【AI画像つきエッセイ】仏教と女性のおはなし ~あるいはスジャータちゃん物語~

糺ノ杜 胡瓜堂

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【二十一】ついに「最終進化」!その究極の姿を現したシン・密教♥・・・で、でもっ、あれっ?

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 ヒンドゥー教から雑多な儀式や「マントラ」(おまじない・真言)、そして一部の神等を野放図に取り入れていた「初期密教」

 対立宗教のそれらの儀式やマントラを仏教的に再解釈し、ヒンドゥー教の神々を取り込む体系的で壮大なストーリーを構築し緻密に「理論武装」した「中期密教」!


 ・・・「密教」は、お釈迦様以外の神々を取り込むためのお経や物語、そして男女の性愛を大胆に肯定する「理趣経」に代表される新たな価値観を引っ提げてヒンドゥーへの「リベンジに」果敢に挑みます!

 この頃の時代の最先端、そして派手でカッコよく緻密な教えは中国にも伝来しさらに洗練されてゆきます。
 「派手さ」に欠けていた仏教の、一世一代の勝負が大当たりしたわけですねぇ♥


 前回お話した通り、この中期密教の一部にも「男女の性に対する大胆な変革」が入っているのですが、それは経典を翻訳した中国でも問題になったとみえます。
 なんせ、インドの原典の表現がかなり「露骨」ですからねぇ、セッ〇スに関する記述がっ♥


 儒教の国、中国ではあまりに開けっ広げな「セッ〇スの謳歌!性の賛歌」は好まれなかったようで、経典自体の露骨な部分が意味をぼかして訳されたり、あえて黙殺された感があります。

 あの「十七条清浄句」で露骨すぎるほどに「セッ〇ス」を菩薩の境地と礼賛した「理趣経」も、一部の順番が意図的に変えられていたり、多少オブラートに包まれたように「マイルド」になっているようです。

 ・・・そんな中国フィルターで「清く正しく」補正された中期密教、いわば新「経典」による理論武装が完成し、行き過ぎた(早すぎた)性的な部分は削られて仏教の「教え」として非常に魅力のあるものになった密教は弘法大師・空海によって堂々と日本に継承されます!
 想えば、中国を経由して入ってきたことで、日本の仏教は他国(部派仏教の国やチベット・ネパール等)とは独自の進化を遂げたといえます。


 繰り返しになりますが、日本にとって幸運だったのは、日本に入ってきた密教が「中期」のもので、とてもバランスがよく、良い具合に「左道」(セッ〇ス)的要素が排除されていた点でしょう。

 もし時代が少しでも違って、日本に大々的に入ってきたのが、まだ洗練されていない雑多な初期密教(雑密)や、性的ヨーガ(セッ〇ス修行)まである後期密教だったならば、日本ではこれほど密教は流行しなかったとも思われます。
(実際日本に早くから入っていた「雑密」は主流とはなり得ませんでした)

 もちろん歴史に「IF」は存在しないのですが、おそらくは朝廷などの権力者の庇護は受けられなかったでしょう・・・。
 (あくまで「公式」には・・・・実はあの「真言立川流」については今はあえて触れません♥)


 さて、話は変わってインド国内ですが、「ライバル」であるヒンドゥー人気の「人気」の部分を徹底的に吸収し、殆んど「習合」といっていいくらいヒンドゥー化した「仏教」は、日本に伝わった中期密教以後も先鋭的な・・・いえ、そんなんじゃ生ぬるい「過激」な方向に進化し始めます!

 密教の教えは猛烈に「進化」し「変質」してゆくのです・・・。


 中期密教でさえ「理趣経」等で男女のセッ〇スを大胆に支持する教えを打ち出したことからも、もうお判りでしょう♥
 「後期密教は」宗教にとってはほとんどタブー「諸刃の刃」とも言える女性と男性の「セッ〇ス」を肯定・・・というよりも「礼賛」し、その教えと「修行」に取り入れたのです!

