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第1章 魔力要員として召喚されましたが暇なので王子様を癒します

6 王太子フォルセティーン・ハル・ラグリス

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 アンディが準備してくれたクロックコートのような上着を羽織り、緻密な飾り彫りのされた金属の縁取りが美しい、黒塗りの馬車に乗り込んだ。
 昔、遠足で乗った牧場の馬車と違い、内装には濃紺の天鵞絨がふんだんに使われており、座席は適度な硬さのあるシートに柔らかなクッションが敷いてある。しかも、クッションからは微かに花の香りがした。
 レヴィの後から乗り込んだら必然的に彼の正面になり、隣にアンディが詰めてきたので逃げ場がない。せめて斜向かいにして欲しかった。
 フィヨルギー家に向かった時の様に二人で話してくれることを期待したが、車内は無言のままだ。色々と質問したいところだが、王子様にこちらから話しかけて良いのかもわからない。重い空気の中、玲史も無言を貫く。
 暫くするとレヴィの表情が更に厳しくなる。顔色も悪いようだ。車酔いではないかと心配になり、お節介だとは分かっていたが、つい声を発していた。
「あの……体調がすぐれないようですが、少し休んで外の空気を……」
 だが、言い終える前に鋭い眼差しを向けられ、玲史は口を閉ざした。
 アンディの顔を伺えば、彼は興味深そうに二人の顔を交互に見ている。使える男だと思ったが気のせいだったようだ。
「問題ない」
 レヴィが一言だけ答え、再び馬車の中は馬の足音と車輪の音だけになった。

