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第四章 大いなる冒険
ダンジョン・スタンピード
しおりを挟む常世の切符は、破れば「迷宮の入り口」まで移動することのできるアイテムだ。
切符を破ると倉庫のような白い光が見え、気がつくと俺はウユギワ迷宮の入り口ではなく、村の中央広場にいた。
常世の切符が偽物だったり、効果がバグったわけじゃない。4日前に俺とミケがシュコニと一緒に通った入り口は、もはやウユギワ迷宮の入り口ではなくなっていたというだけだ。
晩夏の村は蒸し暑く、時刻的には昼下がりのはずだが暗かった。上空にぶ厚い積乱雲が留まり、日光を遮って暗い雨を降らせているせいだ。
地面がずっと揺れている。震度でいえば2から3だ。地響きが鼓膜や腹を揺らし、切符で村にワープした俺たちは揺れる大地に足を取られた。
その震源地は村の中央にあったファレシラ像の噴水だった。像と噴水があったはずの場所は陥没していて、おそらくあの穴が現在の「入り口」なのだろう。
その深い穴からは、次々とモンスターが湧き出していた。
迷宮の暴走——ダンジョン・スタンピードが発生していた。
切符を破った俺や〈剣閃の風〉は、ふと気がつくと噴水から少し離れたギルドの残骸の上に転移していて、山になった瓦礫の上から見る村は壊滅状態だった。
大地が揺れる中、優に千を超える魔物の群れがウユギワ村を蹂躙している。
噴水のすぐ上にあったはずの避難所の入り口は無くなっていた。宿屋の主人が別の場所に子供たちを移動させたのか……あるいは術者たる主人が魔物に殺されてしまったのか。
俺とミケが開いた豚汁の炊き出し屋台も粉々に壊されていて、数匹のゴブリンが鍋の残骸を舐めてゲラゲラと笑い合っている。豚肉の味を楽しむゴブリンたちを一頭の白オークが棍棒で叩き潰した。
ウユギワ村の人口は2千を超えているはずだが、広場には2、3百人の村人しか残っていない。その全員が冒険者で——全員が死にかけていた。
冒険者たちは村の広場を舞台に魔物と入り乱れの戦闘を繰り広げていて、前衛が壊れかけた鎧を着て折れた剣や斧を振り回し、後衛の魔法職がMP枯渇にふらつきながら懸命に回復魔法を詠唱している。
「なんだ、これ……」
剣閃の風のリーダーたる父さんが折れた細剣を構えた。その黒髪や浅黒い頬を雨が打つ。
「とにかくおまえら、陣形を組んで村のみんなの加勢に——」
「待つ! 〈剣閃の風〉は撤退にゃ! みんな連戦でろくにMPが無いだろ? 引け! これはあちしの——ギルドマスターの命令!」
「だけど良いんスか、ポコニャ村長!? このままじゃみんなが——」
ムサが抗議しかけたが、ポコニャさんは唸り声を上げた。
「ムサ、あちしを誰が加護してると思う!? 叡智様と温泉様に加えて、ギルドマスターになったお祝いにニケ様の加護も得てる! ——その冒険様が〈逃げろ〉と言ってる!」
ポコニャさんは村の中央の噴水跡を指さした。ファレシラの噴水があったはずの場所にはぽっかりと穴が空いていて、その穴からは魔物が湧き出していたが——穴からは、黒く太い8本の蔓が伸びていた。
——首吊りの木だ。ダンジョンマスターの花魄が伸ばした触手だ。
シュコニが殺してくれたはずの雑草はタコのように触手をうねらせ、所々に不気味な花を咲かせていた。
ぞっとするほど白い花の、本来なら雄しべや雌しべがあるはずの場所には血を吸われて青い顔をした人間の生首があった。
全員死んでいる。
生首の中には道具屋の主人がいたし、その隣には、息子のルガウ少年の首もあった。
幼い狼の少年は首元の花弁を血で赤く染め、命が尽きたうつろな目で魔物に蹂躙される故郷を見つめていた。
あの雑草はフェネ婆さんの遺体を喰って〈神になった〉と喜んでいたが——あれが月の“神”かよ?
