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第三章 月の眷属

黒猫の絶叫

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 ナンダカ、ラヴァナ、ポコニャの順で倉庫を飛び出したあと、安全地帯を最後に出たムサは「閉じよ!」と怒鳴って〈常世の倉庫〉の入り口を閉めた。

 倉庫は複数の場所に入り口を開くことができない。入り口はいつでもひとつだけで、別の場所に入り口を作りたければ一旦閉じる必要がある。

 この場合は、モンスターハウスたる25層を逃げた先——24層に新しい〈入り口〉を作るために、ムサは入り口を閉じる必要があった。

 安全地帯を飛び出し、入り口を閉じた瞬間、ムサの視界の端にスキル表示が踊った。

〈——骸細剣術:平突き——〉
〈——邪鬼心示現流:チェスト——〉
〈——水滴魔術:ぬかるみ——〉

 ナンダカとラヴァナは前衛として既に魔物を切り伏せていて、ポコニャは消費の少ない魔法でサポートに当たっていた。ムサは彼らのさらに前に立ち、両手に装備した2枚の盾でモンスターに体当たりをかました。

〈——レテアリタ盾術じゅんじゅつ:シールド・バッシュ——〉

 スケルトンとオークがムサの盾に飛ばされ、ダンジョンの壁にめり込んだ。ムサは同時に“豆”を2粒放り投げ、降下してきたガーゴイルが豆に込められた〈癇癪玉〉の魔法で爆死する。リーダーと黒猫に感謝だ。魔法を込めた豆が無ければガーゴイルに殺られていた。

 しかし爆風を物ともせず、頭上に巨大な影が現れた——オーク・キングだ。

〈——豚氏八極拳:鉄山靠てつざんこう——〉

 巨大な桃色の豚が背中全体を使った山崩れのような体当たりをパーティに行使し、ムサはリーダーの指示を無視して仲間を守った。両手に構えた盾のうち1枚が砕ける。防御ステータスを突破したキングの一撃はそのまま左手を骨折させ、ムサは激しい痛みにうめいた。

「——馬鹿野郎! 他人は見捨てて逃げろって言っただろ!?」

 ナンダカが怒鳴り、ムサは子供の頃に迷宮で死んだ親父の声を思い出した。

「——知るかよくそオヤジ!」

 ムサは怒鳴り返し、〈剣閃の風〉は魔物の群れを割って北東を目指した。

 リーダーと黒猫の魔法コンビはムサとラヴァナのサポートに当たり、ムサが知る限り、剣閃の風がこれまでに経験したすべての戦闘に勝る絶妙のバフとデバフを発揮した。

 ムサが命を捨ててパーティを守りに出ると、ポコニャの濁流魔法が彼の盾を油まみれにした。馬鹿なスケルトンは剣を滑らせて攻撃にしくじった。

 黒オークが棍棒でラヴァナを殴り倒そうとしたが、火炎魔法の下級スキルがオークの目元を襲う。ナンダカの〈灯火Lv1〉がオークの目を眩ませ、その間にヒゲは豚を二つに割った。

 いざとなったら仲間を見捨てろ? ……誰もそんなつもり無いじゃないっすか!

 ムサは心底このパーティに参加して良かったと感じながら周囲を見渡し、北東に進んだドームの端に、素晴らしいものを見つけた——ナンダカの直感は、当たっていた。

「——階段があるっす!」
「「「 おしッ! 」」」

 剣閃の風は声を揃えて喜び、死に物狂いで魔物の群れをかき分けた。ドームの一角に上に伸びる小さな大理石の階段があり、ムサたちは夢中で階段を目指す——しかし、階段の前では忌々しい一軍が彼らを待ち受けていた。

 レディ・アントだ。階段にはシロアリと50体を超える配下が待ち構えていて、ムサの心を絶望が襲った。

(ここまで来てレディ・アント!? あんな化物にどうやって勝てっての!?)