 王城に到着し、王太子付きの従者に案内されたのは、広間を通り抜けて直ぐにある一室だった。
 同じ扉が幾つか続いているが、その部屋だけは騎士姿の男が二人立っている。
「ナヴィ卿をご案内しました」
 レヴィの声に、内側から扉が開いた。レヴィに続き、玲史、アンディの順で部屋に入る。アンディは扉の内側で立って待つ。
 装飾など何もない室内には、大きな執務机と応接セットがあるだけだった。
 机の上に積み上がった書類の間から顔を上げた美青年が、穏やかな笑みを浮かべて立ち上がる。
 軽くウェーブした短い金髪が、窓からの光を浴びて黄金に輝いている。
「よく来てくれたね。私は第一王子で王太子のフォルセティーン・ハル・ラグリスだ。セティと呼んでくれ」
 セティが笑みを深めて手を伸ばす。玲史も前に進み出て握手に応じる。その手は大きく、意外にも硬い。
 二人の顔立ちはよく似ているが、冷たく怜悧な次男に対し、長男は柔らかく甘い雰囲気で対照的だった。よく見れば青い瞳も兄は海の様に深い青、弟の瞳は淡いアクアマリンで全体的な色合いが淡い。こうして並んで見ても本当に美しい兄弟である。
「私はレイジ・ワタナベと申します。ナヴィとお呼びください」
 外交用の笑みを向けると、セティも満足そうに頷く。
「ナヴィ卿、昨日は魔力補充で倒れてしまったんだってね」
 セティは玲史の肩を抱き、ソファに座るよう促す。
「レヴィはもういいよ」
 セティが、笑顔だが平坦な声色で弟のほうを見ずに冷たく告げる。
「ですが兄上っ……王太子殿下。転移者の後見は私が」
「魔術省にも私が案内するから問題ない。君は第一騎士団の訓練があるでしょう? 長く不在にすると助長して派閥争いが始まるのだから、手足の一本も折って睨みを効かせておいで。アンディも、君がいないと新人達が怠けるからね。歩いて帰れる程度の生ぬるい鍛錬はそろそろ終わりにしようか。一人の漏れもなく扱いてくれないとね。辺境から領主達の小競り合いの報告を受けている。近々に要請があるかもしれないから、しっかりシメておいで」
 例え話ではなく本気で言っているのだろうか。気品のある笑顔が逆に怖い。
 玲史も静かな笑みを浮かべながらその様子を見つめる。
 王太子は、第二王子と彼の従者を数秒で追い出すと、お茶の準備を指示して首と肩を回しながら玲史の向かいに座った。
「私もたまには外で暴れたいのだけど、見ての通り書類の山がね……」
「セティ殿下も剣術をなさるのですか?」
「あの子達が15歳くらいまでは私の方が腕前は上だったのだけれど、もう今は敵わないかな。規格外に強すぎるんだよ。レヴィは魔力も規格外だしね」
 セティは真直ぐに玲史の顔を見て、真剣な表情に変えた。
「召喚の儀では途中で退出してしまい、弟のフォローができなくて申し訳なかった。魔力補充で魔力切れを起こして倒れたと聞く。あれは相当に辛いものなのだろう?」
 突然の謝罪に、玲史のほうが恐縮する。
「いえいえ、倒れる前にアンディに介抱してもらいましたし。辛いと言うか、力が出なくて困っただけなので」
「弟は根は良い子なのだけれど、融通が利かないところがある困った子でね」
 セティはそう言って、眉を寄せて微笑む。
「黒姫様に憧れすぎて色々と残念な上、魔術師の子がいらんことをするでしょ?」
「あぁ……正直に言わせていただければ、ユーハン様の暴走をレヴィ殿下が止めてくださったという感じだったかと思います」
 告げ口は卑怯だったかと一瞬だけ後ろめたさを感じたが、上司の苦情をその上司に言って何が悪い。
「あいつね。やっぱりダメだね。私も少し面倒になってきてたんだよね。うん、排除しよう」
「え、ちょっと待ってください。副省長ですよね。いいんですか? 排除って不穏なんですけど」
「ナヴィ卿って面白いなぁ。貴方を蔑ろにしている人だよ。気にすることないでしょう。それに排除と言っても副省長として当然の範囲で遠ざけるだけだから」
 名案を思い付いたかの如く嬉しうそうに頷く。腹黒とはこういう人の事だという見本を見せられてるようだ。この人は敵に回してはいけない。決して怒らせたり煩わせてはいけない人だと心に刻む。
「私はね、レヴィにはもっと真面目に国王教育を受けさせるべきだったと思っているんだ。魔力量と戦闘能力の血筋は、始祖王没後最も彼に近いだろうと言われている。銀に近い金髪や淡い青の瞳も始祖王と同じ。王の器は弟のほうが明らかに勝っている」
 これも正直に意見を述べたほうがいいのだろうか。普通に考えて、王様は笑顔の似合う腹黒、脳筋は武人として王を支えるのが定番ではないのか。
「貴方には弟を支えてほしいのだけれど、それは私の我儘かな?」
 兄王子の真剣な瞳に、こちらも何か深い事情があるのではないかと察した。
「支えるのは問題ありませんが、まるでレヴィ殿下に王太子の座を譲ろうとしているように聞こえます」
 否定はせずに、セティは再び困ったように笑う。
 そこに、ノックの音が聞こえた。
 ティーセットを準備した従者が戻ってきたことで、その話題は終わりになった。
「ところでナヴィ卿は、召喚の時に白衣を着用していたね。あれは仕事着なの? 貴方の事を色々と教えて欲しい」
 転移して怒涛の時間を過ごしたが、互いの事を話したのはアンディだけだ。しかも、朝の支度をする数分間と、朝食の合間に話しただけだ。
「私は日本という国で、薬局の店長――その店の代表をしていました。22歳までは様々な学問を学び、独り立ちしてからは16年間同じ団体が経営する各地の店で働いていました。両親は健在ですが暫く会っていません。姉と妹がいて、姉の息子はレヴィ殿下と同い年のようです。妹は初めての子供がそろそろ産まれる頃です。友人は皆忙しく、スマートフォンという通信機器で時々連絡を取り合うくらいでした」
「陛下と同い年なの?」
 セティが初めて動揺を見せた。
「はい、そのようですね。私も驚きました。到底あの威厳は出せません」
「父のような威厳を持った38歳が何人もいたら私だって疲れるよ。ああ、でも、母の持つ鷹揚さは似ているかもしれない。貴方と話していると、何を言っても受け入れてくれるような気がして、つい口が軽くなってしまうよ。甘えたくなると言われることはない?」
 甘えるだけならいいが、舐めてつけ上がることが多い気もしなくもない。その代表のような部下に追い詰められて、この世界に逃げ込んでしまったのだから。
 不本意ながら、と妄想婚約者の事を話し、それは内緒と約束をして魔術省に向かった。
「セティ殿下、気になっていたのですが、黒姫様とはどういう方なのですか」
「この国が王位争いと食糧難で混迷を極めていた30年前、突如現れた異世界からの迷い人で、今は先王弟の夫人として王室直轄の辺境領に住んでおられる。ユリコ様は貴方と同じ黒髪黒目の日本人で、女学校の家政学を指導する教員だったと聞く。教え子の父兄にしつこく結婚を申し込まれて、襲われかけた時にこちらの世界に転移したそうだ。貴方の様に強大な魔力を持っているのは当然ながら、異世界での知識を利用してこの国の衣食住の文化に大きく貢献している。幼い頃に一度だけお会いしたことがあって、祖父母と同世代だが少女の様に可憐な方だったな」
 思い出すような遠い目に、思慕の情が垣間見えた。憧れの親戚のお姉さんという感じなのだろうか。
(うん、わかるよ。家庭科の先生ってなんかいいよね)
 この国の若手幹部は、程度の差はあるが、皆彼女を崇拝しているようだ。
「ナヴィ卿、言っておくけど私はあの妄執狂達とは違うからね。王族として尊敬と感謝を感じているだけだから」
 無意識に生温い目で見ていたようで、セティが言い訳をしている。そんなところは年相応に見えて可愛らしさを感じた。
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