俺には悪魔にしか見えなかった。
雑草の触手は俺が見ている前で冒険者の一人を上空につまみ上げ、30代に見える冒険者の悲鳴を楽しみながら首を折って新しい花を咲かせた。
「——全員勝てニャい! 撤退にゃ! ミケとカッシェもだぞ!? 冒険のニケ様が〈撤退〉を神託している!」
ポコニャさんが雨に打たれながら怒鳴った。
「でも心配するにゃ。女神様が……偉大なる〈歌〉が、迷宮を飛び出した雑草を刈りに来てくださるッ!」
——ふいに、上空を覆っていた厚い積乱雲に槍を突いたような穴が空いた。
魔物も人も動きを止める。
薄暗い村に光が差し込み、死に物狂いで戦っていた冒険者たちが歓声を上げた。叡智アクシノの神託が耳に響いた。
〈ウユギワ村の冒険者たちよ——離れていなさい。ウユギワ村の迷宮そのものは、すでに冒険の子シュコニが打ち壊してくれました。もはやこの土地に迷宮は無く、我ら神々を妨げる結界は存在しない〉
お仕事モードのアクシノさんが、村の全員に怜悧な声でアナウンスする。
〈手出し無用です。あの蔓草は我らの宿敵たる〈月の神〉であり、神は神にしか殺せません。あなたたちは星辰ファレシラの戦いを見届け、その偉業を歌にして語り継ぎなさい——〉
雲の切れ間は村にひとつの光の筋を落としていた。筋は真っ直ぐ泉の跡に刺さり、その光の筋の中を、遥か上空から外界に、女神が降臨して来る。
雨雲の切れ間に喝采を上げていた村人たちの声が絶叫のように大きくなった。
喝采を受けながら降臨した女神ファレシラはしかし、常世とのケンカの傷が癒えていなかった。
淡い緑の髪の毛はボサボサで顔は擦り傷だらけだし、母さんから奪っていった「ファレシラの鎧」に守られていない手や足はアザだらけだ。
「にゃ……!? どうして歌様は怪我してる?」
なにも知らないポコニャさんが声を上げた。村人たちも同じ感想のようで、星辰の降臨に喝采していた声がどよめきに変わる。
しかしファレシラは穏やかに微笑み、首吊りの木の上空に浮かんで宣言した。
「花魄——首吊りの木。そんな体でまだ戦いますか? おまえの根本はすでに腐っていて、〈月〉に帰ることもできないでしょう?」
〈……出たわね、音痴! 自慢の仲間はどうしたの? わたしが全員殺してあげるのに!〉
頭の中に甲高い声が響き、村人たちが耳障りな声にどよめいた。
「あら、あら……☆ ほんとはわたしが仲間を引き連れてないからホッとしてるくせに♪
今は星辰祭の時期ですからね、他の神々は惑星の各地に散らばり、とっても忙しいのです☆ おまえのよーな雑草一匹、『星辰ひとりで殺せるでしょ』って、誰も手伝ってくれません♪
……困りますよねぇ、棚ぼたで手にしたSPも、さっきの死神相手に使い果たしちゃったし、わたし、めちゃくちゃ疲れているのですが……☆」
〈へえ、わたしが“雑草”……? “神”たるわたしを雑草と呼んだ気がしたけれど?〉
「聞こえたくせに耳をふさぐ子は嫌いですね。わたしは〈歌〉の女神様ですぞ? ——なるたけ極大魔法の使用は控えたいのですが、あんたうぜえし、さっさとぬっ殺したいなぁ……☆」
そう言うなりファレシラは体を青白く発光させ、同時にポコニャさんがスキルを使用した。
〈——極大魔法・歌:九天応元雷声普化天尊——〉
〈——冒険術:組長命令——〉
村の広場全体に数千本の雷が降り注いだ。絶対俺たちにも当たると思ったが、落雷は魔物と雑草だけに命中し、ギルドマスターに就任したポコニャさんの声が脳内に響く。
〈——逃げれおまいら、歌様の戦いの邪魔になる! 下がって広場を囲め。魔法を逃れて来た雑魚モンスターだけを狙え!〉
組長命令というスキルは、どうもギルマスに〈神託〉を許す能力のようだ。
新任のギルドマスターの声は村のすべての住民に届き、冒険者たちは即座に広場から脱出し始めた。ギルマスの司令は〈剣閃の風〉のリーダーにも届いていて、父ナンダカが俺の脇腹を抱え上げて仲間に叫ぶ。
「下がれ! 戦いは女神様に任せて——おい暴れるなよ、カオスシェイド!?」
「——離して!」
俺は暴れて父の手を逃れた。新村長たるポコニャさんの命令は合理的ではあったが——歌の邪神が両足を蔓草に捕らわれていた。
別に邪神が心配というのではない。誰があんなヤツ心配してやるか。
「——ファレシラ!」
父さんを振り切った俺は叫びながら広場の中央に走り、襲ってきたゴブリンキングを〈ぬかるみ〉で転ばせた。父さんたちは俺を追いかけようとしたが、すぐ立ち上がったキングに行く手を阻まれる。ゴブリン・キングは周囲のゴブリンに〈総攻撃〉を命じ、ミケとラヴァナさんを前衛にして剣閃たちは戦闘を始めた。
上空で蔓草が波打つ。首吊りの木に足を掴まれたファレシラは唸る蔓草とともに地面へ叩きつけられ、瓦礫が舞った。鑑定なんてしていないのに叡智の声が脳裏に響く。
〈おいカオス、どういうつもりだ? 手出し無用だ。むしろ歌様の邪魔になるから——〉
(——うるせえ、叡智なら俺を予想してみろ!!)
