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第七章 悪役令嬢と誰でもない男神
赤竜と竜騎士
しおりを挟むどこか浮世離れした貴族の色恋に興奮していたわたしは、急に現実に引き戻された気分だった。
朝からずっと同じ装備だが、わたしは練習用の皮鎧を着て腰に剣を佩いた状態だ。
全身鎧のバラキに連れられ、鎧を鳴らしながら館の1階ホールに向かうとそこには重装備に身を包んだ大量の騎士が詰めかけていて、リンナの従者たちが青ざめた顔で彼女を取り囲み、老騎士バラキはわたしの従者たちに目線を投げて唸った。
「ニョキシー=ロコック様、御身の護衛はこの子どもたちだけで?」
ハチワレはまだ7歳の子供だったし、一番年上のクワイセも14歳の少女だ。
「お、おれもいるピョン。ドラフ様が酒におぼれて、ようやく開放してくださった……」
クワイセと同い年のウサギの少年が走ってきたが、バラキはため息をつくばかりだった。
「貴様らでは数にならん。ニョキシー様、リンナ様と合流して屋敷の地下室に隠れてください。私が入り口を守りますから——」
「いや、それならハチワレたちを守ってくれ」
白髪交じりの青い髪を持つ鬼族はわたしの言葉に意外そうにしたが、
「わたしはとある神から2点もの絶対防御を得ている。この加護だけで貴様ら下級騎士よりは強い。わたしはアニキ……兄上のハッセ様やアクラ=ロコック様に加わって戦う」
「しかしニョキシー様、私は……」
「くどいぞバラキ。男爵の令嬢として貴様に命じる。命をかけてハチワレたちを守れ」
「……私めに、獣人を守れと?」
「耳が無いのか。我が従者を護衛せよと命じた!」
怒鳴るとバラキは敬礼してわたしに従った。男爵にも劣る「下級騎士」の身分は一代限りの騎士で、原則として世襲できない。バラキに子供がいるのかは知らないが、彼が子息を騎士にしたければわたしのような男爵令嬢には絶対服従だし、
「逆らうならニョキシー=ロコック男爵の名にかけて貴様の騎士身分を剥奪する」
言いつけるとバラキは無言で頭を垂れた。お年寄りを顎で使うのは不快だったが仕方ない。
「みんな、この騎士様に守ってもらって!」
従者の3人に言いつけてわたしは義父やアニキがいる場所に走り、義父より先にロコック家の黒鎧に身を包んだアニキが声をかけてきた。背には赤いマントを羽織っている。
「ニョキシー!? どうして来たんだバカ犬、おまえは隠れて……」
「わたしは騎士だ。アニキと一緒に戦う! それに、わたしは子供の騎士の中でアニキに次いで強いつもりだが? それともわたしが知らぬうちに雑魚のアダルがHPを得たか?」
アニキの両隣には小魚のアダルと小鳥のドラフがいて、兄と同じ装備を身に着けたアホどもはわたしの姿に明らかに安堵した——あの2人は毎日の訓練でわたしに勝利できたことが無い。
伝統の黒鎧に身を包んだアニキはマントを翻し、小声で「鑑定」とつぶやいて体を発光させた。
「……良いだろう、騎乗するから剣より槍を使え。ジビカ様が『子犬は散歩に行きたがるものだ』と仰っている」
「おおー? さすが叡智の神様だ!」
「うるさい。黙れ。連れて行っても良いが……行軍中は常に私に従い、言葉はタスパ語を使え。このあと父上と一緒にロスルーコ様が出陣するが、父上はともかく、ロスルーコ伯爵は愚妹の不敬な言葉を許さないだろう」
『よくわかりました、兄上』
『——上等だ。おい幼女騎士、産まれて初めての正式な騎士の任務だぞ! せっかくの機会なのに、くそアホ2人はビビってるけどな』
『……!! はい!』
アホの2人とは違い、わたしのアニキは任務を恐れてはいなかった。兄のハッセはポーカーフェイスを貫いたまま早口のタスパ語でアダルとドラフをバカにしてみせ、タスパ語を知らない2人はアホ丸出しの顔で屋敷に迫る民衆の声に耳を塞いだ。
『しかし兄上、すごい声ですが……なぜ民衆は反乱を?』
『さあな。ここはロスルーコ領だし、理由はわからないよ』
