【令和カストリ小説】「焼け野原の夜空」~昭和22年、和夫の初恋~

糺ノ杜 胡瓜堂

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第三話 「青空のファーストキス」~和夫の初恋と、美音の美しい母~

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 上野からほど遠い小さな村落の外れに、戦後の喧騒とは没交渉のようにポツンと建っている一軒家。

 そのさほど大きくはないがしっかりした家の縁側に座っていた少女・美音みおん
 聞けば、和夫より2歳年上の◯◯歳だという。

 「・・・・ねっ、今オレンジジュースとチョコレートを出してあげる、待っていて!」

 美音は、白いワンピースのスカートをヒラリとなびかせると家の奥へと入っていた。
 和夫の目に飛び込んできた真っ白な白いふくらはぎが、彼の心臓を早鐘のように高鳴らせる。

 「・・・・はいっ、どうぞ!食べて!」

 美麗は、小綺麗な小皿に板になったチョコレートを丁寧に小分けにして持ってきた。
 進駐軍・・・つまり駐留米軍から流れてきたものなのだろう、英語のラベルの書いてあるオレンジジュースの瓶からコップにジュースを注いで和夫に差し出す。

 和夫は目を丸くする・・・・今の御時世、どれもとびきり高価で貴重な品ばかりである。
 闇市で買えないことはないが、チョコレートなどは目の玉が飛び出るほど高価なものだった。

 和夫にとって甘味と言えば、ごく稀に闇市で一杯10円もするサッカリンの毒々しい甘さのついた薄い汁粉を飲むのが精一杯だったのである。

 「・・・えっ?・・・いいの?」

 「ウフフッ、だってあなたの為に出したんだもの、もちろんよ!・・・・可笑しいヒトねぇ!」

 和夫はおずおずと目の前の皿に乗せられたチョコレートに手を伸ばし、一口頬張る。
 全身が蕩けるような甘さ!・・・・甘いものに飢えている和夫にとっては、それは信じられない美味なものだった。
 和夫はあっという間にチョコレートを全部食べ尽くし、オレンジジュースを一気に喉に流し込む。

 「・・・・ウフッ、どうかしら?・・・美味しい?」

 「・・・・うんっ、スゴく甘い!!ご馳走様っ!・・・ところで君はここで何をしているの?」

 近くの村落とは没交渉のようにボツンと離れたところにある家、こんな寂しい所で彼女はいったい何をしているのだろう?
 美音の小綺麗な身なり、とびきり高級な菓子類・・・・和夫は彼女の事を知りたくなった。

 「・・・お母様が市場いちばへお買い物にいっているから、お留守番よ・・・・」

 彼女が市場と言ったのは闇市のことだろう。

 「ふ~ん、お父様はお仕事?兄弟はいないの?」

 和夫は、無遠慮に立て続けに疑問をぶつける。
 美音は顔色一つ替えずに、彼女特有のクールな目で遠くを見つめて答える。

 「兄弟はいないわ・・・・お父様は、兵隊にとられて戦地で死んでしまったの、今はお母様と此処で二人暮らしをしているのよ」

 「・・・・そ、そうだったの・・・・ごめん・・・」

 戦争が終わってまだ2年しか経っていないこの当時、身内を戦争で亡くした者も大勢いた。
 幸いな事に和夫の家では父も復員し、母や兄弟も皆無事だったが、上野界隈には親を亡くした戦災孤児や、身寄りのない復員兵、傷痍軍人が浮浪者となって大勢たむろしている。

 和夫は自分の迂闊な質問を悔いた。

 「・・・・いいのよ、済んだことなんだし、父親が戦争で死んだのは私だけじゃないんだから」

 これはずっと後に彼女から聞いた事なのだが、彼女の父は、ある新聞社の記者だったが、労働組合に好意的な論評の記事を書いたため、軍部の怒りに触れ「懲罰的召集」でビルマ戦線に送られ未帰還・・・戦死認定されたのだという。
 戦争中は一般国民にはその真相が一切知らされていなかった、この世の地獄・インパール作戦。
 彼女の父親もその凄惨なビルマの山中で亡くなったのだろう。

 「・・・・お母様は・・・どこかで働いてらっしゃるの?」

 「お母様は・・・・そんなことより、あなたの話を聞かせて欲しいわ!ねっ、上野の駅はどんな感じなの?電気が点いたって本当?ラジオで歌が聞けるの?」

 美音はこの家からあまり外には出ないのだろうか・・・・しきりに復興著しい都市部の話を聞きたがった。


 ・・・・和夫と美音はすっかり打ち解け、その日以来、和夫は学校が終わると美音の家に足繁く通うようになった。
 美音は、三町ほど離れた草の生い茂る空き地に、大量の空薬莢が埋められている事を教えてくれた。
 終戦の混乱で軍の高射砲部隊が撤収したとき、慌てて埋めていったものだという。
 和夫は飛び上がらんばかりに喜び、美音に何度も礼を言った。
 質の良い真鍮である大きな空薬莢を二、三抱えていくだけで、宮田のおじさんからはけっこうなお小遣いを貰えた。
 和夫は以前のようにあちこちを当てもなく彷徨うろつくことなく、小遣いを稼ぐことができるようになったのである。

