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第三章 月の眷属
アンドロギュノス
しおりを挟む執事マガウルはハゲタカのように冷酷な目で瀕死の狼を見つめていた。これでも彼としては「優しい好々爺」の顔をしているつもりだ。
「……バウよ、なにか言い残すことがあれば聞くが?」
「クソジジイ……」
最後の言葉は実にくだらないものだった。マガウルは小さく首を振る。それよりも今は「お嬢様」が気になる。
二段階に折れた鷲鼻と灰色の瞳。黒い燕尾服に身を包んだ彼は王国では名の知られた暗殺者で、数十年にひとりとされる〈常世の女神の御子〉だった。これまで百人は殺してきたし、殺った中にはバウのような青年などいくらでもいた。
「そうか、私のせいにしたいのか……ならばせいぜい恨むが良いさ」
老人は貼り付けたような笑顔を繕ってみせて、深い落とし穴の脇に子犬を置き去りにした。バウはまだなにかを伝えようとしていたが、マガウルの耳には届かなかった。
いずれどこかの冒険者が彼の死体を発見して弔うだろう。
◇
村長や母から話を聞いたあと、俺はしばらく昼ごはんの準備に追われた。なにはともあれ、戦いで失ったHPやMPは食べなければ回復しない。
村長の倉庫は三階建てで、二階のキッチンで料理に励む。
一緒にオークの肉を切りながら母さんに聞いた話によると、三階は寝室になっていて、一階は村長秘蔵のアイテム置き場になっている。そして、母が村長を雇った理由はまさにこのアイテム置き場なのだそうだ。
アリの群れを一撃で沈めた極大魔法はオマケでしかない。
ギルドマスターの倉庫にはババアが冒険者たちから買い叩いた秘蔵の品がいくつも保管されているそうで、老狐を入れたパーティは、カネさえ出せばいつでも強力なアイテムを購入できる。歩くドラッグストアみたいな感じだ。
そんな1階の倉庫から白いローブ姿の村長とシュコニが戻ってきた。メイドは肩を落としていたが老狐は満足げで、手に青いガラス瓶を持っている。
「ふむ……黒豚の肉がたくさん手に入った。約束通り飲むがよい」
ミケはリビングのテーブルでヘタっていた。レディとの戦いでMPをほぼ枯渇させてしまった子猫は村長から薬を受け取ると臭いを嗅ぎ、怪訝な顔をした。
「にゃ……まずそう」
「おお、まずいぞ。しかし効果は確かなモノじゃ。ゴブリン70体の魔石を砕いて、『おやつ』の蔓や葉と煮込んだ汁での、叡智様の賜る鑑定によると、飲めばMPが200も戻る」
「こんな状況でもぼったくるよねぇ、村長さん。私の倉庫の肉、ほとんど取られちゃった」
「黒豚を倒したのはミケとカッシェじゃろ。自分のもののように言うな。それに、費用にはナサティヤが今回使った薬代も含まれておる!」
ミケは覚悟を決めて薬を一気飲みし、「ぐにゃ!?」と変な声で鳴いたあと激しくニャーニャー鳴いた。俺が一気にレベル7まで上がった〈水滴〉で水を出してやると、奪うように木のコップを取って一気飲みする。
「……地獄のよう。ヤギのうんこと腐ったカエル味」
わかるようでわからない食レポだった。ミケさんがどのような私生活を送ってきたのかは定かでないが、俺はヤギのうんこや腐ったカエルを食べたことがねえ。
しかし軽く鑑定するとミケのMPは200戻っていた。レディはもちろん、ここまでの道中でアリをワンパンしまくったミケはレベルが15に上がっていて、最大MPは307まで増えている。一杯で三分の二もMPが回復するならウンコ味の薬もアリ……かな?
ちなみにレベルは俺も15に上がり、最大MPは9,973になっていた。あともう少しで1万超えだ。まだ3千は残っているので俺に薬は必要ないが……。
「MPか。シュコニと村長が〈倉庫〉を持ってるし、俺の〈倉庫〉は解除しようかな。フェネ村長、ここに小物を置かせてもらって良い?」
「ふむ……キリよく200銅貨でどうじゃ?」
カネ取るのかよくそっ。硬貨なんて1枚も持ってねえよ。
「……なら〈叡智〉直伝の昼飯にお代をいただきます。一食あたり200銅貨で」
「おいクソガキ、昼飯はタダのはずじゃろ?」
「今作っているのは黒豚バラ肉と白菜のミルフィーユ鍋・ウィズ・火頭鳥ガラスープです」
「魔物を食わねば先程大活躍したわしのMPが回復せん。わしの極大魔法は見たじゃろ? 超強かったじゃろ? それに十年ぶりにレベルが上がっての、MPの最大値が増えた。これで回復せなんだらパーティの戦力が……」
「鍋はポン酢で食べる予定なのですが、ポン酢は先日〈叡智様〉から教わったばかりでまだギルドには非公開です」
「おお……哀れな老婆を空腹のまま放置するのかッ!」
「それと、そう。シメは稲庭うどんです」
「シメってなんじゃ。イナニワ?」
「一食200銅貨です」
「ふぬっ……脱出するまで飯はタダじゃな? 1階の倉庫にいくらでも置くが良い」
村長が折れると母とシュコニは嬉しそうに笑った。ウユギワ村の老狐は強欲で知られていて、いつもこんな調子でカネを要求する人なのだ。
ギルド職員ゴリの裏切りは俺たちに衝撃を与えていたが、誰も話題には出さなかった。
◇
鍋ができあがり、ひたすら水を飲んでいたミケは薬の味を上書きしようと猛烈に食べた。
