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第七章 悪役令嬢と誰でもない男神
ルドの迷宮
しおりを挟むその夜、討伐隊は村の広場でバーベキューを開き、わたしはずっとリンナに抱きつき、普段着のスカートから出した尻尾を振りまくった。
「だけどリンナは怖くないのか? わたしは最高に嬉しいけど、迷宮に入るんだぞ!?」
広場で焼かれた肉は討伐隊が迷宮で倒したアピスという牛で、食べてもMPを回復できないこの星の人々にはことごとく不評だった。薬品臭い泥炭で焼いたのも失敗だったようだ。
「ふふん、もちろん滅茶苦茶怖いけど、私は夜刀だよ。純粋な竜にはさすがに負けるけど、鬼族よりは強いはず……と、思いたいな。どうだろ」
リンナは他の人たちと同様BBQにはほとんど手を付けず、オートミールばかり食べていた。アニキたちがルドで収穫した雑穀を茹でたクソまずいお粥だ。
わたしは塩を振っただけの絶品ステーキでMPをゴリゴリと回復させながら聞いた。
「そっか。なら探検の前にリンナのスキルを教えて。ちなみにわたしは生まれつき鑑定無効だけど——実は回復系以外の基本属性はすべて使えるし、武器に付与できる」
「え……?」
リンナはわたしの発言に匙を落としかけた。
「——嘘でしょ!? 属性って、普通は3つか4つが限界だし……そもそもニョキシーは戦士系じゃなかったの!?」
「父とかアニキには騎士仲間以外には教えるなと言われてるけど、パーティを組むなら伝えておかないと。ちなみにHPは2点で、MPは5千くらいある」
「え、5……!?」
わたしを加護するノー・ワンは莫大なMPをくれる神で、わたしと同じく鑑定不能だが、ハチワレにも大量に与えている。
〈ふふん、王族が絶句しているな。MPは、5千を超えたあたりから大魔道士と呼ばれる……お前たちに無理して加護を与えたかいがあった〉
少し得意げなロリコンの声が脳内に響く中、わたしはリンナのスキルを聞き出した。
宴は進み、麦が豊富に採れるので広場の騎士たちは麦粥をつまみにエールを飲み始めた。生前パブとは縁のなかったわたしは味見しようとし、未だリンナを諦めていないアニキに妨害された。
「愚妹め……こりは子供が飲むものれはない!」
「おおー? 邪魔すんな愚兄。決闘するか!?」
「ねえリンナ、このバカを止めてくらさい!」
アニキはエールに酔っていて、いつもより雑な言葉遣いでリンナに声をかけた。
驚くほど可愛いブロンドの少女は優しく笑い、
「飲み過ぎですよ、ハッセ様」
肩に手を触れられたアニキは髪を真紅に変えて倒れ、そのまま眠ってしまった。
「寝ちゃった……ニョキシーのお兄さんって変わってるね?」
リンナは自分がしたことを理解しているのかいないのか……いや、たぶん理解した上で6歳女児のわたしに男女の妙を誤魔化してみせ、
「明日はいよいよ7歳だね、ニョキシー」
「……最高のプレゼントをありがとう、リンナ」
翌日の朝、ルグレアのテントで寝ていたわたしはピピンに揺り起こされた。
「——ハチワレ、お嬢様が起きたピョン!」
「にゃ。おたんじょーびおめでとー」
ハチワレたちは迷宮の小麦やアピスの乳を使ったケーキを用意してくれていて、わたしは3人を抱きしめて一緒にケーキを食べ、寝起きのルグレア母娘にも少し分けてから練習用の革鎧を装備した。リンナは軽装で、高級な服屋が鍛えた萌葱色のドレスに銀色のナイフだ。
クワイセに手伝ってもらいながら鎧を着込み、腰に両刃の細剣を下げるとハチワレたちはわたしの前で膝を突き、頭を下げた。