 アリどもは24層に逃げ出す階段を厚く取り囲んでいて、白きレディが配下に司令を与える。

〈——司令オーダー:鶴翼の陣——〉

 配下のイビルアントが左右に展開し、その合間——階段に向かって飛び込んだ〈剣閃の風〉は、左右から黒アリの総攻撃を受けてしまった。

「ッざっけんじゃねえっすよ!」

 ムサは吠えながら右手に残った盾を掲げた。無意味なことはわかってる。仮に彼がBランク冒険者であっても仲間を守りきれない総攻撃だった。

 ——だけど、死ぬのは「盾」の俺からだ。

 25歳の青年は盾役の誇りにかけてアリの群れに立ち向かい、人生の終わりを覚悟したが——。

「に゛ゃ……!?」

 その瞬間、黒猫のポコニャが変な声を上げた。

〈——黒猫のポコニャが混沌の影の〈教師Lv1〉の有効範囲に入りました。カオスシェイドはポコニャに対し、〈無詠唱Lv1〉を貸与しようとしています。
 許可しますか?
 受け入れた場合、必要なすべてのMPはカオスシェイドが負担し、詠唱系の任意のLv1魔法が、念じるだけで行使可能になります〉

 叡智の声が脳裏に響き、黒猫獣人が絶叫した。

「ッニャーーーー☆」

〈——濁流魔術:長雨——〉〈——濁流魔術:長雨——〉
〈——濁流魔術:長雨——〉〈——濁流魔術:長雨——〉
〈——濁流魔術:長雨——〉〈——濁流魔術:長雨——〉
〈——濁流魔術:長雨——〉〈——濁流魔術:長雨——〉

 絶望的な戦力差だったはずのアリの群れが土石流のような氾濫に飲み込まれた。〈濁流Lv1〉の〈長雨〉は、本来であれば小川程度の水流を作るだけの呪文だ。しかし無詠唱による問答無用の連打は津波のような濁流を生み出していて、

「全員、階段を上がれ!」

 ナンダカの号令で〈剣閃〉は階段に駆け込んだ。

〈——濁流魔術:長雨——〉〈——濁流魔術:長雨——〉
〈——濁流魔術:長雨——〉〈——濁流魔術:長雨——〉

 ポコニャは避難しながらも無詠唱をやめず、レディもオークも、ずっと剣閃の風をあざ笑っていた〈ダンジョン・ボス〉でさえ、濁流の連打を前に彼らを追いかけることができない。

 階段を登り切り、24層に上がったムサは、そこでようやく呼吸しなければ窒息するのを思い出したかのように激しく息をついた。

 ムサは階段の下を振り返る。

 よしッ……! 20層までと同じで、下層の奴らはほとんど階段を登って来ない……!

「——ムサ! 倉庫にはどうせなにも無い!」

 ナンダカが怒鳴ったが、それより早くムサは〈倉庫〉を詠唱していた。

 実に不思議な現象ではあるが、ダンジョンに生息するたいていの魔物は階段を登るのを嫌う。すべてではなく一部の魔物は登って来るし、迷宮の外に魔物がいるのはそれが理由なのだが、階段を登る魔物は全体の1割程度だったし、そういった魔物はいつだって登るために階段を使った。

「——常世の女神よ、我らに一時の安らぎを!!」

 ムサは階段の出入り口を覆うように倉庫の入り口を開いた。モンスターハウス全体の1割……それでも数百匹にはなる追っ手どもは階段の先に開いた倉庫の入り口になだれ込み、〈常世の倉庫〉の中に消えていった。

 レベル2の彼の倉庫は16立方メートルの広さを持つが、今ごろムサたちを追いかけて来た魔物は誰もいない倉庫の中をめちゃくちゃに破壊しているだろう。

 別に構わなかった。既に階段を登り切っているムサたちからすれば、出入り口を倉庫で塞いでしまえば勝ちだ。彼らが知っているすべての魔物は〈常世の倉庫〉の壁を破ることができないし、〈オーク・キング〉や〈ダンジョン・ボス〉だってそれは同じのはずだ。

