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第1章 魔力要員として召喚されましたが暇なので王子様を癒します
2 黒髪の異世界人
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黒髪に黒い瞳、黄みを帯びた白い肌を見た瞬間、心臓が止まるのではないかという衝撃に暫く何も考えられなかった。
レヴィ――この国の第二王子レヴィティーンは、国王、宰相、異母兄である第一王子とその婚約者と共に、召喚の儀式に立ち会っていた。
王家で最も魔力の高いレヴィが、異世界人の後見役を打診されたのは半年前の事だった。
召喚できる可能性は五割よりも低い。論理上は可能でも前例がない。それでも実行に踏み切ったのは、王国が切迫した状況であることと、過去に異世界から転移してきた者がいるという事実からだった。
そしてレヴィが快諾した理由も、かの偉大な転移者による影響が大きい。
姿絵を見たことはあるが本人に会ったことはない。何しろ彼女は前王の弟であるフレバング大公夫人として辺境に暮らし、王族の慶弔行事でもなければ王都に姿を見せることはないのだから。
豊かな黒髪に黒曜石の瞳、黄金を混ぜた真珠色の肌は年を重ねても若々しく少女のようだという。
黒姫様と呼ばれ神格化されているユリコという異世界の日本人女性は、30年前に突然この世界に迷い込んでからというもの、その知識を活かして食文化を中心に革新的なアイディアを次々と提案してきた。しかも強大な魔力持ちで、その力は国境を守るフレバング大公の為に今この時も惜しみなく使われている。
そんな黒姫に憧れ以上の想いを寄せているレヴィだから、誰を差し置いてもその役割を手に入れたいと思うのは当然のことだった。
白いローブを纏った王国魔術省の若手精鋭6名が、己の魔力を込めた血液を使い、命を賭して行う儀式に、皆真剣な表情だった。
詠唱を続けてどれくらい経っただろうか。
もう無理かもしれないと皆が諦めかけた時、突然魔法陣が輝き、白い衣を纏った細身で小柄な者がその場に現れたのだ。
室内の緊迫していた空気が歓喜へと変わった。
だが、レヴィだけは張り裂けそうな胸の痛みに息を吸うことも忘れてその者に見入っていた。
物心ついた時から憧れ続けてきた、転移者の黒姫様と同じ黒髪に黄みのある肌。しかもメガネと呼ばれる小振りなゴーグルや、白衣を纏っている姿も、彼女が転移してきた時と同じではないか。
(黒姫様と同じ色の、俺の運命の人……)
異国の言葉で不安そうに呟く声を聞き、レヴィは思わず駆け出していた。
「転移者殿、気分は悪くはありませんか?」
跪いて細い手を取ったが、顔を覗き込んで言葉を失う。
黒い髪に艶はなく、瞳は黒いが白目が黄色く濁っている。肌の色もとても同じとは言えない位くすんでカサつき、メガネ越しの目の下には深いクマが刻まれていた。しかも男だ。それでも手だけは細く滑らかで白い。
レヴィは一瞬で夢から覚めた。落胆してその手を放り出し、立ち上がって男を見下ろした。
「誰か、彼に言語の共有魔術を」
第一王子の声で、幼馴染である魔術省副長のユーハン・ヘイムダルが転移者に掌を向けて詠唱する。
「お前、名前は」
術が馴染んだ頃合いを見て声を掛けると、男は慌てた様子で立ち上がる。
「え、はい。あれ、言葉が通じる……私、渡辺玲史と申します」
「ワツァ……ナヴィエ?」
「渡辺です。発音が難しかったらナベとお呼びください」
男の提案に従い、ナヴィと呼ぶ。
「ナヴィ卿。私はこの国の第二王子レヴィティーン・ハル・ラグリスだ」
「本物の王子様……」
召喚直後こそ挙動不審だったが、すぐに落ち着きを取り戻したようだ。恐れることなく正面からこちらを見上げてくる。
