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第七章 悪役令嬢と誰でもない男神

帰宅

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 当時18歳だったハッセは、ふと義妹の姿が見当たらないことに気づいた。

 ……あのばか犬、勝手にどこを散歩しているんだ?

 探しに行こうと思った矢先、彼はロスルーコ様の御三男に呼び止められた。

「ニョキシーたちは先に帰したぜ。あいつらMPが切れてたし、ニョキシーはHPも無いし」
「帰した……? どうして勝手に!?」
「はあ? おれの身分を忘れたかハッセ。護衛に女騎士のルッツも付けてやったし、お前の妹は無事に迷宮を出るだろうよ」

 身分を問われ、ハッセは年下の少年に頭を下げた。屈辱だったが、鬼は竜に逆らえない。

 三男ギータは気楽な調子で同じ話を父アクラや竜の姿のロスルーコ伯に伝え、

「——なッ、馬鹿か!? ハチワレ無しにこの先の迷宮をどう進む!」

 激怒した伯爵に頬を殴られた。ざまあみろだ。

 しかし黒竜ギータはニヤリと笑い、自分の父親やハッセたちを嘲ったのだった。

「父上こそ、どういうおつもりです? 伯爵の身分にあるお方が、たかが獣人にご執心とは。我ら偉大なる竜の一族が、子猫一匹足りぬばかりに迷宮で倒れますか?」

 ギータの皮肉は伯爵ばかりか騎士団全員に効き、ギータはハチワレを帰還させた件を不問とされたが、ハッセはギータが必死に嘘をついているとわかった。

 あの黒竜は、本当はハチワレの身を心配して帰らせたに違いない——ピピンを死なせてしまったし、裏切りのリスクを考えればその判断は正しいと思う。

(……へえ、あの黒い竜は賢いな。言葉とは裏腹に、他の馬鹿どもと違って獣人か否かで判断を間違えたりはしないらしい)

 ハッセは内心そう思い、そんな気持ちを叡智に見透かされてしまった。

〈おいおいハッセ、加護を取り下げるぞ? かかる身分は生命様もお認めになった命の階級だ。君の主張はわからんでもないが、余計なことを口にすれば男爵の身分を危うくするだろう。もっと賢い思想を持てよ〉

 ジビカは気だるい口調で警告した。この男神は普段、世界中の騎士に冷静な声でレベルやスキルを通知しているが、眷属相手には言葉遣いが雑なところがある。

 それよりも、ハッセがなにも鑑定していないのにジビカは声をかけてきた。その意味は明らかで、

〈ふむ。正しく私の意図を予想したようだな。先程死んだアヒムは実に興味深い。あれはかなり高レベルの冒険者で、こんな迷宮に潜んでいるとは思わなかったのだが……〉

 ジビカはそう前置きし、予想通りハッセに言伝ことづてを頼んだ。

「……父上、神託がありました」

 ハッセはアクラに声をかけた。

 父アクラは崩壊した塔の傍らに拾ったテーブルを置き、ロスルーコ伯爵と〈聖地〉に向かう計画を話し合っていたが、すぐに中断して息子の言葉に耳を傾けた。

「どうした?」
「ジビカ様が、もしも聖地にたどり着いたらレテアリタという国を目指すようにと」

 ロスルーコ伯爵も嬉しそうに叫んだ。

「ほう! つまり、ジビカ様は聖地を目指すことにご賛成か!?」
「はい。しかし無理はせぬようにとも仰っていて、もしも行くつもりならレテアリタにと」
「なるほど、レテ……? 知らん国だ。アクラ、知っているか?」

 ハッセは父親に代わって簡潔に答えた。

「この迷宮はツイウスという国の田舎に通じていますが、レテアリタはその北方にある帝国だそうです。叡智様によると、その皇帝は〈生命の信徒レファラディアン〉で、小国のツイウスよりも遥かに強力な援助を得られるはずだと」