 自分の倉庫に魔物が詰めかける足音だけを聞きながら、ムサは滝のような汗を流した。

 死ぬかと思った。でも、死ななかった……その理由は、リーダーと怪盗の、イカれた息子のおかげだ。

「——おいポコニャ、さっきのはなんだ!? 叡智様が〈教師〉がどうとか……」

 ムサが階段の出入り口を倉庫で塞ぐなり、ヒゲのラヴァナが嫁に怒鳴った。黒猫のポコニャはしっぽを逆立てていた。

「……だぶん、たぶんだけど……」

 ポコニャは過呼吸気味で、喘ぎながら言った。

「カッシェと……それに、私たちのミケが今、迷宮に来てる! いけない子供たちにゃ……ナサティヤはどうして止めなかったのか……♪」

 口では怪盗や娘を叱っていたが、ポコニャは喘ぎながら破顔していた。興奮状態らしい。獣人らしく牙をむき出し、ポコニャは嬉しそうに叫んだ。

「でも、そのおかげで助かった! カッシェはさっきの一瞬で3千MPは使ったはずにゃ。だけどおかげであちしらは助かった……!
 ずっと思ってたけど、カッシェはおかしい。あの子の〈教師〉は……叡智様があの子に与えてるあの力はヤベえ。毎日ミケが使ってるのを見てたはずニャのに、いざ自分が使わせてもらうと、ほんと……なんでもできる感じがするッ!
 それに、生まれて初めて〈虚数の叡智様〉が与える〈無詠唱〉を使ったけど、あれは反則だにゃ。唱えなくても良いとか……実際にやってみると、あれは……想像以上に……!」

 ポコニャは饒舌にカオスシェイドを褒め称え、ニャーニャー言いながら〈叡智の女神〉を称賛しまくった。

〈——よろしい。ウユギワ村のポコニャに免じてカオスにSPを与えます——〉
「にゃ? えすぴー……?」

 突然、奇妙なアナウンスが流れた。ムサにはSPがなんなのかわからなかったが、カオスシェイドがなにかを得たらしい。

〈——ともかく、〈剣閃の風〉とカオスは魔物の猛攻に耐えました。戦闘に参加したため、カオスシェイドの基礎レベルが上昇します。その父親たるナンダカもまた基礎レベルが1上がりました。また、ラヴァナは〈示現流〉スキルが7に上昇し、さらに……〉

 叡智様がいつもの経験値アナウンスを始め、ムサと同じくアナウンスを聞いていたナンダカが、深く息を吐いて首を振った。

「……おいムサ、わかってるとは思うが、絶対に倉庫を解除するなよ? 最悪だった25層は脱出した。でも、24層だって俺たちには未知の階層だ……ラヴァナ、ムサの腕を〈回復〉しろ。たぶん折れてる。それで——さしあたりの目標は20層だな。俺たちが知ってる20層まで戻ることができれば、助かったも同然のはずだ」
「にゃ。だけど地面が揺れて天井が崩れた。20層まで行けたとしても、道が変わってるかもしれねーにゃ?」

 嫁の言葉にヒゲが頷いた。

「ムサが25層の階段を抑えている以上、倉庫で休めないのは辛いところだな」
「そっすね、ホントなら休憩したいっすけど、この状況じゃ……」

 しかしポコニャが胸を張る。

「平気にゃ、ムサ! あちきをメインに速攻で20層を目指すべきにゃ。まだカッシェの〈教師〉は有効にゃ」
「「 マジで!? 」」
「にゃ! あの子はマジでヤバい——たぶんアイツ、まだ6千はMPが残ってる。使い放題にゃ。どんな敵でも〈無詠唱〉だけで負ける気がせん……!」
「わかった。いいから落ち着けよポコニャ」

