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第二十八話 「堪忍工夫の事」

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 根岸鎮衛著「耳嚢」 巻之五

 「堪忍工夫の事」より


 ある経験豊富な方から、私(鎮衛)が若い時に頂いた教訓である。

 他人との交際において、大勢の中には身の程も知らない愚昧ぐまいな者も多く、後先知らずにすぐに血気に走る者もいる。
 また、人前で公然と侮辱したり、無礼な振る舞いをする輩もいる。

 そのような者に対した時は、自分の身も命も顧みないほどの激しい憤りを感じるものだ。

 しかし、かねて主君に捧げている命を自分自身の個人的な怒りで失うことは「不忠」の最たるものである。
 また、父母から頂いた大事な体を、一時の戯れのような馬鹿げたことで捨てることは「不孝」の最たるものだ。

 ・・・しかし、怒りが激しい時は、そんな事を考える余裕はないかもしれない。

 そういう時は、その悪口をいう者、無礼な振る舞いをする者をよくよく見たまえ。
 その者達は、身の程も知らない大馬鹿者・たわけ者である。

 「このような大馬鹿者のために自分の身を滅ぼしてしまう者こそ、本物の大馬鹿者・たわけ者だ」

 ・・・と、すぐに理解すれば、激しい怒りも起きず、我慢も出来るものである。

 そうご教示頂いたのが、実に「格言」であると今でも思い出す。


 ・・・これは今でも心に停めておきたい素晴らしい格言だと思いました。

 さすが、下級武士の出身から勘定奉行、南町奉行など幕府の要職を歴任し、「名奉行」と言われた秀才、根岸鎮衛の「座右の銘」です。

 幕府の要職ともなると、出世競争や足の引っ張り合いも激烈だったでしょう。
 そういう時に、一時の感情に流されないように・・・という心のコントロールは全く、今でもそのまま通用するものです。

 「SNS」やネットの掲示板等でも同じで、感情のままに書き込む前にこの話をちょっと思い出すと、見ていてイヤな気分になる「罵り合い」も減るのかな・・そういう気もします。



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