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第七章 悪役令嬢と誰でもない男神
誰でもない神
しおりを挟むピピンを寝かせた魔法陣の上にそれが現れたとき、わたしたちは絶句した。
この「遊び」はこれまで何度もしてきたことだが、魔法陣の上に神様が現れるのを見たのはその日が初めてだった。
「にゃ……あんたがノー・ワン?」
子猫が掠れた声で質問し、ロリコンの神は寂しそうに頷いた。
「……そうとも。私はあまり外に出たくないのだが、さすがに今だけはね」
わたしとハチワレは、その日初めて「誰でもない神」を見た。
義父アクラの書斎には様々な本があり、生命の神が人々に伝えた聖書すらあったが、わたしたちがこれまでに読んだすべての本の中にこんな男神は登場しない。文字はもちろん挿絵や彫刻の中にも彼が描かれていることは無かった。
ノー・ワンは黒い長髪で、毛先をざく切りにした刺々しい髪型はドイツの深い森に佇む黒い松の木を思わせた。瞳も深夜の空のように黒い。
古代ギリシャのような白いローブを着ている点で服装は他の神々と同じだったが、彼は右手に金色に輝く真鍮の角のようなものを持っていた。
ピピンが横たわる魔法陣の上に顕現したノー・ワンは、悲しそうに告げた。
「……ハチワレ、ニョキシー。ピピンはもう助けられない」
わたしたちはその言葉を飲み込むために数秒かかった。
「にゃ……?」
ようやくハチワレが抗議しようとしたが、ノー・ワンは人差し指を口に当てて、
「助けられない。お前たちが私に捧げた祈りはかつて無いほど素晴らしかったが、もう常世の女神がピピンを『聖地』に連れて行ってしまった。生命の男神レファラドですら彼を連れ戻すことはできない。彼は魔女の棲む土地に生まれ変わった」
「——それじゃオマエは、なんのためにオレたちの前に来た!?」
クワイセが叫んだ。彼女は同い年のウサギの亡骸を抱きかかえ、頬を伝う涙がピピンの胸に落ちる。子兎の胸を染める黒い血に涙が混じった。
「まったくだね、クワイセ。私は役立たずの神だよ」
ノー・ワンは肩をすくめてさらりと同意した。
「今の私にできるのは、常世の女神からの伝言を授けることだけだ——クワイセ、諦めなさい。ピピンは二度と戻らない。こういう時の死神はずるくて、お前に〈倉庫〉を与えているくせに他の神に伝言を頼むんだ——ピピンは逝ってしまったと」
「……オレはもう、倉庫のスキルなんて要らない」
「死神に目をつけられた子は誰でも一度はそう思うものだが、そうだね……それに対して邪悪な月の魔女がどう答えるか教えてやろう」
松の木を背負ったような髪型の男神は微笑んで、
「この世の誰も死ななくなったら、星が命で溢れてしまう。我ら神々はただでさえ微生物や理性無き動物を加護していないのに、そのうえお前たち言葉のわかる生き物が死ななくなったら加護しきれない。だからお前たちは適度に死ぬべきなんだ」
納得できるかい? とノー・ワンは聞き、クワイセの表情を見て頷いた。
「それならお前にとって必要の無い者を殺しなさい。死神は、生命を無限に食べたりしない。お前が敵を殺せば殺すほど、お前が大切に思っている人が死神に奪われずに済むだろう——これが生命たる男神の考えだね。あの人は、より良く生きたいと願うすべての命の味方だから」
それは……どうなんだろうと言いかけたが、わたしよりクワイセが早かった。
「復讐してやる」
子ねずみは言い、その隣で白黒柄の子猫も頷いた。
「にゃ。月の悪魔も、鬼も、竜も……みんな嫌いだ。みんな死ねばいい!」
「よく決意したね、ハチワレ」
ノー・ワンはクワイセやわたしを無視して子猫だけを見つめ、
「我ら神々は通常、お前たちに整数の加護を与える。通常は9が最大の、数え切れる数だ。私達は、耐え難い怒りを感じた時にだけ自分の眷属に数えられない数を与える」
誰でもない神は、次にわたしを見つめた。
「ニョキシー。お前とハチワレは、私が“ゼロ”の加護を与えた特別な子だ。月の悪魔どもにお前たちの本当の力を見せてやりなさい」
小さな舌打ちが聞こえ、それだけで常世の倉庫が開いた。クワイセは自分の倉庫の中にピピンの遺体を入れ、舌打ちで入り口を閉じた。
ノー・ワンは物言わぬ黒松のような姿でその様子を見つめ、ふっと魔法陣の上から消え去った。
(……ねえ、ロリコン)
脳内で呼びかけても彼は返事をしなかった。
(ハチワレとクワイセが怒ってるけど、わたしは「正義の騎士」になりたい……)
ノー・ワンに抗議する前に、復讐に燃える子猫と子ねずみはギータの羽の下から飛び出していた。
◇
自分の羽の下からわたしたちが飛び出すと、黒竜ギータは期待した声で叫んだ。
「ピピンは……!?」
しかしギータはハチワレやクワイセの顔を見て結果を理解し、
「……そうかよ」
弓矢が大量に刺さった黒い羽を広げ、白目を剥いてブレスを吐いた。
竜族の三男坊は手加減無しの青白い火炎を吐き、射線に入った悪魔が声もなく消し炭に変わる。