 父や伯爵は伝言に大喜びで「レテアリタ帝国」について詳しく聞きたがったが、ハッセには答えられなかった。

「すみません。私も同じ質問をしたのですが、叡智様は知恵の神であり、好奇心の強いお方で……神託はいつも最小限ですし、偶然の成り行きを楽しむところがあり……」

 父アクラはそれだけで納得し、ロスルーコ伯爵を説得してくれた。

「昔からですよ。この子がまだ15の頃です。妹のニョキシーがどういうわけか卵を酢で煮たいと言い張り、叡智様とこの子はニョキシーよりも強い興味を持って。それからしばらく酢の分量を少しずつ変えた卵ばかりが朝食に並びました……」

 愚妹は途中で研究に飽きたが、彼女が「ポーチドエッグ」と命名した料理は最終的にハッセの発明品とされ、たまに開かれる星辰祭のときロコックの領民に振る舞われている。酢を入れた湯に卵を割ると白身が黄身を包むように固まるのがポイントで、見栄えと味から郷土を代表する料理のひとつになった。

「たとえジビカ様であっても聖地は未知なる土地と聞きます。きっと叡智は我々に新しい知的発見を求めておられるのでしょう」

 ロスルーコ様は納得し、再び父と〈聖地〉探索の議論を始めた。

(聖地か……)

 ハッセは会議に参加したくてたまらなかったが、その場に出席を許されているのは父とバラキ、そしてドライグだけだった。

 片翼を根本から折られた赤竜は痛がる素振りも見せず父親たちの議論に耳を傾けていて、悪魔の斧にやられたハッセは、自分も負けじと痛くないふりをした。

 一礼してテーブルを離れ、塔の瓦礫の裏手に進む。そこには勝手を働いたギータと、青年が好きでたまらない女性がいた。

 その顔を初めて目にしたときは電撃を浴びた気持ちになったし、今でもそうだった。

「ハッセ様、伯爵たちにどのようなお話を?」
「それは……さあ。私にお教えできることは、父上たちがやはり聖地に向かうようだという事だけです」

 ハッセは照れくさく思いながら事務的に答え——突然自分の手を取ったリンナに髪を赤くした。

 リンナは小さく温かい両手でハッセの右手を包み込むと、懇願するような顔で尋ねた。

「魔女のいる聖地に……!? その行軍にはハッセ様もご参加を?」

 手を取られたのには驚いたが、ハッセはリンナの質問の意図を汲んで切ない気持ちになった。リンナはどうせ、ハッセではなくドライグが参加するかを知りたいのだ。

「私は……その、できれば行きたいものです。しかしドライグ様はご帰還なさるでしょうね。あの羽は、回復するまで半年はかかる重症ですから」
「できれば行きたい!? ダメだよ、ハッセも重症でしょう!? ——ねえハッセ様、ご無理はよして、もう私と一緒に帰りましょ?」

 しかしリンナは意外な返事をした。彼女はハッセをじっと見つめて、本当に心配して言ってくれた。

「危険すぎるわ。あの猫も帰ってしまったのに、どうして探索を続けるの?」
「——居なくなったら“あの猫”かよ、姉さん」

 黒竜が瓦礫を蹴りながら口を挟んだが、ハッセもリンナも発言を無視した。

「それは……リンナ様もご存知でしょう? 私の祖父ユビンは、騎士としてロスルーコ夫人のために月の悪魔と決闘し……惜しくも破れました」
「それがなに? 卑怯な手を使ったって聞いたよ!」
「そうです。『まがうる』とかいう悪魔は夫人の娘を盾にして、祖父ユビンは思うように戦えず……祖父の無念を晴らすことは、我らロコック家の悲願なのです」

 戸惑いながら答えるとリンナは感動したように頬を染め、照れたようにうつむいて、

「勇敢なのね、ハッセ……でも、私はあなたに傷ついて欲しくないよ」

 ハッセは胃がひっくり返ったような気分になった。ずっとドライグばかり見ていた女性が、自分にその美しい瞳を向けてくれている……!?

