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第七章 悪役令嬢と誰でもない男神
古びたスマホの充電池
しおりを挟むその夜、クワイセを発見できたのは幸運だった。
応接間を飛び出して子ねずみを探していたわたしはアホのアダルがロスルーコ家の女騎士を口説いている横を通りかかり、ただでさえ生臭い魚人から酒の匂いまでして不快に思った。
アダルは屋敷に着くなり飲み始めていて、赤ら顔で鬼族の下級騎士に言い寄っていた。
「なあ、そう言わず明日遊んでくれよ。ロスルーコ村を案内してくれ!」
「よしてよ。ロコック家の騎士団にも女性の騎士は居るでしょ?」
「それが居ねえのよ。先代様の方針でさ。女の騎士はブスが2人だけ……獣人のくせに騎士気取りのニョキシーサマと、新入りのルッツだけさ。ガキは論外として、さっき便所に入ったルッツなんて、見ろ、いくら経っても出てこない……どんだけでかいクソをしてんだか」
アダルは盛大にクソの話しをして予想通り女騎士に軽蔑されたが、小魚の恋愛はどうでも良い。わたしはすぐに女子トイレに飛び込み、唯一鍵のかかった個室を恐る恐るノックした。
「クワイセ……?」
ささやくように尋ねると中でゴトゴトと音がして、個室のドアが開いた。
「ち……助かった。マジで……オレ、オレ……」
「——おいクワイセ、どうした!?」
騎士用の厚手のキルトを着たクワイセが個室から飛び出して来た。個室の床にはロコック家の黒い全身鎧が転がっている。
「ニョキシー、麦茶……豆とか、なんでもいいから……!」
クワイセは青ざめた顔で、今にも気絶しそうだった。病気ではない。これはMP枯渇の症状だ。
「——変身しすぎたのか!?」
「ち、屋敷に着いてすぐ解除するつもりが、騎士どもが酒に付き合えってしつこくて……せめてエールなら……飲まされたのは安いソバの焼酎で、MPは戻らなかった……」
わたしは上の鎧を脱いでシャツのポケットをまさぐった。食べ残しのクッキーを見つけて食べさせ、
「待ってろルッツ、モモからおまえの使用人服をもらってくる。そうすりゃ堂々と“クワイセ”として屋敷を歩けるから!」
屋敷を走り、クワイセの服を持ってトイレに引き返すと子ねずみは裸だった。鎧を自分の倉庫にしまい込み、下着姿で寒そうにしている。当時7歳の絶壁だった子犬より何倍も女性的な胸につい目が行った。まだ7つだが、わたしはこのあとどうなるんだろう。
「このあと夕食だけど、それまでにもう一度変身できそうか? 今、わたしの寝室でモモに麦茶を作らせているけど……MPを回復させるなら貴族のメシのほうが良い。変身できるならわたしと一緒に食事しよう」
「ち……」
クワイセは頬袋に貯めたクッキーを噛みながら弱々しく舌打ちした。
◇
クワイセはわたしの寝室で大量の麦茶を飲み、夜、夕食の席でわたしはさり気なくルッツを隣に座らせた。ルッツのような下級騎士は子爵のわたしと席を離すのが作法だが、ルッツはわたしが下賜された部下だ。うるさく吠えたら愚兄は許可した。
嬉しいことにドライグは領地が増えた記念としてとても豪華な夕食を用意していて、まずはわたしが正しい作法で食べて見せ、ルッツはすぐ隣で必死にマネをした。
「チ……こんなの食った気がしないぜ」
「そうか? 上手にできてるよ」
「チ……このカラダは頬袋が小さすぎる。ねずみのオレはもっと頬に貯めて噛みたいのに」
「そういう意味か……ルッツ、頬袋は禁止だし舌打ちもやめろ」
ルッツに化けた子ねずみは貴族の作法よりも「噛んですぐ飲み込む」という一般的な食事法に戸惑っていたが、MP豊富な宴会の料理を頬張って嬉しそうに笑った。
「でも、味は最高」
