「地震奇談平安万歳楽」~文政十三(1830)年の京都地震の手記~

糺ノ杜 胡瓜堂

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「地震奇談平安(みやこ)万歳楽」~文政十三(1830)年の京都地震の手記~

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 曲亭馬琴 編著 「兎園小説 拾遺」掲載

 
 東鹿斎著「地震奇談平安みやこ万歳楽まんざいらく」より


 文政十三(1830)年七月二日、昼七ツ時(午後4時)の京都大地震の話である。

 はじめドロドロと揺れ出し、引き続いて大地震が起きた。
 家が倒れ、人々は何も考える余裕もなく皆地面に伏したり、家の柱にしがみついたり、垣根につかまったりして、自分の事だけで精いっぱいだった。

 その時、ある老人が大声で「家から出て大通りに避難せよ」と叫び歩いたので、銘々が路上に板や畳を並べたりして大通りへと避難した。

 古い家や土蔵がことごとく倒壊し、神社仏閣の鳥居や石灯篭、塀なども多数倒れた。
 たとえ頑丈に造れらた土蔵と言えども壁にヒビが入ったりした。
 棚の諸道具は落ちて壊れ、竈は倒れ、襖や障子も破れた。

 家が傾いて戸の締まりも悪くなったが、中には地震でゆがみが戻って、逆に開けやすくなった戸もあったのは面白い。

 地震の音は天地に響いて、土や埃が宙に舞った。
 そんななかで、ドロドロと揺れが続くのが人々の魂を脅かし、うろたえるものもいた。
 慌て騒ぐのもやむを得ない事だ。

 地震の二日目の夜は、皆が道路で一夜を明かした。
 夜露を避けて板で即席の屋根をこしらえたり、縄を張り巡らして夜を明かした。

 町々には厳重に高張提灯を立て、家並みには掛け行燈あんどんが吊るされている中、その身は陣笠を被り胸当ても凛々しく、馬上提灯を灯して互いに近くに住む親戚の見舞いに行った。

 路上で横になって寝ていると、枕元に野良犬が寄ってきたのが面白かった。

 井戸の水は全て濁っていたが、少し落ち着いてきた者は道端で茶を沸かし、飯を食って酒を飲んでいた。
 食事は喉を通るものの、小さな揺れが続くので気持ちは落ち着かない。

 町内では金棒や割竹を鳴らして、火の用心を厳重に触れ歩くなか、どこからか老人がやってきて皆にまじないの歌を教えて歩いていた。

 「揺るぐとも よもや抜けじの要石かなめいし 鹿島の神のあらん限りは」

 この歌を皆が書き写して、家の戸口、あるいは大黒柱に張り付けたり、もったいなくも天照大神宮の御祓札おはらいふだを頭にいただき、まげにまじないの秘文を挟んだりした。

 ことに老人、病人、子供のいる家庭の者の不安はなんとも言いようがなかった。

 倒壊した家に押し潰され、またはものに挟まれたり、倒れた塀の下敷きになったりして叫んでいる者の声があちこちから聞こえ、医者が忙しく駆けまわっている姿をみるにつけ心配になり、夜が明けると今日は地震が来ないことを祈り、人々の顔は俗に「蒼い顔」というように不安で顔色が変わっていた。

 ただ、火の用心と盗賊には随分と用心し、油断なく日々を過ごした。
 流言飛語を言いふらして捕らえられるものも出た。
 盗みを働く悪党はすぐに天罰が下り捕まった。

 家々では、水鉄砲(消火器具)を用意して、火災予防に屋根に水をかけた。
 いつもは荒々しいこと好まない男性も土足になって、必死に水を汲み運んでいるのも面白かった。

 裕福な人の中には、火事や余震を避けて、藪や野原に食料を運んで、老人子供を避難させるものもいた。


 三日の夜もまた明けた。
 明け六つ時(午前6時)、やや曇り、雨がはらはらと降り出したが、雨が止むと朝焼けとなり、空一面がまっ黄色に染まった。
 この非常に恐ろしい光景を見て皆があれこれ言っている間にも、まだドロドロと地面が揺れ出した。

 古い家や土蔵が傾いて倒れかかっているのを、つっかえ棒をして支えている所が多数あった。
 引っ越しをする者が大勢出始め、あちこちが騒々しかったが、四日目も終わり夜は皆が疲れてまどろむうちに五日目となった。
 
 六日、七日、八日夜も空は曇ったが雨は少しも降らなかった。

 夜八ツ時(午前2時)、かなり大きな揺れがあって、皆慌てて大通りへと逃げ出した。
 人々は、七日七夜でもう地震も収まったか・・・と話していたが九日目に相当強い地震があった。

 今回の地震は誠に前代未聞の大災害で、ただ神に祈り仏を信じる以外にない。

 心得の歌にこういうものがある。

 雷は頭叩かれ地震とて尻つめられる天のお叱り

 この他、遺漏のあったものは後編に記す。
 この本は、この度の大災害を手紙で他国に知らせる人の役に立つこと、また後世まで残しておけばその心得になることを思ってここに記した。

  著者 京都在住 東鹿斎 

 
 これは、当時大阪市中に写本で出回った本である、多数写本を作って売ったという。
 大阪書林河内屋茂兵衛から私(馬琴)に送ってきたものである。
 この書は、江戸書林への手紙の中に同封されたものを三通見たが、どれも同文同筆だった。
 暇のあるものが写して、少しでも生活の足しにしたのであろう。
 
 なお、土御門つちみかど殿学頭、小島典膳殿が当時記した地震考が一巻ある。
 蔵版(版木で所蔵していること)なので書店にはないが、読んで心得になることが多い。


 以上、京大阪で出版された文政十三(1830)年の京都地震の手記を、曲亭馬琴が入手して「兎園小説 拾遺」に掲載したものを訳してみました。

写本が多く出回ったようですが、版元は、京松原通新町西ヘ入町の「みのや平兵衛」という人。

 この京都地震、余震がかなり長く続いた地震のようです。
 経験豊かな老人が、家の中に避難している人々を見て、建物の倒壊で圧死する恐れがあるので大通りに出ろと叫んで回っているのが興味深いです。

 なお、文政年間というと、シーボルト事件があったり、異国船打払令が出たり、社会不安の増大からか「お陰参り」(伊勢神宮への参拝ツアー)が流行した時代。

 日本は、地震などの天災が避けられない国ですので、こういう災害の記録は受け継いでゆきたいものです。


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