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第三十六話 「盗賊をやめた者の話」 ~スゴ腕の武士~

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 松浦静山著「甲子夜話」


 巻二十三「二八」より


 平戸城下の酒屋に、どこの国からか奉公に来ている下男が語った話である。

 世の中で恐ろしいのはお侍様でございます・・・。

 実を言いますと、わたくしは若い時分、東海道筋に住んでいて野盗やとう渡世とせいをしていた者でございます。

 盗賊仲間数人で、夜毎よごと街道の側の土手に集まって博打ばくちを打って、人が通りかかると追いかけて強盗を働くという生活をしておりました。

 ある夜のことでございます、深夜に一人のお侍様が通りかかりました。
 見ると、懐中に金子きんすを沢山持っている様子でございます。

 私共は良いカモが来たと、いつものとおり駆け出してそのお侍様の前に立ちふさがり、

 「お侍様、あっし共はちと金に困っておりやしてねぇ・・・その懐中の金子を頂くわけにはいかねえもんでしょうか」

 仲間にはすでに脇差を抜いている者もいます。

 そのお侍様は、表情一つ変えずに言いました。

 「なるほど俺の懐中には金子三百両ほどが入っておる、これが欲しいならくれてやろう。しかしな、この大金はこの近所の庄屋の借金の返済の為の金なのだ、今夜返済しないとその庄屋が潰れてしまうのだ・・・・しかし、望みとあらばいいだろう、俺と勝負して勝ったら金をくれてやろう」

 私どもも若くて怖いもの知らずだったので、このお侍を倒す事など簡単だと思いましたので承知することにしました。

 お侍様は、近くの高さが八、九尺(約2.6メートル)ほどの松の木の枝を引き下ろしてその枝先に金三百両を結わえ付け手を離すと、金は松の木の上方にぶら下がって手が届かなくなりました。

 そうしておいて、お侍様は「いざ、勝負せよ」と二本の刀を抜きました。

 仲間五、六人がいっせいにお侍様に斬ってかかりましたが、一瞬のうちにニ、三人が斬られて倒れてしまいました。
 その凄まじい手際に、仲間達はいっせいに逃げ出してしまい、私一人が残されました。

 お侍様は、残った私めがけて刀を振り下ろします。

 私は思わず後ずさりをした拍子に、背後にあった空堀に落っこちてしまいました。
 お侍様は、堀の際まで追いかけてきて、「もう死んだか?」と真っ暗闇の中で、刀で探りを入れてきます。

 私は、今動いたら今度は本当に殺されると思い、息もせずにじっと身をすくめ、死んだふりをしました。

 お侍様は独り言を言いました。

 「こいつも死んだか・・・もう安心だ」

 そう言って、堀の上から私に小便をかけ、悠々と松の木に結わえ付けてあった金を下ろすと、後ろをよく警戒して去ってゆきました。

 私は恐ろしくて、そのお侍様の影が見えなくなるまで動けませんでした。

 お侍様が見えなくなると、一目散に後ろも見ずに逃げ帰りましたが、命あっての物種ものだねでございます・・・それ以来、盗賊稼業から足を洗って今はこうして堅気の奉公をしております・・・・。

 あの時の様子は、今思い出して見ても恐ろしく思います。
 まったく、豪胆なお侍様もあったものでございます・・・・。




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