絶対日頃の差別が原因だろうが、わたしはあえてそれ以上聞かなかった。
ホールでは多くの騎士が従者に鎧を着せられながら槍を手渡されていた。わたしも手近な使用人を呼び止めて槍を受け取った。
『では兄上、父上とロスルーコ様はどのような作戦を?』
『それは楽しみに見ていなさい——純粋な「竜」に勝てる種族は存在しない』
『竜——?』
わたしは聞きかけて息をのんだ。
父アクラとロスルーコ伯爵が屋敷の門を開き、わたしは伯爵の肉が赤く沸騰したようにたわむのを見た。そのすぐ後ろには伯爵の3人の息子がいて、赤毛の長男を筆頭に、次男が青い翼を広げ、三男のギータが父親同様に肌を変色させるのが見えた。
瞬きする間にロスルーコ伯爵は赤い巨大な竜に変わっていて、その息子たちもまた中型の竜に変化していた。
竜たちは中庭で翼を広げて吠え、屋敷を取り囲む民衆が4体の「竜」を前に悲鳴を上げた。
◇
四体の竜は羽を羽ばたかせると激しい風を起こして空に舞い上がり、気がつくと義父アクラの姿は無かった。
「アニキ、父上はどこに——」
『タスパ語だ、妹! 父上は「竜騎士」として戦場に向かった。我らも「騎士」として出撃するぞ!』
17歳のアニキに続いて屋敷を飛び出すと深夜の庭には黒いトカゲの「馬」が何匹も待機していて、わたしはハッセに命じられるまま目についた馬に飛び乗った。
『ニョキシーは我々の槍に属性をよこせ! ——詠唱は「火」だ。あれは照明にもなる!』
わたしのスキルを把握している兄はタスパ語で叫び、黒い兜をかぶってダラサ語に切り替えた。
「アダルとドラフは私の左右に付け! 槍を構えろ。ニョキシーがすぐ支援魔法を使う!」
『うえぇ……兄上、こいつらにもですか?』
『早く唱えろ!』
兄の作戦は気に入らなかったが、わたしは仕方なく青い月に向かって遠吠えを上げた。
黒犬のわたしには鬼族のような細かい詠唱は必要無い。
聖地と呼ばれる青い惑星を見つめながら狼として吠えると前方を走るアニキとアホ2人に火属性が与えられ、3人の騎士が小脇に抱えた槍の穂先が炎に包まれる。
「おお、これは明るくて良い……!」
臭い魚人のアダルが笑い、わたしは不快に思いつつ自分が乗る馬に拍車をかけた。訓練用の革ブーツに付けられた突起に腹を撃たれた黒トカゲは独特の甲高い声を上げ、わたしを運ぶ足を早めた。疾走する風を受けながら自分が構える槍にも詠唱し、穂先に灯る炎が風に流れる。
アニキたちは兜をしていたが、犬耳に擦れて不快なので、わたしは装備していない。ずいぶん伸びた黒髪を風に揺らして館の立つ丘を下っていく。
大量の松明が見えてきた。火を持たない反乱者は弓を構えていて、一斉に夜空へ発射した。
「山なりに矢が振ってくる。各自適当に避けろ! 私は『鑑定』で——」
先方を走るアニキは鑑定を願い、馬を巧みに操って矢の雨を回避した。鑑定で攻撃を先読みする技は「鑑定持ち」がよく使う手で、我が兄は日に15、6回が限度だが、高レベルの術者であれば数十回の連打も可能だと聞く。
適当に避けろと指示されたアダルとドラフは悲鳴を上げて盾に隠れ、槍を振り回した。アダルは多少マシな動きを見せたがドラフは酒を飲み過ぎていて、ワイバーンの羽に矢を受けて泣いた。
当時はカヌストンの加護を得ていなかったわたしにしてもこの攻撃は回避しようがなかったが、わたしは迷わず矢の雨に突っ込んだ。
ロリコンがわたしに付与した絶対防御の壁が速やかに展開され、青白い壁がすべての矢を跳ね返す。
「おお……それが噂に聞くHPの壁か。青いのだな」
上空から腹に響くような深い声がした。
見上げると2匹の竜がわたしを見下ろしていた。1匹は赤く、他方は黒い。
「黒い竜はギータだよな? もう一人は、ロスルーコ様……?」
「おやおや、婚約者の顔を忘れたのか?」
わたしのHPを称賛した赤い竜はドライグだった。彼は羽ばたきながら言った。
「確かにわたしと父上は同じ色だが、大きさがまるで違うだろう?」
