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20話 【病魔法―カルキス―】
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「危ない所でした、後数センチズレていれば心臓に突き刺さっていたでしょう。とりあえず命に別状はありませんが怪我が治るまで絶対安静ですね、激しく動けば傷口が開いてしまうかもしれません」
「そう、か……助かった」
包帯を巻かれたレアをクラトスが痛々しく見つめる。
現在時刻は夜中の2時、ロプスはクリオスマギアーとの戦いに形勢不利と見たのか逃げ出してしまいクリオスマギアーはそれを追って行った。
ゼロスの事も気になったがそれ以上に今の容体のレアを放置する訳にも行かず病院に駆け込んだ。
レアが治療を受けている間にアレスへの連絡を済ませたのでもうすぐ此方に来るだろう。
「仲間がくるから、案内してくる……レアを頼む」
「解りました」
重い体を何とか持ち上げて病室を出る。
外に出た途端、全身が鉛の様に重くなった気がした。
「……軽率、だったな」
改造人と戦うゼロスを追っているのだ、改造人と戦う事だって当然可能性としてあるべきだった。
毎日ひたすら歩くだけの調査に嫌気が刺して話し相手でも欲しいと思っていた所にレアから声を掛けられて連れてきてしまった自分のミスだ。
明日は新月であろう月明りの見える中で重い体を引きずる様に外に出る。
夜風が頬を撫でる中、遠くの方からディータやアレス、トリトにローデ、そしてコレ―が走ってくるのが見える。
レアが怪我をしたと聞いて深夜を回っているのに駆けつけたのだろう。
「こんっの!! ばかものがああああ!!」
「ぐ!?」
「ディ、ディータさん!?」
駆けつけてきたディータがまず、クラトスに飛び蹴りをかました。
仕方の無い事だろう、レアを危険に晒したのは間違いないのだしあのディータだ、子供に関しては人一倍感情的になる。
その証拠にここまでずっと全力で走ってきたのだろう、汗だくで飛び蹴りにも今一つ力が乗っていない。
突然の事にローデは驚いているが着地すら考えて無いディータはそのままの勢いで地面に突っ伏してしまう。
「大丈夫か? とりあえず落ち着けディータ。クラトス、レアの容体はどうなんだ?」
「あ、ああ……命に別状はない、数日は安静にして欲しいと言っていたがな」
「ほ、それは良かったデス」
アレスの冷静な言葉が自分の事も冷静にしてくれる。
そもそもアレス達はレアの安否すら分かって無かった、クラトスの言葉にとりあえず胸を撫でおろしている。
ぐったりしてるディータの方はアレスが起き上がらせてる。
「大事にゃなってねぇようだが様子を見て平気そうなら最低限の人数だけ残って帰るぞ?」
「そうですね、兄さん……えっと残る人は」
「ワシは、残らせて貰うぞ……」
「クラトスサンはどうしマス?」
「残る、残らせてくれ」
「そうだな、その方が良いだろう。そんなに頭数が残っても仕方ないクラトスとディータが残って俺達は様子を見て帰るぞ?」
*
ここは、何処だろう?
そう呟いた様な気がするアタシの声も即座に真っ暗な闇に消えていく。
堕ちている、のだろうか? 闇に浮いていて上も下も右も左も解らない。
熱も色も味も匂いも音も感じられない場所を生まれたままの姿で漂っている。
羞恥心なんてこの場で考えるほどの余裕は無い。
裸のままゆっくりゆっくりと堕ちていくその姿を俯瞰して見つめる。
ああ、そっか。
これ――死、なんだ
そう呟いた思う音すらも闇に消えていく。
本当なら怖くて怖くて仕方の無い筈なのにアタシはその闇をぼんやりと見つめていた。
怖い、そう怖い筈なんだ。
街に住んでいたアタシは怪獣という被害には合わなかったかも知れない。
だがその代わりとして、ずっと見ていたものがある。
あの時の皆も、ここに来たのかな?
アタシがまだ八歳頃の話。
クレータの街でとある病が流行した。
百歳を超えた老人にしか発症しない病で体の様々な部分が次々と悪くなっていき最終的には死んでしまう奇病だ。
発症する理由も解らない、そんな人々が沢山入院する病院で働いた事がある。
孤児園ではやがて来る独り立ちの準備の為に街の様々な施設でお手伝いをするので、その一環で働いた。
その仕事を二年間、その二年間はアタシが死を見続けた二年間だった。
日々細くなり骨と皮だけになっていく身体、様々な苦痛から死にたくないと泣き叫ぶ人。
血を吐き出した人、内臓が真っ黒になっていた人、呼吸困難を起こして咳き込む力も無くなっていった人、様々な病気で死ぬ人を見た。
アタシも、あんな風に死ぬと思っていたけど
思い出すのは痛みで気絶する前に見たあの光景。
背中から胸を貫通するように鉄芯が突き刺さっていたあの光景。
血がだらだらと流れ落ち身体から力がぬけていく感覚。
自分がこの場所に堕ちていく感覚。
その感覚を感じるたびに吐き気を感じる、気持ち悪い何かの色を見ている。
こんな風に、死んじゃうんだ。
なんて――寂しいんだろうか。
嫌だ、こんな所で沈んでいくだけ何て嫌だ、誰も居ない場所で一人消えていく何て嫌だ。
やりたい事なんて山ほどある、食べたい物だって沢山ある、見たい本だって劇だってある、それに――それに、恋もデートもしたことない。
恋をする様な女の子になったことも無いんだ。
生きて、いたいな――
誰もがそう思って生きていた。
アタシはアレスさん達と旅に出て様々なモノを見た。
きっと街の中で暮らしていただけならこんなにも強く願わなかっただろう。
だって。
アタシ、旅の間にも色んな死を見たんだから、あんな風に、まだなりたく無いって思えるんだから――
*
「う……ん?」
「おぉ!? レア! 目を覚ましたか!? おーい! ナース、クラトスー! 起きたぞー!?」
目に光が入る眩しさに自然と目が開いていく。
薬品の臭いがしてその次に全身がじんわりと痛みを感じる。
特に胸が痛い、意識がぼんやりと明滅する中で”痛い”だけがレアを現実に引き戻している。
天井をぼんやり見つめる中、ディータの声が聞こえる。
(あれ? なんだろう、これ……?)
レアの意識がハッキリし始めて最初に感じたのは、何かの流れだ。
体の中に何かが流れ循環している、レアはその正体を自然と理解していた。
血液が流れている、何を当たり前の事を言っているのか疑問に思うが血液がどんな風に流れているのかを正確に”視る”事ができる。
「気分はどうかの? レア、体は痛むか?」
ひょっこりと視界の端からディータが顔を覗かせる。
心配そうにしている表情ではあるが何時ものように優しい眼差しでレアを見ている。
その表情が、ぐにゃりと腐って崩れ落ちる、頭髪が抜け落ち骨と皮だけになっていく。
そして寄生虫が蠢き虫を吐く、皮膚が黒くなってぶくぶくに膨れた皮膚が腐った果実の臭いを放ちながらカビにまみれていく。
イボのようなものが泡立つ様に現れた後顔が真っ赤に染まっていく。
その刹那にレアはディータがあらゆる病気で死ぬ幻を”幻視”した。
勿論、12歳の少女がそんな情報を凄まじい量で見てしまえばまともでは居られない。
「およ? レア……お主目が――」
「ううああああああああああああああああああああ!?!?!?!?」
全身が痛む事なんて気にする余裕なんてない。
気がついた時には己の目に指を突っ込んで眼球を潰してしまおうとしていた。
*
「ふむ、病気が視える、とな?」
「ああ、そう言っていた、生物のあらゆる病状が視えてしまう、とな」
「どういう事だ……? そんな症状聞いたことも無いが……」
自らの目を潰そうとするレアを押さえつけて何とか目隠しをした。
それでも何かを感じられるのか、アレスを呼ぶまでまともに話しが出来ない状況だった。
アレスは身体に生体部分が無い為レアの眼では病状を見る事が無く、それ故にようやく話を聞くことが出来た。
「今、どうしておる?」
「ようやく話しが出来た安心と疲労から眠っている……そうだな、前にディータが陥った魔力切れに近い症状だな」
「魔力切れ?」
「ああ、あの眼は魔法と同じ要領で発動させているようでな。意識を失うと共に眼の効果も無くなっていた」
「……成程、俺のケラブノスの様に突然使えるようになった魔法、なのか?」
相手の様々な病状を幻視する魔法、勿論そんな魔法クラトスもディータも聞いたことが無い。
そもそも、それは魔法なのだろうか。
「俺の時代にあった磁力と電波で全身を検査する装置に似ているのかと思ったが大きく違う。病状が見える、と言っても今ディータやクラトスの身体は健康そのものだ。それなのに様々な病状が見えるとは……」
話を聞いた所レアが見たと言う病状はどれもこの時代ではありえないものだった。
遺伝子改造を受けた今の人類は過去のあらゆる病状を克服している。
レアの話しを聞いた限りその症状はどれも今の人類には発症しない症状だった。
「魔法については俺は何も解らない……何か二人からレアに伝える事はあるか?」
「ふむ、そうじゃの……魔法の暴走はワシは苦い経験しかないのじゃが」
「オレからは、そうだな……落ち着いて見る事だ。魔法である以上制御は可能な筈だ」
「解った、状況はなるべく伝える様にする……二人も一旦休んでくれ、昨日から眠っていないだろ?」
レアの事が心配だったのかディータとクラトスは一睡もしていなかった。
流石に疲れが出始めているのか二人とも何処か憔悴していた。
「う、うむ……先ほども医者に言われてしまった」
「……解った、オレとディータは一度船に戻っておく。だが注意してくれ、改造人が再びレアを狙ってくる可能性もある。オレはひと眠りしたら夜にもう一度くる」
「む、それはワシもじゃ」
「よし、なら夜は二人に任せる、何とか夜までにレアの魔法を落ち着かせてみる」
*
「う、うぅん……」
「起きたか、レア。気分はどうだ?」
「あ、アレスさん……うん、少し頭が痛くてだるいけど大丈夫……アタシの眼、まだ光ってる?」
ディータ達が帰ってそれなりに時間が経ち太陽が真上に来た頃レアが目を覚ました。
起き上がることも無くぼんやりとアレスを見つめている。
「ああ、まだ光っているな……クラトスからアドバイスだ、魔法なのだから制御は可能かも知れない、と言っていた。とりあえず落ち着いてみるのはどうだ?」
「そ、だね……魔法みたいだし、とりあえず落ち着いて、見るね……」
瞳を閉じてゆっくりと深呼吸を始める。
周りには何も音が無く、自分の呼吸音と心臓の音だけが耳に聞こえてくる。
そんな静かな空間でレアはあの時感じた自分の血液が流れる感覚を感じていた。
自分の胸、心臓から手足の末端まで何処を通って血液が流れているのかを眼を閉じているのに視ている。
(新しい魔法が使えるようになった、って言ってたけど……これって魔法なのかな? ん?)