念じると叡智は黙り、瓦礫の中からファレシラが現れた。歌の女神は足に絡んだ蔓草を焼こうと火の呪文を使っていたが、首吊りの木は絶対防御で炎に耐えて離さない。
星辰の女神は雑草の蔓で再び天高く持ち上げられてしまい、俺は——とてもとても言いたくない敬称を、つい邪神に叫んでしまった。
「——おい、ファレシラさま! 俺に『思考加速』をくれ!」
「……へ?」
サマをつけて呼びかけるとファレシラはすっとぼけた声を出し、それと同時に俺の右足を蔓草が掴む。
〈あはは! 星辰の子を捕まえたわ! 殺せばすごい経験値になるはずよ!〉
右足に絡まった蔓がうねり、俺は逆さ吊りで持ち上げられた。MPもHPも尽きている俺は抵抗できず、右の足首から骨の割れる音がした——最高に痛え。
「ちょっとカオス()、どうして……」
「うおおカオスって呼ぶなッ!? おまえら神どもは何年俺の名前で笑う気だよ!? ——いいから、サマをつけてやるからッ、ファレシラさま! ~~~~早く『思考加速』をくれって!」
常世の女神との戦いの前、「請われれば与えるつもりだったのに♪」と聞いた時は目の前が真っ暗になった。
——ざけんな邪神。俺が頼めば「思考加速」をくれたのかよ。
ゼロ歳の俺にツキヨ蜂の女王をワンパンさせてくれたチートを、俺が祈れば与えるつもりだったのかよ。
もしも思考加速があったら——主観的には停止した時間の中、シュコニが命を賭ける前に俺が首吊りの木と戦えていたかもしれない。ポコニャさんにしても、牛の攻撃をもらう前に俺が動いて助けられただろう……。
でも、それをファレシラのせいにはできなかった。
あいつの言う通り俺は自分のMPや「鑑定」ばかり使って、歌の女神を頼るということを一切しなかった。最初からするつもりが無かった。
あんな邪神に頼ったら負けだと思っていた。
あの女は俺をこの世界に連れてきた犯人だし、「異世界転生のテンプレが良い」と叫んだ俺の失言にかこつけてめちゃくちゃなクエストを出してくる邪神だ。
俺にはあんな邪神に頼ってたまるかという反抗心があったし、そんな気持は今でも消えていない。
フィウと連弾して発動させた〈極大魔法・歌〉にしたって、発動させる対象に「鑑定」を指定した。曲こそ邪神に捧げてやったが、使いたい力にはアクシノさんを指定した。
俺は邪神に頼りたくなかった。この7年、俺はできるだけ自分の力だけでクエストを達成しようと躍起になっていた。
自分で鍛えた「棒」を振り回し、歌の女神に「詠唱」を捧げたくなかったから、できるだけ〈無詠唱〉で敵を焼き払った。
その点について反省はしていない。自分の力だけでやるという考えが間違っていたとは思わない。
だって想像してみろよ。「やばくなったらオンナに頼る」とか、そんなのは全然“ロック”じゃないだろ?
俺はそんなダサいことをしたくなかったし——前世の俺は、笑えるほど売れないバンドマンだった。
「ファレシラさま、早く! お願い! アンタ見えてるよね? 雑草がボクの右足を折っているのだが!?」
なのに女神に祈った理由は簡単で、俺はファレシラだけには「借り」を作りたくなかった。
あの女神は、ポコニャさんを助けるつもりでヘマをした俺に代わって死神と殴り合い、3HPしか持たない俺では即死したであろう戦いを制してポコニャさんの命を助けてくれた。
その借りは、今すぐ、ただちに返却したかった。
〈いただくわ、経験値っ……!〉
首吊りの木が俺の体を持ち上げ、地面に叩きつけようとした時、
〈——歌魔術:アダージョ——〉
視界にスキル表示が浮かび、〈手紙アプリ〉に1通のメールが届く。
(……願えばほんとにくれたのかよ、ファレシラさま)
女神が寄越した手紙を開くと、7年ぶりに世界の時間が停止した。
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