大晦日はあはぬ算用(おおつごもりは合わぬ算用) ~「西鶴諸国ばなし」より

糺ノ杜 胡瓜堂

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「大晦日はあはぬ算用」 【ニ】

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 ・・・・酒宴の席での小判一両の紛失、皆が身の潔白を証明するため着物を脱いてゆくが、三番目の男、井澤格之助・・・・彼は無言で苦しい顔をし、着物を脱ごうとしない。

 皆の視線を一身に浴び、彼は居住まいを正しやっと口を開く。

 「・・・・世の中、こういう辛いこともあるものだな・・・いや、私は着物を脱ぐまでもない、実は今この懐の中に小判一両を持っているのだ」

 彼は懐から懐紙に包まれた小判一両を取り出して皆に見せた・・・・内助も他の友人も驚いて彼を見つめる。

 「言うまでもないが、これは今ここで掠め取ったものではない、ある事情で持っていたものなのだが、思いもよらないことで一命を捨てることになろうとはな・・・」

 井澤も内助同様、極貧の浪人暮らし、その彼が金一両が紛失した席で、縁のないはずの一両の小判を懐に持っていた。

 ・・・言葉には出さないものの、皆が疑いの目を向けてしまうのは致し方のないことかもしれない。

 それは井澤もよく理解している、しかし自分の身の潔白をこの場で証明出来ない以上、彼はこの場で切腹する決心なのである。

 「いや、井澤殿、馬鹿なことを考えるものではない、いかに極貧の我々でも、たまたま一両を持っている・・・そんなことも無いとは言えないではないか!拙者も・・・此処にいる誰もが井澤殿の事を疑ってなどおらぬから安心してくれ!」

 しかし、井澤は首を横に振って言う。

 「・・・・いかにも、この一両は、今日の昼に我が家に代々伝わっていた唯一の家宝、後藤徳乗の小柄こづか(刀に添える小刀)を唐物屋の十左衛門方へ一両二歩で売った、その金子きんすなのだ・・・しかし、めぐり合わせが悪い、今此処で身の潔白を証明することが出来ない以上、私は長年懇意にしてもらっている友人の前で申し訳が立たない・・・小判盗難について疑われること自体が私の罪なのだ・・・・どうか私自身の名誉の為に切腹させてくれ」

 井澤は刀の柄に手をかけ、今にも切腹する心積もりなのだ。

 「・・・・私が自害した後、紛失した小判が見つかったならば・・・その時は私の墓前に報告して欲しい」


 そう言って井澤が刀の鯉口を切った時、どこからか声が聞こえた。

 「・・・おいっ!小判はここにあったぞっ!」

 ・・・そう言って丸行灯あんどんの下から小判を放り投げた男がいる。
 猪俣三郎という内助の無二の親友だ。

 「なにっ?・・・・そこにあったか!・・・それは良かった!」

 「おいおい、物を探す時は念を入れて探さないといかんなぁ、とにかく良かった!」

 皆の顔に笑顔が戻り、その場の思い空気は一気に明るくなる。


 「井澤殿・・・刀をお収めください、紛失した小判は見つかりました、もう貴方の身の潔白は証明されました」

 「・・・そうか・・・それはよかった・・・」

 内助は、彼の前に頭を下げて言った。
 
 「井澤殿、ほんの一瞬でも貴方に疑いの念を抱いてしまった心の卑しい私をどうか許してくだされ」

 「いや、繰り返すが、この場に紛らわしい一両を持っていたのは私自身の罪だ、どうか気にしないでくれ」

 ・・・・これで小判紛失も一件落着した、小判は最初のとおり十両になったのである。
 皆は明るい顔で帰り支度を始めた。


 その時だった・・・台所から内助の女房が血相を変えて走ってきた。

 「お前さま!小判がこんなところに張り付いておりましたよ!」

 女房は、料理の重箱の蓋を高々と上げて皆に見せる。
 それは、山芋の煮しめを入れていた重箱の蓋で、蓋を開けて畳の上に置いた際に山芋の粘りと湯気で、小判が蓋に張り付いてしまったのだろう。

 「なにっ?・・・重箱の蓋に?・・・ああ!本当だ・・・」


 一見落着したと思っていた小判紛失事件が、ここでまた難しい問題となってしまった。

 主人が九両と言った小判が実は十両で、この度さらに増えて十一両になってしまったのだ!

 内助は困惑しながら目の前の十一両をじっと見つめる
 
 「・・・・九両の小判が十両に、そして十両の小判が今十一両になった・・・この歳の暮れに小判が増えてゆくのは目出度いことだが、このうち一両は、先程の井澤殿の難儀を救うため、七人の内のどなたかが自分の小判を差し出してくれたものでございましょう・・・この一両は私が収めるべき金ではないので、差し出されたお方にお返ししたいと存じます・・・」

 ・・・・しかし、その場の誰も「実はそれは俺のものだった」と名乗り出ようとはしない。

 その内、空が白みはじめてくるが、この一両の始末をどうにかつけなければ、その場にいる誰もが帰るに帰れないのだ。

 その状況を見かねた一人が口を開く、

 「陰徳を施し、ご自分の一両を差し出してくれたお方が名乗り出ない道理も判らないことではない、ついてはこの扱い、ご主人のお考えに従おうと思うが・・・皆はどうであろう?」

 七人の客も異論のあろうはずがない、この件は主人の内助に一任されることになった。
 内助は少し考えてから、こう切り出した。

 「・・・それではこうしましょう、この一両の小判は玄関の手水鉢ちょうずばちの上に置いて、その上から一升枡いっしょうますを被せておきます・・・・外からは中に小判が入っているか誰もわかりません、その上でお一人ずつお帰り頂きましょう、どうか小判の持ち主のお方は帰り際に自分の小判をお持ち帰りください」

 内助は、そう言って一人ずつ客を立たせ、その場で礼を言って帰らせる。
 一人が部屋を出ると、その度に部屋の襖をしっかり閉め、一人が帰ったら次の者が・・・というふうに一人一人帰していったのである。


 ・・・・七人全員が帰宅して、内助が手燭てしょくを灯して、かの手水鉢の上の一升枡を持ち上げると、そこに小判は無かった。
 小判の真の持ち主が持ち帰ったものであろう・・・。

 これで年の暮れに俄に出来しゅったいした騒動は落着した。
 武士の義、そして原田内助の咄嗟の機転は賞賛すべきものである。

 武士の交際とはこのように立派なものであるのだ。

 

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