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第十六話 「感冒流行」 ~江戸時代のオーバーシュート~

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 曲亭馬琴 編著 「兎園小説 余録」天保三(1832)年刊


 「感冒流行」より


 文政三(1820)年の秋、九月から十一月まで、世間で感冒が大流行した。
 一家に十人いれば十人が感冒に罹るほどの大流行だった。

 症状の軽い者は四、五日で回復するので、ほとんどの者は薬を飲まなかったが、症状の重い者は傷寒(熱病・チフス)のように高熱が出て、熱に浮かされてうわ言を話す者もいたが、それも十五、六日後には回復した。

 この風邪で病死した者はいなかった。

 江戸では九月下旬から流行して十月が盛りだったが、京都、大阪、伊勢、長崎などは九月に一番病人が多かったと、その地にいる友人から聞いた。

 以前に流行した風邪には「何々風」などと必ず名称がついていたが、この度の風邪には名前ついているとは聞かない。

 二十余年前に琉球人が来朝したおりにも感冒が流行したことがあるが、今年も琉球人が来たので、京大阪では「琉球風邪」という名の付いた風邪もあったという。

 私(馬琴)が思うに、流行り唄、流行り詞の流行した年は、必ず感冒が大流行する。
 安政年間の「おせ話風邪」、文化年間の「たんほう風邪」なども、当時の流行唄を名前に付けている。

 今年は、八月頃から江戸で「かまやせぬ」という小唄が流行した。

 「曇らば曇れ箱根山、晴れたとて、お江戸が見ゆるじゃあるまいし、こちゃかまわせぬ。(脱字あり)く名高き団十郎、改めて、海老蔵になりたや親の株、こちゃかまわせぬ・・・」

 などと言うたぐいの唄がたくさんあって、子供がよく歌っていた。
 この唄は、はじめは「読売り」(瓦版売り)などという、取るに足らない商人たちが唄っていたものである。

 子供の流行り唄には、必ず吉兆の前兆があることは、和漢の例に少なからずある。

 「構いはせぬ」という今回の流行り唄、これまた不思議なことである。

 また、初冬の一か月は、江戸中の銭湯も利用客が少なかったため、「風邪流行につき夕方七つ(午後4時)に早仕舞いします」という札を出して早く店を閉めたという。

 同時期に、お上より貧民救済の御沙汰があり、籾蔵町会所(飢饉や災害時の備蓄米の蔵)へ裏長屋の者達を呼んで、一人につき米五升、女は四升、三歳以上の子供には三升ずつ米が支給された。

 文化年間の「たんほう風邪」の時には、銭で一人につき二百五十文ずつ下されたが、今回は米にて下された。
 このお救い米は、借家人と言えども表店おもてだなを借りて商売をしている者、並びに召使は支給対象から外されたということだ。

 
 曲亭馬琴が残した、文政三(1820)年の風邪の大流行の記録でした。

 江戸っ子のほとんどが罹ったという大流行らしいですが、死亡者はいなかったという事ですのでインフルエンザではなかったのではないでしょうか・・・。

 それにしても、店舗の営業時間短縮や、低所得者への特別給付事業・・・どこか、現在の某感染拡大をほうふつとさせるものがあります。

 馬琴さんは「流行歌が流行る年は風邪が流行る!」という謎理論を持ち出していますが、その当否はどうでしょうか・・・。

 彼が現在の世の中にタイムスリップしてきたら、今回の感染拡大とその対策をどう見るのでしょうね。


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