深呼吸をしているとふと、何かが変わった気がする。
何がと言われても確信は得られない、自分の中にある何かが形を成していく、そんな気がする。
形の無いモノがぐるぐると渦巻いて何かに変わっていく、不思議な事にその過程に何も感じない。
その感覚が、何も感じられないからこそ――
「怖い……」
「え?」
「ぁ、ごめんなさい……落ち着いていると、なんだか体の中で何かが渦巻いてて……」
「渦巻く? ……ディータが言っていた魔力の事か?」
「そう、なのかな? えっと、その……解らないの、なにも……」
「慌てる必要はない、俺は魔法の事は解らないから何もアドバイスが出来ないのが心苦しいが……」
「うぅん……アレスさんが居てくれるだけでも、アタシ嬉しいよ? ……え、えっと……その、お願いがあるんだけど、いいかな?」
少し照れくさそうに目元までを毛布を被ってじー、とアレスを見つめている。
今から言うお願いとやらが恥ずかしいのか照れているのか目線をきょろきょろと動かしている。
「どうかしたのか?」
「えっと、その……手を、握ってて欲しいんだけど……ダメ?」
「ふ、ダメじゃないさ」
可愛らしい要求にロボットであるアレスですら頬が緩みそうになる。
機械の硬く冷たい手を握っている筈なのにどこか温かさを感じる気がする。
「アレスさんって、お兄さんかお父さん見たい……」
「む?」
「あ、えっと、ち、違うの……あ、あはは、何言ってるんだろうアタシ」
「……俺は家族というのは良くわからない」
「家族……前にコレ―さんが言ってたよ? アタシ達、船の皆、家族見たいだって」
「船の、皆が……そうか、そう思えるのなら、いいものだな……」
*
「……ゼロス」
病院から出て直ぐ、クラトスは立ち止まってその名を呼ぶ。
ディータは先に帰らせたので一対一で話すことが出来る、というよりエルフ特有の能力で病院に植えられている木から情報を得たのもある。
「……バレてたか」
「エルフだからな……久しぶりだな、ゼロス」
久しぶりに会った親戚の顔はどこか疲れている様に見えた。
朱色の髪の毛もどこかぼさぼさで伸びっぱなしで筋肉が付いたのに少し痩せてしまっている。
明らかに無理をしているのが解る、あの鎧の下でどんな無理をして戦っていたのかを今のゼロスを見ているだけで嫌でも理解できてしまう。
「あの改造人はどうなった?」
「逃げられた、異様に頑丈に作られていてな、ここに来て改造人のスペックを上げてきた……」
「そうか、今後はオレも手伝えるだろう。改造人を作っている奴らの正体も知っている」
「え? クラトス兄さん、それって本当?」
『その話は本当か?』
「む?」
ゼロスの手首に巻きつけられている腕輪が喋る。
人とは思えない感情の起伏が少ない声、しかしクラトスはこの手の声に心当たりがある。
「AIの声か?」
『ほお、此方の事も解っているとは……ゼロス、これはかなり良い情報が得られそうだ』
「あ、ああ……クラトス兄さん、どこまで知ってるんだい?」
「ふむ、どこまで、と言われるとそうだな……」
*
「旧人類……500年前の人、そいつらが改造人を作っている、のか?」
「予想ではあるがな、友人曰くこの技術は今の人類には作れないらしい」
『なるほど、それなら納得だ……よもや500年前の人類がそんな事を考えていたとは』
旧人類が改造人を作っているであろう事、旧人類が戦争を仕掛けようとしている事。
クラトスの話しはゼロスにとって十分信じられる情報だ、これまでの戦いやAIから聞いた情報を含めればありえないと断ずる事ができない。
「その友人っていうのは……?」
「500年前に作られて封印されていたロボット、鉄のゴーレムだ」
「それ、大丈夫なのか……?」
「友人は、アレスはそんな奴じゃない。オレも最初は疑ったが命を助けられた事もある……一緒に旅をしててむしろ旧人類の事を知りたがっている」
「……そうか、クラトス兄さんがそう言うなら信じるよ」
クラトスの目には一片の曇りも無い、迷い一つ無くアレスを信じている。
「それに、今レアを看病しているのはアレスだ、あいつは親身になってレアを見ている」
「レア、あの子の事か……助かったのかい?」
「命に別状は無いが、絶対安静だ……ゼロス、その事で頼みがある。あの改造人はレアに固執していた様に見える。恐らくまた彼女を狙ってくるかも知れない……オレが戻ってくるまであの子を守ってくれ、勿論アレスもいるしオレもひと眠りしたら戻ってくる」
「解った」
『ふむ、これは忙しくなりそうだな』
「そういうなって、所でクラトス兄さん」
ゼロスの雰囲気が少しだけ明るくなった気がする。
今までずっと一人で戦ってきたのだ、ここで味方ができるというのは嬉しい事だろう。
しかし、ゼロスの口から出てきた言葉はクラトスの予想を大きく超えてきた。
「あの子えらい大事にしてるじゃん? 狙ってるの? ちょっと小さいけどギリギリイケそうじゃない?」
「何を言ってるんだお前は」
「え、クラトス兄さんあんなにあの子を大事にしてるんでしょ!?」
「確かにレアは大事だが、いや待てそういう目で見ている訳じゃないぞ!?」
ゼロスの言いたいことがようやく解った。
彼の言いたいことはつまり、レアを女性として狙っているのか、と言うことだ。
勿論クラトスはそんな風にレアを見た事は無い。
レアはまだ幼い、12歳のレアをそういう目で見るのは、何というか大人の自分がやっては行けない様な気がする。
「マジ!? この前だって二人で調査してたじゃないの!?」
「あれは付いてきたいと言われたから仕方なく連れて来ただけだ!」
「え~でも結構仲良さげだったじゃんよ」
『此方から見ても仲睦まじく見えたがな』
「解せぬ……! あ、あの子は12歳だぞ!? 成人まで後6年もある!」
「いや、俺だって今年成人したばっかりだけどさ。6年って結構あっという間だよ?」
『そうだな、今日で7月7日……ゼロスと出会って半年以上が過ぎたが、時間が過ぎるのはあっという間だった』
「そういう、話しでは、ないだろう……!? 大体レアは――」
ゼロスは久しぶりに浮ついた話が出来ているからなのかとても楽しそうだった。
最初にボロボロになった彼を見ているが故にあまり強く言うことも憚れる。
少しでも、年相応の時間を彼が取り戻せている、それが一番大事な事だった。
*
――これは、夢だ。
そう理解するのに時間はかからなかった。
真っ暗で自分の身体すら見る事の出来ない場所に浮いている。
(何て言うんだっけこれ……めーせきむ? でも、全然動けないなぁ)
ふわふわと何もない空間を漂っている。
あの時と同じ空間だろうか?
