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第1章 魔力要員として召喚されましたが暇なので王子様を癒します
4 新しい上司
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寿退職に備えてマニュアルを一新したのも、溜まっていた書類や報告書の整理を完遂したのも、今となってはこの転移という運命の為に動かされていたのではないかとさえ感じる。
引き継ぎ無しの離脱は不本意だが、玲史の店はやりやすいはずだ。店長が倒れてそのまま退職した姉妹店の立て直しをした玲史が言うのだから間違いない。
厄介者を残してきてしまったことは本当に申し訳ないが、彼女の妄想はもう玲史の手に負える状態ではなかった。何れどちらかが異動することになっただろう。
考え続けたところで、その場に存在しない玲史に出来ることはもう何もないのだ。
過去を振り切るように勢いよく顔を上げると、ユーハンと呼ばれていた白マントの男が足を止めて振り返る。
彼の目が「早く来い」と苛立ちを隠しもせずに語っている。
玲史は小走りで付いて行く。
過去を後悔している暇はないのだ。
たった一人この世界に呼び寄せられた今、どう立ち回るかの選択が生死に係わると言っても過言ではない。これからは一分一秒を真剣に、後悔のない日々を過ごそうと心に決めた。
差し当たっては、上司にあたる超美形だが高圧的で仏頂面の第二王子との関係改善だろうか。パワハラ上司への対応は経験済みだ。態度の悪さと言葉の横暴さは聞き流すに限る。次は何が出るかわからないが、もう慌ててビクついたりするものか。
時間にして10分近く歩いただろうか。三人は黒光りする大きな金属製のドアの前に立っていた。
南京錠を外して重厚な扉を開き、中に入って最初に目にしたのは大きな水晶の結晶だった。
息苦しいほどの圧力を感じて立ち止まると、施錠を終えたユーハンに背中を押された。
「邪魔だ、前に進め」
薄々感じてはいたが、この男、王子以上に当りが強い。
先行きに不安を感じながら水晶の前に進み出る。
その水晶は大人が二人で両手を広げてやっと手を繋げるくらい大きく、床から筍の様に突き出していた。
外側は無色透明だが、中では虹色の光が揺れている。
隣に立つレヴィが、両手を突き出して掌を水晶に翳す。
するとレヴィの手が淡く光り、その光は水晶の中心に向かってキラキラと輝きながら流れて行った。
レヴィの魔力は中心の虹色の揺らぎに吸い込まれていく。
(これが魔力というものか……)
初めて見るその美しさに感動を覚えた。
「このように魔力を注ぐ。やってみろ」
このようにってどのようにだよ、と文句は浮かぶが声には出さず素直に従う。
「せーの、フンッ」
掌から水晶に気を向けるイメージで押し出したら、水晶全体が目が眩むくらい勢いよく光った。
直後、玲史は糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
「馬鹿者! 何をやっている!」
レヴィに怒鳴りつけられたが、蹲ったまま動けない。体に力が入らなかった。
「急に最大出力で魔力を注いだら魔力切れで命を落とすこともあるのだぞ! それにこのような強大な魔力を一度に注いで魔石が破裂したらどうする!」
「レヴィ殿下、魔力が多いだけの無知な平民にそのようなことを言っても無駄です。この無様な姿をご覧ください。この者の貧相な姿を見た時から私はわかっておりました。この召喚は失敗だったのです」
玲史は理不尽な罵倒に苛立ちを感じたが、相互の文化の違いというやつだろう。思い込みで怒鳴り込んでくる客と一緒だ。この場合はとりあえず謝り、一通り相手の言い分を聞くしかない。正論を押し付ければ怒りに火をつけるだけだ。
「申し訳ございません……」
レヴィに向けて、重い頭を上げて謝罪する。
「なぜ、たかが魔力補充ごときでこのようなことになる。魔石に魔力を注ぐだけだぞ」
