上 下
66 / 158
第五章 人狼の夜

パルテ・スレヴェル

しおりを挟む

〈——おいカオス、起きろよ。「子供料金」が払えなくなるぞ——〉

 爽やかに青く晴れた秋の早朝、12歳になる混沌のかげは叡智の声を聞き、自室のベッドで目を覚ました。夜更かしするんじゃなかったね。まだ眠いけど、起きないと仕事に遅れてしまう。

 この5年でついに腰近くまで伸びた髪は父と同じ黒で、母からの遺伝で跳ねっ毛が酷い。まったく手入れしていないのもあり、黒いもみの木を背負ってるみたいだ。

 俺が寝起きする子供部屋には自作した木のベッドや木のクローゼットがあり、作業用の糸くずだらけの木机がある他は、事情があって作り直した黒いアコギくらいしか無い。樹木を加工しまくったお陰で「木工」というスキルを獲得して数年になるが、せっかくなのでギター製作には少しこだわり、漆塗りのボディには「影」という漢字がペイントされている。

 自分で編んだレースのカーテンを開く。ガラス窓があり、ベランダが見え、その先にはまだ薄暗い早朝の海が広がっている。建物の西側に海を持つのが我が家の残念なところだ。朝はこうして美しいのだが夕方は西日が目を刺すし、南側はマンションの壁だから洗濯物も乾きにくい。

 子供部屋を出て20畳ほどのリビングに向かう。

 この新地区が作られた5年前は岩肌が剥き出しだった居間には壁板や腰壁が張られ、絨毯もあり、ずいぶん暮らしやすい空間に変わっている。地球じゃないので部屋にはテレビもエアコンも無いが、代わりにレンガ造りの暖炉があり、その両サイドには俺がこの数年で両親に贈った鎧がいくつも並べられている。

 金属製は父用で、革製は母用だ。ノモヒノジア迷宮は莫大な組み合わせを持つので、探索ルートに合わせて装備を変えられるよう造りまくった。

 異世界の趣深い居間の一方、カウンターを挟んで居間に直結しているキッチンはかなりだ。

 ウトナ山脈から輸入したクロムを混ぜたステンレスのシンクは海風に耐えて今の所は美しいし、俺がいないとダメという条件付きにはなるが、我が家の台所にはレンジやトースターといった地球の科学を召喚することができる。

 台所には魔法陣が刻まれた板が数枚あって、固有異能ユニークスキル持ちの俺がMPを流し込むと、生前使い慣れた炊飯器が出現した。お米をセットした俺はトイレを済ませ(スライム式だ。常時MPが消費されてしまうのでウォシュレットの設置は諦めた)、手を洗ってサンマを焼き、おひたしと味噌汁を作る。

 両親は昨日からギルドマスターらと迷宮に入っていて留守だ。〈大本営アプリ〉によるとステータスにさして変化は無いので、全員無事に迷宮を攻略していると見て良い。

 食後、俺は黒のパーカーに着替え、黒のジーパンを穿いた。幼馴染のパルテが裁断さいだんというスキルを使ってデザインし、俺が裁縫さいほうスキルで縫った自作品だ。

 化粧品が入ったリュックサックを背負い、腰のベルトに「シフルの懐刀」だけを下げて皮のブーツを履いた。東側にある玄関のドアを開く。

 外は廊下になっていて、真正面から朝日が差し込んでくる。団地のすぐ右隣はラヴァナ家で、その奥はムサの部屋だ。逆側の角部屋は剣閃の風の集会所クラン・ハウスになっていて、外壁や廊下は白く塗られている。5年前は岩そのままの灰色だったマンションは住民の多数決で色が決められ、住民総出でペンキが塗られていた。

 我が家は5階建ての最上階だが、俺は廊下の手すりを登って、飛び降りた。

 俺が装備しているブーツは試作品で、やはりパルテとの合作だ。鑑定持ちの俺とパルテが街中を歩いて厳選した素材を使い、パルテが裁断し、俺が裁縫したこのブーツには裏地に〈結界〉スキルによる刺繍が施されていて、しかも俺が鍛冶スキルで鍛えまくった鉄板まで仕込んだ安全靴だ。