「そうだな。さすがに公爵家の食事だ」
「そうじゃない。オレはずっと、ニョキシーと一緒に堂々とメシを食べてみたかったから」
「……そうだな」
親友との秘密の食事はとても楽しくて、わたしは動けなくなるほど食べた上で「鬼族の貴様は真似するなよ、ルッツ?」と注意しながらロスルーコ家の使用人にも大量の料理を下賜した。クワイセは悪い顔をしながら小声で常世の女神に詠唱し、倉庫に大量の夜食を確保した。
宴の席は騒がしく、誰もわたしたちに注目していなかった。
十分食べ、夜食すら確保したあとで、わたしはバカな黒犬のように舌を出してアニキに吠えた。
「ねえアニキ、アニキ! もうメシは充分だ。それよりドライグ様からいただいたルッツが使えるか試して良いか? 老騎士バラキはしばらく動けないだろうが、庭で我が家の新入りと模擬戦したい!」
「好きにしろ」
子爵になった兄はドライグ公爵と政治の話をしていて、うるさそうに許可をくれた。
雪の降る庭に出るとルッツは素早く左右を確認し、「チチッ」と舌打ちして黒い松の木陰に倉庫の入り口を開いた。
中に飛び込むとルッツは竜が変身するように肉を歪ませ、即座にクワイセに戻った。倉庫の中は真っ白で、クワイセが確保した食材と、鬼の死体があるだけだ。
死体は先日クワイセが湖から釣り上げたルッツの本体で、鎧を剥がれて塩漬けにされている。
「ニョ、む、麦茶を……」
クワイセは体に合わない黒鎧を着たままMP枯渇でふらついていて、わたしが冷えた麦茶を注いでやると一気飲みした。当時のクワイセは型落ちしたスマホのようにMP切れに苦しんでいて、上質な食事をしても状況はさして改善できなかった。
「チ、貴族の食事を頂いたからMPはぐいぐい戻っているが……それでも時間あたりの回復量は奴隷のメシと同じか」
「そうだね、最終的な回復量は多いけど即効性は無い。調合スキルが欲しいなぁ……ルド迷宮でハチワレが下賜された薬は一瞬でMPが戻ってたよね?」
「チ、少し舐めたがあれはウマかった……調合は、ニョキシーでも無理?」
「ダメ。わたしを加護するノー・ワンは詠唱、前に話したカヌストンは刃物に抜群の適正をくれるけど、調合はそのどちらとも違う」
「……チ、オレも死神と針仕事の神様だけだしな」
クワイセは鎧を脱いで使用人服に着替えた。子ねずみが布切れを集めて自作した可愛いドレスだったが、それだけだ。
「チ……しばらくはお嬢様のメイドでいるしかないナ」
「今のところ変身術は4、5時間が限度か……こうやって他人の目がある場所に長時間いるときは誤魔化し方を考えないとね」
ロスルーコ市までの馬車では途中で変身を解いても誤魔化せた。
騎士ルッツは全身鎧を身に着けた状態でずっと御者台にいたし、荷台のモモやバラキには背中を向けていたので、2人に顔を見られる心配は無かった。途中の宿や野宿でも、ルッツの姿で「疲れたので」とテントに引っ込めば変身を解くことができた。
「チ……でも、ドライグの宴でたくさんのナッツや干しブドウが手に入った。日持ちするから、しばらくは変身中にずっとこれを噛んでおく」
「違和感を持たれないか?」
「チ、平気だ。この数日変身して知ったが、ロスルーコ家のルッツという女は、目上にはへいこらと頭を下げるが、それ以外には高飛車で傲慢な女だったらしい。人前でクチャクチャとモノを噛んでも目立たないはず……と、思いたいナ」
「言われてみると、ルッツは男爵時代のアニキに対して横柄だったな。男爵でもルッツよりは格上の相手なのに」
「チ! あの女、顔は良いしカラダは豊満だ。ルッツはいずれハッセより上の身分と結婚できる自信があったのだろう……バカな女だ。オレたちみたいな奴隷と違って、貴族の女は果実がいずれ腐るのを知らない」
