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第六章 スリー・オン・スリー
公爵の地下室
しおりを挟むキラヒノマンサ公の屋敷の中は、壁際にところどころ置かれたろうそくの光でぼんやりと照らされていた。ノモヒノジアの第1層を思い出させる怪しげな薄暗さだ。
床にはヤシの繊維を束ねたマットが敷かれていて、三毛猫が罠を探ったあと、ムサはありがたくマットを踏んだ。敷物は彼らの足音を完全に殺してくれた。
ムサは子猫にささやいた。
「ヤシのマットは安物ですから、屋敷でも、この辺りは使用人しか歩かない場所でしょう。キッチンとか、使用人の寝室があるような場所のはずです」
「にゃるほど……? 屋敷は3階建てみたいだけど、まずは1階を探る」
「いや、待ってください」
ぐいぐい探索しようとする子猫を引き止め、ムサは指だけで暗い廊下の左手を差した。
彼が指差す先にはマットすらないむき出しの石で出来た下りの階段があり、子猫は興奮してしっぽを太くした。
「にゃにゃ……! 地下に続く階段?」
「まるで迷宮みたいすね……俺らは冒険者ですし、まずは“下層”を探索してみませんか」
「にゃ!」
ヤシのマットが途切れる部分で2人は斥候スキルを詠唱し直し、無音で階段を下った。
階段は螺旋状になっていて、壁にはろうそくが立てられていたものの、すべて火が消えている。
暗い階段を踏み外さぬよう慎重に下ると、キラヒノマンサ邸の地下1階は、重苦しい石積みに囲まれた細い通路になっていた。
先を歩いていた子猫が「パー」を出した。ミケは階段の最後の段で立ち止まり、先に続く薄暗い廊下を前にしてささやいた。
「にゃ……? この先の足元になにかある」
「なんです? 俺には見えません」
「にゃ、にゃ……子猫には効果がよくわからんが、カオスが使う〈結界〉の一種のはず。でも、すごく複雑な図形。複雑で……邪悪な感じがする」
「……屋敷の庭にあったような罠ってことすか?」
「違う。罠という感じはしない。子猫のカンだが、これはなにかを隠すための模様に見える。だからミケたちは入っても無事なはず。無事だけど……ほんとに入って良いのかわからない」
ムサはそれを聞くなり「引き返しましょう」と言おうとした。
引き返して〈剣閃〉の仲間を連れてくるのがこの状況で取れる一番の選択だ。
この先になにが待ち受けていようとムサと仲間たちならまず即死することは無いだろうし、ギルドマスターのポコニャがいれば、それだけで今より堂々と屋敷の捜査が可能なはずだ。
ていうか落ち着け。そういや俺は「鑑定」が使えるじゃないか。罠のようなものがあるなら——。
「にゃ。考えても仕方ありません。子猫は〈冒険〉する!」
「え、待っ」
しかし「鑑定」する前に子猫は廊下へ足を踏み入れていた。
——好奇心は猫を殺す。
いつか聞いた警句を発する間もなくミケは廊下に足を降ろし、
「…………特になにも無いすね?」
「にゃ……この〈結界〉は、子猫にはよくわからない。とりま問題無さそうなので進む!」
勇敢に一歩踏み出した子猫は、さすがは〈冒険〉の加護持ちというべきか、敵地に一歩踏み入れたあとはためらいなく先に進んだ。
使用人のためと思われる通路には明かりが無かったが、猫獣人のミケは光を必要としていなかった。
置いて行かれそうな速さでミケは暗い通路を進んだが、ムサだって負けるつもりは無い。
彼は先祖にエルフの血を持つ。
昼間も暗い森に生きる民族の血を引いた緑髪の青年は夜目が効く子猫に追従し、子猫が無言でパーを出すのを見てはたと停止した。
暗い通路を10メートルほど進んだ先に、分厚い鉄の扉が見えた。
異常に狭く、背の低い扉だ。長身のムサは前かがみにならないと通れないだろうし、小柄なミケでさえ頭を下げねば通れそうにない。
しかし扉と石壁の隙間からは明るいオレンジ色の光が漏れていて、鉄の扉の先に誰かがいるのは間違い無さそうだった。
「…………!」
ミケが無言でグーをサインした。「進め」の合図だ。ムサは子猫に反対するか迷ったが——彼もまた冒険者だった。
好奇心に勝てなかった。ここで安全を取るくらいなら彼は今頃ウユギワ村で旅館でも開いている。