運良くブレスを逃れた悪魔が黒竜を攻撃しようとしたが、
「チ」
子ねずみがつぶやくと足元に倉庫が開き、全身をストンと倉庫の中に落とした。
「チ!」
クワイセは敵が倉庫に全身を落とす直前、相手の首がまだ地上にあるタイミングで倉庫を閉じた。
常世の倉庫は入り口を閉じる時、間に異物があれば閉じきらずにその物体の形にフィットする。入り口は丸い物体なら丸く、四角いなら四角く形を変化させて、入り口にある異物を潰したりはしない。
「ゲッ……!?」
耳障りなうめき声とともにクワイセの「倉庫」で悪魔のひとりが死んだ。
自分の体が重力に落下する中、首だけを迷宮の地上に残された冒険者は首をくくられた格好になり、自由落下する自分の体重で頚椎を折られて即死した。
「チ」
クワイセが真っ青な顔で倉庫を開放し、即死した悪魔の死体を迷宮に放り出す。わたしたち獣人は「鳴き声」だけで詠唱を済ませることができるが、それでも「わん」とか「にゃー」が必要な犬猫と比べて、本気で「殺す」と決めたネズミは早かった。
クワイセは倉庫に安置したピピンだけは落とさないよう器用に倉庫を開閉し、次々と悪魔たちを縊死させた。
〈クワイセは悪魔を殺した! クワイセは悪魔を殺した! クワイセは……〉
冒険者はこの世界の敵であり、叡智ジビカが続々と上がるクワイセのレベルを実況する。
倉庫スキルは、死神に気に入られたものだけが使える特権だ。この世界に生まれ変わってからこっち、常識として教えられてきたことの本当の意味を知った気持ちになった。
「クワイセ……」
わたしは子ねずみが反撃で傷つかないよう呪文でサポートしつつ、無我夢中で「敵」を殺しまくる死神の子に声をかけようとして——それまで聞いたことの無かった女神の声を聞いた。
〈——これはワクワク。とてもよい。お前にもっと力を与えよう——〉
つぶやくような小さな声がして、クワイセが目を見開いた。彼女はそれまでに自分が殺した死体に目を向けると体を青白く発光させて、
〈——たぶん死霊魔術:技名不明——〉
無意味なスキル表示が視界に浮かぶ。
倉庫を操るクワイセが首を折って殺した死体がむくりと起き上がり、わたしは赤子の時に見た殺人鬼マガウルを思い出した。
「チ——仲間を殺せ!」
クワイセはチチチ、チチチと舌を鳴らし、それだけで死体が動き出す。
操られた冒険者の大半はヒトで、残りは獣人だった。
死体たちは手に持った剣や槍を雑に振り回して周囲の冒険者を襲い、辛うじて回避した生者に白黒の子猫がささやく。
「——にゃあ」
殺意にまみれたハチワレは化け猫のような顔で嗤い、猫鳴きだけの詠唱で冒険者の皮膚を引き裂いた。
子猫が使った岩系の高等魔術は被害者の体の内側に鋭い石筍を産み出し、冒険者は身体中の皮膚を岩に突き割かれ、悲鳴を上げて絶命した。威力そのものより痛みを重視した、拷問のような技だ。
子猫はさらに両手の爪を長く伸ばし、爪の表面に真緑のカビを浮かべて目についた悪魔を引っ掻いていて、
〈——毒茸流:腐敗の爪——〉
子猫に掻かれた悪魔たちは傷口から広がる胞子に怯えて逃げようとし、カビた悪魔を激怒したギータの青いブレスが炭にした。
わたしはみんなの戦いを見ながら戸惑っていた。
——殺される前に殺せとノー・ワンは言った。それが“魔女”とは違う生命の男神の哲学なのだと語った。
(でも、それはレファラドの意見だろ? お前はどうなんだロリコン)
心で問うても彼は沈黙したままで、
「——チ」
クワイセが怪しく笑い、ひとりの女騎士が「え?」と声を漏らした。
「……オマエはさっき、ピピンを『たかが』と言ったゴミ」
女騎士ルッツの足元に倉庫が開き、絶妙なタイミングの舌打ちで閉じる。
「——!?」
倉庫のせいで首を吊らされたルッツは驚愕した顔のまま即死し、常世の女神に加護された子ねずみは新しい死骸を手に入れた。
「チッ——仲間を襲え、ゴミ女! 悪魔も竜も鬼も、全部敵だ! オレの倉庫を生ゴミで満たせ!」
クワイセは泣きながらスキルを発動し続けていて、ルッツの遺体は剣を抜いてアダルを刺そうとし、子猫も詠唱しながら爪を突き立てようとした。
「「 ニョキシー!? 」」
そんな攻撃の間に割り込んだわたしは、ハチワレが使う死霊の爪やクワイセの死体に襲われた。しかし最後のHPが発動し、すべての攻撃を完全に防御する。
「……もうよそう、クワイセ。ハチワレもやめて!」
青い光の壁に守られながらわたしは子猫と子ねずみを抱きしめた。
「にゃ!? 離せ、なんで止める!」
「チッ、ニョキシーは貴族の味方なのか!?」
「違う! そうじゃない!」
迷宮に春の反乱で聞いたのと同じ低い唸り声が響いた。
「わたしは、お前たちを死なせたくないだけだ……」
少し離れた場所で義父アクラが魔法陣を完成させ、ロスルーコ伯爵が赤く巨大な竜に変身していた。
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