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第七章 悪役令嬢と誰でもない男神

生き残った騎士

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 ピピンの葬儀から半年ほどは特になにもなく平穏だった。

 いや、厳密にいうとわたしはほとんど毎日ハチワレに稽古をつけていて、腐敗の神から加護を受けた子猫に地球で覚えた格闘技を教えていた。

 それまで呪文系のスキルしかなかったハチワレはアミンのおかげで牙や爪を使えるようになったが、単に毒属性の爪が生える程度では戦いに有用とはいえない。彼は莫大なMPを持つので、普通に遠くから魔法を唱えるほうが安全かつ効果的に戦える。ただ、それをするには護衛の騎士やピピンのような素早いサポート職が必要で、ハチワレはそれを嫌った。自分ひとりでも戦えるようになりたいと彼は言った。

 覚えている限りの格闘技を見せてやると子猫は特に八卦掌を気に入り、相手の服や鎧を爪で引っ掛ける技をわたし相手に何度も練習した。わたしの方も負けてやるつもりは無いので9割は勝ったが、ハチワレは黙々と訓練を続け、ピピンの両親のために馬係の手伝いも続けた。

 そうしているうち季節は冬を迎え、その夜、わたしはハチワレが御者をする馬車でルド村に向かっていた。

 急な知らせだった。

 夏の終わりに叡智ジビカから「死んだ」と知らされただけだった義父アクラについて、叡智が再びアニキに神託を下した。

〈……ハッセ。老騎士バラキら3人の騎士が聖地からルド迷宮を引き返して戻った。彼らはアクラの遺品を持っているから受け取りに行きなさい。ロスルーコ家のドライグはすでにルド村へ向かっている〉

 半年前のあの日もそうだったが、アクラの死を確定する神託に義母オンラは気を失い、ハッセは気絶したままの母親を馬車に寝かせてすぐに屋敷を出発した。

 わたしたちの馬車はアニキの馬車のすぐ後ろで、子猫が吹雪に晒されながら黙々と馬に鞭を振るっている。

 馬車の中にはクワイセがいて、ハチワレの母モモもいた。夏にピピンが亡くなったこともあり、モモはハチワレがひとりで村に行くことを許さなかった。はっきりとそうは言わないが、モモは親のいないクワイセのことも心配しているように見えた。

 わたしたちが雪の積もる村に入ると、蛮族ばかりの村人たちは「また貴族が来たよ」と嫌そうな顔で迎え、馬車の荷物を降ろしたり村の広場にテントを張る手伝いをした。夏と違って厚手の重い布で、ハチワレたち使用人は村人と共に雪の中で汗だくになった。

 わたしはアニキや義母に連れられ、ロスルーコ家のテントに向かった。床には高価な絨毯が敷かれていて、泥炭を燃やすストーブが麦茶を熱く沸かしていた。

「来たか、ロコック男爵」

 ドライグはモンゴルのゲルのようなテントの奥でソファに腰掛けていて、アニキを「ハッセ」ではなく家名で呼んだ。夏の終わりに折られた羽は再生していた。

「はい、ロスルーコ伯爵。神託を受けまして……」
「ここに座れ。この者たちがアクラ様の勇姿を語ってくれる」

 テントには3人の騎士がいて、いずれもくたびれていた。わたしが名前を知っているのは老騎士バラキだけだったが、そのバラキが特に酷くて、包帯を巻かれて寝込んでいる。

「……バラキさんはルド迷宮の帰り道で動物に襲われたんです。聖地での戦いでも大怪我をなさったのに、我ら2人をかばって無理をしまして」

 騎士のうち、一番若い男が立ち上がってハッセに礼をした。男はリフラーと名乗り、わたしは義母と小さな椅子に腰掛けた。義母オンラは義父アクラを探すようにテントの中を見回したが、当然いない。

「聖地から戻ったのは我ら3名だけです……10名以上いたのに」

 騎士リフラーが悔しそうに言った。

「最初に、ギータ様が行方知れずとなりました。聖地へと向かう道中のことです。ルド迷宮の8層で我々は冒険者どもと鉢合わせてしまい……ギータ様は我々の囮になって連中を引き付けてくださり、はぐれてしまいました。捜索しようにも8層となると悪魔が出現することが多く……そのまま行方知れずです」

