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第六章 スリー・オン・スリー
犬小屋の子犬
しおりを挟む朝日を浴びながらチャリを漕いで自宅に戻った俺は、まだ寝ている両親を起こさないようこっそり自室へ子犬を案内した。
ニョキシーは沈んだ顔で大人しく部屋に入ると俺が差し出した男物のパジャマに着替え、倒れるようにベッドで寝てしまった。とても寝られる気分ではないはずだが、肉体的な疲れが精神に勝ったのだろう。結果論だがボコボコにしておいて良かった。
自分の部屋をニョキシーに与えてしまった俺はまだ有り余るMPにモノを言わせてニョキシーが脱ぎ捨てたブレザーとスカート……それと下着の上下に対してできる限りの補修をかけた。
別に下着まで外せとは言わなかったのだがニョキシーは中くらいの膨らみを持つブラと純白のパンツを武装解除していて、驚くことに、どちらの下着もうちの商品だった。
制服についてはユエフーが屋敷に遺したから分かるが、ニョキシーはいつ俺たちの店から商品を購入したんだ? 服は滅多に売れないので候補は絞られるが、下着を買う人は割と多いし、盗まれたという記録は無かったはずだが……?
ともかく生暖かいブラとパンツに無心で——本当ですよ——無心で針を入れたボクは、その何十倍ものMPをかけて黒の学生服を新品同様に修繕し、ノーパンの子犬が眠る自室に放り入れた。
最後にキッチンで炊飯器を召喚し、タイマーをセットしてからリビングのソファで毛布を被る。
再起動アプリは音もなく俺の意識を奪ってくれて——目を覚ますと、そこには部屋着姿の母・ナサティヤの顔があった。
「まさかあんたがカノジョを自宅に連れ込むなんて!」
目を覚ますなり母さんは意味不明の言葉を叫んだ。俺は寝ぼけてうまい返事ができない。
「え……? なに?」
「とぼけちゃってコイツぅ☆」
ナサティヤさんはレベル29の腕力で俺の頭をひっぱたき、寝起き早々でボクは1HPを失った。なにをするんだ母。
ナサティヤは絶対防御の壁に痛そうに手を引っ込め、それでもなおニヨついていた。
「この子といつ知り合ったのよ? 母さん、ずっとあんたはユエフーと怪しいかなって予想してたんだけど、他にもこんなに可愛い子を隠していたの!?」
「おい悪魔、聞き捨てなりませんよ! カノジョというのはダラサ語で『オンナ』の意味でしょう!? わたしは純潔な貴族の娘です。断じてそいつのソレではありません!」
ダラサ語混じりの怒鳴り声がして俺はソファを起き上がった。
「あらあら、まだ騎士様は“純潔”なの? それは安心♪ 私はまだ『おばあちゃん』にならなくて済むみたいね?」
「……どういう意味です? 貴様の言っている言葉がわからない!」
「あら、あら……☆」
起き上がると全身を新品同様の青白い鎧で固めたニョキシーがいた。見覚えのある鎧だ。あれは確か、ノモヒノジアの6層にある水没フロア向けに作った耐水性重視の鎧のはずだ。
遠目からは青白く見えるそれは魚系の魔物から剥いだ鱗を縫い合わせた鱗鎧で、斥候職の母が正しくスキルを発動できるよう、動いても音がしないし、羽のように軽く作られている。
ニョキシーは右手に1枚のトランプを持っていて、それをリビングの机に叩きつけながら叫んだ。
「重ねて言いますよ、悪魔め! その小僧は断じてわたしの男ではありません!」
「ねえカッシェ、やばいわ! 母さん斥候のはずなんだけど、あんたのカノジョと『スピード』で勝負して魚の鎧を取られちゃった♪ ずいぶん手の速い娘を捕まえて来たわねぇ……いや、手が早いのはあんたか♡」
我が母は子犬に賭けで負けたことを嬉しそうに報告し、俺はとりあえず体を青白く発光させて自宅の天井を鑑定した。
〈天井です——午後3時だ。午後1時ごろにポコニャ経由で得た情報によると、子犬は正午過ぎに起きてナサティヤと食事し、そのあとはずっとトランプに興じている。怪盗は、ワタシが目にした時は子供相手に3銀貨ほど勝っていたはずなのだが……この2時間で鎧を取られるほど負けたらしいね〉
叡智アクシノは淡々と事実を教えてくれて、俺はソファから立ち上がったものの、立っただけで言葉に詰まった。
——どうしよう。ボクは前世からこっち、自宅に女性を連れ込んだ経験なんて無え。
友達未満の女を紹介したことすらないし、ごめんなさい……こんな時どんな顔をすれば良いのかわからないの。笑えば良いの?