「レヴィ殿下、先ずは転移者殿に説明を致しましょう」
「ああ、宰相殿。頼む」
宰相が転移者の前に立ち、穏やかな笑みを見せると、男も優し気な笑みを返す。
「突然のことで驚かれていることでしょう。ここは、ラグリス王国の王都ハウンズポリ。私は宰相のスカビズと申します。とある事情から貴方様を召喚いたしました。召喚の際は同意があったものと認識しておりますが、覚えていらっしゃいますか?」
「同意……ですか? あれか、逃げたいって言った……一連の」
「詳しい説明無きままお呼びしたこと、申し訳ございません」
転移者の男は「マジかー」とよくわからない言葉を発して頭を抱えた。
「はい、同意いたしました、確かに」
「現在、我が国は原因不明の魔力減少と瘴気の発生で、王都を中心に深刻な被害が出ております。そこで、魔力の多い異世界の方に魔力を分けていただき、安定したところで瘴気の原因究明と改善を行う計画でございます。魔力補填は魔石に手を翳すだけの簡単な作業です。それ以外は自由に過ごしていただいて結構ですし、快適にお過ごしいただけるようお世話をさせていただく所存でございます。どうか、私達にお力をお貸しください」
「ええ……まあ、来てしまったからには私に出来ることなら……」
「承諾いただけて心より感謝いたします」
宰相がこちらを振り返る。
「お前の保護は私が責任を持って行う」
「あの……私、帰れるのでしょうか? 元の世界に」
男が恐る恐るこちらを見上げる。
「一定の期間内であれば元の時間枠に戻れるはずだ。但し、再び6名の魔術師が命を賭して術を行うことになるがな」
男はそのまま黙ってしまった。
こちらの事情で召喚しておいて意地の悪い言い方だと自覚していたが、苛立ちを抑えることができなかった。
運命の姫でも何でもない、こんな枯れ木のような男の保護をしなくてはいけないという現実に、子供の様に癇癪を起こして喚き散らしたい気分だった。
そうでなくても瘴気から来る頭痛と不快感で苛立っているのだ。
何故か高魔力の者ほど瘴気の不快な症状が強い。魔術省の者と共に薬湯や丸薬で症状を抑えてはいるが、特に魔力の高いレヴィには殆ど効果がない。
その時バサリと大きな衣擦れの音がして、兄の婚約者であるスカビズ嬢が倒れてしまった。忍耐力のあるレヴィでさえ苛立ちを抑えられないのだから、同じく魔力の高い彼女が倒れるのは仕方のないことだ。
真っ青になり震える姿に、父である宰相と兄王子は、彼女を抱えて召喚の間を出て行った。
それまで静観していた父である国王が、男の前に進み出る。
「ナヴィ卿。私はこの国を治めている、国王のユングヴィーン・ハル・ラグリスだ。どうか我が国のために貴方の力を貸してほしい。貴方が快適に過ごす準備はできているが、何分そちらの世界とは文化や作法が異なると聞く。不手際があればどんな些細な事でも申し出てほしい。貴方は我らの希望なのだから」
国王は男からレヴィに視線を向ける。
「レヴィティーンよ、先ずは魔力補充について手本を示せ。その際、可能であれば実力も確認して魔術省に報告を。術者の皆、大儀であった。其方らの力が無ければ召喚術の成功はなかった。後に労いの場を設けるとしよう。今日はしっかりと休息を取るように」
国王が再び男に視線を戻し慈悲深い笑みを向けると、背中を丸めた枯れ木のような男は急に背筋を伸ばし、ゆっくりと優雅に深く腰を折った。
一瞬、時が止まったような静謐さが男の周辺を包み、顔を上げると清廉な笑みを浮かべている。
そのまま、国王が退室するまで笑顔を崩さず後姿を見送り続けていた。
異国風ではあったがその所作は洗練されており、特別な教育を受けた者のようだった。
貧相な外見との差に驚きを感じたが、瘴気の辛さを言い訳にして思考を放棄した。
