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第七章 悪役令嬢と誰でもない男神

黒騎士の忍術

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 念願だった「子爵」の身分に上がった翌朝、ロコック家のテントを出たハッセは妹に小さな違和感を覚えた。

「おおー? アニキおはよー★ 今日は良い天気だなっ!?」

 元々馬鹿な黒い子犬であったが、その日の義妹はいつになくだらけていて、どこの騎士からくすねたのか、ロコック家伝統の黒い鎧に身を包み、体のサイズに合っていない鎧をガシャつかせて元気いっぱいだった。

「おいハッセ、我が愚兄!」

 愚妹は桃色の舌をだらしなく垂らしてハッハと息をして、

「お酒は抜けたか? 昨夜ゆうべはドライグと一緒にずいぶん飲んだくれていたが、我が新しい飼い主がアホじゃ困るぞ!」

 アホの義妹はロコック家の当主の前で犬のように桃色の舌を出し、にへっと頭の悪い笑みを浮かべた。腰には昨晩バラキからもらった〈聖地〉の剣を差していて、ルドの村をうろつく蛮族たちを脅すようにカチャつかせていた。

 ハッセは上機嫌の理由を推理し——すぐに理解して、妹に厳しく説教した。

「……おいニョキシー、妹よ……生命様のご命令で子爵の身分になったからと言って、増長してはいけないよ」
「おおー? ぞーちょーってなんだ? よくわからんが、わたしは偉大なる“子爵サマ★”になったのだろ? 男爵令嬢なんぞより超★偉くなったのだろッ!? 故に愚妹は、超偉い貴族としてその辺の雑魚どもに理不尽な命令をしまくる予定なのだがッ!?」
「~~~~するなッ! それをヤメロというのが『増長』という警告なのだ!」
「お、おおッ!?」

 理解したのかしないのか、妹は小首をかしげてだらしなく笑った。

「なるほど! それじゃ偉いやつにだけ噛みつけば良いのだな!?」
「違う!」

 さんざん怒鳴りつけてやるとようやくバカ犬は黒耳を垂らしてしおらしくなり、

「おお?」

 車軸がきしむ音がして、雪の積もった村の広場に2台の馬車が駆けつけた。黒い子犬の妹がキャンキャンと吠えて馬車の周囲を駆け回り、毛皮の防寒着を着せられた黒馬トカゲが全身から湯気を上げる中、停車した馬車から花のように美しい少女が降りてくる。

 彼女の身分は「子爵」であり——つい昨日までは、諦めるしか無かった女性だ。

「——ああ、ハッセ!」

 リンナ=ダラサはハッセの新しい身分を口にしながら彼の胸に飛び込み、愚妹が「おおー?」と囃し立てるように吠えた。

「突然来てしまってごめんなさい。ジビカ様の神託を聞いたの。それで、私もお母様も黙っていられなくて……アクラ様の最後を聞かせて。生命の男神様が褒めるくらいだもん、きっと勇敢でしたのよね……?」

 ハッセは父の名に少し瞳を潤ませたが、泣かなかったし、髪色を変えたりもしなかった。

「無論です。父は最後まで英雄でした……さあ、お寒いですから当家のテントに。歓迎致します」
「はいっ……!」
「おおー!? 久しぶりだな姫様っ、半年もどこでなにしてたんだ!? ずっと食っちゃ寝か? にしては乳以外太ってない……おおおー!! 胸だけ巨大化させるとは、どんな魔術だっ!?」

 雪や馬車を見て興奮しているのか、黒い子犬はしきりに周囲を走り回ったあとリンナ子爵に抱きついた。


  ◇


 虫唾が走る思いだったがわたしはリンナに抱きつき、全力でアホのフリをした。売女のたわわな胸に顔を埋めながら次のセリフを考え、にへっとあざとく笑って叫ぶ。

「おおー? おいリンナっ、キサマしばらく見ないうちに胸をどれだけ大きくしたっ!? 教えろよー★」
「なっ、そんな、別に大きくなってないよ……」
「嘘は嫌いだ! それ以上詭弁を弄するなら決闘を申し込むぞ!?」

 童貞のアニキはリンナの胸囲を話題に出すと赤面したが、わたしにゲンコツを入れて絶対防御に阻まれた——ふん。これでアニキはわたしの残りが1点だと思っただろうな。剣の神からの加護についてはまだしばらく秘密だ。

 アニキは痛そうに拳をさすりながら怒鳴った。

「くそっ……リンナ様に失礼なことを言うな、バカ犬! お前、今日は少しおかしいぞ!?」

 ——だろうね。でも答えは用意しているぞ?

