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第十八話 「孝行八百屋の事」

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 根岸鎮衛著 「耳嚢」巻之六


 「孝行八百屋の事」より


 飯田町とか聞いたが、その場所は定かではない。
 その男は、元々は相応に暮らしていた町人の息子だということだが、身持ちが悪く放埓で、大変人柄も悪い者だったので、親も見限って勘当をした男だった。

 男は火消屋敷の役場中間ちゅうげんとなったが、そもそもならず者が多い火消屋敷で博打などにのめり込み、いよいよ身を持ち崩していった。

 火災の折は、裸身へ役看板(火消の法被はっぴ)を来て、梯子はしごや水籠を持って駆け回っていた。

 父は亡くなり、母は借家の保証人となった人が引き取ってくれたが、勘当した息子でも母の愛情は捨てがたいのか、彼が火事場へ出る時は母も表に出て見守っていたという。

 ある時、男がふと小川町当たりの長屋の窓下に立つと、中では心学の講釈をしていた。

 ・・・・父母のいう事を聞き、何事にも父母の願いをかなえて喜ばせる事、これが孝行の第一であり・・・・

 心学の講師は古今東西の色々な例を出して、親孝行の尊さを説く。
 男はそれを聞いて、しきりに面白く思い三日続けて講釈を立ち聞きし、「散々親を泣かせた俺だが、親孝行というものをしてみたいものだ・・・」そう思った。

 男は、火消の内職のさしや草履を拵えて得た金を持って母の元に行き、「これでおっかさんの好きなものを何でも買ってくれ」と言った。

 「本当にいいのか?それじゃ、喜んでもらっておくよ」

 母は、勘当した放埓な息子の変わり様を嬉しく思い、喜んでその金を受け取った。
 男は大部屋に立ち返っても、母の喜ぶ顔が忘れられず、毎日内職で得た金を母親に届けるようになった。

 ある時男は、火消部屋の頭に頼んで鳥目ちょうもく一貫文いっかんもんを貸してもらい母の元へと行った。

 「おっかさん、これでなにか望みを叶えてくれ」

 「ありがとう・・・でも、私はもう年老いて何も欲しいものは無いんだよ、ただ、今は人の御厄介になっている身で、死んだうちの人のお墓も建ててあげられず、供養や法事も出来ないのが心残りでね、寺参りさえできればと思っているのだよ」

 男はそれを聞いて、母を伴って菩提所に行き、一貫文の中から五百文を寺へ納めて亡くなった父の供養を頼んだ。
 帰りには母を浅草観音に連れて行って一緒に参拝し、辺りを見物させて回った。

 男は思った。

 ・・・それにしても、死んだ親父の墓も建てたいものだ・・・。

 それから男は内職に精を出し、毎日母を訪ねて孝行していたが、その行いはならず者の溜まり場となっている火消部屋でも話題となった。

 火消屋敷の頭は男の親孝行に感心し、皆から寄付を募って男に与え、父の墓を建てさせ、母が厄介になっている店請け人の所にも挨拶に行って丁寧に挨拶をして謝礼をさせた。

 散々親不孝をしてきた男の、人が変わったような孝行は、店請け人や家主の耳にも入った。

 「あの男はどうしようもない放蕩者だったが、このように改心して立派な孝行息子となった。こうなれば一つ店を持たせて相応の稼ぎをさせようではないか」

 そう言って、皆で世話をして、小さな八百屋を始めさせた。

 この男の親孝行は町中に知れ渡り、今では「孝行八百屋」として大変流行っているということだ。


 ・・・ちょっといい話でした。

 「心学」というのは、中国の陽明学を日本風にアレンジしたもので、庶民の道徳を説いたものだそうです。
 また、当時の火消屋敷は無頼漢、ならず者の吹き溜まりで、よく博打等をやっていたとか。

 彼らの内職は、銭を束ねておく「さし」や草鞋作り。
 さしは、銭に穴に通して束ねておく細い縄で、火消人夫達は商家などに押し売りに歩いたそうです。
銭は、これに九十六文をまとめて「百文」として通用したといいます。
 



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