。襲い掛かる魔獣に、アンディが短剣を投げる。刺された魔獣の絶命の咆哮に、慌てたもう一人が、背中を見せて逃げ出した。
「伏せていろ」
 レヴィは玲史に声を掛け、馬を走らせて少年の背中に襲い掛かる魔獣を真っ二に切り裂いた。
「は……凄いですね。一刀両断だ……」
 玲史が羨望の眼差しでレヴィを振り返る。
「大したことじゃない」
 謙遜したが、玲史の賛美に胸が疼く。
「いやいや、ただ戦うのではなく、命がけの場で訓練生の実力を見極めながら補助に入るなんて、簡単な事ではないですよ。あの子達の命も預かっているんですから。俺には考えられないような重責です」
 興奮気味に、玲史が何度も「凄い」と呟いている。血の匂いと殺戮に、恐怖と興奮で気が昂っているのだろう。
「レイジー、俺は褒めてくれないのか?」
 そこに、魔獣の生死を確認したアンディが近づいてきた。
「アンディの投げナイフも凄かったよ。確実に当たるって分かってたの?」
「もちろん」
 玲史の太腿に手を乗せて見上げるアンディを見ていたら、レヴィの胸をチリっとしたものが通り過ぎた。
「アンディ、訓練生を放っておいていいのか」
 自分でも驚くほど低い声だった。
「はいはい。お前らー、反省会やったら次行くぞ」
 訓練生を引き連れて森に向かっていく幼馴染を見ながら、さっきの不可解な感情を思い返すが、それが何なのかレヴィには分からない。
「レヴィ殿下、私がご一緒していて邪魔なようでしたら、待機場で治癒魔術の手伝いをしていましょうか」
 邪魔ではないが、流れ矢などに当たっては取り返しがつかない。
 玲史の申し出に頷き、待機場としている村の集会場に向かった。
 待機場には治癒魔術師が二名待機している。交替で簡易な結界を張り、戦闘能力のない者を守っていた。
「ナヴィ卿は此度が初の討伐だ。同行する魔術師の役割を説明し、討伐終了まで協力して治癒に当たるように」
 治癒魔術師は魔術省の若手なので、反発しないよう強く命じておく。心残りはあったが、レヴィは討伐に向かった。
 そもそも玲史は、貧弱な見た目だが、性格は意外と強かだった。あの塔の魔術師を手懐け、十日足らずで『ナヴィ式癒しの術』をほぼ完成させたのだ。
 初めは、レヴィの瘴気障害を改善する為だなどという、ご機嫌取りに苛立ちを隠すことができなかった。ゲンドルの保証がなかったら、従う事はなかっただろう。だが、彼の癒し術はレヴィの予想に反して、初回からあまりにも心地良く、浴場で居眠りをするほどだった。
 毎日あの施術を受けることで、レヴィの戦闘能力が向上し、回復力も底上げされている。訓練が今まで以上に充実したものとなった。
 ひとつ気になると言えば、風呂係に慣れているという発言の真意についてだ。
 王城や上級貴族の屋敷には専属で風呂係の侍女がおり、それこそマッサージや髪の手入れをしている。
 男児は、体つきが変わってくる頃には一人で入るようになるし、洗浄魔術を習得する頃には風呂にも入らなくなる。
 男が風呂係をすると言ったら、戦場の従僕の奉仕の一つで、身の回りの世話だけでなく、性奉仕も行う場合の呼称を指している。
 玲史ほどの有能さと美しさであれば、従僕としては引く手数多だろうし、風呂係を頼まれたら、鷹揚な彼は引き受けてしまうかもしれない。
 レヴィは、玲史の素肌が、自分以外の目に触れるのは嫌だと思った。癒しの術は広めたいが、玲史の美しさは、信頼できる身近な人間だけで守るべきだ。
 労いの宴で見た、玲史と握手をする為に並ぶ列を思い出し、レヴィは溜息を吐いた。
 森深く進むと、濃い血の匂いが流れてきた。馬を走らせると、男達の声と獣の咆哮が聞こえてきた。
 見れば、集団の狐魔獣が騎士団と入り乱れて戦闘を行っている。
 だが、どうもおかしい。
 襲っているというより、森の奥から逃げ出して来ているように見えるのだ。
「皆、落ち着け! 逃げる魔獣は無視しろ! 襲ってくるものだけを狙え」
 レヴィが叫ぶと、アンディは散らばっている訓練生を集めて、指示を出しながら集団で戦わせる。
 レヴィも、凶暴化している魔獣に突っ込んだ。何頭かの息の根を止めた時、大きな咆哮が森の奥から聞こえた。
「デカいのが来るぞ!」
 騎士団長の声のすぐ後に、大型の狼魔獣が現れた。凶暴化した狼魔獣に狐魔獣が追われて逃げまどっていたのだ。
 レヴィは前に出て、興奮状態の狼魔獣に切りかかる。
