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第七章 悪役令嬢と誰でもない男神
朝食の席で
しおりを挟む日課の訓練を終え、わたしはファンタジックな中庭を歩いて中世のような城に戻った。
「違うよアニキ、シュリケ・ンじゃなくてシュリ・ケン」
「ほう、それが呪文の正しい発音か」
兄のハッセはわたしに「手裏剣術」についてしつこく質問していたが、レンガ造りのアーチをくぐってお屋敷の廊下に入ると口を閉じた。
「にゃ。お疲れ様でございー」
そこにはロコック家の多くの使用人が待ち構えていて、白と黒のハチワレ柄の使用人がわたしの前に進み出てお湯を張った盆を差し出した。
「ありがと、ハチワレ」
わたしは子供用の使用人服を着た子猫の「ハチワレ」に小声で礼を言い、お盆のお湯で手や顔を洗った。
「にゃ」
白と黒の毛並みを持つ猫獣人の「ハチワレ」はわたしが顔を洗うとふわふわのタオルを渡してくれて、
「ありがと、ハチワレ」
わたしはもう一度お礼を述べた。
城の通路ではアニキを含めた貴族たちが使用人から湯をもらい、朝練で疲れた体や顔を拭いていたが、獣人に礼を言うのはわたしだけだった。
ウサギ獣人のピピンからタオルをもらったアニキは、白黒猫のハチワレや白いウサギの少年がまったく見えていないかのように言った。
「……来なさい、ニョキシー。朝食だ」
◇
季節は冬だ。
わたしは白い息を吐きながら底冷えのする城の廊下を歩き、城の食堂のドアをくぐった。
廊下に比べて中は何倍も暖かく、少し薬品臭い匂いがした。
食堂には木製の長いテーブルがひとつだけあり、入り口から見て最奥の席には泥炭を燃やす暖炉を背に義父アクラが腰掛けている。
義父は羊皮紙の手紙に目を通しながらこめかみを揉んでいた。家長アクラは我がロコック家で最強の騎士だが、ああして毎日事務仕事に追われ、月に1度くらいしか朝練に参加してくれない。
長男のハッセは無言で手紙を読む父親にちらりと目を向けると入り口近くの粗末な椅子に座った。あのあたりの席は見習いの若い騎士たちの場所で、食堂のテーブルに着くことのできる騎士の中でも最下級が座る下座だ。
——自分の息子でも、他の家の子と特別扱いはしない。それが義父アクラや義母オンラの方針だったが、わたしは例外だった。
「さあ、お腹がすいたでしょう」
義母の鬼族オンラに呼ばれ、わたしは食堂でも領主夫妻だけが座れる場所に向かった。
わたしはこの家の実の娘ではない。しかしダラサ王国でも数名しかいない絶対防御の持ち主で、そのうえ伯爵の息子と婚約していた。
特に最後の条件は義理の両親にとって重大な意味を持つようで、わたしはずっと特別扱いされていた。
「……ニョキシー、朝方ハッセの怒鳴り声を聞いたが、また自分の部屋で本を読んで寝過ごしたのか。ジビカ様のご加護も無いのに熱心だな」
「すみません……」
義父アクラのすぐ隣の席に座ると、アクラは整った顔を優しく緩めて叱り、わたしは頬を染めて素直に謝った。
わたしは義父だけには頭が上がらない。
彼は優男のくせに凄まじい槍の使い手で、わたしは訓練で一度も勝てたことがなかった。この男爵は異常に強く、地球で覚えた柔術や忍術すら無駄だった。
——肉体的に強いからなんだというのか。
当然そんな反抗心はあるのだが、犬に生まれたせいだと思う。子犬のわたしは彼に歯向かうことができなかった。
わたしが怯えて頭を下げるとアクラは大らかに手を降って微笑んだ。
「いや、叱っているのではないよ。いつも繰り返しているが、お前は未来のロスルーコ夫人なのだから」
「…………はい」
飼い主が発した「ロスルーコ夫人」という言葉に虫唾が走ったが、わたしはぐっと耐えた。
乳幼児の黒い子犬に「家督を継いだら捨ててやる」と言ったあのクソガキの顔は今でもたまに夢に見る。
今年の夏にようやく7歳になるわたしは、どうやってもドライグとの婚約を破棄できず焦っていた。
そもそも我が家は男爵で伯爵たるロスルーコ家と話し合うような機会がまるで無かった。
男爵の上には子爵という身分があり、伯爵は、子爵のさらに上にある身分だ。ロスルーコは男爵のロコックごときが自由に面会を求められるような家ではなかった。
法律の上では、あと6年待って13歳すれば、わたしはわたしの意思で婚約を破棄できる。しかしそれより前に先方から「結婚しよう」と言われたら終わりだ。決定権は義父アクラにあり、わたしは拒否できない。
「さて——朝の訓練でみな腹を空かせていると思う」