 真下は灰色の石畳だが、試作品のブーツは落下の衝撃を問題無く受け止めてくれた。HPの壁が発動しなかったし、性能は申し分なさそうだが——素材の値段と製作に費したMPを考えると、最低でも20銀貨バルシは取りたい。しかし、そんな値段の靴が果たして売れるかな。

 建物の北側は馬小屋になっていて、住人たちの馬が休んでいる。我が家は馬を所有していないが、俺は自分の家の厩舎から自転車を引き出した。

 これも自作の高級品だ。地球で乗っていたMTBをスキルで召喚し、召喚しただけでは魔法陣を出ると消えてしまうので、製法を鑑定しまくって模造した。

 フレーム等の金属部分はカンストしている鍛冶スキルで解決できたが、タイヤに使うゴムの入手には難儀した。ここが港町じゃなかったら詰んでたね。南部に広がるドーフーシ帝国のさらに南東にはゴムの木が自生する国があり、舶来品を運良く入手できた。

 前カゴにリュックを入れ、早朝の新市街をチャリで駆け抜ける。

 住人たちが「ニケ様の奇跡」と呼ぶあの日に生まれたラーナボルカ市フェトチネ区は、岩の灰色一色だった5年前に比べてずいぶん色彩豊かになった。

 各マンションは住人が好き勝手に塗ったペンキで色見本のようだったし、各窓にも木かガラスの窓がはめられている。5年前と同じ灰色は、石畳の道路と、屋上に立ち並ぶ煙突から吐き出される住人たちの朝餉の煙くらいだ。

 区民の数もこの5年でニ千ほど増えた。

 ウユギワ村から来た千人はもちろん、「女神が作った新しい街」の噂は港から周辺へ急速に広まり、レテアリタ帝国の市民に加え、ドーフーシ帝国やツイウス王国からも多くの移民が駆けつけた。

 レテアリタの市民は手続きをすれば移住できたが、そうでない住民は不法入国になる。

 おかげでポコニャさんは区長としての最初の3年を鑑定業務に忙殺された。

 誰であれ、鑑定すれば出身地がわかる。

 黒猫の区長は不法移民から「鬼猫」だとか「ブラック・レディ」と罵られたし、区長にバイトで雇われた俺とパルテも移民どもから多種多様な罵倒を受けた。

 給与に見合わぬ辛い仕事だった。区長やパルテは道行く市民を仕方なく鑑定する日々に耐え、移民の流入がようやく収まったころ、黒猫は鑑定をレベル8にしていたし、パルテも5まで成長させた。元々鑑定がカンストしているボクだけが「鑑定カオス野郎」だの「覗き趣味の影」「混沌の変態」「こっち見るなクソ」と、ただ罵倒されて成長できなかった……。

「——鑑定」

 チャリを流しながら適当に鑑定すると、慣れたもので叡智が時刻を教えてくれた。

〈石畳です——あと5分で8時だ。ワタシの予想では、子猫らは超遅刻して9時前になる〉
(マジ?)

 まだ背の低い街路樹の下をチャリで駆け抜け、俺は新地区の中央通りに入った。ここは城壁に囲まれたラーナボルカの旧市街に通じる大通りで、旧市街の壁には「奇跡の日」に大穴が空き、通行できるようになっている。

 通りの両側は商店が立ち並んでいて、俺は旧市街に通じる大穴のすぐ近くに建つ三階建ての店の前でチャリを停めた。


 仕立屋テーラー パルテ・スレヴェル


 店の看板にはレテアリタ語でそう書かれていて、すぐ下にはこの街の第2言語たるドーフーシ語とツイウス語で同じ店名が併記されている。

 前面には綺羅びやかなショーウィンドウがあり、これほどのガラス窓を持つ店はラーナボルカでもここだけだ。ショーウィンドウの中には“店長”がデザインし俺やバイトが作り上げた服に身を包んだマネキンが並んでいる。この街にはまだ時計が無いが、代わりに8時を知らせる鐘の音が聞こえた。