「黒姫様のような類稀な美しき心と魔力をお持ちの異世界人は二人といるはずもないのです。レヴィ殿下」
レヴィの溜息の尻馬に乗り、ユーハンが嘲りの眼差しを向けて罵倒する。
「爺め達が魔法陣に余計なことをするからこのようなゴミ屑を拾ってしまったのですよ。私が拝命したというのになぜ奴らが出張って来るのを誰も止めてくださらないのか。だいたい、魔法陣の規模もあのように過剰に広げれば魔力だって……」
ユーハンが思い出したように文句を並べ始める。あちらにも色々と事情がありそうだ。割と多い案件、八つ当たりによるクレームである。
勝手に熱くなるユーハンを見ていると、反対に玲史の頭は冷えてくる。ひとつ深く息を吐き、顔を上げてゆっくり立ち上がった。
「ご期待に沿えず申し訳ございませんでした。おっしゃる通り私は魔術についての知識がございません。何しろ先程この世界に呼ばれたばかりの一般人です。注意点や手順などをご教授願えませんでしょうか。今後このようなことが無いよう、子供に教えるように、噛み砕いて、詳しく、お願いします」
「はっ、子供のほうがまだましだ。先が思いやられる」
お前達の教え方が悪いと嫌みを込めてみたが、ユーハンには通じていないようだ。
レヴィには多少伝わったのか、気難しい表情のまま背を向ける。
「明日、これを連れて魔術省に出向く。それこそ隠居達に託したらよい。副省長のお前がすることもないだろう」
「御意」
次回からはユーハンと関わらずに済むようだ。ついでに王子もチェンジをお願いできるとありがたいのだが。
部屋を出て二人に付いて行くが、長身の男達は足も長く歩みが速い。
立ち止まりそうになる足を根性で前に出し、再び長い廊下を戻る。長い廊下の後には登り階段が待っている。
先の見えない階段では、部活での地獄の合宿を思い出した。胃液を吐きながら山道を延々と走らされた時にはこれが何の役に立つのかと思ったが、今やっと意味を持った。あの時に比べればまだ頑張れる。
そんなことを考えながら己と戦っているうちに、階段を上がり切った。
目の前がチカチカと白く点滅して限界を感じる。
城の外に出てからも石畳の通路が続く。
(まだ歩くのか?)
夕暮れの空は晴れ渡り、鳥が群れで飛んでいくのが見えた。鳥達は、長い城壁と三角の高い塔の間に消えていく。そんな景色がぐにゃりと歪んだ。
「おーい、レヴィ殿下ぁ! それが召喚した異世界人?」
もう無理だと思った瞬間、駆け寄る焦げ茶色の物体がガシリと玲史の体を支えた。
「おいおい、この人フラフラじゃねーかよ」
革と土埃のような匂いがして、そのまま横抱きにされた。
「騒ぐな。ただの魔力切れだ。一晩寝れば戻る」
「にしても馬じゃ無理だ。ウチに連れて帰るんだろ? 馬車呼んで来いよ」
「貴様、従者の分際で殿下にそのようなことをさせるな」
(なるほど、王子様の従者が迎えに来たと。そして、副省長様はここでも息巻いておられる)
もう目も開けられないくらい脱力しているが、周囲の声には耳を傾け続ける。
「じゃあ、あんたが呼んできてよ」
「なんだと! 私を魔術省副省長と知っての言葉か!」
「良い、お前はもう下がれ。魔術省に報告を。明日出向く旨も隠居達に伝えるように」
「承知いたしました」
ユーハンが去ったら急に静かになり、何となくこの三人の関係性が見えた。
レヴィはユーハンを信頼しているが暴走を制御する意思はある。ユーハンと従者は犬猿の仲だが従者は歯牙にもかけない状態。レヴィと従者の間には信頼と愛着のようなものがある。
男の腕に抱えられたまま、そんな事を考えながら彼が歩く振動に身を任せる。
やがて馬の匂いと鳴き声がして、肌に感じる風の匂いも少し変わった。建物から離れたようだ。
男の腕から離れて柔らかなクッションに体を横たえる。馬車に乗ったらしく、静かにその場を動き出した。
温度を感じさせないレヴィの平坦な声と、従者の明るい声が交互に聞こえている。
馬車が揺れる度に従者が体を支えてくれていた。