(……違う)
違う、あの時と違って堕ちていく感覚も押しつぶされそうな恐怖もない。
闇という水面に浮かんでいるだけ、ならこれは只の夢なのだろう。
(変なの……暗いのに眼を空けている感覚がある、閉じていても開いていても同じ空間しか見えないなら視界の意味なんてないじゃない)
眼、そうだ眼だ。
レアというアタシの眼は何を見る様になってしまったのだろうか。
人が病気になっている姿を見る眼、魔法と言っていたが何となく、そうじゃない気がする。
(多分、これって……魔法じゃなくて――)
アタシの中で何かが渦巻いていく、あの時と同じアタシの中に何かが形成されていく。
あの時は漠然と恐怖を感じていたが今は違う、この闇に浮かんでいるからより鋭くこの感覚を感じられる。
ぐるぐる、ぐるぐると、アタシの見えないアタシの中に何かが完成していく。
ぐるぐる、ぐるぐると、作られた何かがアタシの中を駆け巡って全身を満たしていく。
どれほどそうしていただろうか、この闇の水面では時間という概念なんて存在しないのだろう。
今この瞬間出来ている気がする、遠い昔に出来ていた気がする、何時かの未来に出来ている気がする。
(そうか、これ――)
呼吸を一つ、それを感じられるようになる。
呼吸を一つ、本当に見える物を感じられるようになる。
呼吸を一つ、アタシの中に居る物に語りかけられるようになる。
知っている、判っている、眼に見えないあの子達を感じる事が出来る様になる。
そうだとすればやっぱりこの眼は魔法なんかじゃない、何て言うべきだろうか。
きっと偉い学者でも歴史の研究家でも500年前の人でもこれを説明できる人は居ないと思う。
普通の人が持っている視覚でも聴覚でも触覚でも味覚でも嗅覚でも判別できない六つ目の感覚。
それを得たからこそ理解できる。
アタシの血管に流れているあの子達の事を――
「皆が――魔法を使わせて、くれたんだね?」
*
「……あ」
目が覚めた、嫌さっきから目を覚ましてはいたのだが身体が目を覚ました。
辺りは暗い、アタシは何時の間にか夜まで眠ってしまったのだろう。
部屋には誰も居ない、そういえば寝る寸前にアレスさんはアルゴナウタイで問題が起きたとクラトスさんと入れ替わる形で出て行ってしまったのを何となく覚えている。
「……ああ、そっか。あれ?」
現状を理解した後、視界が妙にすっきりしている事に気がつく。
天井を見る視界は何も変わらないが窓の外をぼんやり覗いてみれば一本の木が見える筈だ。
さっきまで生命を見れば吐き気を催すような光景を見ていたのだが今木を見てもそんな光景は見えてこない。
そういえば目が光って見えると言われたが鏡を見てもそんな様子は見られない、見られないが。
(アタシの目……こんな色だったっけ?)
自分の眼が、不思議な色合いになっていた。
アタシの目は青空の様な色なのだが今は緑とオレンジの二色が混ざったリングの様な物が虹彩の部分に掛かっている。
これはなんだろう、と思わず触れそうになっていると――
「……ん?」
病室の外からひたひたと裸足で人が歩く音が聞こえる。
壁にかけられた時計は既に午前1時を廻っている、こんな時間に、靴も履かないで、看護婦やお医者さんが歩いているのだろうか。
勿論、答えは否だ、足音はゆっくり、ゆっくりと緩慢に近づいてくる。
思わずベッドから降りて後ずさりしてしまう。
正直言って怖い、恐ろしいものが近づいてきているのが解ってしまう。
ぎぎ、と古くなってきた病室のドアが開かれて外の空気が入ってアタシの頬を撫でる。
「レ”ア”……み、づげ、だ……」
「……ロプス、兄さん」
部屋に入ってきたのはズタボロの布切れを着たロプス兄さんだった。
大きな単眼をぎょろぎょろと動かし唾液を垂らしながらアタシを見てにたり、と笑う。
知っていた、解っていた、ロプス兄さんは何故かアタシに固執している。
改造人にされる前の記憶がそうさせているのか、それとも何か理由があるのかは解らない。
今度あの怪力をぶつけられれば今度こそ死んでしまうだろう、恐らくロプス兄さんの意図とは無関係にあの怪力は人を殺してしまう。
(逃げないと……此処に居たら、殺されちゃう……!)
緩慢な足取りにも関わらずロプス兄さんはアタシを逃すつもりは無いのだろう、すり抜けて病室を飛び出すなんて逃げ道は既に絶たれている。
狭い病室では逃げ回るなんてことも出来ないだろう、助けを呼んでもその前に頭を握り潰されて終わるだろう。
だからアタシは背中を窓へと向くようにじりじりと動いていく、力では勝つことのできないアタシが唯一取れる退路。
「レ”ア”ア”ア”ア”ア”ア”!!」
放たれた弓の様に飛び出したロプス兄さんは止まることなど考えていないだろう。
そうでないと困る、そうでないと退路の意味はない。
――問題は、此処が何階であるかという事だけだ。
「――止まるな!!」
それは誰にかけた言葉だろうか。
血走った目で私に組みついて来ようとするロプス兄さんへだろうか。
それとも覚悟を決めたのに足が竦んでいた自分への喝だろうか。
兎も角アタシは窓を開け飛びついてくるロプス兄さんの勢いを殺さない様に後に飛んだ。
アタシの服を掴んだロプス兄さんと共に外へと飛び出し、当たり前の様に落下を始める。
(思ったより、暗い――!)
月明かりが一切ない、今日は新月だ。
頼りにならない星明かりでは地面すら見えない、もう感だけで飛ぶしかない。
落下の一瞬アタシはロプス兄さんのぼろきれを掴んで半回転し体勢を入れ替える。
そして掴まれた服を脱ぎ捨ててインナーだけになり、ロプス兄さんのお腹を蹴っ飛ばして跳躍した。
「う、が!? ぐ、ああああ!?」
地面に身体が落ちる寸前飛べた様でゴロゴロと地面を転がってその勢いを殺していく。
痛みが無いわけじゃない、悲鳴を上げながら、しかしそれでも生きる為に無様と言われようとも転がっていく。
勿論落下の勢いを完全に殺せるわけじゃない、だって見てみればアタシの寝ていた部屋は三階の病室だった。
ようやく転がるのが止まったが今度は上手く立ち上がれない、打ち付けた全身が麻痺してる様に痛い。
それでも、体勢を整えないといけない、改造人はあの程度じゃ死なない。
「は、はぁ……! はぁ、は……! いっ……」
呼吸を整えながら立ち会がると同時に胸が痛む、傷口が開いたか。
じわりと温かな血が服を濡らしていく。
ふと、痛みを感じた部分を触ってみる。
血が、赤い血が自分の指を濡らす。
目の前に敵がいるのに、何処か上の空で指先についた血を徐に舐めてみる。
鉄の味が口の中に広がり鼻から血の匂いが抜けていく。
熱を感じる、色を感じる、味を感じる、匂いを感じる。
「おお、あおおおおおお……!」
そして、目の前で叫ぶ敵の声を感じる。
生きている、アタシは生きている。
あそこに堕ちることなく、生きている。
*
「お、おいおいおい! 何てことしちゃうの!? 覚悟決まりすぎてない!? 君本当に12歳!?」
「……え?」
朱色の髪をした青年が慌てて走ってくる。
知らない筈なのに何処か知っている人の雰囲気を感じる。
「だ、誰?」
「あ、ああごめん……俺はゼロス。クラトス兄さんと一緒にあの改造人を監視してたんだけど、油断してた……ごめん」
「ゼロスさん……? クラトスさんの親戚の……?」
「ああ、ここは任せてくれ。俺があいつを倒す……!」
ガジェットを取り出し起動用のキーをガジェットに装填する。
第15世代型対兵器用強化服転送装置、500年前の当時最新鋭だったティターンスーツを転送するこのガジェットはアレス達の軍、トロイアと敵対していたアカイアの装着武装だ。
その材質はナノマイオイ装甲を改良して作られた特殊装甲、NN(ニューナノマイオイ)装甲だ。
使いやすさ、整備のしやすさはそのままに特別な特徴がある。
それはAIを搭載する事によってある程度環境に適応した装甲の変態が可能になったのだ。
『行くぞ、チェンジャーレディ!』
「おっしゃ! チェンジだ!」
差し込んだキーを回し、ガジェットから低く響くような音が鳴り響く。
その音に合わせてガジェットを鳩尾に置いてリズムよく動かす。
知る人が聞けば増幅器に接続される弦楽器の音だと分かるだろう。