「おれたちは先に行くぜ、幼い女騎士」
2匹の竜は大きく翼を羽ばたかせてわたしやアニキを追い越して行き、少し遅れてわたちたちも反乱軍と相対した。
距離さえ詰めれば弓を構えた雑兵は敵でなかった。わたしとハッセは騎乗したまま弓兵を踏み潰したが、弓兵の背後から剣と盾を構えた市民が雄叫びを上げて襲いかかってくる。
市民たちはみな痩せていて、鬼気迫る激怒の表情をしていた。
興奮して「戦闘」に加わったものの、わたしは反乱者らの表情に気圧された。
しかし同情すれば自分が殺されてしまう——迷いは一瞬のことで、MPに余裕のあるわたしは早口の詠唱で「敵」に爆風を浴びせ——たぶん、殺して——、
「いいぞ、ニョキシー!」
MPの少ないアニキは火が付与された槍を器用に振るって「敵」を火だるまに変えた。少し遅れてアダルも追いついて戦闘に加わる。
「ハッセ様、ドラフは逃げ——あ、いえ、退避しました! あいつ羽と腕に矢を受けて……」
「いいさ、問題ない。見ろ、父上が“祭壇”をお造りになられた!」
夜空に浮かぶ巨大な〈聖地〉を背に、一匹の竜が巨大な羽を広げている。本来は赤いはずのロスルーコ伯は逆光のせいで黒く見えた。
その背にはわたしの義父アクラが乗っていて、髪と瞳を真紅に変え、長い2本の角を伸ばしている。義父は右手に持った槍を天高く上げ、その穂先で空中に魔法陣を描いていた。アクラは早口に詠唱しながら槍の柄でロスルーコ伯爵の背中を小突き、
〈——竜騎術:赤竜の息吹——〉
スキル表示と同時に、赤く巨大な竜の口から激しい炎が吹き荒れた。
(これが……「竜」か)
病院のベッドで観た空想映画のような光景だった。
レーザー兵器のように大地を直撃した火は石畳を溶解させ、直撃した住宅を即座に炭化させ、運悪く近くに居た反乱者を消し炭にした。
ロスルーコ伯爵は火を吐き続け——このまま敵を皆殺しにするのか? と思ったわたしは、すぐにそうではないと知った。
上空で火を吐くロスルーコはほとんど理性を失っているように見えたが、彼が炎を吐き出す先を冷静に操っている騎士がいた。
義父アクラは槍を指揮棒のように振るって竜に指示を与えていて、反乱軍を恐怖させつつ、脅すだけで決して殺さぬよう気をつけていた。
わたしは義父のそんな姿を英雄のように感じたが、
「アダル、ニョキシー、今のうちに反乱の首謀者を探す。雑兵はあまり殺すなよ。こいつらはロスルーコ領の農民だ。殺しすぎると税が得られない」
アニキが手早く指示を出し、わたしは義父アクラやロスルーコ伯爵がなぜ反乱者を殺さないのか理解した。
なるほど……なるほど……?
「……わかったよ、アニキ。つまり、悪いのは首謀者だ。つまり、みんなはホントの悪者に騙されてるだけなんだ。だろ? だから我々正義の騎士は——」
「タスパ語を使え、妹。いいから首謀者を探せ!」
上空の竜が炎を撒き散らす中、その息子たるドライグやギータ、それに青色の竜も空を飛び回り、小さな炎を口から吐いていた。
わたしは自分に襲いかかってきた茶色い犬の獣人を魔術で「撃退」し、アニキと一緒に首謀者とやらを探した。
そうしているうち反乱軍の一角で大声が上がり、ロスルーコの部下をしている騎士たちが上空へ合図を送る。
いつも生臭いアダルが雑兵を槍で刺殺しながらアニキに叫んだ。
「くそっ、ハッセ様、別のやつに取られたらしい!」
「……残念だな、私も手柄を得たかったよ」
聖地を背にした赤い竜が炎を止め、理性を取り戻した声で領民に告げた。背中の義父がなんらかのスキルを使ったようで、赤き竜ロスルーコの声は夜の町に深く響き渡った。
「我が愛すべき領民たちよ。生命様の教えに従い、命をやるから畑に戻れ——それでもこの場に留まる者は、貴様らの首謀者と同様に魔女の土地へ送ってくれる!」
反乱軍は統制を失い、散り散りになって逃げ出した。
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