 ・・・・ある日、和夫と美音がいつものように、縁側で楽しそうに話していると、一人の婦人が玄関口から回ってきた。

 和服ではあったが、美音同様に小綺麗な身なり、卵型の色白で美しい顔に、美音にそっくりの大きな切れ長の目、ややカールをかけた長い髪を束髪にした和風の髪がとてもよく似合っている日本美人だった。

 ・・・・和夫はこの人が美音の母親だと直感した。

 「・・・・あらっ、美音っ、お友達?」

 「あっ、お母様・・・今日は早いのねぇ!・・・こちらは和夫くんっていうの!」

 「は、はじめまして!おじゃましてます・・・・僕は押山和夫といいます!」

 美音に紹介され、和夫は慌てて学◯帽を脱いで、ペコリと頭を下げる。

 「・・・・和夫くんっていうのね、はじめまして!美音の母です」

 この三十代半ばの美しい和風美人が美音の母、淑子よしこであった。

 ・・・・ここでも和夫は少々奇異な感じに打たれた。
 小綺麗な身なりをしている美音同様、浮世の苦労を感じさせない垢抜けた服装と清潔な髪・・・健康そうな血色の良い顔。

 ・・・・美音ちゃんのお母様、とっても綺麗な人だなぁ・・・一体何をして暮らしている人なんだろう?・・・どこかの華族様なのかな?

 和夫は、最初に美音に会った時にそれを彼女に聞いたが、答えを貰っていなかった事をふと思い出した。

 ・・・・美音の父、つまり淑子の夫が招集されて戦死したのは聞いているが、遺族に支給される軍人恩給だけではとても食べてはいけない世の中である。
 美音の美しい母が何か仕事を持っているにしても、それが一体何であるか・・・和夫には想像だに出来なかった。


 ・・・・その後も和夫は、足繁く美音の家に通った。
 和夫は彼女とのお喋りがとても楽しかった・・・一緒にいる時間がとても幸せだった。

 要するに、和夫は美音に恋をしていたのであった・・・・彼の初恋である。

 美音の母・淑子もたまに買い出しから早く帰宅し、高級なビスケットやチョコレートを出してくれた。


 ・・・赤トンボの大群が空を覆う夏の終り、和夫はついにずっと思っていたことを美音に告げた。

 「・・・・・美音ちゃん・・・・僕・・・美音ちゃんのことが・・・・」

 ・・・・美音は猫じゃらしを弄んでいた手を止めて、吸い込まれるような美しい目で和夫を見返した。

 「・・・・・和夫くん?・・・なあに?・・・・」

 「・・・・・」

 しばしの沈黙のあと、和夫は勇気を振り絞って告白する。

 「僕、美音ちゃんのことが・・・・好きだ!」

 「・・・・・」

 一瞬驚いたように目をパチクリさせた美音だったが、嬉しそうに笑って和夫に向かって答える。

 「・・・・ほんと?ありがとうっ!和夫くんっ・・・私も和夫くんのこと、好きよ!」

 和夫は震えるほど嬉しかった。
 これから和夫と美音は「友達」から「恋人同士」になるのだ!

 「・・・でも・・・・」

 和夫を小躍りさせた後、美音の顔から笑顔が消える・・・いつもの涼し気な・・・見方によっては、ほんの少し冷たい眼差しに戻って空を見つめる美音。

 「・・・・?」

 「私・・・・和夫くんが思っているようなコじゃないのよ・・・それでも・・・それでも良かったら・・・「恋人」になって欲しいな・・・」

 和夫は、美音の言うことが理解できなかった。
 どこまで行っても美音は美音である・・・・自分が美音を思う気持ちはどんなことがあっても変わらないというのに、一体何があるというのだろうか。

 「・・・・僕は美音ちゃんが好きなんだ!美音ちゃんの全部が好きなんだから、どんなことがあっても気持ちは変わらないよ!」

 ・・・・和夫は言い切った。

 「ありがとう!和夫くんっ!」

 縁側で隣に座っていた美音が突然、和夫に抱きついてキスをする!
 ・・・和夫は一瞬驚いたが、そのまま弛緩したように、彼女の甘い唇を堪能する。

 ファーストキス!・・・和夫の甘酸っぱいファーストキスだった。
 

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