このリズムは勿論最初期のガジェットには搭載されてなかったシステムだ。
改造人と戦う中で自らを鼓舞するためにこの音を作り出し奏でる事で自身をトランス状態にする。
普通の学生だったゼロスが改造人と戦う恐怖を乗り越える彼だけのリズム、それは――
「勇気を込めるぜ! クリオスマギアー、イグニッション!!」
踊る様に身体を動かした後その場で一回転してガジェットを天高く掲げトリガーを引く。
燃える様な赤い光が彼を包み込むとその光はアカイアの打ち上げた衛星にあるコンテナからティターンスーツが転送される。
改造人四号、そう世間では呼ばれている赤いティターンスーツを纏った戦士、その名は――
「赤閃の戦士! クリオスマギアー!」
ポーズを取って名乗り上げるその戦士はゼロスという少年が己の恐怖に打ち勝つため、恐怖の涙を仮面で隠すために戦う。
今も気を抜けば倒れてしまいそうなレアをかばうようにロプスに向かって飛び掛かる。
「おっらあ!」
「なんか、随分テンション高い人……」
「レア! 無事か!?」
「あ、クラトスさん……アタシは、大丈夫、ちょっと傷口が開いちゃっただけ……」
ゼロスが戦い始めると同時にクラトスも走ってくる。
暗がりだがレアの服が血で濡れているのが解る、その痛々しい姿に思わず肩を抱きそうになるのだが、その視線がずっとロプスに向かっているのを見てその手が止まる。
「レア……?」
「あれじゃ……ダメ」
「おおおお、あああああ!!」
「くっそ、やっぱりかてぇな!?」
ゼロスの攻撃は何度もロプスに当たっている。
しかしどの攻撃もロプスの体に弾かれて決定打どころか怯ませることもできない。
むしろロプスはゼロスの攻撃をあえて受け止めて反撃している位だ。
あれでは何時か捕まってしまうだろう、いくらティターンスーツを着ているとはいえロプスのパワーでは捻り潰されてしまうだろう。
「くそ、このスーツを囮にして捨て身に賭けるか!?」
『リスクが高すぎる! それにそれを許してもらえる程の隙は無いぞ!?』
「いかんな、このままでは……」
「クラトスさん、少しだけ、足止めできる……?」
ゴウ、とレアの両手に魔力の光が灯る。
右手に緑色の風の魔力、左手にオレンジ色の土の魔力。
レアが得意とする風と土の魔法、それを片手で同時に使用している。
その姿を呆然と見つめるクラトス、何故ならこんな魔法を彼は見たことが無いからだ。
「レア、なんだ……それは」
見たことのない魔法、と言うのは正確ではないだろう。
二つの魔法を同時に使う、という前提をクラトスは見たことが無い、が正しい。
そしてその魔法を使っているレアの目が滾々と輝いている、青と緑とオレンジ色の光は確かに美しいのにその光にどうしようもなく背筋が凍り付く。
「いいから、早くしないと間に合わない……何となく、できるって思ってるだけだから。お願いクラトスさん……!」
「あ、ああ……!」
この状況で全てを説明している時間は無い、ゼロスが動けなくなる前に勝負を決めなくてはならない。
(だから、だから……!)
覚悟が必要だった、相手の命を奪う事への覚悟が。
幼い頃より一緒に居た兄の命を自分が奪う、改造人にされてしまった兄を眠らせる。
その思いを強く胸に秘め、両手を握り合わせる、属性の反発がバチバチとスパークしアポートシス現象が起ころうとする。
劇で使った様な魔法石に後から込めて魔法の上に魔法を重ねる様なコーティングをする訳ではない、今度は本当に反属性の魔法を完全に混ぜ合わせる。
(イメージするのは相手に狙いを付ける物……弓、違う……アレスさんの持っている様な銃!)
左腕を大きく広げると眩く輝く魔力が形成される。
その輝く魔力をレアは左手を前に向けて人差し指と親指を立て、右手を握りしめたまま胸元に添える。
右腕の魔力は左腕とは違い肘まで光輝いており見る人が見れば確かに銃の様に見えるだろう。
「ゼロスさんに体勢を崩してから離れる様に言って! それでクラトスさんの魔法で足止めを!」
「解った……! ゼロス! 改造人の体勢を崩して離れろ!!」
「何だって!? うお!?」
「ああ? あああ!?」
レアの方を見たゼロスもクラトスと同じように背筋が凍るような何かを感じた。
そしてクラトスの言葉通り、ロプスに足払いをして体勢を崩してから飛び退く。
「クラトスさん!」
「ああ! パーゴスアリスィダ!!」
クラトスが呪文を唱えると氷の鎖がロプスに巻き付き動きを止める。
勿論この魔法ではロプスの怪力を押さえつけるなど一瞬しか出来ないだろう。
しかし、その一瞬が大事なのだ。
(改造人でも……人を改造したのなら残っている筈)
その一瞬の間にレアは輝く目でロプスを視つめる。
自分の中にある血液の流れを感じる様に、今度はロプスの体の中を視抜く。
そして探し当てた部位に向かって、レアは魔法を放つ。
「――カルキス!」
その言葉と共に握っていた右手を開くと光の弾丸がロプスに飛んでいき、氷の鎖を引きちぎったロプスに命中する。
一瞬、何が起きたのかレア以外の誰もがその場で沈黙していた。
命中した光はロプスに吸い込まれるように消えるが、その後爆発やダメージを与えている様には見えない。
しかし、その変化は直ぐに起きた。
「あお、おご、おごご、ぼぼぼぼ……!?」
「――ごめんなさい、ロプス兄さん」
ごぼごぼと血の混じった泡を吹き出し身体を痙攣させながら倒れ伏す。
クラトスとゼロスが呆然とする中、ロプスも動かなくなる。
「な、何が起きたんだ……? レアちゃん、何したの?」
「オレにも解らん……レア?」
動かなくなったロプスを見てふらふらとレアが歩み寄る。
「レアちゃん、まだ生きてるかも――」
「いや、奴は――」
「ごめん、なさい……! ごめんなさいロプス兄さん、アタシ、アタシ、うわああああああああ!!」
倒れて動かなくなったロプスに縋りつくように泣き出す。
この事態の説明が欲しかったが、彼女は自ら奪った命の重みを受け入れた。
改造人にされた人は元に戻す手段は無く殺す事しかできない。
しかし、レアの中には確かにあるのだ、ロプスと孤児園で過ごした思い出が、自分の事を気にかけてくれた笑顔がずっとフラッシュバックする。
だから今は泣いておこう、彼の本当の想いすら知ることのできない自分ができる唯一の事だと思えるから。
*
「何、だと……!?」
「どうしたヴァルカン」
真っ暗な部屋で唯一の光源であるパソコンに向かってヴァルカンが驚愕の声を上げる。
「……改造戦士が倒された」
「ほう? 最新のはティターンスーツに適用した改造を施した、と言っていた筈では?」
ヴァルカンと話しているのはユピテル、旧人類の実質的なリーダーと言うべきだろう。
ユピテルは旧人類の行っているあらゆる事態を把握していると言ってもいい、なので今回改造されたロプスの事も把握しているしなんなら自分が陸上戦艦で迎えに行ったくらいだ。
エンスの中でも獣人に近い程身体が頑丈になる細胞が確認されたのでかなり無理な改造を施せた程だ。
その改造戦士がまたティターンスーツを持つ者に倒されたのだろう。
「……倒したのはティターンスーツを手に入れた小僧ではない。獣人の小娘だ……小娘のヨクトシステムを受けた途端改造戦士の全てのステータスがレッドゾーンに入った。特に残していた生体部分の損傷が凄まじい。何が起こった……!?」
「ほお、新しいヨクトシステムを作り上げたか……? 原因が解らないのなら一度死体を回収して調べてみる必要がありそうだな」
「もう部隊は送っている……ち、あの改造戦士は次の戦いでも使おうと思っていたのだが」
「まあ良い……改造戦士のストックは後三つだな? 万が一解らなければ一体だけ続投させろ、ヨクトシステムの進化はオレに報告しろよ?」
そう言い残すとユピテルは部屋を出て行ってしまう。
その背中をヴァルカンは忌々しそうに睨んでいる。
(何を馬鹿な事を言っているのだ、儂の改造戦士が倒されたのだぞ……アレスならともかく只の小娘に、一撃で殺されたのだぞ……!? この戦争の勝敗すら左右するではないか……! コンセンテスを使う訳にはいかんのだぞ……!? おのれ、ユピテルめどういうつもりだ……!?)
