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第七章 悪役令嬢と誰でもない男神
右腕の死体
しおりを挟む黒い全身鎧を着てテントを出る。日が傾き始めていて、外はうっすらと暗かった。
役場にはまだランプの火が見え、差し入れのパンを抱えたモモが走っていく。早ければ明日にもルド村を出てハチワレとはお別れになるだろう。
寂しいけれど、復讐のためだ。
テントのストーブで温められていた鋼鉄の鎧は外気に触れるとすぐ冷たくなり、わたしは白い息を吐きながら湖の桟橋に向かった。
真冬の近づくルドの湖には濃い霧が立っていて、こんな状況の湖に「釣りに行く」としたクワイセはいよいよ変だと感じる。
桟橋には鬼族のオバサンが3人いて、上等な毛皮のコートに守られた特権階級の御婦人方は凍てつく湖を前に元気にお喋りを楽しんでいた。
わたしも毛皮のふわふわコートを羽織って来れば良かった。3人の鬼族はそれぞれ後ろに使用人を控えさせていたが、わたしと同じでコートを着ていない使用人たちは小刻みに震えていた。
「ご存知でしょう? 深い霧を抜けた先にある小さな孤島には迷宮の入り口がございまして、入ればすぐに歌が聞こえます。ですが息子のハッセは魔女の歌に強い体質みたいで……ルグレア様も、娘さんからお聞きでしょう?」
まずは義母のオンラ子爵が自慢する声が聞こえ、
「……ええ、誰より早く歌を克服なさったとか。もとより我ら鬼は歌に強いものですが」
「ええ。息子は竜でも夜刀でもありませんが、それが純粋な鬼の強みというものです! ですからハッセはドライグ様と勇敢にも迷宮に出たのです。偉大なる王国の子爵として、村の貧しい者たちに麦や米を与えたいと……子爵にふさわしい行いですわ」
「ええ、ドライグは自慢の息子ですわ。ダラサ王国の都合で奪われた娘は未だ戻りませんけれど、わたしはドライグ“公爵”を、実の息子のように誇りに思っています」
ハリティが義母に自慢し返し、ついでにダラサ先王の第二夫人ルグレアを皮肉る。
「……娘たちが戻って来ましたわ」
オバサンたちに近づきつつ、ルグレア子爵がどう返すかに耳を傾けていたわたしは、霧の先に3艘のボートを見つけた。左右の2艘にはアダルのような雑魚騎士が詰めていて、中央のボートには4人の男女が見える。
小さな船にはオールを手にしたドライグとアニキ、それにリンナとひとりの女騎士がいた。
アニキがこちらに気づき、手を上げて叫ぶ。ハッセは鎧をガチャつかせ、興奮で髪を黄色くしていた。
「——母上、信じ難い朗報ですよ! 亡きロスルーコ様の部下を……ずっと行方知れずだった女騎士ルッツを見つけました!」
幽霊でも見た気分だった。真夏に死んだはずの女騎士ルッツは——クワイセが倉庫で首を締め、湖に捨てたはずの女は、疲れた顔でわたしたちに会釈した。
「ハッセ様、よしてください。本当にお恥ずかしい限りです……私はあの夏の日、ニョキシー様たちをこの村へ見届けたあと、また迷宮に戻らねばならないのかと怖くなって……騎士のくせにルド村から逃げ出したのです。ドライグ様や先代様に合わせる顔がございません!」
「いや、そんなに自分を卑下するなルッツ。それでもお前はルド村に戻ったではないか。それもただ戻るわけではなく、女の身ひとつで迷宮に挑んでいたとは……」
ドライグが慰め、ルッツはわっと泣きながら何度も頭を下げた。髪の毛が赤くなり、角が生えている。
「でもでも、私っ、逃げたんですっ! あたしなんて騎士失格ですっ……★」
わたしはようやく“ルッツ”の正体を理解し、クサすぎる演技に不安を覚えつつ、全力で彼女の味方をすると決めた。
「お、おおー? ……おいルッツ、ひとりで迷宮に挑むとは、おまえ勇敢だな。強い女だ! 子爵になった超★偉いわたしの部下にしてやっても良いぞ!?」
「ほっ、本当ですかニョキシー様ー★」
「おお★ ドライグ様なんて捨てて、わたしの部下になれっ!」
懸命にセリフを考えながらわたしは秘密のサインを送った。ルッツは張り詰めた笑顔を浮かべていたが、わたしのサインを見るなり同じ印を返した。
