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第五章 人狼の夜
死体と誘拐
しおりを挟むその翌日、昼過ぎまで寝ていた俺は酒の抜けた両親と一緒に黒豚チーズハンバーグを食べ、子猫が大好物にしているそれをお隣さんにも差し入れに行った。
応対したのはラヴァナさんで、ヒゲは自宅で無意味に〈棒〉を素振りしていた。
「おお、うまそうだ。ミケはまだ寝てるが、匂いを嗅げば起きるかも……しかしお前ら、昨日はなにをしてたんだ? 俺ぁ真夜中に叩き起こされて、上機嫌の娘に稽古をしろと言われて……それはまあ良いんだけど、変な時間に起きちまったのにミケは少し打ち合うと寝てさ。猫だな。嫁と同じであいつは猫だ。こっちの事情はいつでも無視さ」
「捜査っすよ、例のクエストの。それより両親の話じゃ昨夜は街で複数の強盗事件が起きたとか」
「おかげでポコニャは早朝から“お仕事”だぜ。今日からまた迷宮に入る予定だったのに、ギルマスとして領主に報告書を出さなきゃいけない——パルテの店も襲われたそうだな?」
「ミケが上機嫌な理由はそれです」
暇なので団地の庭で「武器」を振り回していると、遅い昼食を終えたミケがやってきて、昨晩は使う機会の無かった俺の新作に目を細めた。
「……それ、シュコニの爪より強い?」
「まだ全然だ。せいぜいミケが“片手”のときと同じくらい。〈ひのきのぼう〉と互角を目指してるんだけど、あの棒はアイワンが〈神打ち〉してるからなかなか追いつけない」
「それを偉大なる三本尾のリーダーにくれても良いのだぞ? ……昨晩は、すごく久々に〈冒険〉スキルを発動できた」
「嬉しそうだな、おい。犯人を逃したのに」
「にゃ? しかしあいつらがテンチョーのお宝を盗るのは阻止した——引き分け!」
チャリンコの後ろに子猫を乗せて仕立屋まで走ると、今日も臨時休業の店では昨晩の戦闘の補修が進んでいた。
今日も元気な社員のおばちゃんたちは俺を見るなり「息子が」「娘が」昨日持ち帰ったショートケーキを気に入ったと言い募り、子猫も怪しく爪を伸ばすので、ボクは窓ガラスの割れた2階の厨房に立ち、秋だしモンブランに挑戦してみた。
生地をオーブンに入れて1階に戻ると、そこには召喚魔法陣の上に立つムサさんがいた。
緑髪の童貞は心ここにあらずといった顔で昨日から召喚しっぱなしにしているスマホを右手に持ち、動画に現れるマキリンの顔を何度も再生し確認していた。左手はLv5を誇る広い倉庫から窓ガラスを雑に取り出し、代わりに店員たちからゴミを引き取って無造作に投げ込んでいる。
声をかけても生返事で、不気味な雰囲気を嫌ってユエフーは距離を取っていたし、そもそも他人に関心の薄いノールは白紙の魔導書に黙々と被害総額をノートしていた。ミケが隣でメモを覗き込んでいる。
「ブックが検証中だけど、倉庫に移さなかった商品を少し盗まれたみたいだ」
社員たちと後片付けをしていたパルテが俺に気づいて声をかけてきた。
「例の剣士やマキリンやらで油断してたが、リーダーやカッシェが戦ってる間に、ゴブリンが数匹、外に出てたんだ。おれは戦って——ゴブリンなんて、ウユギワ村の頃は出会ったら死ぬと思ってたけど——鍛錬のおかげか2匹殺してやったが、取り逃した奴らがネクタイやらハンカチを数枚盗んだ」
パルテが言うなりノールがさっと両手でバツの印を作り、もどかしそうに魔導書へ筆を走らせて店長に伝言した。
『さらに、獣人用のネタ装備として作った「ペットの首輪(赤)」も盗まれました。ネタ装備とはいえ、耐火性を持つ上等な製品です。また、ミケが倉庫に置いていたトランプ2組が盗難。同じ倉庫から、カオスが著したトランプのルール集も盗まれました』
カオスって書くな。
「まじかよ。ずいぶん盗んでくれたな……」
商人パルテはタヌキの報告を見てもニヨついていた。この吸血鬼は昨晩の戦闘でミケが受けた“黒鎧の少女”の剣戟を学生服が防いだ功績で〈裁断〉をレベルアップさせていて、裁縫に加わった俺はダメだったが、調合持ちの社員さんを始め数名が同様に技能を進歩させていた。
「まあ、仕方ねえ。昨晩の賊はリーダーが〈冒険〉を使うくらいの強敵だった……そして、おれたちの服がそんな敵の攻撃に耐えた!」
パルテは自社商品の性能に誇らしげで、それには俺も同意した。
「俺とパルテで最初の試作品を作ったときはすげえ嫌がられたけど、やっぱ着させて正解だったな」
「あれが冒険スキルなんだろ? 術者が『死ぬかも』って思う状況じゃないと発動しないリーダーの奥の手……ようやく見られたぜ。村じゃ毎日のように使ってたそうだけど、そのころは接点が無かったし、出会って以降は“服”が上等すぎて発動しなかった」