「そう、か……助かった」
包帯を巻かれたレアをクラトスが痛々しく見つめる。
現在時刻は夜中の2時、ロプスはクリオスマギアーとの戦いに形勢不利と見たのか逃げ出してしまいクリオスマギアーはそれを追って行った。
ゼロスの事も気になったがそれ以上に今の容体のレアを放置する訳にも行かず病院に駆け込んだ。
レアが治療を受けている間にアレスへの連絡を済ませたのでもうすぐ此方に来るだろう。
「仲間がくるから、案内してくる……レアを頼む」
「解りました」
重い体を何とか持ち上げて病室を出る。
外に出た途端、全身が鉛の様に重くなった気がした。
「……軽率、だったな」
改造人と戦うゼロスを追っているのだ、改造人と戦う事だって当然可能性としてあるべきだった。
毎日ひたすら歩くだけの調査に嫌気が刺して話し相手でも欲しいと思っていた所にレアから声を掛けられて連れてきてしまった自分のミスだ。
明日は新月であろう月明りの見える中で重い体を引きずる様に外に出る。
夜風が頬を撫でる中、遠くの方からディータやアレス、トリトにローデ、そしてコレ―が走ってくるのが見える。
レアが怪我をしたと聞いて深夜を回っているのに駆けつけたのだろう。
「こんっの!! ばかものがああああ!!」
「ぐ!?」
「ディ、ディータさん!?」
駆けつけてきたディータがまず、クラトスに飛び蹴りをかました。
仕方の無い事だろう、レアを危険に晒したのは間違いないのだしあのディータだ、子供に関しては人一倍感情的になる。
その証拠にここまでずっと全力で走ってきたのだろう、汗だくで飛び蹴りにも今一つ力が乗っていない。
突然の事にローデは驚いているが着地すら考えて無いディータはそのままの勢いで地面に突っ伏してしまう。
「大丈夫か? とりあえず落ち着けディータ。クラトス、レアの容体はどうなんだ?」
「あ、ああ……命に別状はない、数日は安静にして欲しいと言っていたがな」
「ほ、それは良かったデス」
アレスの冷静な言葉が自分の事も冷静にしてくれる。
そもそもアレス達はレアの安否すら分かって無かった、クラトスの言葉にとりあえず胸を撫でおろしている。
ぐったりしてるディータの方はアレスが起き上がらせてる。
「大事にゃなってねぇようだが様子を見て平気そうなら最低限の人数だけ残って帰るぞ?」
「そうですね、兄さん……えっと残る人は」
「ワシは、残らせて貰うぞ……」
「クラトスサンはどうしマス?」
「残る、残らせてくれ」
「そうだな、その方が良いだろう。そんなに頭数が残っても仕方ないクラトスとディータが残って俺達は様子を見て帰るぞ?」
*
ここは、何処だろう?
そう呟いた様な気がするアタシの声も即座に真っ暗な闇に消えていく。
堕ちている、のだろうか? 闇に浮いていて上も下も右も左も解らない。
熱も色も味も匂いも音も感じられない場所を生まれたままの姿で漂っている。
羞恥心なんてこの場で考えるほどの余裕は無い。
裸のままゆっくりゆっくりと堕ちていくその姿を俯瞰して見つめる。
ああ、そっか。
これ――死、なんだ
そう呟いた思う音すらも闇に消えていく。
本当なら怖くて怖くて仕方の無い筈なのにアタシはその闇をぼんやりと見つめていた。
怖い、そう怖い筈なんだ。
街に住んでいたアタシは怪獣という被害には合わなかったかも知れない。
だがその代わりとして、ずっと見ていたものがある。
あの時の皆も、ここに来たのかな?
アタシがまだ八歳頃の話。
クレータの街でとある病が流行した。
百歳を超えた老人にしか発症しない病で体の様々な部分が次々と悪くなっていき最終的には死んでしまう奇病だ。
発症する理由も解らない、そんな人々が沢山入院する病院で働いた事がある。
孤児園ではやがて来る独り立ちの準備の為に街の様々な施設でお手伝いをするので、その一環で働いた。
その仕事を二年間、その二年間はアタシが死を見続けた二年間だった。
日々細くなり骨と皮だけになっていく身体、様々な苦痛から死にたくないと泣き叫ぶ人。
血を吐き出した人、内臓が真っ黒になっていた人、呼吸困難を起こして咳き込む力も無くなっていった人、様々な病気で死ぬ人を見た。
アタシも、あんな風に死ぬと思っていたけど
思い出すのは痛みで気絶する前に見たあの光景。
背中から胸を貫通するように鉄芯が突き刺さっていたあの光景。
血がだらだらと流れ落ち身体から力がぬけていく感覚。
自分がこの場所に堕ちていく感覚。
その感覚を感じるたびに吐き気を感じる、気持ち悪い何かの色を見ている。
こんな風に、死んじゃうんだ。
なんて――寂しいんだろうか。
嫌だ、こんな所で沈んでいくだけ何て嫌だ、誰も居ない場所で一人消えていく何て嫌だ。
やりたい事なんて山ほどある、食べたい物だって沢山ある、見たい本だって劇だってある、それに――それに、恋もデートもしたことない。
恋をする様な女の子になったことも無いんだ。
生きて、いたいな――
誰もがそう思って生きていた。
アタシはアレスさん達と旅に出て様々なモノを見た。
きっと街の中で暮らしていただけならこんなにも強く願わなかっただろう。
だって。
アタシ、旅の間にも色んな死を見たんだから、あんな風に、まだなりたく無いって思えるんだから――
*
「う……ん?」
「おぉ!? レア! 目を覚ましたか!? おーい! ナース、クラトスー! 起きたぞー!?」
目に光が入る眩しさに自然と目が開いていく。
薬品の臭いがしてその次に全身がじんわりと痛みを感じる。
特に胸が痛い、意識がぼんやりと明滅する中で”痛い”だけがレアを現実に引き戻している。
天井をぼんやり見つめる中、ディータの声が聞こえる。
(あれ? なんだろう、これ……?)
レアの意識がハッキリし始めて最初に感じたのは、何かの流れだ。
体の中に何かが流れ循環している、レアはその正体を自然と理解していた。
血液が流れている、何を当たり前の事を言っているのか疑問に思うが血液がどんな風に流れているのかを正確に”視る”事ができる。
「気分はどうかの? レア、体は痛むか?」
ひょっこりと視界の端からディータが顔を覗かせる。
心配そうにしている表情ではあるが何時ものように優しい眼差しでレアを見ている。
その表情が、ぐにゃりと腐って崩れ落ちる、頭髪が抜け落ち骨と皮だけになっていく。
そして寄生虫が蠢き虫を吐く、皮膚が黒くなってぶくぶくに膨れた皮膚が腐った果実の臭いを放ちながらカビにまみれていく。
イボのようなものが泡立つ様に現れた後顔が真っ赤に染まっていく。
その刹那にレアはディータがあらゆる病気で死ぬ幻を”幻視”した。
勿論、12歳の少女がそんな情報を凄まじい量で見てしまえばまともでは居られない。
「およ? レア……お主目が――」
「ううああああああああああああああああああああ!?!?!?!?」
全身が痛む事なんて気にする余裕なんてない。
気がついた時には己の目に指を突っ込んで眼球を潰してしまおうとしていた。
*
「ふむ、病気が視える、とな?」
「ああ、そう言っていた、生物のあらゆる病状が視えてしまう、とな」
「どういう事だ……? そんな症状聞いたことも無いが……」
自らの目を潰そうとするレアを押さえつけて何とか目隠しをした。
それでも何かを感じられるのか、アレスを呼ぶまでまともに話しが出来ない状況だった。
アレスは身体に生体部分が無い為レアの眼では病状を見る事が無く、それ故にようやく話を聞くことが出来た。
「今、どうしておる?」
「ようやく話しが出来た安心と疲労から眠っている……そうだな、前にディータが陥った魔力切れに近い症状だな」
「魔力切れ?」
「ああ、あの眼は魔法と同じ要領で発動させているようでな。意識を失うと共に眼の効果も無くなっていた」
「……成程、俺のケラブノスの様に突然使えるようになった魔法、なのか?」
相手の様々な病状を幻視する魔法、勿論そんな魔法クラトスもディータも聞いたことが無い。
そもそも、それは魔法なのだろうか。
「俺の時代にあった磁力と電波で全身を検査する装置に似ているのかと思ったが大きく違う。病状が見える、と言っても今ディータやクラトスの身体は健康そのものだ。それなのに様々な病状が見えるとは……」
話を聞いた所レアが見たと言う病状はどれもこの時代ではありえないものだった。
遺伝子改造を受けた今の人類は過去のあらゆる病状を克服している。
レアの話しを聞いた限りその症状はどれも今の人類には発症しない症状だった。
「魔法については俺は何も解らない……何か二人からレアに伝える事はあるか?」
「ふむ、そうじゃの……魔法の暴走はワシは苦い経験しかないのじゃが」
「オレからは、そうだな……落ち着いて見る事だ。魔法である以上制御は可能な筈だ」
「解った、状況はなるべく伝える様にする……二人も一旦休んでくれ、昨日から眠っていないだろ?」
レアの事が心配だったのかディータとクラトスは一睡もしていなかった。
流石に疲れが出始めているのか二人とも何処か憔悴していた。
「う、うむ……先ほども医者に言われてしまった」
「……解った、オレとディータは一度船に戻っておく。だが注意してくれ、改造人が再びレアを狙ってくる可能性もある。オレはひと眠りしたら夜にもう一度くる」
「む、それはワシもじゃ」
「よし、なら夜は二人に任せる、何とか夜までにレアの魔法を落ち着かせてみる」
*
「う、うぅん……」
「起きたか、レア。気分はどうだ?」
「あ、アレスさん……うん、少し頭が痛くてだるいけど大丈夫……アタシの眼、まだ光ってる?」
ディータ達が帰ってそれなりに時間が経ち太陽が真上に来た頃レアが目を覚ました。
起き上がることも無くぼんやりとアレスを見つめている。
「ああ、まだ光っているな……クラトスからアドバイスだ、魔法なのだから制御は可能かも知れない、と言っていた。とりあえず落ち着いてみるのはどうだ?」
「そ、だね……魔法みたいだし、とりあえず落ち着いて、見るね……」
瞳を閉じてゆっくりと深呼吸を始める。
周りには何も音が無く、自分の呼吸音と心臓の音だけが耳に聞こえてくる。
そんな静かな空間でレアはあの時感じた自分の血液が流れる感覚を感じていた。
自分の胸、心臓から手足の末端まで何処を通って血液が流れているのかを眼を閉じているのに視ている。
(新しい魔法が使えるようになった、って言ってたけど……これって魔法なのかな? ん?)