「ナヴィ卿、付いて来い」
「私もお供いたします」
ユーハンが扉を開けて先導する。男が付いて来るのを確認すると、レヴィは魔石の間に向かって足早に進んだ。
レヴィ――この国の第二王子レヴィティーンは、国王、宰相、異母兄である第一王子とその婚約者と共に、召喚の儀式に立ち会っていた。
王家で最も魔力の高いレヴィが、異世界人の後見役を打診されたのは半年前の事だった。
召喚できる可能性は五割よりも低い。論理上は可能でも前例がない。それでも実行に踏み切ったのは、王国が切迫した状況であることと、過去に異世界から転移してきた者がいるという事実からだった。
そしてレヴィが快諾した理由も、かの偉大な転移者による影響が大きい。
姿絵を見たことはあるが本人に会ったことはない。何しろ彼女は前王の弟であるフレバング大公夫人として辺境に暮らし、王族の慶弔行事でもなければ王都に姿を見せることはないのだから。
豊かな黒髪に黒曜石の瞳、黄金を混ぜた真珠色の肌は年を重ねても若々しく少女のようだという。
黒姫様と呼ばれ神格化されているユリコという異世界の日本人女性は、30年前に突然この世界に迷い込んでからというもの、その知識を活かして食文化を中心に革新的なアイディアを次々と提案してきた。しかも強大な魔力持ちで、その力は国境を守るフレバング大公の為に今この時も惜しみなく使われている。
そんな黒姫に憧れ以上の想いを寄せているレヴィだから、誰を差し置いてもその役割を手に入れたいと思うのは当然のことだった。
白いローブを纏った王国魔術省の若手精鋭6名が、己の魔力を込めた血液を使い、命を賭して行う儀式に、皆真剣な表情だった。
詠唱を続けてどれくらい経っただろうか。
もう無理かもしれないと皆が諦めかけた時、突然魔法陣が輝き、白い衣を纏った細身で小柄な者がその場に現れたのだ。
室内の緊迫していた空気が歓喜へと変わった。
だが、レヴィだけは張り裂けそうな胸の痛みに息を吸うことも忘れてその者に見入っていた。
物心ついた時から憧れ続けてきた、転移者の黒姫様と同じ黒髪に黄みのある肌。しかもメガネと呼ばれる小振りなゴーグルや、白衣を纏っている姿も、彼女が転移してきた時と同じではないか。
(黒姫様と同じ色の、俺の運命の人……)
異国の言葉で不安そうに呟く声を聞き、レヴィは思わず駆け出していた。
「転移者殿、気分は悪くはありませんか?」
跪いて細い手を取ったが、顔を覗き込んで言葉を失う。
黒い髪に艶はなく、瞳は黒いが白目が黄色く濁っている。肌の色もとても同じとは言えない位くすんでカサつき、メガネ越しの目の下には深いクマが刻まれていた。しかも男だ。それでも手だけは細く滑らかで白い。
レヴィは一瞬で夢から覚めた。落胆してその手を放り出し、立ち上がって男を見下ろした。
「誰か、彼に言語の共有魔術を」
第一王子の声で、幼馴染である魔術省副長のユーハン・ヘイムダルが転移者に掌を向けて詠唱する。
「お前、名前は」
術が馴染んだ頃合いを見て声を掛けると、男は慌てた様子で立ち上がる。
「え、はい。あれ、言葉が通じる……私、渡辺玲史と申します」
「ワツァ……ナヴィエ?」
「渡辺です。発音が難しかったらナベとお呼びください」
男の提案に従い、ナヴィと呼ぶ。
「ナヴィ卿。私はこの国の第二王子レヴィティーン・ハル・ラグリスだ」
「本物の王子様……」
召喚直後こそ挙動不審だったが、すぐに落ち着きを取り戻したようだ。恐れることなく正面からこちらを見上げてくる。
「レヴィ殿下、先ずは転移者殿に説明を致しましょう」
「ああ、宰相殿。頼む」
宰相が転移者の前に立ち、穏やかな笑みを見せると、男も優し気な笑みを返す。