 リフラーは一番最初に一番聞きたかった話をし、わたしは口を挟んだ。

「つまり、ギータの生死は不明ですか」
「そうです、不明です……我らの力不足で、お恥ずかしい限りです」

 義父アクラとロスルーコ伯爵が死んだことは神託で知らされていたが、ギータについてはなんの通知も無かった。

 死んでいないと考えて良いのかな。しかし迷宮の全体は叡智ジビカですら見通せないと聞くから、人知れず殺されてしまったのかもしれない。

 ソファに腰掛けたドライグが自制した声で言った。

「弟の話は後にしよう。リフラー、ギータよりもアクラ男爵様のことをお伝えしなさい」


 そこからの冒険譚は、それはそれで興味深いものではあった。

 ロスルーコ伯爵は息子ギータを見失いつつも迷宮を進み、ついにルド迷宮を抜け出した騎士団は〈聖地〉の土を踏んだ。

「聖地です……! その空には昼も夜も月が見えませんが、それ以外では我らの故郷と同じく……いや、それ以上に実り豊かな土地が広がり……!」

 リフラーはその時の感動を熱く語り、そもそも聖地生まれのわたしは麦茶を飲みながら聞き流したが、アニキは義父が亡くなったというのに目を輝かせて聞き入っていた。リフラーは湧き水を汲んで飲んだときの感動や、騎士団の皆でツツジのような花を採り、密を吸った話を披露して、

「しかし、なにしろ敵地です。聖地にはいくつかの村がありましたが、そこで暮らしているヒトの形をしたものは全員悪魔なのです。とても全てと戦う余裕は無く……我ら騎士団は、やむを得ず悪魔のフリをしました」

 騎士団は鬼や人の姿を取った竜が悪魔どもとほぼ区別できないことを利用し、悪魔どもから服を盗んで身にまとい、必死に正体を隠してツイウス王国からレテアリタ帝国を目指した。

 ルド迷宮の出口はツイウス王国にあり——今のわたしなら「フィウに会いたきゃ王国に留まれよ」と言えるのだが、当時のわたしたちは誰もフィウの居場所を知らなかったし、「フィウ」という名前すら知らない——彼らは拐われたロスルーコの娘を探すべく、「レテアリタを目指すのが良いだろう」という叡智ジビカの神託ていあんに従って旅を始めた。

 命がけの旅だ。正体を知られたら即座に魔女が現れて〈天罰〉を受ける。しかも聖地の全土には地獄の歌が常に大音量で響いていたそうで、伯爵以外の全員は激しく弱体化させられ、旅は困難を極めた。

「竜騎士アクラ様のおかげで、ロスルーコ伯だけがご無事でした」

 大量の砂金を用意していたので食事や宿の代金には困らなかったが、それすら毎日というわけにはいかなかった。パーティには〈翻訳〉スキル持ちがおらず、伯爵たちは身振り手振りで交渉するしかなかった。意思疎通にしくじれば相手が鑑定持ちを呼ぶ可能性があり、鑑定されたら即死だ。

 パンを買ったり宿を取るだけで命がけだったし、安全を考え、その辺に生える雑草で飢えを凌ぐ日も少なくなかった。ある日の夕食は草むらで捕ったバッタの丸焼きで、老騎士バラキは無言で食べたが、リフラーやアクラはどうしても食べられなかった。ロスルーコは少し噛んだが、すぐに吐いてしまったそうだ。

「ですから騎士モルゴーが小さな野ウサギを捕まえた日は皆大喜びでした。わずかな肉でも我らにはごちそうだったのです」

 毎日がそんな調子でリフラーはもちろんアクラも頬がこけるほど痩せたが、祖父ユビンの無念を晴らすというアクラの決意は固く、竜騎士としてロスルーコの理性を保持し続けた。

 苦難の果て、彼らはついにレテアリタ帝国との国境までたどり着いた。


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