深呼吸をしているとふと、何かが変わった気がする。
何がと言われても確信は得られない、自分の中にある何かが形を成していく、そんな気がする。
形の無いモノがぐるぐると渦巻いて何かに変わっていく、不思議な事にその過程に何も感じない。
その感覚が、何も感じられないからこそ――
「怖い……」
「え?」
「ぁ、ごめんなさい……落ち着いていると、なんだか体の中で何かが渦巻いてて……」
「渦巻く? ……ディータが言っていた魔力の事か?」
「そう、なのかな? えっと、その……解らないの、なにも……」
「慌てる必要はない、俺は魔法の事は解らないから何もアドバイスが出来ないのが心苦しいが……」
「うぅん……アレスさんが居てくれるだけでも、アタシ嬉しいよ? ……え、えっと……その、お願いがあるんだけど、いいかな?」
少し照れくさそうに目元までを毛布を被ってじー、とアレスを見つめている。
今から言うお願いとやらが恥ずかしいのか照れているのか目線をきょろきょろと動かしている。
「どうかしたのか?」
「えっと、その……手を、握ってて欲しいんだけど……ダメ?」
「ふ、ダメじゃないさ」
可愛らしい要求にロボットであるアレスですら頬が緩みそうになる。
機械の硬く冷たい手を握っている筈なのにどこか温かさを感じる気がする。
「アレスさんって、お兄さんかお父さん見たい……」
「む?」
「あ、えっと、ち、違うの……あ、あはは、何言ってるんだろうアタシ」
「……俺は家族というのは良くわからない」
「家族……前にコレ―さんが言ってたよ? アタシ達、船の皆、家族見たいだって」
「船の、皆が……そうか、そう思えるのなら、いいものだな……」
*
「……ゼロス」
病院から出て直ぐ、クラトスは立ち止まってその名を呼ぶ。
ディータは先に帰らせたので一対一で話すことが出来る、というよりエルフ特有の能力で病院に植えられている木から情報を得たのもある。
「……バレてたか」
「エルフだからな……久しぶりだな、ゼロス」
久しぶりに会った親戚の顔はどこか疲れている様に見えた。
朱色の髪の毛もどこかぼさぼさで伸びっぱなしで筋肉が付いたのに少し痩せてしまっている。
明らかに無理をしているのが解る、あの鎧の下でどんな無理をして戦っていたのかを今のゼロスを見ているだけで嫌でも理解できてしまう。
「あの改造人はどうなった?」
「逃げられた、異様に頑丈に作られていてな、ここに来て改造人のスペックを上げてきた……」
「そうか、今後はオレも手伝えるだろう。改造人を作っている奴らの正体も知っている」
「え? クラトス兄さん、それって本当?」
『その話は本当か?』
「む?」
ゼロスの手首に巻きつけられている腕輪が喋る。
人とは思えない感情の起伏が少ない声、しかしクラトスはこの手の声に心当たりがある。
「AIの声か?」
『ほお、此方の事も解っているとは……ゼロス、これはかなり良い情報が得られそうだ』
「あ、ああ……クラトス兄さん、どこまで知ってるんだい?」
「ふむ、どこまで、と言われるとそうだな……」
*
「旧人類……500年前の人、そいつらが改造人を作っている、のか?」
「予想ではあるがな、友人曰くこの技術は今の人類には作れないらしい」
『なるほど、それなら納得だ……よもや500年前の人類がそんな事を考えていたとは』
旧人類が改造人を作っているであろう事、旧人類が戦争を仕掛けようとしている事。
クラトスの話しはゼロスにとって十分信じられる情報だ、これまでの戦いやAIから聞いた情報を含めればありえないと断ずる事ができない。
「その友人っていうのは……?」
「500年前に作られて封印されていたロボット、鉄のゴーレムだ」
「それ、大丈夫なのか……?」
「友人は、アレスはそんな奴じゃない。オレも最初は疑ったが命を助けられた事もある……一緒に旅をしててむしろ旧人類の事を知りたがっている」
「……そうか、クラトス兄さんがそう言うなら信じるよ」
クラトスの目には一片の曇りも無い、迷い一つ無くアレスを信じている。
「それに、今レアを看病しているのはアレスだ、あいつは親身になってレアを見ている」
「レア、あの子の事か……助かったのかい?」
「命に別状は無いが、絶対安静だ……ゼロス、その事で頼みがある。あの改造人はレアに固執していた様に見える。恐らくまた彼女を狙ってくるかも知れない……オレが戻ってくるまであの子を守ってくれ、勿論アレスもいるしオレもひと眠りしたら戻ってくる」
「解った」
『ふむ、これは忙しくなりそうだな』
「そういうなって、所でクラトス兄さん」
ゼロスの雰囲気が少しだけ明るくなった気がする。
今までずっと一人で戦ってきたのだ、ここで味方ができるというのは嬉しい事だろう。
しかし、ゼロスの口から出てきた言葉はクラトスの予想を大きく超えてきた。
「あの子えらい大事にしてるじゃん? 狙ってるの? ちょっと小さいけどギリギリイケそうじゃない?」
「何を言ってるんだお前は」
「え、クラトス兄さんあんなにあの子を大事にしてるんでしょ!?」
「確かにレアは大事だが、いや待てそういう目で見ている訳じゃないぞ!?」
ゼロスの言いたいことがようやく解った。
彼の言いたいことはつまり、レアを女性として狙っているのか、と言うことだ。
勿論クラトスはそんな風にレアを見た事は無い。
レアはまだ幼い、12歳のレアをそういう目で見るのは、何というか大人の自分がやっては行けない様な気がする。
「マジ!? この前だって二人で調査してたじゃないの!?」
「あれは付いてきたいと言われたから仕方なく連れて来ただけだ!」
「え~でも結構仲良さげだったじゃんよ」
『此方から見ても仲睦まじく見えたがな』
「解せぬ……! あ、あの子は12歳だぞ!? 成人まで後6年もある!」
「いや、俺だって今年成人したばっかりだけどさ。6年って結構あっという間だよ?」
『そうだな、今日で7月7日……ゼロスと出会って半年以上が過ぎたが、時間が過ぎるのはあっという間だった』
「そういう、話しでは、ないだろう……!? 大体レアは――」
ゼロスは久しぶりに浮ついた話が出来ているからなのかとても楽しそうだった。
最初にボロボロになった彼を見ているが故にあまり強く言うことも憚れる。
少しでも、年相応の時間を彼が取り戻せている、それが一番大事な事だった。
*
――これは、夢だ。
そう理解するのに時間はかからなかった。
真っ暗で自分の身体すら見る事の出来ない場所に浮いている。
(何て言うんだっけこれ……めーせきむ? でも、全然動けないなぁ)
ふわふわと何もない空間を漂っている。
あの時と同じ空間だろうか?
