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第四章 大いなる冒険
鑑定チート野郎の怪演
しおりを挟む惑星を統べる女神からすれば一瞬のように感じられる4日間が過ぎたあと、女神ファレシラは小高い丘の上で青い目を閉じため息をついた。淡い黄緑色の髪が夜風に流れる。肩には叡智の黒いカラスが止まっている。
(あ……また死んでしまった……)
ドーフーシ帝国の本陣には同心円状に何重もの魔法陣があり、侍のような甲冑を装備した〈月の眷属〉が数十人も待ち受けていた。
堅い守りの前に5人もいたはずのAランク冒険者は次々と殺され、たった今、レテアリタ帝国ラーナボルカ市のギルド・マスターすら殺されてしまった。
残る冒険者は若い青年のみで、冒険のニケや拳のダーマが蝶の姿で飛び回り、我が身を顧みず加護を与えに出ている。
歌と叡智にはどうしてやることもできない。
女神2人はそもそも武闘派じゃないし、魔物はもちろん、月の加護を得ている裏切り者はこの世界の神を殺すことができる。
実際には傷に応じ数年から数百年間眠るだけだが、火の神が眠れば人類は火打ち石を手放せなくなるし、水の死は多くの都市の魔術的上水道を停止させる。叡智が死ねば知性無き生命が跋扈するだけの原始時代に逆戻りだし、最悪なのは星辰の死だ。微生物やコケ以外の全生物が死滅し、その間、月は良いように星を侵略して自分たちの領土を確立するだろう。
ファレシラは最後のひとりになった武道家の青年をただ応援した。
できれば〈調速〉を与えてやりたいが、あれはリズム感の悪い人間には永久に使いこなせない能力だ。青年に才能は無かった。不用意に与えれば不整脈を引き起こして死亡させてしまうし、〈思考加速〉は調速無しでは使い物にならない。
なら〈絶対防御〉はどうだろう? ——もっと不可能だ。
絶対防御は眷属にしか与えられない。「世界の誰にも加護を与えない」と決めたファレシラには不可能だし、そもそもSPが足りなかった。
ファレシラは戦争を見守りながら、SPが欲しいと強く願った。
SPは神に神たる力を与える源のような力で、どれだけポイントを消費したかに応じ、あらゆる奇跡を実現できる。
火の詠唱をすると火が起こるのは、火の神が手持ちのSPを消費し、この世界に自分への賛歌を登録しているからだ。登録せねば神は無力だし、別の見方をするなら、本来「なんでもあり」の神々が互いに力を制限するための仕組みがSPだった。
SPは、星々を包む常世の女神を始め、星辰よりも上位の存在から気まぐれに与えられる。
この得点の正体は叡智アクシノにもわからない。神秘の力の略だとか、「神聖得点」「スター・ポイントの略」……定義を聞くたび上位存在はいい加減な答えを返すだけで、史上最低の回答は「酸っぱいパンツの略」だ。この定義は座敷わらしみたいな常世の少女が表情に乏しい顔で言い放った渾身のジョークで、笑ってやったのはニケだけだった。彼女は常世の〈冒険〉を賛美した……。
もっとSPが欲しい。
叡智の予想では「信仰ポイントの略」が最右翼で、その性質は経験値に似ている。冒険者らが魔物を殺して力を得るように、世界のどこかで誰かが歌えば——詠唱すれば〈歌〉はSPを得ることがあり、誰かが研究し学問を進歩させると叡智はSPをもらえることがある。
しかし予想は予想に過ぎず、正体不明の気まぐれポイントは世界神でも日に1、2点が得られる程度で、無駄にはできなかった。200点あればニケが絶対防御を付与できるのに……。
世界を統べる女神として今、ニケにSPを分けてやることは不可能ではない。200点なら貯蓄から出せるし、ニケを経由して、あの冒険者はただちに2HPを獲得するだろう。一度付与してしまえばあの冒険者は生涯に渡って1日2回の絶対防御を得られる。
しかしファレシラは3日につき3点を消費して〈月〉を存在否定し続けているし、5日につき7点を消費して、全世界のダンジョンに対し〈階段の使用〉や〈魔物が階層を登る条件〉等々を強制し続けていた。連日の〈否定〉に対し、月が〈否定の否定〉をしなければいくらでも点数を貯められるのに。