(この男は頼ってもいい人? もしそうなら王子との仲を取り持ってもらい、重要人物と周辺の人間関係も教えてもらって……)
そうこうしているうちに、完全に意識は途切れた。
引き継ぎ無しの離脱は不本意だが、玲史の店はやりやすいはずだ。店長が倒れてそのまま退職した姉妹店の立て直しをした玲史が言うのだから間違いない。
厄介者を残してきてしまったことは本当に申し訳ないが、彼女の妄想はもう玲史の手に負える状態ではなかった。何れどちらかが異動することになっただろう。
考え続けたところで、その場に存在しない玲史に出来ることはもう何もないのだ。
過去を振り切るように勢いよく顔を上げると、ユーハンと呼ばれていた白マントの男が足を止めて振り返る。
彼の目が「早く来い」と苛立ちを隠しもせずに語っている。
玲史は小走りで付いて行く。
過去を後悔している暇はないのだ。
たった一人この世界に呼び寄せられた今、どう立ち回るかの選択が生死に係わると言っても過言ではない。これからは一分一秒を真剣に、後悔のない日々を過ごそうと心に決めた。
差し当たっては、上司にあたる超美形だが高圧的で仏頂面の第二王子との関係改善だろうか。パワハラ上司への対応は経験済みだ。態度の悪さと言葉の横暴さは聞き流すに限る。次は何が出るかわからないが、もう慌ててビクついたりするものか。
時間にして10分近く歩いただろうか。三人は黒光りする大きな金属製のドアの前に立っていた。
南京錠を外して重厚な扉を開き、中に入って最初に目にしたのは大きな水晶の結晶だった。
息苦しいほどの圧力を感じて立ち止まると、施錠を終えたユーハンに背中を押された。
「邪魔だ、前に進め」
薄々感じてはいたが、この男、王子以上に当りが強い。
先行きに不安を感じながら水晶の前に進み出る。
その水晶は大人が二人で両手を広げてやっと手を繋げるくらい大きく、床から筍の様に突き出していた。
外側は無色透明だが、中では虹色の光が揺れている。
隣に立つレヴィが、両手を突き出して掌を水晶に翳す。
するとレヴィの手が淡く光り、その光は水晶の中心に向かってキラキラと輝きながら流れて行った。
レヴィの魔力は中心の虹色の揺らぎに吸い込まれていく。
(これが魔力というものか……)
初めて見るその美しさに感動を覚えた。
「このように魔力を注ぐ。やってみろ」
このようにってどのようにだよ、と文句は浮かぶが声には出さず素直に従う。
「せーの、フンッ」
掌から水晶に気を向けるイメージで押し出したら、水晶全体が目が眩むくらい勢いよく光った。
直後、玲史は糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
「馬鹿者! 何をやっている!」
レヴィに怒鳴りつけられたが、蹲ったまま動けない。体に力が入らなかった。
「急に最大出力で魔力を注いだら魔力切れで命を落とすこともあるのだぞ! それにこのような強大な魔力を一度に注いで魔石が破裂したらどうする!」
「レヴィ殿下、魔力が多いだけの無知な平民にそのようなことを言っても無駄です。この無様な姿をご覧ください。この者の貧相な姿を見た時から私はわかっておりました。この召喚は失敗だったのです」
玲史は理不尽な罵倒に苛立ちを感じたが、相互の文化の違いというやつだろう。思い込みで怒鳴り込んでくる客と一緒だ。この場合はとりあえず謝り、一通り相手の言い分を聞くしかない。正論を押し付ければ怒りに火をつけるだけだ。
「申し訳ございません……」
レヴィに向けて、重い頭を上げて謝罪する。
「なぜ、たかが魔力補充ごときでこのようなことになる。魔石に魔力を注ぐだけだぞ」
「黒姫様のような類稀な美しき心と魔力をお持ちの異世界人は二人といるはずもないのです。レヴィ殿下」
レヴィの溜息の尻馬に乗り、ユーハンが嘲りの眼差しを向けて罵倒する。
「爺め達が魔法陣に余計なことをするからこのようなゴミ屑を拾ってしまったのですよ。私が拝命したというのになぜ奴らが出張って来るのを誰も止めてくださらないのか。だいたい、魔法陣の規模もあのように過剰に広げれば魔力だって……」