つまらんと服を脱ごうとする子猫をラヴァナ夫妻が何度も叱って、ようやくミケは制服を着てくれるようになった。
「おれは種族的に暗闇でも耳で『見える』んだけど、発動した瞬間、剣士はともかく三毛猫がどこにいるのかわからなくなった……すまほってやつで確認してようやく少し目で追えたけど、あの剣士はリーダーの攻撃をどうして避けられたんだ? 意味わかんねえよ」
「それは……まあ、3人ほど殺ってしまったのを俺とユエフーが注意したからだろうな。本気なら剣を叩き折ってたと思う」
「……え、あれでも手を抜いてたのか」
「にゃ。と言うより、本気の全力で生け捕りにしようとしたけど逃げられた。羽はずるい」
ミケが間口の血痕にモップをかけながら言った。隣にはノールがいて、メモをちぎって子猫に渡している。
「にゃ。でも不思議。子猫は昨晩、人殺し……泥棒だから後悔は無いが、どうして前科に『殺人』が出てない? ノールの鑑定も『無罪』だとゆってる。ミケはママに怒られたりしない?」
「神様たちが無罪って判定したからよ」
瓦礫を拾いながらユエフーが言った。
「相手は泥棒だし、わたしたちを殺す気で襲ってきたし。それで有罪なんて変だわ」
「その通り。おれやカッシェの『鑑定』も同じ結果だ。前科に『殺人』と出てない時点で、叡智様が『無罪だ』と言ってるのと同じだよ」
吸血鬼が再びニヨついた。
「剣士とマキリンを逃がしたのは悔しいが、片付けが済んだらギルドに行こうぜ。すまほのどーがってのも紙に写して持っていく。証拠と死体を見せて公式に叡智様の『神託』を受ければ国もおれたちを罪に問えない。文句を言えば天罰だし、証拠さえあればポコニャさんを煩わせずに盗まれた皮を取り戻しにも行ける」
パルテの倉庫には現在、3名の遺体が収納されている。店長の庫内は血みどろのはずだが、んなもんを持ち歩いてニヨつけるのは吸血鬼だからかな。
ちなみにミケが殺した犯人らは全員が同じ鎧で青い髪をしている以外は普通の人間に見えたが、マキリンと同様に不徳のコインを飲み込んでいて鑑定できなかった。解剖すればコインをほじくり出せるだろうが、吸血鬼を含め、誰もそんなのやりたくない。
モンブランが焼き上がると午後のおやつタイムになり、「俺はいいっす」と遠慮したムサのぶんは社員たちの壮絶なジャンケン大会の結果ユエフーが得た。
「ふふん♪ 最高だったわ、追加のモンブラン☆」
「……! ……!! (ФДФ*)」
魔道士ノールはどうも甘党らしい。敗北に激怒した少女は試合で出された手のデータベースを魔導書に書き込み始め、歩きながら羽ペンを走らせる「歩き魔導書」をするタヌキを連れて俺たち三本尾は冒険者ギルドに向かった。
◇
その朝、マガウルは静かにハーブティを給仕しながら領主館の広間で「半月の騎士団」を観察していた。
広間の中央には大きなテーブルがあり、そこには最初の晩に騎士団が盗んだ竜の皮が置かれ、昨晩、3チームに分かれて行動した騎士団が盗み出した牙や爪が置かれている。本来であれば、ここにもう一本牙があるはずだった。
騎士団たちはテーブルを囲むようにして立っていて、人数は13人だけだ。21名いた騎士団のうち5名はキラヒノマンサ市までロスルーコの肉片を探しに向かっていて、3人は昨晩、5年前ですら異様に強かった子猫に殺された。
ハッセという名の騎士団長は、おそらくは意図的に伸ばしているのであろう前髪を真紅に変え、2本の角を天井に届くほど伸ばして団員たちを叱っていた。
ラーナボルカとアラールクが同席しているせいか、ハッセはレテアリタ語で叫んだ。
「シレーナ! ——それにバラキ!」
ハッセという青年は、老人がかつて殺した騎士に似て整った顔立ちをしている。殺人鬼は、自分がマガウルだと知られたらやべぇだろうなと心のノートにメモした。
「相手は〈月の悪魔〉だぞ!? 騎士がそんな連中に敗北した……? 神聖なるダラサ王国の騎士が、どうして悪魔に負ける道理がある!?」
新米のシレーナと副団長のバラキは頭を垂れて彼の言葉に伏した。ハッセというのはどうも支配欲の強い青年のようで、若い女や老騎士がしおらしくすると冷笑して説教を続けた。
「3人もの騎士が討たれた。お前たちの背には雄々しく死んだ騎士の魂が——」
マガウルはハッセの演説を無視して青年から距離を取った。彼の前には老いた騎士と、なぜかマキリンがいて、マガウルとしては相手にしたくなかったし、どうやら女も同じだった。あの女は「シレーナ」という名前を通したいらしく、ならばお互いに無視するのが一番だ。
マガウルはティーポットを持って目当ての子犬に近づいた。ドーフーシの英雄の娘は全身鎧の兜だけを脱ぎ、早口で月の言葉を喋っていて、義理の兄の演説を聞くつもりはなさそうだった。
