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【河童伝説】 アマビエ様の次はこの図?・・・いや、キモいから無理
しおりを挟む松浦静山著「甲子夜話」
巻六十五、六「福太郎の図」より
先年、私(静山)の領国に、あやしい図版売りがやってきた。
後に思い出してこれを買ったが、どこかに無くしてしまった。
近頃、ふと行李の中からその紙が出て来たのでここに示す。
この図に、少し文章が添えてある。
洗練されていない文であるがここに述べてみる。
「訓蒙図彙」にいう「川太郎」、「本草綱目」に言う「水虎」「河伯」
出雲の国では「川子大明神」、豊後の国では「川太郎」、山城の国では「山太郎」、筑後の国では「水天狗」、九州では「川童子」という。
これらは、恩返しに福を授けるという、よって「福太郎」とも言う、以下はその由来である。
相州(神奈川県)金沢村の漁師、重右衛門の家に代々伝わる箱に、水難、疱瘡(天然痘)の守り神と記してあるものが、そのまま祀られていた。
享和元年五月十五日の夜、重右衛門の姉の夢枕に子供が現れて言ったという。
「我はこの家に久しく祀られているが、まだ知るものがいないのは残念である。願わくば、我の為に一棟の社を建立して欲しい。そうすれば水難、疱瘡、麻疹の守り神として加護を与えて進ぜよう・・・」
目が覚めた姉はこのことをいぶかしく思い、親類に相談して、かの箱を開けてみると異形のものが入っていた。
顔は猿の如く、両手両足に水かきがあり、頭には窪みがあった。
重右衛門は、そのお告げを信じ、これを「福太郎」と称して社に祀ったという。
後日、ある大名がその異形のものを見たいと仰せになり、その邸に持って行ったところ、その大名の家にも全く同じものが伝わっており、大名の家では、夢のお告げで「水神」として祀り、江戸やその侯の領国にも霊験があるという。
総じて、河童に霊験があることは、田舎の村などにはよく伝わっている事である。
私(静山)も、先年領村の境村で、「河童の手」というものを見た。
猿の手に非常によく似ており、指の関節が四つあったと覚えている。
また河童は亀の類で、猿を合わせたようなものだとも、立って歩くこともあるとも言われている。
又、鴨捕りの猟師に話を聞くと、河童は水辺を歩いて魚や貝を取って食っているという。
時として水際に足跡が残っているが、それは人間の子供の足跡によく似ているということだ。
また、漁師の話では、河童はまれに漁の網にかかることがあるという。
漁師の間では、網に河童がかかると不漁になるという言い伝えがあるので、これがかかるとすぐに水に放してしまうという事だ。
網にかかって上がるときは、丸い石のようになるという。
これは背が蔵六(亀のこと)の形だからである。
水に放つとたちまち手足と頭を出して、水中を泳ぎ去るという。
そうであるとするなら、全く亀のようではないか。
・・・例の騒動で、アマビエ様が大人気ですが、この河童のお札も水難除け、疱瘡、麻疹よけに御利益が・・・って、アマビエ様と違ってキモいから無理ですね。
ある本では、この「河童」は、人間の言葉をしゃべる、人と相撲を取るのが好き、水辺にきた女性にいたずらをする(あるいは妊娠させる)、などと言う特徴から、「棄てられた子供達」説を唱えています。
あるいは、子供でなくても、村社会から疎外された人たちが水辺で暮らしていたものが、次第に妖怪化されていった・・・という説も一理ある気はします。
ただ、根岸鎮衛の随筆「耳嚢」にも記述があるとおり、塩漬けになった河童の実物を見た人が、よく伝わっている河童の図と同じだった・・・と証言していることもあり、一概に「正体は人間」とは言えないケースもあるのではないでしょうか。
実際の動物としては、亀、特にスッポン、カワウソ等を見間違えた説が有力らしいですが、他にも定番のUMA(未確認生物)説、水死体説、最近に至っては宇宙人説まであるそうです・・・。
河童の考察だけで論文が一本書けそうですね・・・。
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ご感想有難うございます!
河童は、日本各地で呼び名を変えて伝承されているUMAの「日本代表」といったところでしょうか。
根岸鎮衛の「耳袋」でも、実際に捕らえられた河童を見た人が「絵で見た通りだった!」なんて感想を漏らしているくらいですから・・・・本当にいたのじゃないか、という気もします。
川で水浴びをしているハゲたオッサンを見誤った?・・・いやいやいや(笑)
アマビエ様の変遷も調べると面白いですね。
最初はダルマさんに四本脚がついたような奇怪な「アマビコの尊」(凶作除け)が、三本足の猿みたいに風貌になって(コレラ除け)、ついには、「アマビコ」が「アマビエ」に書き間違えられて今に至っているという(笑)
途中で「海から出てくる」設定が付け加えられて「じゃあ魚みたいに鱗もあるかも?」的に、どんどん変化していったみたいです・・・・まるで伝言ゲーム!