「突然のことで驚かれていることでしょう。ここは、ラグリス王国の王都ハウンズポリ。私は宰相のスカビズと申します。とある事情から貴方様を召喚いたしました。召喚の際は同意があったものと認識しておりますが、覚えていらっしゃいますか?」
「同意……ですか? あれか、逃げたいって言った……一連の」
「詳しい説明無きままお呼びしたこと、申し訳ございません」
転移者の男は「マジかー」とよくわからない言葉を発して頭を抱えた。
「はい、同意いたしました、確かに」
「現在、我が国は原因不明の魔力減少と瘴気の発生で、王都を中心に深刻な被害が出ております。そこで、魔力の多い異世界の方に魔力を分けていただき、安定したところで瘴気の原因究明と改善を行う計画でございます。魔力補填は魔石に手を翳すだけの簡単な作業です。それ以外は自由に過ごしていただいて結構ですし、快適にお過ごしいただけるようお世話をさせていただく所存でございます。どうか、私達にお力をお貸しください」
「ええ……まあ、来てしまったからには私に出来ることなら……」
「承諾いただけて心より感謝いたします」
宰相がこちらを振り返る。
「お前の保護は私が責任を持って行う」
「あの……私、帰れるのでしょうか? 元の世界に」
男が恐る恐るこちらを見上げる。
「一定の期間内であれば元の時間枠に戻れるはずだ。但し、再び6名の魔術師が命を賭して術を行うことになるがな」
男はそのまま黙ってしまった。
こちらの事情で召喚しておいて意地の悪い言い方だと自覚していたが、苛立ちを抑えることができなかった。
運命の姫でも何でもない、こんな枯れ木のような男の保護をしなくてはいけないという現実に、子供の様に癇癪を起こして喚き散らしたい気分だった。
そうでなくても瘴気から来る頭痛と不快感で苛立っているのだ。
何故か高魔力の者ほど瘴気の不快な症状が強い。魔術省の者と共に薬湯や丸薬で症状を抑えてはいるが、特に魔力の高いレヴィには殆ど効果がない。
その時バサリと大きな衣擦れの音がして、兄の婚約者であるスカビズ嬢が倒れてしまった。忍耐力のあるレヴィでさえ苛立ちを抑えられないのだから、同じく魔力の高い彼女が倒れるのは仕方のないことだ。
真っ青になり震える姿に、父である宰相と兄王子は、彼女を抱えて召喚の間を出て行った。
それまで静観していた父である国王が、男の前に進み出る。
「ナヴィ卿。私はこの国を治めている、国王のユングヴィーン・ハル・ラグリスだ。どうか我が国のために貴方の力を貸してほしい。貴方が快適に過ごす準備はできているが、何分そちらの世界とは文化や作法が異なると聞く。不手際があればどんな些細な事でも申し出てほしい。貴方は我らの希望なのだから」
国王は男からレヴィに視線を向ける。
「レヴィティーンよ、先ずは魔力補充について手本を示せ。その際、可能であれば実力も確認して魔術省に報告を。術者の皆、大儀であった。其方らの力が無ければ召喚術の成功はなかった。後に労いの場を設けるとしよう。今日はしっかりと休息を取るように」
国王が再び男に視線を戻し慈悲深い笑みを向けると、背中を丸めた枯れ木のような男は急に背筋を伸ばし、ゆっくりと優雅に深く腰を折った。
一瞬、時が止まったような静謐さが男の周辺を包み、顔を上げると清廉な笑みを浮かべている。
そのまま、国王が退室するまで笑顔を崩さず後姿を見送り続けていた。
異国風ではあったがその所作は洗練されており、特別な教育を受けた者のようだった。
貧相な外見との差に驚きを感じたが、瘴気の辛さを言い訳にして思考を放棄した。
「ナヴィ卿、付いて来い」
「私もお供いたします」
ユーハンが扉を開けて先導する。男が付いて来るのを確認すると、レヴィは魔石の間に向かって足早に進んだ。
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