戸惑う息子に怪盗のママンが叫んだ。
「そうだわ、そろそろアイスを出しましょう! ねえニョキシー、あんた外国の人みたいだけどジェラートを知ってる?」
「ふんっ、そんなもの…………今、ジェラートと言いました?」
「知らないでしょ? お昼に食べたカツ丼と同じで、謎のどっかの国の料理よ。うちの子が〈鑑定〉で教えてくれて……そうねぇ、息子と旦那はミント入りが好きだけど、わたしには理解不能。ゲロマズだからやめたほうが良いわ。今冷やしてるのはイチゴ味だから安心なさい♪」
リビングに父さんの姿は見えなかった。
自宅に居たのは母と女騎士だけで、母は子犬を引き連れてキッチンに立ち、おそらく父かポコニャさんが出した氷のカタマリで冷やしたジェラートを木のヘラでかき回した。
12歳の子犬は無言だったが頬を真っ赤にしてイチゴ果汁入りのジェラートを見つめ、母が静かに器へ盛ると、俺が鍛えた純銀のスプーンをアイスに突っ込んだ。
子犬はしっぽを激しく左右させながら甘味に目を見張り、冷たさとイチゴの酸味に惚けた顔を見せたあと急に真顔に変わって唸った。
「……くっ、悪魔め! わたしをお菓子で魅了してもこの鎧は返しませんよ!?」
「やあねぇ、今更そんなダサいこと言わないわよ☆」
「なに!? ……そっ、それは殊勝な心がけです!」
女騎士は安心するとアイスを次々と口に運び、母がサクサクに揚げたクラッカーにアイスを載せて食べるやり方を見せると自分もやりたがった。
ボクは一旦落ち着くためにトイレを済ませ、そのあとキッチンでクロックムッシュを焼いて食べ(子犬はホワイトソースとチーズのハムサンドを寄越せと真顔で要求した)、最後にハーブティを楽しんでから言った。
「……いや、ニョキシーは俺のカノジョじゃねえから」
「お? おおー! 聞きましたか悪魔!? そーゆーことです。カッシェの言葉を聞いたでしょ!?」
「……ふーん? へええ? そっかあ……♡」
母ナサティヤはずっとニヨついていて、今生で初めて体験するが、ボクは母親が見せるあの種の顔を法律で禁止するべきだと感じた。
「ニョキシーったら、すでにうちの子を『カッシェ♡』と呼ぶような間柄なのね。知ってる? この子は昔から『カオスシェイド』って名前を嫌がるの。星辰様と叡智様にもらった大切な名前なのに……理由はわからないけれど、この子は自分が大好きな女の子には、自分のことを『カッシェ』と呼ばせたがるのよ?」
「なん……だと……!?」
怪盗の真っ赤な嘘を信じた子犬が赤面してボクを睨んだ。俺は昨晩、ニョキシーに「カッシェと呼べ」と命じたが、違うから。
——誤解ですから!