「それは……しかし、」

 ハッセはしどろもどろになって、父親が手を叩いて騎士団を呼ぶ声を聞いた。

「——集まれ。ロスルーコ伯爵から大切なお話がある!」


  ◇


 帰り道にも魔物は出たが、わたしのMPはまだ充分に残っていた。ハチワレにもクワイセにもなにもさせず、わたしは残ったMPをすべて吐き出して2人を守り抜いた。

 迷宮を出た。

 外は星が降るような夜だった。

 頭上には三日月形に輝く青い聖地が浮かんでいて、人狼のわたしは青い月を見ながら考えてしまった。

 こちらで死んだ魂は、あちらの世界に生まれ変わる——あそこにピピンの生まれ変わりがいる。

 他の2人もきっと同じことを考えたに違いない。特にクワイセは呆然と月に魅入られていて、両の瞳に聖地の赤道で渦巻く台風が映っている。

 わたしはそっとハチワレの肩に手を起き、湖の孤島に停めたボートに乗り込んだ。

 子猫と2人でボートを漕いだ。無言で月を観ていたクワイセはルドの湖の中程まで漕ぐとかすかな舌打ちひとつで倉庫を開き、中に入れていたルッツの死骸を捨てた。

 喫煙者が吸い殻を捨てるような仕草だった。重い鎧を装備したルッツは虚ろな顔のまま暗い湖の底へ沈み、わたしたちはボートを進めて夜霧の深い無人の桟橋に立った。

「……ハチワレ、クワイセ。2人とも、このまますぐにロコック領に帰ろう」

 わたしは冷静に言おうとして、続く言葉を口にした瞬間、泣いてしまった。

「帰って、ピピンの両親と、お葬式を、」

 その先が言えず涙を拭っているとハチワレがひとりルド村の厩舎に走り、黒トカゲと馬車を引いてくる。

「……にゃ。御者のスキルを習っていて良かった」

 ハチワレは誰にと言わずつぶやき、わたしたちは子猫が鞭を振る馬車に揺られた。


 数日かけてロコック領に戻ると、一応貴族の娘のわたしは義母のオンラに迎えられた。

 オンラは義父アクラやハッセの様子をしつこく聞きたがり、義母に経緯を伝えている間、ハチワレとクワイセは屋敷で暮らすピピンの両親に会いに向かった。

 ピピンの親は馬の扱いが上手で、城の厩舎で働いている。

 少し遅れて向かうと城の厩舎の一角に〈常世の倉庫〉の入り口が開いていて、中から泣き声が聞こえた。男と女の——ピピンの両親の声だ。

 クワイセとハチワレは固く唇を結んで倉庫の外に立っていて、わたしは言葉が出なかった。

 地球のころ、わたしは葬式を経験したことがない。一族のうちで最初にくたばったのがわたし自身だったから、わたしはひとの死を前にどう振る舞って良いか知らなかった。

 たぶんこのあとピピンを地面に埋めるのだろう。それは間違い無いはずだが、土葬なのか火葬か、それすらわからない。この世界にキリスト教は無いから、十字架は立てないはずだと思う。

 しかし質問できるような空気でもなく、ハチワレたちと倉庫の入り口で待っていると、そこへひとりの鬼族が歩いてきた。

 犯罪奴隷の禿げた使用人頭はハチワレたちを見つめ、顔に僅かな同情の色を浮かべたが、頭を振り、決然とした声で命じた。

「……ハチワレ、クワイセ。なにをサボっている。帰宅したのならいつも通り掃除や洗濯をしろ」

 抗議しかけたわたしはクワイセに無言で止められ、

「……ならオレは、厩舎で馬を世話する」
「にゃ。おれも」

 ロコック家の奴隷たちは倉庫の中で泣くピピンの両親の仕事を引き受け、わたしも手伝った。


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