執事は月のダラサ語を知っている。12年前の月旅行の時にある程度は覚えたし、いつか来るはずの日に備え、お嬢様に教えているうち堪能になった。
『——おいルッツ、ちょっと相手をしろ。悪魔どもから盗んだ道具で遊びたい!』
『だめですよ、会議中です。今はお控えください……』
『はあ? バラキと同じ副団長のわたしに逆らうのか!?』
子犬は若い女性騎士を捕まえて広間の隅に置かれた白い丸テーブルに引っ張り、ルッツという名の鬼族の女は困惑気味に命令を断っていた。髪の毛が黄色くなっている。
ニョキシーはテーブルに1冊の本と小さな紙箱を置いていて、
『座れよっ! 待ってろ、会話はともかくタスパ語の文字はまだ不慣れだが……ええと、とら、んぷ? の……あそび、かた……と書いてある! な? これは遊び道具だ!』
『あの、まずはその本を読んでから誘ってくれません?』
『うるさいな、すぐに読むから……おい、この文字はなんて読む?』
『知りませんよ……』
『ばか、諦めないで一緒に考えろよ! なんだっけな。昔アニキに教わったのに……』
「……もし。こちらの本をお読みになりたいのですかな? レテアリタ語でよろしければわたくしめが読み上げますが」
マガウルはレテアリタ語で話しかけた。ダラサ語がわかるという情報を騎士団に教えてやる意味は無い。
『おおー?』
子犬は喜び、女騎士ルッツが両手を合わせて謎のサインを作る。おそらく「ごめんね☆」という意味であろうが、騎士は小さく頭を下げて逃げていった。
「良き心得です、ご尊老! わたしにこの本を読んでくださいませっ!」
ニョキシーは女騎士に構わず丁寧すぎるレテアリタ語を語りながら快活に笑い、老人は胸にかき乱したいような感覚を覚えた。
——同じ誘拐された娘でも、星が違えばこれほど明るく笑うこともあるのか。
子犬が盗んで来たと自慢する本は「とらんぷ」なる謎の道具の使い方について書かれたもので、読み上げるとニョキシーは興奮し、妙に礼儀正しい言葉でマガウルに言った。
「それでは、わたしは『スピード』という遊戯を試したいと希望します! 残念ですが、断ればご尊老を生命様の御元へ還さねばなりませんっ!」
断ったら殺すのかよ。
「……かしこまりました」
カードには「あらびあ数字」なる謎の数字が書かれていて、老人と子犬はお互い不慣れな文字を確認しながらたどたどしくゲームを始めた。最初こそお互いの頭上に疑問符を浮かべていたが、慣れて来ると互いの〈敏捷〉が勝負を決める遊戯だとわかり、マガウルは3回遊んで3回とも負けてしまった。
「……むぅ、お早いですな」
『ふははっ! 勝った! わたしのほうが強いっ! ——あっ、つまり、「さほどのことはございませんwww!」』
そんなことをしているうちにハッセ青年は説教を終えていて、さんざん説教したばかりの副団長と議論していた。
「我ら騎士団の遺体が無罪の証拠に? 月では人殺しは罪に問われないのか!? ——5年前の裁判の時は……」
「ご指摘の通り邪悪な土地です。ここは佞智アクシノの惑星ですから、裁判になれば、あの女神が神託として子猫の無罪を告げ、むしろこの館への正当な捜査権があると言い張るでしょう。反論すれば天罰ですから、貴族街の門は突破されます。我らの故郷でも同様ですが、邪神であれど『神託』は絶対ですから……」
「くそっ……ジビカ様、なにか良い手を! このままでは処罰される前に故郷へ逃げ帰るしかありません……!」
副団長のバラキは60か、70歳を超えているかもしれない「鬼」で、白髪頭を白、黄、赤の順で目まぐるしく変化させていた。マガウルはお嬢様が無事に老いた姿を想像して胸を熱くした。
しかし今は子犬に集中せねば。
「おいご尊老っ、他の遊びをしたいので本の続きを訳しなさい! 断れば生命様のアレがソレですよ!?」
女騎士ニョキシーはスピードで勝つと増長し、バカ丁寧な言葉遣いを危うくしていた。黒い鎧に覆われた尻のあたりからしっぽの毛が激しくこすれる音がしている。よく見ると子犬は赤い首輪まで装備していた。
マガウルはしばし考え、一計を案じることにした。
「偉大なる月の騎士様、謎の帝国ユー・エス・エーの、冷たくて甘いシェイクという飲み物をご存知で?」
「…………なんですか、それ」
「美味しいですよ。わたくしの倉庫へおいで頂ければご用意できますし、そこにはこんな老耄よりも御高剣に相応しいお相手がございます」
「おおー!? あないせいっ!」
思った通りニョキシーはアホで、知らないおじいさんにホイホイと付いてきた。
白熱する騎士団会議の中、未だ大陸にその名を馳せる殺人鬼マガウルは易々と子犬の誘拐に成功した。
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