「なんだ、どうしたの3人とも?」
「にゃ。実はケーキはプレゼントじゃにゃい」
「チ……オレたちは“お嬢様”の従者だからな」
「怖いけど、我ら従者もニョキシー様と迷宮に入るピョン」
「……本気か?」
ハチワレたち従者は普段着だったが、
「チ。荷物を持って歩くのは大変だろ? 食料や着替えはオレの倉庫に預けろ」
「ピョ。おれは回復持ちだし、ニョキシー様の誕生日だから!」
「にゃ。ひとりで行かせたりしない」
◇
チョコレートを楽しみながら少し思い出を語ってやると、三毛猫はニャーニャーと興奮して叫んだ。
「にゃ! さすが“虎族”は勇敢である! そのハチワレと同様、ミケも7歳で迷宮に入りました……今だからわかるが、二重スパイのお乳にまんまと乗せられ、ミケもカオスも死にものぐるい。ママはほんとに死にかけてギルマスになった」
「お乳……? ちょっとなにを言ってるのかわからないのですが」
「サンドイッチが欲しいのか?」
「いよいよ意味がわかりません」
「にゃ?」
混沌の影()の家でわたしは子猫の冒険譚を聞き、ウユギワという村で草花の天使が魔女に虐殺された話に青ざめた。最後に子猫は鼻歌でパッヘルベルのカノンを披露してみせ、
「……そう。カッシェはその曲で7年も前に魔女を……」
「にゃ? おいキサマ、歌の女神様は魔女じゃない。ママを助けるために死神をぶん殴ってくれたし、当時の子猫には太刀打ちできない魔獣の群れを天罰の連打で全滅させてくれた!」
「——それで、ミケたちは村から引っ越したのですね?」
「にゃ」
わたしは脳内で「誰でもない神」と対話しながらミケから情報を引き出した。
◇
ハチワレたちとテントを出ると、広い湖には朝霧が立ち、寝ぼけ顔のアダルとドラフが泥炭の焚き火でキルト地の服を乾かしていた。
全身鎧は素肌で着ると擦れて痛い。わたしが着ている革鎧ですら擦れる。
アホの2人は鎧の下に着る服を乾燥させていて、わたしは胸に「焼き魚」と「焼き鳥」という単語をしまい込んでロスルーコ伯爵家が眠るテントに向かった。
女のわたしはルグレア夫人のテントで宿泊しているが、伯爵家は全員が男なので、男爵の義父アクラとアニキもあのテントで寝ている。
垂れ幕の前まで行くと伯爵の従者が入り口の布を持ち上げ、澄み渡る初夏の朝に牛肉の焼ける良い匂いがした。
テントの中央ではアニキたちが泥炭のストーブで牛肉を焼いていた。老騎士のバラキもいて、名前を知らない太った騎士と小麦のパンを焼いている。
「酷い味だ……生命様の悲しみの味がする」
義父アクラの意見には賛成できないが、わたしはリンナやルグレアとともに礼をしてロスルーコ伯爵に告げた。
「リンナ子爵のご命令だぞ。わたしたちは今日、迷宮に入らせてもらう」
「タスパ語だ、愚妹」
寝起き顔の兄が不敬なスラングに警告したが、ロスルーコ伯爵は気にするふうには見えなかった。
「……リンナの提案を受け入れるかは悩んだが、ニョキシー。お前は『聖地』の子だ」
伯爵は小さなブローチを開き、その中をじっと見つめていた。彼の妻が持っていたものと同じで、拐われた赤子の絵があるはずだ。
「ルドに挑んで4ヶ月になる。悪魔の村の探索は、我ら竜族のせいで……」
「いいえ伯爵。我ら鬼だけでは狭路を抜けた先に待つ動物たちに勝てません」
義父アクラが口を挟み、伯爵は微笑んだ。
「いいや、認めよう。お前の娘やリンナ=ダラサ様のご助力はありがたい。ルドの通路は狭すぎて——まあ、見れば分かるだろう」