「くそっ、まずい……!」
ファレシラが口を開く前に叡智のカラスが鳴いた。
赤い甲冑を着た〈月の眷属〉が現れ、漁師が使うような三叉の銛を突き出した。最後の武道家は対応を誤り、道着の脇腹に刃が食い込む。返しのついた銛は抜けず、武道家は動きを制限された。
「後方には回復専門の部隊がいますが、気づいていない——いや、ドーフーシのヌペルフが鑑定しました。警告を出します!」
赤い甲冑の〈月〉が腰の太刀を抜き追加の一撃を入れた。回復魔法が飛んできたものの、Aランク冒険者は劣勢で、その時——。
「……わ」
ファレシラはつぶやいた。肩のカラスが尋ねる。
「なんです? どうしました」
「カオスが……あいつが〈極大魔法:歌〉を選んで、アクシノが用意したゲームを一発で……あんた難しくしといたって言ってなかった? でも……」
「む? おお、あいつさっそく使うつもりですよ!」
「静かに!」
ファレシラは目を閉じた。豪華な内装を持つ常世の倉庫が見えてきて、混沌の影の声が聞こえた。
『やっぱりピアノだ……なんでピアノがあるんだ?』
それは大昔、とある裏切り者がこの世界に広めた地球の楽器だった。制作するのに技術が必要で、大金持ちの貴族くらいしか所有していないし、演奏する者も多くない。
女神ファレシラの唯一の眷属は、青い髪の少女と一緒にピアノの前に座り、メイドのような金髪の女性に通訳を頼んで早口になにかを指示していた。喋るのと同時に流れるような操作でホームを開き、〈絵画〉アプリからファイルを選んで〈印刷〉に送り、ピアノが背にしている壁に、この世界で使われている形式で楽譜を彫刻する。青髪はツイウス語で文句を言ったが、カオスは怒鳴り返した。
『床にアクシノから教わった極大魔法の魔法陣も描く! ——ピアノを弾けば「マグじい」を見つけられるぞ?』
『ほんとですか!?』
『俺たちが演奏できたらね。気が乗らなかったバウの葬式とは違う……本気になる必要がある』
カオスは楽譜を演奏できるか少女に尋ね、少女は——あれは月の鬼族だ——髪の毛を赤く変色させながら「たぶん」とつぶやいた。印刷アプリで寝室の床板が削られ、巨大な魔法陣が描かれる。カオスから流れ込んだMPが魔法陣を青白く輝かせた。
(カオスシェイドが極大魔法を使う……!?)
ファレシラは期待に胸を膨らませた。
極大魔法とは、神々ではなく術者が、ただの人間が祈りによって上位存在からのSP獲得を目指す特別な儀式だ。
スキルは普通、神が人に異能を与えるものだが、極大魔法ではその関係が逆転する。仮にSPを得られた場合は、対応する神がその得点を使って上位魔法を実現させたり、ときにはそれ以上の奇跡を起こす。
極大魔法:歌の場合、術者は歌を捧げることでSPの獲得を目指し、成功すれば、星とすべての詠唱を支配するファレシラが、術者が指定したこの星の神にSPを渡す。
「あの魔法陣……この状況で火の魔法でも水でもなく、ワタシ用ですよ!」
静かにと命じたのに叡智がはしゃいだ。成功すればファレシラ経由でSPをもらえるのでわからなくはない。
「カオスは、極大魔法の〈鑑定〉をやるつもりです!」
「静かにしろって言ったよね? それにあいつは原則として、アクシノじゃなくわたしに祈りを捧げてるんだけど?」
「おっと、そうでしたね……」
黒いカラスが口をつぐみ、カオスシェイドが鍵盤に指を落とした。歌の女神にピアノの音が届く。
鬼の少女が「千本桜」と書かれた楽譜を必死に読みながら後に続き、歌の女神は、7年ぶりに異世界の曲の奉納を受けた。
カオスがこの数年、三毛猫とギターを弾いているのは知っている。しかしそれは練習であったり知らない冒険者の弔いであったりで、ファレシラに捧げられた音ではなかった。
静かに始まったピアノの連弾は、直後に信じられない速弾きに変わった。カオスは平然と演奏していたが、少女のほうは顔を歪めてどうにか合わせようと必死だ。