アクラ男爵は食事用のナイフで陶器のカップを叩き、家臣たちの静寂を待ってから祈った。
「偉大なる生命の男神レファラド様は、今日もまた我ら生者のために肉を与えてくださった……」
アクラは日々の糧に祈り、わたしを含めた部下たちが同じ祈りを追唱する。
「生命たる男神は、世に力を示し、生き残った勝者にだけ糧を与える」
義父は唱え、わたしや兄は反芻した。
「さあ、敗者の命を頂こう……」
朝食のテーブルにはこの冬ずっと食べさせられていた干し肉が並んでいて、わたしは「今日もかよ」とため息をついた。
この朝食を含め、わたしが毎日口にする食事にお茶は無かった。珈琲すら無い。その上、毎日の食事にはスパイスやハーブの概念も薄く、冬の間はカビ臭い干し肉と根菜のスープに硬いパンかロシア風の蕎麦がきだけの食事が続いた。
わたしの心はイギリス人だが、あえて言いたい。飯がまずい。わが祖国を超えるとか相当だぞダラサ王国。
ともかくわたしはカップに継がれた水を飲み干し、食事用のナイフで空のカップを打った。ゼロ歳からの親友ハチワレがそそくさと水瓶を運んできて、冷たい水を補充する。
「おおー、よくやったハチワレ。褒美として干し肉をいっぱい食べるがよい☆」
「あんがとーございます」
まだ6歳のわたしに先んじて7歳になったハチワレは舌足らずな礼をすると、わたしが与えた山盛りの干し肉を持って嬉しそうに下がり、白いウサギ少年のピピンや、ピピンと同じ14歳で、ハムスターの少女クワイセと肉を分け合った。
こうしてハチワレに干し肉を与える「お約束」はわたしが毎日やっていることで、義父アクラは文句を言わなかったし、義母のオンラも見過ごしてくれている。アニキも別になにも言わない。
「……4つ耳のくせに」
いつも通りの朝食の席で、舌打ちしたのはハッセの友人たちだけだった。
ひとりは頭以外が鱗に覆われた魚人のアダルで、18歳のあいつはこめかみにある内耳や胴体の側線で音を聞く。この世界では鬼族に比肩する地位を持つ種族だ。もう一人はドラフという名の17歳のワイバーンで、2人は干し肉を分け合うハチワレたちを睨んでいた。
わたしはあの2人が大嫌いだった。ていうか今も嫌いだし、先日アニキが2人にキラヒノマンサ市の調査を命じた時は清々した。
——特にアダルは嫌いすぎて、何度殺してやろうと思ったか。
惜しむような味でもない干し肉をハチワレたちに下賜したわたしは残ったパンをスープにひたして食べ、薄い塩味のスープ皿に口をつけて飲み干し、ナイフで削いだ干し肉を少し食べて食事を終えた。ほとんど素手による食事だ。ダラサ王国の正式な作法ではナイフとスプーンで料理をいただくが、普段の料理は手づかみが普通だった。
最後に水を飲み干すとハチワレがまた補充に来たので余ったパンをすべて渡し、アダルとドラフが舌打ちをする。
迷宮で採れる小麦を使ったパンは貴重だが、ケチくさいにも程がある。
わたしは嫌な気分になって、食事の席につく貴族たちを見回した。
アホの2人以外は誰も舌打ちなんてしない。食事の席で意地汚い態度を見せるのは貴族の恥とされていたし、そもそも、使用人の存在を気にかけることは無様な事とされているからだ。
だから、アニキも、義父のアクラや義母オンラも、他の貴族も全員わたしの行動をスルーしているけれど、このうち何人が犬の獣人たるわたしの行動を本心から許しているのだろうな。
食堂の壁際には獣人の使用人たちが静かに立ち、どこぞの貴族が皿を空にするたび料理を補充していた。貴族たちは食堂に獣人が存在している事実を完全に無視して隣の席の貴族と雑談し、獣人の使用人もまた無視される事を当然のように受け入れて壁際に戻っていく。
ちなみに、ここに「人間」はいない。ヒトは猿の一種であり、〈聖地〉の魔女にもっともよく似た蛮族で、貴族の館に立ち入ることを許されていない。
わたしは婚約のことを考えて暗い気持ちになった。
例えば「結婚なんて嫌だ」と言って家を飛び出せば、わたしも単なる犬の獣人として使用人たちと同じ身分になる——いや、獣人として扱われることはまだ受け入れられるけれど……。
病室のベッドでずっと憧れていた「騎士」の称号を失うのは嫌だ。
義父アクラが再びカップをナイフで叩いた。家臣の静寂を待ってから告げる。
「聞け。本日我が家に子爵の客人が来る。階級以上に高貴なお方であるから、誰も粗相の無いように」
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