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第四章 大いなる冒険
大いなる冒険
しおりを挟むまるで思考加速を受けたみたいに一瞬が永遠に感じられた。
俺が作った〈ひのきのぼう〉を奪ったミノタウロスは、俺が作った〈チェインメイル〉に一撃を下した。ともに3百万MPはつぎ込んでいる二つの装備は激突するなり青い光を発し、7年もの間祈りを込めて作った鎧は、ほとんど絶対防御のように装備者を守るかに見えた。
しかしそこにはスキルの差があった。ミノタウロスの圧倒的な腕力によって振り下ろされた棒はチェインメイルを砕き、娘を守ろうと身を挺した母猫の体を砕いた。何年もかけて鍛えた銀の鎖が飛び散り、そこにポコニャさんの血の赤が交じる。
「——倉庫!」
父さんが鋭く怒鳴り、ムサが倉庫を開いた。怪盗の母が残り少ないMPを無視して〈転宅〉を連打し、動けないポコニャさんを回収してムサの倉庫に運び込む。
「ママ…………?」
呆然とする三毛猫をラヴァナさんが抱きかかえて走り、剣閃の風が行動している間、俺はやけくそで〈癇癪玉〉を連打していた。
本気で、殺すつもりで放った火炎はミノタウロスにまるで効かなかったが、時間稼ぎにはなった。
牛はゲラゲラと笑って剣術スキルを中断し、ムサの倉庫に集結するミケたちを見物した。襲いかかろうとする魔物が数匹いたが、低く唸って〈手出し無用〉の指示を再度出す。
俺は心を殺意で塗り潰しながら無意味な魔法を連打した。
こうなることは叡智に予想されていた。
俺やミケの実力が足りない場合、ボスを前にHPの壁は崩されてしまい、そうなれば誰かが——俺たちの親のうちどちらかが——身を挺してでも子供を守りに来るだろう。それも、俺が作った鎧を着た誰かになるだろう。
『本当ならあと5ヶ月は準備できたはずだった。あの忌々しいマキリンを通じて、敵が予想外に早く行動を起こしたんだ。計画を企てたのはおそらく月のジビカだろうが……相手も「叡智」だ。我々は不意を突かれてしまった』
叡智アクシノは鑑定Lv10の神託で告げていた。
『ベストを尽くそう。まずは開戦直後、ナンダカやポコニャと一緒にLv7の火炎を使え。口で指示を出す余裕は無いだろうから、いつでも作戦を〈印刷〉できるように準備しておけ。それから……』
俺は神託を思い出しながら、牛を無視して黒い大木に爆破をかけた。ダンジョン・マスターたる「首吊りの木」が悲鳴を上げるかと思ったがそんなことは無く、わずかLv3の〈癇癪玉〉は、ダンジョン・ボスのクソ牛と同様、マスターにはなんの効果も無かった。もっと強い火を使わない限りあの雑草は燃えない。
——うまく行くかな……?
俺は不安に押し潰されそうになりながら首吊りの木に向かって無意味な魔法を連打した。励ますような叡智の声がする。
〈今は耐えろ。きっとうまく行くさ。ほんの7歳ではあるが、あの三毛猫は「冒険」の子だ——すぐに立ち上がるさ〉
◇
大切なお嬢様と合流したマガウルは、迷宮の最下層で事の成り行きを見守っていた。
カオスシェイドという名前だったか。
星辰の加護を持つ黒髪の子がミノタウロスと戦い始めてすぐ、彼はフィウを守りながら騒然とする迷宮の壁際を進み、少しずつ花魄の根本に近づいていた。
(花魄か……実に無様な雑草だのぅ。加護を受けなくて正解だった)
黒い枝に冒険者の死体を吊るした「首吊りの木」を老人は見下した。彼の実力ではマスターたる花魄に勝てないし、部下の牛にすら勝てないだろうが、それでも執事に服従するつもりは無かった。
「マグじい、もういい。もう王国に帰ろう?」
フィウお嬢様が不安そうに言ったが、マガウルは同意しなかった。お嬢様に合わせツイウス語で返す。
「大丈夫ですよ、フィウ様。あなたを必ず月へ返してさしあげます」
暗殺者としてツイウス王国のメアリネ王家から依頼を受け、フィウを誘拐して6年になる。月生まれの子供を誘拐してみせた彼は王国から多額の金品や領地まで受け取り、そのままフィウの護衛任務を引き受けた。
誘拐も護衛も、特に理由無く引き受けた仕事だった。若いうちこそカネ次第で誰でも殺ったが、彼は既に一生遊んで暮らせる資産を持っていた。
しいて言うなら暇つぶしだった。噂に聞く〈月〉を旅行してみたいから誘拐を引き受けたし、今の所その気配は無いが、フィウを取り返しに来た月の眷属を殺したいという理由で彼は護衛を引き受けたはずだった。