ルッツはこっそり刀印を結び——わたしは内心、常世の女神が彼女に与えた死霊術に驚いた。おそらく彼女は夏に湖に捨てた死体を釣り上げて操っているのだろうが、遺骸はまるで腐っていない。
〈違うよ、ニョキシー。操っているわけではない。あれは私が知っている死霊術でもかなり高レベルの技のはずだ〉
と、ノー・ワンの声がして、
〈ふむ。わしも何度か見たことはある……チー牛、あえて貴様を“ノー・ワン”と呼んでやるが、月の邪神たるノー・ワンですら珍しいか? ——だとすれば、あのネズミは死神から恐ろしいスキルを許されているようだ〉
〈ニョキシー、あれは操り人形ではなくて、きみの友人そのものだ。見た目はずいぶん違うけどね〉
2人に増えた神が脳内で会話し、わたしは驚いてルッツを見つめた。
〈あれは死神のお気に入りだけが使える術で、自分が殺した人間に化けられる。スキルの名前は誰も知らないし、属性は「死」だからお前やハチワレにはマネできない〉
〈ついでに言うと一部の獣人が使う変身系のスキルよりも完璧に故人を再現できる。変身した上で訓練しなければならないが、故人が使っていたスキルを真似することができるはずだ——スキルは普通、そのスキルに対応する神の加護が必要なのじゃがのう〉
わたしは脂汗をかいて演技する女騎士ルッツ=クワイセを見つめた。
「……ほほう、ルッツをロコック家に、か……それも良いかも知れないな」
ドライグが呟き、桟橋で兄ハッセを向いた。
迷宮内部で竜に変身して破いたせいだろう、ドライグはとても貴族とは思えない安物のシャツを着ていたが、真紅の髪は整えられているし、背中には竜の羽がある。なにより物怖じしない堂々とした態度によって彼は自分が大貴族であることを周囲に示していた。
「ロコック子爵。我が父上と共に聖地で勇敢に戦ったアクラ様を称え、私はお前に褒美を出さねばならない。なにを与えたものかずっと考えていたのだが……」
「ロスルーコ様! 当家は決して褒美だなどと……」
「そう言うなロコック、そうしなければ我が家の恥となるのだよ」
そんな社交辞令の応酬があり、ハッセ=ロコックはドライグ=ロスルーコに対してさっと頭を下げた。
ドライグは桟橋に立つわたしに一瞬目線を向けてからアニキに告げた。
「ハッセ、まずは我が許嫁にルッツを与えるから受け取ってくれないか。これは優秀な血筋の鬼だし、貴重な倉庫のスキルを持つ。女というのは戦場にも服や香水を持ち込むから便利であろう」
許嫁、という言葉にリンナとルグレアが一瞬髪を変色させたが、2人はすぐに髪色を戻した。わたしはそれが痛快で、ドライグに許嫁扱いされた不快さを忘れた。
それに、ドライグはルッツをわたしにくれると言っている。
「本当ですか、ドライグ様★ わあ、嬉しい♥」
7つのガキなりにあざとく少女の笑みを浮かべてやるとルグレアが暗い目線を向けてきて、ルッツがすかさず片膝を突いた。船が揺れた。
「かしこまりました、ドライグ様。公爵家の騎士の名誉にかけて、ロコック令嬢の下でも身命をとして任務に当たります」
その日からルッツはわたしの右腕としてロコック家の騎士になった。公爵がわたしに下賜した騎士という身分はとても便利で、当主のアニキもルッツにだけはあまり偉そうに命令できないでいる。
だけどそれは後の話だ。
「よく言った、ルッツ。ニョキシー様のために命を賭けろ。それでロコックよ、あの老人は、今は怪我をして動けぬが——」
その日わたしは右腕と言うべき腹心の部下を手に入れたし、アニキもまた興味深い人物を配下に迎えた。
「あいつは私の教育係で、私という存在は、父上よりもあの老人に育てられたと感じるほどだ。時には口うるさいと感じることもあるだろうが、私はあれほど忠実かつ誠実な鬼を知らない。仕える家をロコックに変えても、貴君の子や孫を立派な騎士に育ててくれるだろう」
義兄ハッセは、その日から老騎士バラキを腹心の部下にしたのだった。
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