「おいカオス! キサマに再び決闘を挑みます!」
ニョキシーが叫び、ボクは血圧が上がるのを感じながら怪盗に警告した。
「……ねえ母さん、これ以上いい加減な事を言うのは——」
「わあ怖い☆ うちの子自慢の無詠唱でボコられちゃうわ~~~~♡」
「はあ!?」
「怖いわニョキシー♡ あんたの愛するカレシを止めて♪」
「ちょ、母さんマジで……」
「わああ♡ 助けて騎士サマ~~~~☆」
「……もういい!」
なにやら面倒臭えモードになっている実母を押しのけて俺は子犬に怒鳴った。
「で!? ——それでニョキシーは、このあとはどうするの? 俺はあんたにこれ以上なにか命令するつもりは無いし、あんたの好きにすれば良いと思ってる!」
俺は昨晩、子犬に伝えるべきことをすべて伝えた。イサウのことや誘拐についてどう考えるかはニョキシーの自由で、クエストを終えた俺とは無関係な話だ。
俺が怒鳴るとニョキシーはボクを見つめ、続く言葉を待つような表情をした。
……待たれてもな。
俺は渋々と子犬に「命令」した。
「……じゃあ、これが最後の命令。あんたはこのあとなにをしても良いし、俺はあんたがどこに行っても構わない。なんなら騎士団に戻っても良いし……その時は、お手伝い中のミケとお互いが死なない程度に遊んでやってくれ。店に来るのも歓迎だよ。強盗するとか、誰かを拷問するとか……そういう事を言わないならいつでも来てくれて良い」
俺はすでに邪神のクエストを達成していて、ギルドで受けたクエストも終えている。
厳密に言うと邪神との約束は「ニョキシーを月から助け出すこと」だったはずだが、この世界の神アクシノが〈達成〉と神託したのだから、俺はもう子犬になにもしなくて良いはずだ。
ニョキシーは俺の「好きにしろ」という言葉に不思議そうな顔をして、俺になにかを言おうとした。
「——あらカッシェ、それは絶対にだめよ。ニョキシーにはここに居てもらう」
しかしそれより早く母が口を開いた。
「母さん、何度も言うけどニョキシーは……」
「ダメよ、カッシェ。これはカノジョかどうとかって冷やかしじゃなくて……本気の話」
母は顔面に笑顔を貼り付けたまま急に真面目なトーンで言った。肉親でなければ気づかないほどわずかに重心を落とし、冒険者として臨戦態勢を取る——いつでも素早く動けるようにしている。
怪盗は俺たちに告げた。
「ニョキシーにはここに居てもらうわ。そうねぇ、別に外を出歩いても良いけど、そのときは常にわたしが付き添うし、手が空いていたらアニキも——ラヴァナおじさんも見張りに付く」
「……母さん?」
「それにね、カッシェ。もうニョキシーの了承は得ているのよ。こんな犬小屋みたいな場所に閉じ込めて申し訳ないんだけど、この子、あんたに勝つまで模擬戦をやりたいから構わないって……そう言ったわよね?」
ニョキシーはすみれ色の目を迷うように少し泳がせたが、無言で頷いた。決まりね、と母が笑う。
「え、なにそれ……つまりニョキシーをうちに引き取るってこと? でもどうして——」
「詳しい事情は言えないわ」
母は顔面に笑顔を貼り付けたまま即答した。
「だけどこれ、ギルドマスターからの正式な依頼なのよね。ギルマスのポコニャは仲間でもあるし、これはギルドからの『依頼』で、正式なお仕事だから……〈剣閃の風〉の名にかけて、ニョキシーにはここに居てもらう」
母は厳格な口調で俺に断言し、俺は脳内で佞智の神に念じようとした。
〈——おお、感謝しろよ? パルテにはワタシが特別に神託を下してやった。おまえが今日、バイトを休むって神託さ〉
(……いやいや、ざけんな絶壁。俺はそんなことを聞きたいんじゃない)
俺が質問する前に叡智さんは「はぐらかしモード」に突入していて、
〈にしても良い秋だね。秋は好きだ〉
秋はサンマがうめえだの地球のクラウドサーバの仕組みを鑑定させろだのとわめいて、高速に話題を変えまくった。
俺は苛つきながらも心を落ち着かせて聞き直した。
(……ねえ叡智サマ。あんたら今度はなにを企んでる? 俺はクエストを達成したのに……俺が寝ている間になにがあった?)
〈ヒマだろ? 子犬とトランプでもやれよ。ワタシとしても地球の遊びについてもっと知りたいし……そうだな、できれば怪盗と子犬が遊んでいた「クリベッジ」をもっと詳しく知りたい〉
サマをつけても絶壁は生返事を返し、母が手を叩いて議論を打ち切る。
「はい、じゃあそういうことで! ——それでカッシェ、もうカノジョとキスはした? おっぱい揉んだ?」
「~~~~だから、わたしはこいつのソレではないと言ってます!」
黒い子犬の女騎士が、赤面しながら激しく抗議した。
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