(……違う)
違う、あの時と違って堕ちていく感覚も押しつぶされそうな恐怖もない。
闇という水面に浮かんでいるだけ、ならこれは只の夢なのだろう。
(変なの……暗いのに眼を空けている感覚がある、閉じていても開いていても同じ空間しか見えないなら視界の意味なんてないじゃない)
眼、そうだ眼だ。
レアというアタシの眼は何を見る様になってしまったのだろうか。
人が病気になっている姿を見る眼、魔法と言っていたが何となく、そうじゃない気がする。
(多分、これって……魔法じゃなくて――)
アタシの中で何かが渦巻いていく、あの時と同じアタシの中に何かが形成されていく。
あの時は漠然と恐怖を感じていたが今は違う、この闇に浮かんでいるからより鋭くこの感覚を感じられる。
ぐるぐる、ぐるぐると、アタシの見えないアタシの中に何かが完成していく。
ぐるぐる、ぐるぐると、作られた何かがアタシの中を駆け巡って全身を満たしていく。
どれほどそうしていただろうか、この闇の水面では時間という概念なんて存在しないのだろう。
今この瞬間出来ている気がする、遠い昔に出来ていた気がする、何時かの未来に出来ている気がする。
(そうか、これ――)
呼吸を一つ、それを感じられるようになる。
呼吸を一つ、本当に見える物を感じられるようになる。
呼吸を一つ、アタシの中に居る物に語りかけられるようになる。
知っている、判っている、眼に見えないあの子達を感じる事が出来る様になる。
そうだとすればやっぱりこの眼は魔法なんかじゃない、何て言うべきだろうか。
きっと偉い学者でも歴史の研究家でも500年前の人でもこれを説明できる人は居ないと思う。
普通の人が持っている視覚でも聴覚でも触覚でも味覚でも嗅覚でも判別できない六つ目の感覚。
それを得たからこそ理解できる。
アタシの血管に流れているあの子達の事を――
「皆が――魔法を使わせて、くれたんだね?」
*
「……あ」
目が覚めた、嫌さっきから目を覚ましてはいたのだが身体が目を覚ました。
辺りは暗い、アタシは何時の間にか夜まで眠ってしまったのだろう。
部屋には誰も居ない、そういえば寝る寸前にアレスさんはアルゴナウタイで問題が起きたとクラトスさんと入れ替わる形で出て行ってしまったのを何となく覚えている。
「……ああ、そっか。あれ?」
現状を理解した後、視界が妙にすっきりしている事に気がつく。
天井を見る視界は何も変わらないが窓の外をぼんやり覗いてみれば一本の木が見える筈だ。
さっきまで生命を見れば吐き気を催すような光景を見ていたのだが今木を見てもそんな光景は見えてこない。
そういえば目が光って見えると言われたが鏡を見てもそんな様子は見られない、見られないが。
(アタシの目……こんな色だったっけ?)
自分の眼が、不思議な色合いになっていた。
アタシの目は青空の様な色なのだが今は緑とオレンジの二色が混ざったリングの様な物が虹彩の部分に掛かっている。
これはなんだろう、と思わず触れそうになっていると――
「……ん?」
病室の外からひたひたと裸足で人が歩く音が聞こえる。
壁にかけられた時計は既に午前1時を廻っている、こんな時間に、靴も履かないで、看護婦やお医者さんが歩いているのだろうか。
勿論、答えは否だ、足音はゆっくり、ゆっくりと緩慢に近づいてくる。
思わずベッドから降りて後ずさりしてしまう。
正直言って怖い、恐ろしいものが近づいてきているのが解ってしまう。
ぎぎ、と古くなってきた病室のドアが開かれて外の空気が入ってアタシの頬を撫でる。
「レ”ア”……み、づげ、だ……」
「……ロプス、兄さん」
部屋に入ってきたのはズタボロの布切れを着たロプス兄さんだった。
大きな単眼をぎょろぎょろと動かし唾液を垂らしながらアタシを見てにたり、と笑う。
知っていた、解っていた、ロプス兄さんは何故かアタシに固執している。
改造人にされる前の記憶がそうさせているのか、それとも何か理由があるのかは解らない。
今度あの怪力をぶつけられれば今度こそ死んでしまうだろう、恐らくロプス兄さんの意図とは無関係にあの怪力は人を殺してしまう。
(逃げないと……此処に居たら、殺されちゃう……!)
緩慢な足取りにも関わらずロプス兄さんはアタシを逃すつもりは無いのだろう、すり抜けて病室を飛び出すなんて逃げ道は既に絶たれている。
狭い病室では逃げ回るなんてことも出来ないだろう、助けを呼んでもその前に頭を握り潰されて終わるだろう。
だからアタシは背中を窓へと向くようにじりじりと動いていく、力では勝つことのできないアタシが唯一取れる退路。
「レ”ア”ア”ア”ア”ア”ア”!!」
放たれた弓の様に飛び出したロプス兄さんは止まることなど考えていないだろう。
そうでないと困る、そうでないと退路の意味はない。
――問題は、此処が何階であるかという事だけだ。
「――止まるな!!」
それは誰にかけた言葉だろうか。
血走った目で私に組みついて来ようとするロプス兄さんへだろうか。
それとも覚悟を決めたのに足が竦んでいた自分への喝だろうか。
兎も角アタシは窓を開け飛びついてくるロプス兄さんの勢いを殺さない様に後に飛んだ。
アタシの服を掴んだロプス兄さんと共に外へと飛び出し、当たり前の様に落下を始める。
(思ったより、暗い――!)
月明かりが一切ない、今日は新月だ。
頼りにならない星明かりでは地面すら見えない、もう感だけで飛ぶしかない。
落下の一瞬アタシはロプス兄さんのぼろきれを掴んで半回転し体勢を入れ替える。
そして掴まれた服を脱ぎ捨ててインナーだけになり、ロプス兄さんのお腹を蹴っ飛ばして跳躍した。
「う、が!? ぐ、ああああ!?」
地面に身体が落ちる寸前飛べた様でゴロゴロと地面を転がってその勢いを殺していく。
痛みが無いわけじゃない、悲鳴を上げながら、しかしそれでも生きる為に無様と言われようとも転がっていく。
勿論落下の勢いを完全に殺せるわけじゃない、だって見てみればアタシの寝ていた部屋は三階の病室だった。
ようやく転がるのが止まったが今度は上手く立ち上がれない、打ち付けた全身が麻痺してる様に痛い。
それでも、体勢を整えないといけない、改造人はあの程度じゃ死なない。
「は、はぁ……! はぁ、は……! いっ……」
呼吸を整えながら立ち会がると同時に胸が痛む、傷口が開いたか。
じわりと温かな血が服を濡らしていく。
ふと、痛みを感じた部分を触ってみる。
血が、赤い血が自分の指を濡らす。
目の前に敵がいるのに、何処か上の空で指先についた血を徐に舐めてみる。
鉄の味が口の中に広がり鼻から血の匂いが抜けていく。
熱を感じる、色を感じる、味を感じる、匂いを感じる。
「おお、あおおおおおお……!」
そして、目の前で叫ぶ敵の声を感じる。
生きている、アタシは生きている。
あそこに堕ちることなく、生きている。
*
「お、おいおいおい! 何てことしちゃうの!? 覚悟決まりすぎてない!? 君本当に12歳!?」
「……え?」
朱色の髪をした青年が慌てて走ってくる。
知らない筈なのに何処か知っている人の雰囲気を感じる。
「だ、誰?」
「あ、ああごめん……俺はゼロス。クラトス兄さんと一緒にあの改造人を監視してたんだけど、油断してた……ごめん」
「ゼロスさん……? クラトスさんの親戚の……?」
「ああ、ここは任せてくれ。俺があいつを倒す……!」
ガジェットを取り出し起動用のキーをガジェットに装填する。
第15世代型対兵器用強化服転送装置、500年前の当時最新鋭だったティターンスーツを転送するこのガジェットはアレス達の軍、トロイアと敵対していたアカイアの装着武装だ。
その材質はナノマイオイ装甲を改良して作られた特殊装甲、NN(ニューナノマイオイ)装甲だ。
使いやすさ、整備のしやすさはそのままに特別な特徴がある。
それはAIを搭載する事によってある程度環境に適応した装甲の変態が可能になったのだ。
『行くぞ、チェンジャーレディ!』
「おっしゃ! チェンジだ!」
差し込んだキーを回し、ガジェットから低く響くような音が鳴り響く。
その音に合わせてガジェットを鳩尾に置いてリズムよく動かす。
知る人が聞けば増幅器に接続される弦楽器の音だと分かるだろう。
このリズムは勿論最初期のガジェットには搭載されてなかったシステムだ。