 黒猫の言葉をナンダカが遮った。どんな時でも冷静でいるのがリーダーの仕事だ。

「確認するが、叡智様は教師スキルに範囲があると言ってたよな? 俺はあいつの〈教師〉を受けたことが無い」
「にゃ? あのスキルの有効範囲は——む。悔しいが、あちきも知らん——でもそんなに広くないはずにゃ。カッシェが近くに……たぶん、5層以内にいると思う。あの子が近くにいる限り、あちしはLv1の魔法が使い放題にゃ。今なら伝説の〈鑑定・連打〉も可能にゃ☆」
「それじゃ、」

 ヒゲのラヴァナが口を挟んだ。

「上の階層に行けば俺たちは助かるってことだな……カッシェが居るってことは、きっとそこには〈怪盗〉や……それに、ミケもいる?」
「にゃ! あちしらの〈冒険の娘〉が〈星辰と叡智の子〉だけに活躍させるはずがねー!」
「……心配ではあるが、この状況だと助かるな。俺のミケはもう、たぶん俺とかナンダカより強い。怪盗がいれば無駄に戦わずに済むだろうし——なら子供らに合流すれば、俺たちは勝ったようなもんだ!」

 パーティ全員がヒゲの言葉に歓声を上げた。

 なにも知らない剣閃の風は、それで最悪の4日間が終わると思い込んでいた。

『 ダンジョン最下層にお宝を置いた 』

 ムサを含めたパーティの誰も、三毛猫が女神ニケと交わした「契約」をまだ知らない。塞いだばかりの階段の下に再び挑まなければならないのを知らない。

『ミケはカオスシェイドと〈ダンジョン・ボス〉を撃破し、お宝を入手しなければならない』

 ——しかも期限は残り3日だと知らなかった。

「にゃ。カッシェはあちしと同じ〈叡智〉の子だから、自分のMPがガクッと減ったのに気づいてるはず……ミケもあいつも、あちしらを心配して迷宮に来たんだろうけど——」
「娘に俺らの無事が伝わったってことか。親父として、いよいよ情けない戦いはできねえな」
「にゃ」
「——おいおまえら、お喋りはそこまでにしろ。オークの声がする……」

 ナンダカが気分を引き締め、パーティ全員はオークに備えた。が……全員、どこか気が抜けていた。ナンダカは微笑みたいのを我慢するように厳しく言った。

「ラヴァナ、重ねて言うがムサの左手を治せ。最悪MP切れで大剣スキルが使えなくなっても良い。今はポコニャと、どこにいるのかわかんねー息子のスキルが頼りだ……」

 ムサは双子の妹と同じ〈愉快ゆかい〉持ちのヒゲに骨折を治療してもらった。すぐにパーティはオークと会敵し、残った一枚の盾で白オークの攻撃をしのぐ。

 戦闘は、エグいくらいに楽勝だった。

 カオスシェイドから〈無詠唱〉を貸与された黒猫は「熱湯で窒息」という同情したくなるくらい悲惨なやり方で白オークを惨殺し、茹で上がった豚肉をウォーター・カッターで輪切りにしてから火炎Lv1で焼き、仲間たちのお昼ご飯にしてしまった。

 もともとオーク1体になら負けない剣閃の風ではあるが、無言で連打される魔法の圧倒的な攻撃力にムサは言葉を失った。

 一時的ではあるが、黒猫のポコニャは村長と同じCランク冒険者並みの強さになっていた——それ以上かもしれない。

 剣閃の風は久々の焼き肉をかじりながら23層まで上がり、22層への階段を探して歩いた。

 ——あと3層上がれば助かる。

 震災から4日、ムサはそう思っていたし、剣閃の風の全員がこのまま階段を登って迷宮を脱出するつもりだった。

「——え、マジすか。どうしてこんなところに……」

 迷宮の地下23層、最前列で盾を構えていたムサが声を上げた。

「なんだ、おまえらか……アリかホブでも出るかと思ったぜ」

 ウユギワ・ギルドのゴリが、剣閃の風に合流した。


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