 地球時代はクソニートだった俺が、剣と魔法の世界で「出勤」するとはね。

「偉いぞバイト、時間通りだ。さすがはおれと同じ“叡智”持ちだな」
「褒めてもなんも出ないぞ、店長。実は化粧品の補充のせいで少し寝過ごしてさ。目覚ましアクシノさんが居なきゃ危なかった」

 ガラス製の両開きのドアを開いて店長が顔を出した。俺と同い年のパルテ・スレヴェルは金髪を短く切りそろえ、前髪は横に流しておでこが見えるようにしている。中性的な顔立ちで、瞳は赤く、肌は病的に白い。黒い上等な紳士服を着ているのもあってヴァンパイアみたいだ——ていうかコイツ、実際に吸血鬼なんだけど。

 店長パルテは朝日に目を細め嫌そうにした。こいつの厳密な種族はコウモリの獣人で、紳士服の背中には小さな黒い羽を通すためのスリットがある。ちなみに飛ぶことはできない。他の鳥系の獣人も同じだが、小さな羽はただのお飾りだ。

 金髪の左右からは兎のような細長く黒い耳が生えているが、生まれつきなのかピンと立たずに垂れている。やる気の無いバット●ンというか、蝙蝠というより黒ウサギに見える耳だ。

 パルテは小洒落た青のネクタイを締めていて、鑑定すると、思った通り新作だった。

「そういや店長、アクシノの予想じゃ猫ども3匹は『超』遅れるってさ。9時前になるとか」
「はあ!? マジかよ……リーダーは最近、ギルマスたちが迷宮にいる間は必ずユエフーかブックの家に泊まるよな。今日はおれのステキな“クソお祖父様”が来るって伝えてあるのに……」
「まあカリカリするな。じいさんも服を見たいわけじゃないでしょ」
「それを言うなよ、自信を無くす……」

 俺は店の裏手にチャリを停めてしっかりと鍵をかけた。自転車の製法は街の鍛冶屋に広めてあるが、製作難易度が高いしゴムも輸入になる。チャリはまだ高価な道具だ。

 バイト先の開店は10時だが、やることはいくらでもあった。

 俺がニ階の厨房に上がり、俺からリュックサックを受け取った吸血鬼がニヨついて化粧品(特に日焼け止め)を吟味し商品棚へ並べていると、正社員として働いている成人の女性5人が出社した。全員が裁縫や裁断、それに〈調合〉のどれかを持っていて、昨日染料に漬け込んだ布や糸の様子を確認し始める。社員さんたちはさらに店長パルテが市場で仕入れ、倉庫に入れていた素材を受け取り、忙しく仕込みを始めた。

 そして9時前、叡智の予想通り3匹の小動物が重役出勤して来た。

 少女3人はきゃっきゃしながらガラス戸を開き、悪びれる様子も無くドアを閉めた。全員が黒を基調とした地球風の学生服ブレザーに身を包んでいる。うち2匹は13歳の冒険者で、残る1匹は俺のいとこだ。

 ラーナボルカ市でも最も若い冒険者パーティ「スリー・テイルズ」を率いる12歳のリーダーは、ゼロ歳の頃から変わらない眠たげな目で胸を張った。

「にゃ。遅れたがギリギリセーフ☆」
「マジでクビにすんぞ、ミケ」

 店長が苛ついて吐き捨てた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役貴族の四男に転生した俺は、怠惰で自由な生活がしたいので、自由気ままな冒険者生活(スローライフ)を始めたかった。

SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
俺は何もしてないのに兄達のせいで悪役貴族扱いされているんだが…… アーノルドは名門貴族クローリー家の四男に転生した。家の掲げる独立独行の家訓のため、剣技に魔術果ては鍛冶師の技術を身に着けた。 そして15歳となった現在。アーノルドは、魔剣士を育成する教育機関に入学するのだが、親戚や上の兄達のせいで悪役扱いをされ、付いた渾名は【悪役公子】。  実家ではやりたくもない【付与魔術】をやらされ、学園に通っていても心の無い言葉を投げかけられる日々に嫌気がさした俺は、自由を求めて冒険者になる事にした。  剣術ではなく刀を打ち刀を使う彼は、憧れの自由と、美味いメシとスローライフを求めて、時に戦い。時にメシを食らい、時に剣を打つ。  アーノルドの第二の人生が幕を開ける。しかし、同級生で仲の悪いメイザース家の娘ミナに学園での態度が演技だと知られてしまい。アーノルドの理想の生活は、ハチャメチャなものになって行く。

愛しのお姉様(悪役令嬢)を守る為、ぽっちゃり双子は暗躍する

清澄 セイ
ファンタジー
エトワナ公爵家に生を受けたぽっちゃり双子のケイティベルとルシフォードは、八つ歳の離れた姉・リリアンナのことが大嫌い、というよりも怖くて仕方がなかった。悪役令嬢と言われ、両親からも周囲からも愛情をもらえず、彼女は常にひとりぼっち。溢れんばかりの愛情に包まれて育った双子とは、天と地の差があった。 たった十歳でその生を終えることとなった二人は、死の直前リリアンナが自分達を助けようと命を投げ出した瞬間を目にする。 神の気まぐれにより時を逆行した二人は、今度は姉を好きになり協力して三人で生き残ろうと決意する。 悪役令嬢で嫌われ者のリリアンナを人気者にすべく、愛らしいぽっちゃりボディを武器に、二人で力を合わせて暗躍するのだった。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

とある元令嬢の選択

こうじ
ファンタジー
アメリアは1年前まで公爵令嬢であり王太子の婚約者だった。しかし、ある日を境に一変した。今の彼女は小さな村で暮らすただの平民だ。そして、それは彼女が自ら下した選択であり結果だった。彼女は言う『今が1番幸せ』だ、と。何故貴族としての幸せよりも平民としての暮らしを決断したのか。そこには彼女しかわからない悩みがあった……。

ゲーム中盤で死ぬ悪役貴族に転生したので、外れスキル【テイム】を駆使して最強を目指してみた

八又ナガト
ファンタジー
名作恋愛アクションRPG『剣と魔法のシンフォニア』 俺はある日突然、ゲームに登場する悪役貴族、レスト・アルビオンとして転生してしまう。 レストはゲーム中盤で主人公たちに倒され、最期は哀れな死に様を遂げることが決まっている悪役だった。 「まさかよりにもよって、死亡フラグしかない悪役キャラに転生するとは……だが、このまま何もできず殺されるのは御免だ!」 レストの持つスキル【テイム】に特別な力が秘められていることを知っていた俺は、その力を使えば死亡フラグを退けられるのではないかと考えた。 それから俺は前世の知識を総動員し、独自の鍛錬法で【テイム】の力を引き出していく。 「こうして着実に力をつけていけば、ゲームで決められた最期は迎えずに済むはず……いや、もしかしたら最強の座だって狙えるんじゃないか?」 狙いは成功し、俺は驚くべき程の速度で力を身に着けていく。 その結果、やがて俺はラスボスをも超える世界最強の力を獲得し、周囲にはなぜかゲームのメインヒロイン達まで集まってきてしまうのだった―― 別サイトでも投稿しております。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

転生テイマー、異世界生活を楽しむ

さっちさん
ファンタジー
題名変更しました。 内容がどんどんかけ離れていくので… ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ありきたりな転生ものの予定です。 主人公は30代後半で病死した、天涯孤独の女性が幼女になって冒険する。 一応、転生特典でスキルは貰ったけど、大丈夫か。私。 まっ、なんとかなるっしょ。

【書籍化進行中、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

処理中です...