「……わたしはおかしくない。お父様が……亡くなったけれど、でも、それでも、わたしは騎士だ。騎士は絶対泣いたりしないし、いつも通り、普通にするんだ……っ!」

 地球時代を無視するなら、わたしは7歳のクソガキだ。

 養父の訃報に動揺しつつ健気に強がる7つの子犬を演じてやると、純情なアニキはさっと表情を曇らせたし、お人形みたいに美しい女も感激した顔を作った。

「偉いね、ニョキシー! 偉いよっ……!」
「偉くない。わたしは普通」
「……うん、そうだよね。ニョキシーは立派な騎士様だわ……!」

 地球で父の同僚だったニンジャによると、こういう術を「五情五欲のことわり」と呼ぶそうだ。

 それは忍者が避けるべき心であり、同時に忍者が狙うべき心である。

 地球由来の心理術を仕掛けてみるとアニキはコロっと騙されてわたしの肩に手を置き、

「偉いぞ、それでこそ……」

 とかナントカつぶやいて、リンナをロコック家のテントに案内した。

 テントに入るとメイド服姿のクワイセがはっと顔を上げ、体の前で組んだ両手を、自分を奮い立たせるように刀印に変えた。

「旦那様、それに。温かい麦茶はいかがですか」

 クワイセはネズミ特有の「チ」を堪えて微笑み、メイドとしてそそくさと茶の用意を始めた。

「奥様って、おい、リンナ様は妻ではないぞ……」

 アニキはモニョモニョと小声で抗議し、リンナは虚を突かれた顔をしたが、すぐに貼り付けた笑顔になってクワイセの発言を無視した。

 アニキたちに少し遅れてルグレアがテントに入って来る。わたしやクワイセはルグレアを徹底的にシカトし、没落した子爵の女は不愉快そうな顔を見せた。

 そんなクワイセの態度を義母のオンラが少し嬉しそうに見過ごす。

「まあルグレア……! ようこそおいでで!」
「これは、どうも……オンラ子爵」

 オンラがあえて身分を口に出し、立場で並ばれたルグレアはさらに不快そうにした。彼女が苛立ちのあまり娘に八つ当たりしてくれたら嬉しいな。

 クワイセはメイドとしてそつなく茶を給仕し、わたしは「父の訃報でアホになった」という設定を最大限生かした。

「アニキ、アニキ! 雪を見てくる!」

 7歳児らしい無害な笑みを浮かべて叫ぶと、誰もわたしを止めなかった。


  ◇


 ルド村は貧しく、冬は特に哀れだった。

 桟橋では漁民の蛮族がボートを浮かべ、湖に張った薄い氷を割りながら朝の漁労に出かけていたが、あの様子では釣果は期待できないだろう。夏場と違ってロコック領の泥炭も無いし、誰もが鼻を赤くして、沈んだ顔で寒さに耐えている。

 わたしは村の役場に向かい、その前で口論する猫の母子を見つけた。

「にゃ。止めるにゃ母ちゃん。この羊皮紙を見ろ。ニョキシー子爵の許可はもらってる! オンラとハッセ『サマ』のサインも書いてあるぞ! みんにゃおれにこの村でギータ様を待てってゆってる!」
「だけどね、昨晩ハッセ様たちは飲みすぎていたし……」
「にゃにゃ? 母ちゃんは子爵サマに逆らうのか? それって良いことか? 他はともかく、ニョキシー子爵は酒にゃんて飲んでにゃかったが?」

 ハチワレはモモに激しく抗議していて、わたしの姿を見ると嬉しそうに笑った。

「子爵様が来た」
「おいハチワレ、おまえちゃんと説得したのか? モモは話せばわかってくれると思うんだけど」
「……にゃ。おれは、その……」
「ちゃんと話してないのか? もう隠す意味は無いだろ」