ユーハンが思い出したように文句を並べ始める。あちらにも色々と事情がありそうだ。割と多い案件、八つ当たりによるクレームである。
勝手に熱くなるユーハンを見ていると、反対に玲史の頭は冷えてくる。ひとつ深く息を吐き、顔を上げてゆっくり立ち上がった。
「ご期待に沿えず申し訳ございませんでした。おっしゃる通り私は魔術についての知識がございません。何しろ先程この世界に呼ばれたばかりの一般人です。注意点や手順などをご教授願えませんでしょうか。今後このようなことが無いよう、子供に教えるように、噛み砕いて、詳しく、お願いします」
「はっ、子供のほうがまだましだ。先が思いやられる」
お前達の教え方が悪いと嫌みを込めてみたが、ユーハンには通じていないようだ。
レヴィには多少伝わったのか、気難しい表情のまま背を向ける。
「明日、これを連れて魔術省に出向く。それこそ隠居達に託したらよい。副省長のお前がすることもないだろう」
「御意」
次回からはユーハンと関わらずに済むようだ。ついでに王子もチェンジをお願いできるとありがたいのだが。
部屋を出て二人に付いて行くが、長身の男達は足も長く歩みが速い。
立ち止まりそうになる足を根性で前に出し、再び長い廊下を戻る。長い廊下の後には登り階段が待っている。
先の見えない階段では、部活での地獄の合宿を思い出した。胃液を吐きながら山道を延々と走らされた時にはこれが何の役に立つのかと思ったが、今やっと意味を持った。あの時に比べればまだ頑張れる。
そんなことを考えながら己と戦っているうちに、階段を上がり切った。
目の前がチカチカと白く点滅して限界を感じる。
城の外に出てからも石畳の通路が続く。
(まだ歩くのか?)
夕暮れの空は晴れ渡り、鳥が群れで飛んでいくのが見えた。鳥達は、長い城壁と三角の高い塔の間に消えていく。そんな景色がぐにゃりと歪んだ。
「おーい、レヴィ殿下ぁ! それが召喚した異世界人?」
もう無理だと思った瞬間、駆け寄る焦げ茶色の物体がガシリと玲史の体を支えた。
「おいおい、この人フラフラじゃねーかよ」
革と土埃のような匂いがして、そのまま横抱きにされた。
「騒ぐな。ただの魔力切れだ。一晩寝れば戻る」
「にしても馬じゃ無理だ。ウチに連れて帰るんだろ? 馬車呼んで来いよ」
「貴様、従者の分際で殿下にそのようなことをさせるな」
(なるほど、王子様の従者が迎えに来たと。そして、副省長様はここでも息巻いておられる)
もう目も開けられないくらい脱力しているが、周囲の声には耳を傾け続ける。
「じゃあ、あんたが呼んできてよ」
「なんだと! 私を魔術省副省長と知っての言葉か!」
「良い、お前はもう下がれ。魔術省に報告を。明日出向く旨も隠居達に伝えるように」
「承知いたしました」
ユーハンが去ったら急に静かになり、何となくこの三人の関係性が見えた。
レヴィはユーハンを信頼しているが暴走を制御する意思はある。ユーハンと従者は犬猿の仲だが従者は歯牙にもかけない状態。レヴィと従者の間には信頼と愛着のようなものがある。
男の腕に抱えられたまま、そんな事を考えながら彼が歩く振動に身を任せる。
やがて馬の匂いと鳴き声がして、肌に感じる風の匂いも少し変わった。建物から離れたようだ。
男の腕から離れて柔らかなクッションに体を横たえる。馬車に乗ったらしく、静かにその場を動き出した。
温度を感じさせないレヴィの平坦な声と、従者の明るい声が交互に聞こえている。
馬車が揺れる度に従者が体を支えてくれていた。
(この男は頼ってもいい人? もしそうなら王子との仲を取り持ってもらい、重要人物と周辺の人間関係も教えてもらって……)
そうこうしているうちに、完全に意識は途切れた。
応援ありがとうございます!
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