15歳のねずみは顎で塩漬けの死体を指し、7つの子犬よりずっと俯瞰した視点で女の浅ましさを皮肉った。
季節を問わず温度の変わらない純白の倉庫の中でわたしたちは情報交換を続けた。
わたしが応接間で見聞きした兄やドライグのことを話すと、クワイセは追加の麦茶をまったりと飲んでから頷いた。
「チ……聞いた感じだと、リンナとルグレアが面倒だナ。元王族のあいつらが今後どう動くつもりなのか……ルッツと違って上等な貴族だし、オレには出方が読めない」
「そうなんだ。あいつらはアニキたちに——遠い国の言い回しで“金魚のフン”みたいに付いてきてるけど、アニキとドライグのどっちと結婚したいのかな?」
クワイセは金魚のフンという言い方を気に入ってしばらく笑い、
「チッ、好き勝手に予想するだけならいくらでもできるが、まずは確かな情報が欲しい。それが“ニンジャ”の基本なのだろ?」
「もしくは“スパイ”の大前提だ」
「……アレがどちらと結婚したいにしろ、地獄に叩き落としてやるぜ」
クワイセは暗い目で刀印を結び、わたしも同じサインを作って返した。
常世の倉庫を抜けて2人で屋敷をぶらつき、食堂を覗くと宴会は終わっていた。しかしアニキとドライグはまだ飲んでいて、義母オンラやハリティもその場にいた——リンナとその母親は見当たらない。
ルッツはクワイセの姿で、わたしの従者としてそっと耳打ちした。
「チ、笑えるナ。あの母娘は没落貴族の女だから、身分的にあの酒席には参加できないんだ」
「そういうことか……一応ルグレアは子爵家の当主だけど、『女』だから」
「そうだ。同じ子爵でもリンナはハッセほど偉くない……アレが男だったらナァ?」
クワイセは女が見下される制度に疑問を持っていなかった。彼女はただクスクスと残酷に笑い、
「とにかくクワイセ、リンナを探しに行こう!」
「チ!」
子爵令嬢のわたしは、子ねずみの従者を引き連れて偉そうにロスルーコの城を歩いた。
仮に当家のアニキ殿が死んだ場合、ロコック子爵の身分はわたしが継ぐ。そのせいか、城内の使用人はもちろん、遥かに年上の騎士たちも道行くわたしに深々と礼をし、誰も7歳のガキが夜中に屋敷をぶらつくのを止めなかった。ばかりか、夕食の盛大な下賜が効いたのか、嬉しそうに手を振る使用人もいる。
誰もがわたしに頭を下げたが、別に嬉しくはないし気味が悪かった。
「……うわぁ、この感じ、まだダラサ王国の姫君だった頃を思い出すね。当時わたしは赤子だったけど、みんなああして頭を下げた」
「チ、黒犬令嬢のステキな思い出はともかく、リンナのアホはどこにいるんだ? ——ニョキシー、ちょっとオレが聞き出すから待ってろ」
メイド服のクワイセがそそくさと男性使用人に近づいて色目を使うと、30代後半に見える豚系獣人はブヒついて、7歳のガキにもわかるほどメイドに欲情した。しかし15歳のクワイセは妖艶に笑いながら美辞麗句の社交辞令を返し、
「……チ、男は馬鹿だナ。くノ一の術は良く効くぜ」
ブタを袖にして帰ってきた子ねずみは、子犬には完璧な大人の女性に見えた。
「——すごいよクワイセ! おまえ……なんていうか、超エロい姉御というか……」
「チチッ!? キレるぞ。オレはまだ純真な十代の少女だし!」
「おおお!? ……えっと、よくわかんないけどごめん。それで、あいつらがどこにいるかわかったんだよな?」
「チ……情報は手に入れた」
クワイセはあどけない少女の顔に戻り、わたしたちはしばし台本を打ち合わせしたあと戦の本丸に突撃した。
リンナたちは、ロスルーコ屋敷の西にある角部屋に客間を与えられていた。
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