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【ニ】
しおりを挟む・・・・それから数年が過ぎた。
お岩の父、田宮又左衛門も鬼籍に入り、伊右衛門が田宮家の家督を継ぎ当主となった。
もともと真面目な伊右衛門、御手先鉄砲組のお役目にも精を出していたが、ここにある問題が出来したのだ。
御手先鉄砲組の組頭、猪狩三郎と伊右衛門の反りが合わなかったのである。
この猪狩三郎という男、ほとんど酒乱と言っていいほど酒癖が悪く、人の好き嫌いが激しい気難しい男であった。
猪狩は従前から、田宮又左衛門の娘、お岩が醜い容姿であることを知っている。
そこに婿養子として入り込み、自分の部下となった「元浪人」の伊右衛門を「御手先鉄砲組のお役目を不器量の娘を引き受けることで買った」と頭から小馬鹿にしていた。
その態度は普段、伊右衛門に接する時にもあからさまに顕れていたが、伊右衛門は上司のそんな態度を見ない風にして過ごしていた。
「・・・どうだな、最近夫婦仲は・・・お主の奥方は傾国の美女だと聞いておるから、夫婦生活もさそ楽しかろう・・・ウワハハハッ!」
猪狩は、伊右衛門が組頭・・・つまり上司である自分に一切楯突く事が出来ない身分であることを幸いに、組の同心達が大勢いる前でそう言い放った。
この時代、主従の関係は絶対である、上司である猪狩に睨まれれば、ゆくゆく自分の不利益になるのは伊右衛門もよく判っていたのだ。
・・・これもお家の為、お役目の為・・・辛抱だ・・・・
彼は自分を毛嫌いし、妻の容姿を誹謗し、陰湿な虐めを繰り返す猪狩を前に、煮えくり返る腹の内をグッと堪えて役目を続けていた。
・・・ところが、ある日それがとうとう爆発してしまったのだ。
この時代、武士、町人を問わず酒宴は大変に多かった。現在と同じで、この時代の人々も酒が大好きだったのである。
そして、特に日頃の役勤めでストレスの多い武士の酒宴は荒れることが多く、また陰湿なイジメの舞台となることも多く、それが過ぎて刃傷沙汰になることもあった。
西の丸の御書院番、松平外記の江戸城内での刃傷沙汰などもその最たるもので、陰湿な新参いじめから端を発したものである。
その夜も、手先鉄砲組の同心、二十人ほどが大広間に集まって酒を飲んでいた。
皆、思い思いに他愛のない茶屋女の艶話や、城内の噂話などに花を咲かせていたが、料理の大皿を囲んでいたある同心がふと両国の見世物小屋の話を始めた。
「おい、お前たちは両国の見世物小屋を観たことがあるか?」
「いやあ、俺達武士はそんな下賤な所には行かんものだ、お主、入ったことがあるのか?」
「ああ、この間コッソリ覗いてきたんだが、これがバカバカしい、丹波の山奥で生け捕った大鼬(いたち)をご覧に入れます、というので木戸銭を払って入ったのだが・・・ワハハッ、これがなぁ、大きな板に血が塗ってあって・・・大板血(おおいたち)という駄洒落よ!」
「わはははっ、そりゃ傑作だ!・・・・いっぱい食わされたな、お主」
「まあ、あそこの見世物もピンからキリで、お化け屋敷なんぞは女子供は泣き叫ぶほどよく出来ているという話だぜ」
・・・・その部下たちの話をも茶碗で酒をあおっていた猪狩三郎が小耳にはさみ大声で笑った。
「ウワハハハッ、お前たち、バケモノなんぞは両国のお化け屋敷くんだりまで行かずとも、この御手先鉄砲組の組屋敷でも見られるじゃねえか!ある屋敷の奥方を拝見すりゃ両国のお化け屋敷なんぞよりずっと恐ろしい上に木戸銭もタダときたもんだ!」
・・・・それは、伊右衛門の妻、お岩のことを言っているということは、その場にいる誰もが理解した。
同じ鉄砲組同士の仲間内でも、田宮家のお岩の要望が醜いことは知れ渡っていることなのだ。
相当酔っているらしい組頭の猪狩の、この陰湿なあてつけに対し、ある者は追従の乾いた笑い声を上げ、心あるものは内心の不快感を顔に出さないよう努め沈黙を保った。
・・・・その時だった。
「猪狩っ、貴様っ!・・・それは誰のことかっ!もう堪忍ならないっ、覚悟しろっ!」
大皿の隅で、刺し身を突きながら酒を飲んでいた伊右衛門の形相が突然変わり、いきなり立ち上がると組頭の猪狩に突進していったのだ!
伊右衛門は血相を変えて猪狩に杯を投げつけ、畳の上の大皿や徳利を蹴散らし、彼に組み付いて殴りつけた。
「普段から俺にあてつけがましい態度を取りやがって、今のは一体誰のことだあっ!猪狩いっ!」
普段は大人しい伊右衛門が、まるで人が変わったように大声で上司である組頭を殴りつける。
かなり酒量がすすみ、相当出来上がっていた回りの同心達も、これはマズいと思ったのが、血相を変えて慌てて杯を投げ捨て、4人がかりで後ろから伊右衛門を取り押さえにかかる。
「田宮っ、やめろっ!まあ落ち着け・・・落ち着け!」
「ええいっ、どけっ!邪魔をするなっ、言えっ!今のは誰のことかっ!」
完全に逆上している伊右衛門を数人がかりで抑えようとするが、普段大人しい者ほど、爆発すると手がつけられない。
畳を這うように逃げる猪狩の後頭部を伊右衛門は何度も殴りつける。
大広間は修羅場となり、騒ぎを聞きつけた他の部屋から別の組の同心たちも駆けつけ、その場はなんとか収まったもののその後始末は大変難しい問題となった。
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