 モモは貴族階級のわたしに警戒する目を見せた。ハチワレの母親にそんな目を向けられるのは悲しかったが、貴族はいつも使用人を顎で使うので警戒するのは当然だ。きっとわたしがわがままを言ってハチワレに命じたのだと思ったのだろう。

「モモ、わかって。これはハチワレを守るためなんだ」

 わたしはモモに理由を話した。案の定ハチワレは自分のMPについて中途半端にしか教えておらず、モモは息子が持つ4千MPというステータスに腰を抜かした。

「わかる? このままじゃハチワレはアニキに良いように使われてしまう。例えばアニキがアクラの復讐を果たすと決めたら、ハチワレは絶対、兵隊にされる——夏は無事に帰れたけど、次は死ぬかもしれない」

 モモは納得し、息子に言った。

「そんなに力があったなんて……母さんには話してくれて良いでしょうに」
「にゃ……だって、自分の力をオヤに自慢するなんてダサいし……それにおれは、知らない奴を殺したくない。自分が恨んでる奴はともかく、誰かに命令されて殺すのは嫌だ」
「……お父さんに似たね」

 モモはわたしの知らないハチワレの父を引き合いに出して息子を抱きしめ、わたしは新米の子爵令嬢としてルド村の村長に面会を願い出た。

 この春に就任したばかりの「鬼」はロスルーコの配下で、獣人とはいえ子爵令嬢のわたしに深々と頭を下げ、ハチワレを村の事務員として雇うことを快諾した。良い返事だったが、わたしは油断しなかった。

「よいか村長……ハチワレには基礎的な算術を教えたし、読み書きもできる。よって事務以外の仕事をさせるのは許さないし、月に1度は手紙で様子を聞くぞ。この子猫は夏、ロスルーコ公爵家や我らロコック家の遠征に尽力した功労者であるし、今日からロスルーコ公ギータ様をお待ちする重要な任務に就く。この子からの手紙が絶えたり、手紙に酷い扱いをされたとあれば、ロコック子爵家の名誉にかけてその方の首を死神に食わせるぞ」

 わたしは全力で偉そうに振る舞い、もらったばかりの日本刀をギラリと抜くパフォーマンスも披露しておいた。

 モモは獣人のわたしが年上の鬼を相手にふんぞり返る横で脂汗を垂らしていたが、ハチワレは笑いをこらえるのに必死に見えた。子犬に頭を下げる鬼の姿が愉快らしい。昨夜の子猫はピピンの復讐を誓って暗い目をしていたが、7歳らしい態度にほっとする。

 ハチワレはそのあとすぐ役場の仕事に就き、村長から直々に仕事を教わることになった。子猫はすらすらと書類を読み、計算もしてみせて、ずっと取り繕った顔をしていた村長が目の色を変えた。ろくな教育を受けていない蛮族ばかりの村役場にあって、ハチワレがマジで使える子猫だと理解したらしい。

「……行こう、モモ。心配なのはわかるけど、親が見ていちゃハチワレも仕事がやりにくいよ」

 モモを連れてロコック家のテントに戻ると、ちょうど義母のアクラが外に出てきて、わたしは久々にフィウのお母さんを見た。

 わたしが村役場にいる間に、フィウの母ハリティもルド村に来ていた。

 鬼族のハリティは遅れて出てきた元王妃ルグレアには微笑んだが、義母オンラには警戒した顔を見せていた。

「おおー!? 来てたのかハリティーサマ★」

 今日から全力でアホの子犬に徹すると決めたわたしは7歳女児そのままの奔放さで先代伯爵夫人に抱きつき、カマをかけた。

「神託は聞いたか、ハリティサマ? うちのアニキも子爵家の当主だ! ハリティ公爵様は、アニキとリンナの結婚を祝いに来てくれたんだよな!?」

 ハリティは無害な女児の発言にピリ付いた表情を見せ、義母オンラは嬉しそうにした。

 ——そうだろうとも。

 ロコック子爵家からすれば、元・姫君とはいえリンナは王族の女だし、結婚によって家格を上げることは貴族の女にとって最大の幸福だ。

 ピピンの葬儀に参加する意欲さえ見せなかった義母たちをわたしは軽蔑していた。

 ——リンナと同様、こいつらも地獄に落としてやる。


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