「マガウルっ! ここだ、ゴリを連れてきたぞっ!」
ツイウス語の明るい声がした。シュコニがむさ苦しいグズを連れて右手を振っている。その薬指には銀色の指輪が光っている。
合流した瞬間、フィウはメイドに強く抱きついた。髪の毛を赤くしながら「お姉ちゃん」とつぶやく。
フィウはこの2年ですっかりシュコニに懐いていた。
一昨年の春、ツイウス王国に流れ着いたあのメイドは、いつもの「儀式」に出席していたマガウルたちに自分の加護を明かした。
彼女は「月の眷属」で、叡智ジビカの加護を受けていた。
多くの〈月〉がそうであるように、シュコニの身の上も悲惨だった。
ドーフーシ帝国の冒険者の家に生まれた彼女は、12歳のとき、ついに迷宮入りを許されて両親と冒険に出たという。パーティには彼女の幼馴染も参加していて、まだ成人前の少女は友人とともに「冒険」に胸をときめかせて迷宮に入った。
ゴブリンの群れが少女らを襲った。冒険者の父親はシュコニをかばって死に、ただの職人だった母親は幼馴染をかばって死んだそうだ。
生き残ったシュコニは両親の死に涙し、同じく生き残った幼馴染に言った。
『 お前が死ねば良かったのに 』
そして彼女は言葉通りに幼馴染を殺めてしまい……あとはよくある〈新月〉の話だ。
殺人の前科を負った少女はドーフーシに居づらくなって逃げ出し、冒険者として迷宮をうろついていたら、叡智ジビカから加護を持ちかけられて狂喜したと聞く。
——月まで行けば両親に会えるぞ。お前の「本当の名前」だってわかる。
流れ着いたツイウス王国で身分を明かしたシュコニはフィウとすぐに打ち解け、強制的に殺人を強いられていたお嬢様に深く同情してくれた。彼女はフィウを月に返してやりたいとまで言ったが……老いた殺人鬼はその魂胆を見抜いていた。
ついでに彼女も月に行きたいだけだろう。
しかしお嬢様を戦争用の生きた魔道具として扱っている王国にあって、シュコニという協力者は貴重だった。
シュコニはある日、唐突に旅へ出て、ウユギワという弱小ダンジョンの情報を手紙にして寄越した。レテアリタ帝国のど田舎にあるダンジョンは迷宮よりも「ミソ」や「ショーユ」といった新種の調味料で知られていて、出現する魔物は弱く、マガウルさえいれば最下層を目指せる難易度だということだった。
そんなシュコニの誘いを受けて、この夏、マガウルはフィウを連れてウユギワ村に来た。
久々に再会したメイドは村に2名もの協力者を見つけたと胸を張った。ひとりはゴリで、もうひとりは「まだ、ちょっと」と笑って誤魔化した。
今にして思えばマキリンだったのであろうが、メイドは「良い人に見えるんだけど……うーん、どうもまだ信用しきれないっ」と笑い、マガウルたちに紹介するのを控えた。ゴリについても、自分とマガウルたちの関係は隠したほうが良いと助言し、老人はその通りにした。
叡智ジビカの加護を受けている彼女の予感は正しかった。
ゴリに紹介されたウゴールとバウ、そしてシュコニの案内で迷宮を進んでいたマガウルはゴブリンの群れに襲われ、シュコニは鎧を大破させられたし、フィウを誘拐されてしまった。
「……爺さん、私は酒場に戻るよっ。フィウのことを知ってる奴がいないか調べたい」
シュコニは青ざめた顔で酒場に戻り、マガウルは狼二人を説教して迷宮に戻った。
あとからフィウに聞いた話によれば、シュコニはそのあと鑑定阻害の指輪を信じて「鑑定持ち」のカオスシェイドに近づき、絶対防御を持つ子供を2人もそそのかして迷宮に戻ってきたそうだ。子猫はともかく、カオスシェイドがいなければフィウが崩落で死んでいたのは間違いない。
「お姉ちゃん、もう誰にも嘘は言わなくていい……? 知らないふりするの、大変です」
シュコニの胸に顔を埋めていたお嬢様は、ようやくメイドを離して尋ねた。シュコニはツイウス王国のメイド服に着替えていて、服は体型に完璧にマッチしている。彼女用に仕立てた服なのだから当然ではあるが。
「良いともっ! もはや嘘なんてつくなっ! ゴリは〈月〉だからなにを知られても平気だし、ていうかさっき倉庫でも言ったけどさ、私もフィウも全部バレちゃったからね。極大魔法の鑑定とか、あんなの反則だよカオスのやつっ。私がどれだけ必死に秘密を守ってたと思う!?