「なんの話だ?」
「娘よ、言葉に気をつけなさい。我々はまず朝食を済ませる」
アクラたちはそう言ってゆっくりと朝食を始め、意気込んでいたわたしはヤキモキした。アニキはわたしが「早く」と言うたび「黙れ」「タスパ語」と小うるさかったが、リンナがドライグのためにパンを焼き始めると仲間になって、
「……そうだな、早く出発すべきだよな妹?」
「おおー? アニキの言う通りだ。お前ら早く食えよ」
「言葉遣い!」
「アニキはわたしの味方じゃないのか」
1時間ほどしてようやくテントから出られた。
ロスルーコ伯爵はその日連れて行く兵士を集めてわたしたちが探索に加わると説明し、
「では、出撃する!」
わたしはリンナやハチワレたちと湖の桟橋からボートに飛び乗った。ルドの湖には薄い霧が立ち込めていて、
「リンナ、オールを漕いでくれ。昨日聞いたステータス的に、リンナの腕力はわたしたちより“全力”なら上だ」
小舟に乗るなりわたしは指示を出し、ピピンが青ざめて身分の違いを警告する前に、夜刀の子爵は楽しそうに笑った。
「わかったよニョキシー。誕生日だし、男爵令嬢の仰せのままにしよう☆ ……昔の嫌なことを思い出すから、みんなボートに掴まって……お母様、行って参ります!」
夜刀族のリンナは心配そうなルグレアに手を振ると目を閉じ、ボートのオールを手に取って「鬼」としての力を見せてくれた。
——鬼は、怒りで腕力が跳ね上がる種族だ。
リンナはカッと目を見開くと髪をピンク・ブロンドに変え、猛然とオールを漕ぎ始めた。
「……くそ。お母様ったら、ちょっと香水を借りたくらいでネチネチと……私まだ5歳だったのに……!」
リンナはぶつぶつと情けない独り言をつぶやき、純粋な鬼族のアニキたちより早く湖を進んだ。設定としてはヒーロー的で超クールな鬼族だが、兄や義父もこういう手を良く使う。
一番乗りで離れ小島に降りた。リンナが背中の羽をパタつかせ、頭を冷やしてブロンドに戻す。
1エーカーほどの小島には一面雑草が生えていたが、この4ヶ月で討伐隊に踏み慣らされ、ボートを降りてすぐの場所から細長い獣道が伸びている。
兄や義兄、そして伯爵一家を待ってからわたしは獣道の先を見据えた。小島の中央には苔むした巨大な岩があり、真ん中で2つに割れている。割れ目の奥は暗くて見通せない。
実の父親と一緒にボートを降りたギータが薄紫の髪をかきあげ、黒い羽をパタつかせて声をかけてきた。彼は粗末な白いシャツの姿で、鎧は装備していなかった。
「漕ぐのが早いなニョキシー男爵令嬢。いや、漕いだのはリンナ姉さんか。でも、ここからはおれたちの後に続いてくれ。おれたちは竜だから、子犬より何倍も防御力が——」
「ギータの後ろに? ——断る」
わたしは自分を先頭にハチワレやリンナと突撃した。背後でギータや義父、それにアニキが怒鳴る声が聞こえたが、みんなわたしの“特権”を忘れている。
「おおー?」
7歳になったわたしは大人たちに挑戦的な遠吠えを返した。
「良いぞ、貴様らに絶対防御があるならついて来い! ——わたしは2打まで決して死なないが、わたしに比肩する防御を持つなら一緒に肉壁になれっ!」
「——ごめんね皆さん。ニョキシーは今日、誕生日なので☆」
リンナはわたしの皮肉をフォローするために可愛らしく両手を合わせて頭を下げてくれた。ハチワレもニャーニャーと謝罪し、わたしはルドの迷宮に一番乗りした。
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