冒険のニケ様から加護を得ている子猫が脂汗をかきながら慎重に鉄の扉を押した。扉はひどく錆びていて、油断すればギィと金属音を立てそうだ。ムサは無言で子猫に加勢し、扉が決して音を立てぬよう、赤子を撫でるような手付きで扉を押した…………。
「おお……! 公爵様、この御方のお名前は!?」
「それがわからぬから貴様を呼びつけたのだよ」
鋼鉄の扉を5センチほど開くと、中から気取った青年の声が聞こえ、老いた男の返事が聞こえた。
ムサとミケは押し合うようにドアの隙間から中を覗いた。
部屋の中には騎士団の全員がいて、ラーナボルカ伯爵と、ツイウス王国のアラールク伯爵がいた。
彼らは部屋の奥の台座に立つ2人の人物を見守っていた。
「なるほど、心得ました……この御方はダラサ語を?」
台座に立つひとりはハッセとかいう青髪の気取ったクソ野郎だ。ムサはハッセを見るなり舌打ちしそうになった。もちろん音など立てないが、あいつの顔を見ているとそうしたい気分になる。
「どうだ、ハッセよっ。竜様の言葉がわかるかっ?」
台座に立つもうひとりのデブはキラヒノマンサ公爵に違いない。
公爵は、ドーフーシの貴族が正装とする豪華な絹織物を身に着けていて、この場にカオス少年がいれば「古代中国かよ」と叫んだだろう。
公爵は金糸を織り交ぜた複雑な幾何学模様が施された着物と帯を締めていて、長髪の白髪と腰の高さまである白い髭を垂らし、青髪の青年を期待する目で見守っていた。
「申し訳ない、だめです……確かに叫んでおられますが、これはダラサ語ではないし、言語を成していないようです」
ハッセが悔しそうにつぶやいた。その声をかき消すように、低い獣の唸り声が地下室に響く。
「おいムサ、あれはもしかして〈竜〉か? でかい黒蛇……すごく強そう……!」
子猫が興奮して質問してきた。
「たぶんそうっす。俺も初めて見ましたが……鑑定は使っちゃダメですよ。バレたらやばい。竜はめたくそ強いと噂で……逃げましょう。サインは“チョキ”、これは絶対です!」
「にゃ……!」
チョキを出すと子猫は興奮しながら頷き——それでも2人はその場を動かず聞き耳を立てた。好奇心が2人をその場に留まらせていた。
「やべえすね、まさかこんなことになるとは……ファレシラ様の敵がいる。まずはギルドマスターに報告っす! ポコニャ先輩に教えなくちゃ……!」
「にゃ。しってる。竜は冒険者ギルドの——この世界の最大の敵! ママがこれを聞いたら大喜びのはず……!!」
台座に立つハッセとキラヒノマンサは鋼鉄の檻を前にしていて、檻の中には黒曜石を思わせるガラス質の鱗に覆われた全長15メートルほどの「蛇」がとぐろを巻いていた。
中華風の龍には四本の足と小さな翼があり、頭部はワニのようだ。左腕の付け根が赤く脈動している——心臓だ。黒い龍の心臓は炎のように輝いていて、ガラス質の鱗を通り抜けた光が部屋を赤く明滅させていた。
龍は鉄の檻に爪を立て、口から長い牙をむき出しにしながら吠えていた。ワニのような口元は白く泡立っていて、完全に理性を失っているように見える。
キラヒノマンサ公爵は深い溜め息をつき、ドーフーシ訛りのレテアリタ語で言った。
「〈月〉の騎士殿であればもしやと思ったがっ……やはりこれは、理性を無くしておるか」
「残念ですが、わたしが持つ〈翻訳〉スキルによると、竜様のお声は〈月〉のいかなる言語でもありません。鬼族のわたしは平気ですが、月の大半の生命は聖地に立つとこうなる定めです。邪神ファレシラの『地獄の歌』で心を乱されてしまう……」
「むぅ、ラーナボルカの進言の通りかっ……ならばラーナボルカ。それに、アラールクッ!」
公爵が叫んだ。2人の伯爵が頭を垂れる。
「やはり“竜騎士”が必要だ! 邪神に理性を奪われた竜の心を魅了し、支配できるほど美しい人材を用意する必要があるっ……!」
キラヒノマンサは檻の中で激しく吠える黒龍に負けじと声を張った。
「〈光の神〉の加護が必要だ! 誰もが目を奪われる“最高の美”を用意せねばならぬっ……!! 忌々しい歌はもちろん、死と暗闇の〈常世〉にも勝るっ、最強の神のご加護が必要であるッ!」
ムサと子猫は無言で「チョキ」を送り合い、音も無く地下室を抜け出した。
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