改造人と戦う中で自らを鼓舞するためにこの音を作り出し奏でる事で自身をトランス状態にする。
普通の学生だったゼロスが改造人と戦う恐怖を乗り越える彼だけのリズム、それは――
「勇気を込めるぜ! クリオスマギアー、イグニッション!!」
踊る様に身体を動かした後その場で一回転してガジェットを天高く掲げトリガーを引く。
燃える様な赤い光が彼を包み込むとその光はアカイアの打ち上げた衛星にあるコンテナからティターンスーツが転送される。
改造人四号、そう世間では呼ばれている赤いティターンスーツを纏った戦士、その名は――
「赤閃の戦士! クリオスマギアー!」
ポーズを取って名乗り上げるその戦士はゼロスという少年が己の恐怖に打ち勝つため、恐怖の涙を仮面で隠すために戦う。
今も気を抜けば倒れてしまいそうなレアをかばうようにロプスに向かって飛び掛かる。
「おっらあ!」
「なんか、随分テンション高い人……」
「レア! 無事か!?」
「あ、クラトスさん……アタシは、大丈夫、ちょっと傷口が開いちゃっただけ……」
ゼロスが戦い始めると同時にクラトスも走ってくる。
暗がりだがレアの服が血で濡れているのが解る、その痛々しい姿に思わず肩を抱きそうになるのだが、その視線がずっとロプスに向かっているのを見てその手が止まる。
「レア……?」
「あれじゃ……ダメ」
「おおおお、あああああ!!」
「くっそ、やっぱりかてぇな!?」
ゼロスの攻撃は何度もロプスに当たっている。
しかしどの攻撃もロプスの体に弾かれて決定打どころか怯ませることもできない。
むしろロプスはゼロスの攻撃をあえて受け止めて反撃している位だ。
あれでは何時か捕まってしまうだろう、いくらティターンスーツを着ているとはいえロプスのパワーでは捻り潰されてしまうだろう。
「くそ、このスーツを囮にして捨て身に賭けるか!?」
『リスクが高すぎる! それにそれを許してもらえる程の隙は無いぞ!?』
「いかんな、このままでは……」
「クラトスさん、少しだけ、足止めできる……?」
ゴウ、とレアの両手に魔力の光が灯る。
右手に緑色の風の魔力、左手にオレンジ色の土の魔力。
レアが得意とする風と土の魔法、それを片手で同時に使用している。
その姿を呆然と見つめるクラトス、何故ならこんな魔法を彼は見たことが無いからだ。
「レア、なんだ……それは」
見たことのない魔法、と言うのは正確ではないだろう。
二つの魔法を同時に使う、という前提をクラトスは見たことが無い、が正しい。
そしてその魔法を使っているレアの目が滾々と輝いている、青と緑とオレンジ色の光は確かに美しいのにその光にどうしようもなく背筋が凍り付く。
「いいから、早くしないと間に合わない……何となく、できるって思ってるだけだから。お願いクラトスさん……!」
「あ、ああ……!」
この状況で全てを説明している時間は無い、ゼロスが動けなくなる前に勝負を決めなくてはならない。
(だから、だから……!)
覚悟が必要だった、相手の命を奪う事への覚悟が。
幼い頃より一緒に居た兄の命を自分が奪う、改造人にされてしまった兄を眠らせる。
その思いを強く胸に秘め、両手を握り合わせる、属性の反発がバチバチとスパークしアポートシス現象が起ころうとする。
劇で使った様な魔法石に後から込めて魔法の上に魔法を重ねる様なコーティングをする訳ではない、今度は本当に反属性の魔法を完全に混ぜ合わせる。
(イメージするのは相手に狙いを付ける物……弓、違う……アレスさんの持っている様な銃!)
左腕を大きく広げると眩く輝く魔力が形成される。
その輝く魔力をレアは左手を前に向けて人差し指と親指を立て、右手を握りしめたまま胸元に添える。
右腕の魔力は左腕とは違い肘まで光輝いており見る人が見れば確かに銃の様に見えるだろう。
「ゼロスさんに体勢を崩してから離れる様に言って! それでクラトスさんの魔法で足止めを!」
「解った……! ゼロス! 改造人の体勢を崩して離れろ!!」
「何だって!? うお!?」
「ああ? あああ!?」
レアの方を見たゼロスもクラトスと同じように背筋が凍るような何かを感じた。
そしてクラトスの言葉通り、ロプスに足払いをして体勢を崩してから飛び退く。
「クラトスさん!」
「ああ! パーゴスアリスィダ!!」
クラトスが呪文を唱えると氷の鎖がロプスに巻き付き動きを止める。
勿論この魔法ではロプスの怪力を押さえつけるなど一瞬しか出来ないだろう。
しかし、その一瞬が大事なのだ。
(改造人でも……人を改造したのなら残っている筈)
その一瞬の間にレアは輝く目でロプスを視つめる。
自分の中にある血液の流れを感じる様に、今度はロプスの体の中を視抜く。
そして探し当てた部位に向かって、レアは魔法を放つ。
「――カルキス!」
その言葉と共に握っていた右手を開くと光の弾丸がロプスに飛んでいき、氷の鎖を引きちぎったロプスに命中する。
一瞬、何が起きたのかレア以外の誰もがその場で沈黙していた。
命中した光はロプスに吸い込まれるように消えるが、その後爆発やダメージを与えている様には見えない。
しかし、その変化は直ぐに起きた。
「あお、おご、おごご、ぼぼぼぼ……!?」
「――ごめんなさい、ロプス兄さん」
ごぼごぼと血の混じった泡を吹き出し身体を痙攣させながら倒れ伏す。
クラトスとゼロスが呆然とする中、ロプスも動かなくなる。
「な、何が起きたんだ……? レアちゃん、何したの?」
「オレにも解らん……レア?」
動かなくなったロプスを見てふらふらとレアが歩み寄る。
「レアちゃん、まだ生きてるかも――」
「いや、奴は――」
「ごめん、なさい……! ごめんなさいロプス兄さん、アタシ、アタシ、うわああああああああ!!」
倒れて動かなくなったロプスに縋りつくように泣き出す。
この事態の説明が欲しかったが、彼女は自ら奪った命の重みを受け入れた。
改造人にされた人は元に戻す手段は無く殺す事しかできない。
しかし、レアの中には確かにあるのだ、ロプスと孤児園で過ごした思い出が、自分の事を気にかけてくれた笑顔がずっとフラッシュバックする。
だから今は泣いておこう、彼の本当の想いすら知ることのできない自分ができる唯一の事だと思えるから。
*
「何、だと……!?」
「どうしたヴァルカン」
真っ暗な部屋で唯一の光源であるパソコンに向かってヴァルカンが驚愕の声を上げる。
「……改造戦士が倒された」
「ほう? 最新のはティターンスーツに適用した改造を施した、と言っていた筈では?」
ヴァルカンと話しているのはユピテル、旧人類の実質的なリーダーと言うべきだろう。
ユピテルは旧人類の行っているあらゆる事態を把握していると言ってもいい、なので今回改造されたロプスの事も把握しているしなんなら自分が陸上戦艦で迎えに行ったくらいだ。
エンスの中でも獣人に近い程身体が頑丈になる細胞が確認されたのでかなり無理な改造を施せた程だ。
その改造戦士がまたティターンスーツを持つ者に倒されたのだろう。
「……倒したのはティターンスーツを手に入れた小僧ではない。獣人の小娘だ……小娘のヨクトシステムを受けた途端改造戦士の全てのステータスがレッドゾーンに入った。特に残していた生体部分の損傷が凄まじい。何が起こった……!?」
「ほお、新しいヨクトシステムを作り上げたか……? 原因が解らないのなら一度死体を回収して調べてみる必要がありそうだな」
「もう部隊は送っている……ち、あの改造戦士は次の戦いでも使おうと思っていたのだが」
「まあ良い……改造戦士のストックは後三つだな? 万が一解らなければ一体だけ続投させろ、ヨクトシステムの進化はオレに報告しろよ?」
そう言い残すとユピテルは部屋を出て行ってしまう。
その背中をヴァルカンは忌々しそうに睨んでいる。
(何を馬鹿な事を言っているのだ、儂の改造戦士が倒されたのだぞ……アレスならともかく只の小娘に、一撃で殺されたのだぞ……!? この戦争の勝敗すら左右するではないか……! コンセンテスを使う訳にはいかんのだぞ……!? おのれ、ユピテルめどういうつもりだ……!?)
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