ファレシラは耳を済ませて聞き入った。この星において、曲というのは歌の女神か——癪ではあるが、どこかの国の王に捧げられるのが常識だ。暮らしや心の平安を祈る安らかな曲や、戦いの勝利を祈り人々を鼓舞するような曲であるのが当たり前だ。しかし遠い惑星のメロディは、そのどちらを目的としたものでも無いように思えた。
壁に刻まれた楽譜には「千本桜」と書いてあったが、ファレシラにはその意味がわからなかった。あまりに遠い世界の曲だ。きっと上位存在の常世ですら意味を知らないに違いないが——神でも王でも無いのなら、この素晴らしい曲はなんのために作られたのだろう。
華麗で、どこか生き急ぐようにも聞こえるメロディが女神の耳に響いたが、そこに少しずつ不協和音が混じった。
出だしこそ食らいついていた小鬼の少女が猛烈な速さに脱落し始めていた。カオスは必死に腕を伸ばして少女が弾けなかったパートを演奏してみせたが、和音がどうしても薄くなる。悔しいのだろう、子鬼は瞳と髪の色を火のような色に変えた。鬼族は竜によく似た種族で、キレると腕力が跳ね上がり性格まで変わるが、ファレシラはピアノが破壊されないか心配になった。
しかし、そこでアクシノが眷属だけに聞こえる神託を下す。カオスは目を見開いてステータス画面を開き、〈教師〉を経由して〈調速〉スキルを小鬼に与えた。歌の女神の加護たる調速は、本来、演者には速すぎたり遅すぎたりする曲を補助するためのスキルだ。
小鬼が悔しさに顔を歪ませながらカオスの手を押しのけて演奏に復帰した。カオスシェイドはニヤついて自分のパートだけを演奏し、見守っていたファレシラは自分にSPが流れ込むのを感じた。
上位存在はSPを与えるときに通知などしないことがほとんどだ。彼らは黙ってSPを与え、惑星の神々を圧倒する高みから星の動きを眺めるだけだ。
(……まだ演奏中なのに、170SP……!?)
ファレシラは目を開き、すぐさまニケに167点を渡した。
「——マジかよ歌様、いいの!?」
ずっと冒険者を援護していたニケが嬉しそうに叫んだ。冒険者だらけのこの惑星でニケが得るSPは多いが、そのぶん眷属も多い彼女にSPの余裕は少ない。絶対防御を与えるにはまだ33点足りないが——赤い甲冑の武者の太刀が青い壁の前に砕かれ、武道家が吠えながら〈月の眷属〉を殴り飛ばした。
ニケは残りを自腹で出してくれた。続いて肩のカラスに3点を譲渡すると、叡智は楽しげに羽を広げて姿を消した。
演奏は続いていたが、極大魔法はこの時点で成功だ。上位存在から追加の7点が与えられ……壁に刻まれた楽譜を見る限り、演奏は終わりに近づいている。
ファレシラは残念に思いつつも手に入れた7点をさらに神々へ譲渡した。愉快のムリアフバが白蛇の姿で傍らに現れ、受け取った2点で武道家の傷を全快させる。さらにダーマへ5点渡すと、武道家は「奥義」を繰り出して五人の敵を一撃で倒した。
そして、演奏は終わってしまった。おひねりのつもりなのか、最後に23点が入った。
カオスと子鬼が鍵盤から指を離した瞬間、本来であれば顕現不能な倉庫の中に叡智が現れ、小鬼とメイドが腰を抜かしている。カオスは「意外と美人」だの「もっと陰湿で地味な女かと」だの、神が神なら天罰確定の暴言を吐いて……。
目を閉じて倉庫の様子を見ていたファレシラは両目を開き、再び戦場に向き合った。
熟練の冒険者たる武道家は〈絶対防御〉に物を言わせて敵をなぎ倒し、ついに——それも無傷で、ドーフーシ帝国の最後の結界に足を踏み入れた。
顕現しようと思ったが、天罰を与える暇はなかった。星辰の女神が行動するより早く武道家が重い一撃を決め、ドーフーシの皇帝が赤い果物を潰したように即死する。
「——ぴあのというのは、本当はあんな音を出せたの? 〈歌〉が驚いているということはとても珍しい曲だったはず……違う?」
唐突に声がして、ファレシラの真横に座敷わらしのような少女が現れた。
「違わないけど……突然ね」