 アンディは訓練生を下がらせ、待機命令を出してからレヴィに続く。
 首を狙って切りつけるが、魔力を纏わせた剣であるにも関わらず、傷もつかない。
 大量の狐魔獣も、これほどまでに大型の狼魔獣も、人の多い里まで下りてきてしまうのは異常事態だ。
 瘴気の異常発生を早く止めなければ、気が立って暴れまわる魔獣達が可哀想だ。
 彼らも暴れたくて暴れているわけではないのだ。瘴気障害で玲史に当たり散らした己と重ね、憐れみを感じた。
 剣に纏わせる魔力を増やし、魔獣の前に躍り出る。
(苦しませずに逝かせてやる)
 高速で剣を振り、襲い掛かる凶暴な爪を避けて首を狙う。横に振り切った剣が、魔獣の首を掠めた。間髪入れず、上向いた隙に喉を突き刺した。
 硬い首を貫通した時、もう一頭、同じサイズの狼魔獣が、突進してきた。
 そこに、アンディが剣を振るう。肩を切りつけたが致命傷にはならなかった。
 興奮状態のまま、村へ向かって行く。
「まずいぞ! あのレベルじゃ、待機場も危ない!」
 レヴィは目の前の獲物に一瞬で止めを刺して、魔獣を追った。

 レヴィが追いついた時、その魔獣が放つ雷を纏った咆哮で、待機場の結界が破られるのが見えた。
 治癒を行う魔術師に襲い掛かる魔獣の前に、玲史が立ち塞がる。
 非力な彼に何ができるわけもなく、魔獣が鋭い爪を振り下ろす。
 レヴィは風を起こして、動けない玲史を後ろに下がらせた。そのまま愛馬を走らせ、後ろから魔獣の心臓を突く。
「っ……!」
 仰け反る玲史のメガネが弾き飛ばされ、振り下ろした爪に、服が縦に引き裂かれた。
 すぐさま魔獣に止めを刺し、玲史に倒れ掛かるその躯を馬上から蹴り飛ばす。
 魔術師と治癒を受けていた騎士を、背中で守りながら倒れ込んだ玲史は、胸から腹まで服が裂け、頬は血に濡れている。
「ナヴィ卿! 怪我はどこだ!」
「怪我は、ないです……」
 馬を降りて跪き、頬を撫でると傷はない。返り血を浴びただけだった。
 自ら飛び出したくせに、茫然自失でへたり込んでいる。勇敢なのか無謀なのか。きっと、ただ見ていることができず、咄嗟に飛び出したのだろう。
 まるで犯され傷つけられたような大切な者の姿に、レヴィの頭に血が上った。
「待っていろ」
 血の匂いに寄って来た狐魔獣を片っ端から切り伏せ、物の数秒で哀れな魔獣を殲滅した。
 しばらくして討伐終了の知らせが届き、レヴィ達も野営場に引き上げる。
 報告よりも魔獣が多く、大型の狼魔獣の出現もあり、予定より随分と遅くなってしまった。
 今夜はこのまま野営をして、翌日も見回りをしてから撤収することとした。
 アンディは少年達を連れて、水場のある村の広場に向かう。各自、遠征セットを持たされているから、一人用テントと携帯食を準備すれば野営準備はそれで完了だった。
 レヴィ達上官が持参しているテントは、寝泊りだけでなく打ち合わせも行う為、他よりも一回り大きい。
 討伐時は、領主や村人のもてなしは受けないと決めているので、当然、王子であるレヴィもテントを設置して、慣れない玲史を招き入れる。
 二人とも返り血が酷いので、洗浄魔術で血と汚れを落とす。
「お、凄い! 皮膚がスッとなりました。服も、綺麗にしていただいて、ありがとうございます」
 立ち直りの早い男だと感心する。魔獣に襲われてショックを受けた様子から、しばらく塞ぎ込むか、帰りたいと泣くだろうと予想していたのだ。
 洗浄魔術に喜んでくれて何よりだが、綺麗になっても破れた服は直らないので、間から覗く白い胸が艶めかしい。
 レヴィは視線を断ち切り、油紙に包まれた携帯食について説明し、水を飲みながら食べて見せた。
「こんな食事ですまないな」
「私も忙しいときは、これと似たようなクッキーで済ませることもあるので、問題ないですよ。いただけるだけで十分です」
 文句も言わずに粗末な食事で我慢してくれる。
 微笑む玲史の顔に思わず見とれてしまう。
 洗浄しただけで艶を増す黒髪も、濡れたような黒曜石の瞳も、出来ることならいつまでも見ていたい。
 不意に微笑みかけられ、嬉しいのに思わず目を逸らした。
 素直になれない自分は、成長していない子供と同じで情けない。
 それでも、好意を持ってほしい。頼られたい。優しくしてやりたいと思った。
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