 ・・・「タントラ密教」の誕生です!


 既存の仏教では悟りを得るための修行として主に「瞑想」が重んぜられましたが、タントラ密教で重要視された「悟りを得るための修行」はなんと・・・。

 ズバリ「女性と男性がセッ〇ス」(快楽の為ではなく、仏教の修行として)することなのです!

 「タントリズム」という考えは、簡単に言うと、男女の「性的パワー」こそ最強!というもので、その為にリンガ(男性器)とヨーニ(女性器)をシャクティ(結合)させて、そのめくるめく恍惚の境地の内に「悟り」を感じ神仏との一体感をえるのです!

 「セッ〇ス」こそが全てのパワーの源であり、神と一体化するには男女の結合の快楽の境地がどうしても必要である!・・・。
 あるいは、男女のセッ〇スの時の気持ち良さは、そのまま「悟り」「即身成仏」「宇宙との一体」そのものである!という考えと言ってもいいでしょう。

 ・・・あ~、なんとな~く判る気がしますぅ♥


 既存の仏教からは完全に飛躍した物凄い方面に足を突っ込んだわけですが、これが仏教側が元から存在したヒンドゥーの性的な教義や修行法を「パクった」のか、逆に仏教側がこの「観念の話ではなく、実践としてのセッ〇ス修行」というパンドラを箱を自ら開けたのかは判然としません・・・所説あるようです。


 この「後期密教」は修行の一環や教義としてセッ〇スを行なうもので「左道仏教」とも称されます!

 この極めて性的要素が強く「性的ヨーガ」を修行のメインとして実践する後期密教はチベットやネパールへと伝えられ、それは現在でも存在しています!!

 ネパールの仏画を御覧になったことはおありでしょうか?
 そこには、仏教の神々が性的ヨーガのパートナー「明妃」とまさに「セッ〇ス」をしている絵や像が堂々と表現されているのです!
 あまりに堂々としているので、あんまり「卑猥」な感じはしません・・・かな?

 あの「お釈迦さま」でさえも明妃とセッ〇スしている絵や仏像があるのには、お釈迦様もあの世(どこだ?)で苦笑されていることでしょうかねぇ・・・。


 立ち上がった男神の腰に両足を巻き付かせるエロティックな仕草で「合体」している仏像は、日本の清楚で美しい仏像を見慣れた目から見ると野性的てすこぶるダイナミックです!


 ・・・そんなワケで、ついに密教は「セッ〇ス」を取り入れ、「宗教」としては、ある意味危険な最終形態に突入したのです!
 現代では「セッ〇スを修行に取り入る」というと、それは「セッ〇ス教団」とか「カルト」と言われ、ほぼ間違いなく糾弾されるでしょう。


 「タントラ密教」には、もちろん、その為の理論武装と経典も存在します!


 『女は火!その時陰門は燃料、陰毛は煙、ヴァギナは炎、炭火の結合、そして肉欲と快楽は火の粉である。この火の中に神々は精液を供する。この捧供物から人間は生まれる』
 (ブリハグーラニアカ・ウバニシャッド第七編第二章)

 ・・・そう、リンガ(男性器)とヨーニ(女性器)のシャクティ(セッ〇ス)は、宇宙創造の活力であり、それ自体が神のパワーである!

 そしてついに!
 
 『女は宇宙の創造者、宇宙は女の形、女は世界のいしづえ・・・。世界に息づくあらゆるものの形が女の中にはある。女にまさる宝はなく、女にまさる身分は存在しない!』
 (シャクティサンガマ・タントラ第二編)
 ※いずれも笹間良彦先生の著作「性と宗教」より。


 ・・・驚きですが、これが究極的に「左道」化した密教の最終形態であり、タントラ密教と言われるものなのです!


 いちおう確認しておきますが「仏教」ですからねっ♥




 
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