「今日はわたしが特等席だったから。倉庫の中で人はいつも色々と変なことをするけど……今日のは特に珍しかった。ご褒美に、歌にとってのゴミを〈否定〉してあげる」
それだけ言うと常世の女神は皇帝の魂を雑に引っ張りながらどこかに消え、ファレシラは〈存在否定〉をしなくて済んだ。天罰のためのSPが浮いたし、裏切り者でも自分の星の子を消し去るというのは楽しい仕事ではない。
戦いが終わった。
レテアリタの兵士たちは皇帝の死に雄叫びを上げたが、彼らの皇帝も天罰で消えている。彼らが勝利したわけではないし、ファレシラは不快に思って耳を塞いだ——もう少し晴れ晴れとした気分を味わいたかったのに。
帝国同士の戦争は長引き、レテアリタのアニザラ皇帝の死から4日も経ってしまっていた。
「よっしゃ、勝ったぜ! 4人死んだが……ひとりは無事だ! 次はウユギワか? ——あ、いえ、ウユギワですか!?」
赤毛のニケが嬉しそうに走って来る。冒険の女神は上機嫌で、歌の女神は頷いた。
「ウユギワ基準で4日前、村は震災に見舞われました。叡智の観測では、死者は244人——村人の1割強に及びます。あなたのミケは幸い無事と聞きましたが?」
「おう。狐や怪盗と一緒に23層でホブをぶっ殺してる! 他の冒険者はずいぶん殺られたけど——子猫の親父の目線から見た感じ、どうもあの雑草は倉庫に隠れた剣閃に怯え、崩落で殺そう地震を起こしたみたいだな……あ、いや、みたいデス?
——あの迷宮は、所詮Cランクです。〈ダンジョン・マスター〉は神のなりそこないで、今の所は超強い魔物に毛が生えた程度だ。根に冒険者が迫り、雑草は焦ってる。そろそろ地上に芽を出すだろうな……だろうデス」
ファレシラは4日前に叡智が口にした「勝てる」という予言を思い出した。月には不意を突かれたが、まだ23点も残っている棚ぼたのSPは星辰を勇気づけていた。
無言で去ったカラスが、無言で戻ってきた。
混沌の影の求めに応じ極大魔法を披露してきた叡智は、カラスの姿ではあるが、深刻な顔をしているように見えた。
「どうしたの、なにか問題?」
ファレシラが聞くとカラスは首を振った。
「……なに、最後に嫌な神託をしてきただけです。それより我らはウユギワに行かないと。距離があるので星辰様は村の広場の女神像へ移動すると良いでしょう。ワタシは眷属のパルテを目印に飛びます」
「なら、わたしはミケを見に行くぞ! あいつとの約束まで残り3日だし、『お宝』の件もある!」
ニケが自分の体を炎に変えて姿を消した。今ごろは三毛猫の周りを飛び回る羽虫にでも変装しているだろう。ファレシラもニケを真似して眷属の近くに飛びたかったが、彼女唯一の眷属は例のあのガキだ。バレたら絶対イヤな顔をされるので、叡智の言う通り、噴水の女神像で我慢する。
顕現している自分の体を音に変える準備をしながら星辰はもう一度カラスに聞いた。
「誰にどんな神託をしてきたの?」
「……ポコニャです」
カラスは答えた。
「ラヴァナ夫妻か、ナンダカ夫妻か——とにかく4人のうち最低ひとりは死ぬことになるから、子供のために受け入れなさいと神託しました。極大魔法でワタシを呼ぶ者は滅多にいないし、嘘は伝えたくなかったのでね」
カラスは黒い羽を散らしてパルテ少年の近くに消え去り、少し遅れて、歌の女神は自分の体を澄み渡る鐘の音に変えて世界を走り抜けた。
※千本桜はこちらを参考に(Youtube):
https://www.youtube.com/watch?v=Ekk6PHHUlnE
この曲の素晴らしさは言葉で描けるようなものではなく、しかしタイトルが3文字のため伏せ字にもしにくく、曲名をそのまま書かせていただきました。怒られたらクラシックの「天国と地獄」にでも変更するつもりです。
※外部サイトへのリンクですが、リンク先は筆者と無関係であり、筆者に利益をもたらすものではありません。文字表現では不可能な「音」を紹介するためだけのものです。
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