叡智ジビカも『ふざけんなー』って怒ってたよ。あの人、やり返そうと思ったみたいなんだけど、使える力が足りないみたいだった。冒険者は全部ニケのアホが守ってるから、知りたくても鑑定できないんだって。
——しかし我等が月の叡智は、ギルマスのフェネはやっつけたっ!」
ゴリが真っ青な顔で頭を垂れた。村長の死が堪えているのだろうが、それならなぜこの場にいるのかという話だ。狐が仲間のために遺した薬品の半分は未だに彼の倉庫の中にある。
「それよりフィウ……ついにその時が来たぞ」
シュコニは真剣な顔で言った。
「4日前……いや、もう5日前になるかな? とにかくキミが居なくなった時は詰んだと思ったっ。でも、カオスとミケは超強かった。音痴と佞智と冒険のアホ()には感謝だね。めたくそ雑魚の私でも、こうしてフィウと迷宮の最下層まで来られた!」
お嬢様のメイドは花魄の根本に目をやり、暗く口を開いた樹洞を見つめた。
「私もゴリも、フィウをここまで届けたぞ? ……だから、月の鬼族たるキミも、私らのために少しだけ手伝ってほしいっ」
むさ苦しいゴリが黒い両目を涙に濡らしてつぶやいた。
「それじゃ、シュコニ……あの樹洞の先に、月が……?」
「そうじゃ。あの樹洞は『天国』に通じておるが——」
マガウルは言った。
「おまえたちが差し出す通行料は? わしらには用意があるが、例のアレではお嬢様とわしくらいしか通してくれぬだろう」
「ダンジョン・マスターへの賄賂だね? 私は準備しているぞ。ずっと宝箱に隠してたっ!」
月への通路は無料ではない。月に行くには迷宮の最深部まで潜り、さらにダンジョン・マスターに貢物をする必要があった。
月に憧れる眷属たちの多くは、まずは迷宮の攻略で躓いてレベル上げのために殺人を繰り返し、そのあとは通行料のために殺人や強盗を繰り返す。
シュコニは「常世の倉庫」を開く呪文を詠唱し、鍵付きの宝箱から赤くなめらかな毛皮で作られたマントを取り出した。
「これは、火鼠の皮衣……どれだけ強い炎を浴びても絶対に燃えないんだ。花魄は樹木の神様だから、きっと喜んでもらえるはずだっ!」
メイドは服の上に赤いマントを羽織り、ゴリは羨ましそうに見つめたあと小刻みに震えた。
「お、俺も倉庫に。ぶっちゃけ賄賂の用意なんて無かったけど、今なら……今なら、俺には村長の亡骸がある! ギ、ギルドマスターだ。使わせてもらう……木に、あの木にぶら下げれば花魄様が喜ぶと聞いてる……」
散発的に炎を受けていたミノタウロスが唸り、剣術の連打を再開した。牛はその巨体からすると小さな光る棒を持っていて、太鼓でも打つように激しく上下させた。
マガウル老人は赤いマントやフェネの死骸を見て頷いた。
「うむ……ならば星辰の子が戦っているうちに、樹洞を目指すぞ」
「おう☆ 今がチャンスだっ♪ 魔物たちは〈月の眷属〉であろーと普通に私たちを襲うから、迷宮内の敵はマグじいに任せる。フィウはお姉さんのマントの中に入ってろ! 私がキミを生まれ故郷まで運んであげようっ!」
「はい……!」
マガウルたちは首吊りの木を目指して走り始めた。
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