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第七十三話 「形に不似合臆病者の事」

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 根岸鎮衛著「耳嚢」 巻之十


 「形に不似合にあわざる臆病者の事」


 文化五年十一月十七日、知人が浅草観音に参詣に行った時に見た話である。

 上野から浅草までの沿道が群衆でごった返すなか、年齢は四十ばかりの頬骨の張った、髪を総髪の太たぶさに結った、ひと際目立つ侍が歩いていた。

 大変短い小袖に、丈の短い袴を穿いて、袖無しの羽織、朱鞘の大小を差していた。

 小柄な男だったが、その刀は五六尺もある際立って長い刀だった。

 その派手ななりの男が、広徳寺前の種物を扱う店の前を通った時の事、藩士風の侍三人が若党や草履取りを従えて行き違った際に、草履取りがその男の刀を見て、

 「それにしても並外れた長い刀だなぁ・・・」

 と独り言を言った。

 男がその草履取りの独り言を聞き止めて激高する。

 「おのれ、武士の刀を愚弄するとは何事だ!切り捨てにいたす!」

 そう言って、刀の柄に手をかけ目を怒らせる。

 「な、何分お許しください・・・・」

 草履取りは、真っ青になって土下座をして謝るが、男は承知しない。

 その騒ぎを聞いた若党達が立ち戻って、

 「この者は、田舎から召し抱えて来たものでございますので、ご無礼をお許しください」

 そう言って丁寧に謝る。

 それでも男の怒りは収まらず、主人の名を言えと迫る。
 若党は、主人の名前を告げるのもどうかと思い、急いで主人の所に戻って相談すると、主人三人も立ち戻り、男の前に小腰を屈めて丁寧に詫びを入れる。

 「私共の家来の失言、大変失礼をいたしました、どうかご容赦願いたく存じます・・・」

 「いや、何分堪忍ならん!」

 三人の武士が様々に詫びを入れるが男は頑固に聞き入れず、あくまで草履取りを切り捨てにすると言う。

 「・・・そうでございましたら、どうぞお好きなようになさって下さって結構。しかし、江戸広しと言えども、そのような長刀を帯刀するお方は今までお目にかかったこともございません、私の家来が失言申したのも道理ではござらぬか。腕に覚えがあるからこそ長刀を刷いているのでございましょう・・・私共もこのような短い刀を差しておりますが、短いなりに覚えがあって帯刀しております。私共の家来を切捨てなさると聞いて、お詫び申し上げたにも関わらず、ご承知頂けないのなら仕方がありません、我らが相手になりますがいかに・・・・」

 ・・・・男は、それを聞いて苦り切った表情で一言も発しない。


 その時、他の家中の侍達も口々に加勢する。

 「そこまでおっしゃいながらお返事がないとは・・・当然、この勝負、お引き受けくださいますのでございましょう、皆々、集まれ!」

 そう言うと、同行していた侍は言うに及ばず、同伴の若党や草履取り達もその侍を取り囲む。

 男は、振り上げた拳を下ろすわけにもいかず手持無沙汰のまま、そろそろとその場を立ち去ろうとする。

 この騒ぎを輪になって見ていた野次馬達からも、「長刀の大たわけ!」「大馬鹿者!」と口々に悪口が浴びせられる。
 往来にはみ出すほどに集まっている群衆の中では、誰が言ったかも分からず、男も仕方なく立ち去ろうとするが、なまじいに派手な格好をしている為すぐに群衆に紛れ隠れることも出来ず、その見苦しさは言いようがない。

 男は、ようやく細道に入ると、足早にその場を逃げ去ってしまった・・・・。

 「外に余りあるものは内に足らず」(外見を飾るものは中身に乏しい)というのは、まさにこういう事を言うのであろう。


 余談ながら、居合等をする時の標準的な刀の長さは、身長170~175センチであれば、二尺四寸(約74センチ)くらいらしいです。
 私もそうですが、素人程カッコつけに長い刀を持ちたくなるもの(笑)
 ただ、刀は長いほど熟練した人でないと扱いが難しいのは言うまでもありません・・・。




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