子猫はポン酢よりタレが好みで、ツキヨ蜂の蜂蜜をふんだんに使った甘辛いタレに火頭鳥の卵を溶き入れ、そこに豚バラと白菜を浸してうまそうに噛んだ。ポン酢に感激していた村長はその食べ方に目ざとく気づき、自分にもタレを要求した。
斥候の母は食べながらシュコニと互いの地図を突き合わせ、3層の抜け道に驚いている。崩落の影響で新たに誕生した抜け道で間違いないらしい。
俺は普通にポン酢で食べながら、誰もが話題にするのを避けているゴリについて考えていた。
『月じゃよ、シュコニ……』
ババアはそう言って、母と一緒にゴリの裏切りを俺たちに伝えていた。
地震が起きる前の昼、母ナサティヤは冒険者ギルドに緊急の依頼を出した。内容はとてもシンプルで、ナサティヤとともにダンジョンに潜り、〈剣閃の風〉一行を連れて帰ることだ。
しかし依頼の費用は高くついた。〈剣閃の風〉はウユギワ村でも一、二を争う高名なパーティであり、彼らがいるであろう階層も必然的に深い場所になるはずだ。
村の大半の冒険者はFかEランクで、安全に冒険できるのは10層付近が限界だ。危険な任務に名乗りを上げたのはギルドマスターたる村長と酒場のマキリン、そして「ゴリ」だった。
俺もミケも、ゴリについてはほとんど知らない。会話した記憶はただ一度きりだ。
確か4歳の春だったと思う。ゼロ歳の〈星辰祭〉以来、星辰祭は年に何回も開催されていて、その日は村人が「太陽が食べられる」と噂する星辰祭の日だった。
地球人の俺からすれば「日食」なんて恐れるようなモノではないが、午後三時ごろ、村長が〈鑑定〉で予言した通り太陽は欠け、村人たちは恐れおののいて邪神ファレシラに慈悲を乞うた。俺は日食にニャーニャー騒ぐ4歳のミケの隣で太陽が再び輝くのをぼーっと待ち、そのあと村は宴会に突入した。
最近生まれた子供をフェネがサクッと鑑定し、村の登記に加えると、父ナンダカはラヴァナさんと一緒に鎖で縛られたオークを槍で突き、新生児の親が我が子への経験値と引き換えに肉を村人に提供し……両親たちが酒を飲みながら串焼きを食べている間、クソガキの俺とミケは冒険者ギルドの三階にある図書室に押し込められた。大人が酒宴に浸る間、ガキはここで絵本でも読んでろということだ。
そのとき図書室で会話したのが「ゴリ」との唯一の思い出だろう。黒髪短髪筋肉質のゴリはその日、職員として図書室の管理を任されていた。
「ねえおじさん、月が無いのにどうして日食が起こるの?」
図書室の入り口で「俺も祭りに参加したい」とはっきりわかる表情を浮かべていたゴリは、四歳の俺が質問すると大らかに笑った。
「おまえはナンダカのところに生まれた叡智の子だったな。そうだなぁ……ここに答えが書いてある本は無いぜ。知りたきゃもっと大きな街に行け。帝国首都のタスパには世界一の図書館があるし、シラガウトやラーナボルカの街でも良い」
「おじさんは答えを知ってるの?」
「どうだろうな。鑑定でもしてみるか?」
俺は迷わず鑑定Lv7をぶちかましてやったが、おっさんはDランクの大剣使いで、ラヴァナさんに比べるとやや見劣りするステータスで……ただそれだけのおっさんだった。
(あの時より少し歳を取っていたけど、つい一昨日、母さんが蜂蜜を売ったギルドのカウンターにいたおっさんだよな……?)
とにかく、母の募集に応じたのは村長とマキリン、それにゴリの3人で、母を含めた4人パーティは冒険のニケと契約してしまったミケのため迷宮に挑んだ。
半日ほどかけてパーティは12層まで進んだ。
道中にはスケルトンやオークが待ち構えていたが、村一番の斥候たる母はいち早く危険を察知し、パーティはほとんど戦闘せずに済んだ。まともに倒したのはゴブリン1匹と、ここら一帯の地名にもなっている「シラガウト」だけだった。
しかし、そこで地震が発生してしまう。激しい崩落があり、彼らは村長の〈倉庫〉に逃げ込んで難を逃れた。
地震が収まると、ゴリはすぐに村へ戻ろうと提案した。村長たるフェネ婆さんも賛成したが、母は譲らなかった。
『帰ろうにも迷宮の道が変化しているわ。それに、こんな崩落が起きたのに〈剣閃の風〉を見捨てて村に帰るなんてできない』
母は既にカネを払っていた。冒険者として、受け取った以上は義務を果たせと迫り、ゴリたちは探索を続けることにした。剣閃の風は強いから、合流できればむしろ素早く帰還できるという考えもあった。
階層を進むほど敵は強くなる。
パーティは村長の倉庫に何度も逃げ込み、MP回復薬を呷ることになった。薬の費用は母が持ったが、消耗しきったゴリは不機嫌になり、「村に帰ろう」と言い続けるようになった。
『このままじゃ全員死ぬぞ。一旦帰って、仲間を集めてまた来ればいいだろ?』
そんな反対を押し切って18層までたどり着いたとき……ついに事件が起きる。
一行は運悪く白オーク2体に出くわした。話を聞いていた俺も子猫も「倒せばいいじゃん」と思ったのだが、母の口ぶりからしてそれは容易なことでは無いらしい。
全員は即座に逃げ出した。
斥候の母は通路の罠を感知しながら適切なルートを仲間に知らせ、フェネは極大魔法の機会を伺いながら必死に走った。
極大魔法とは神々に選ばれた術士のみが持つユニークスキルで、使用できる者はひとりの神につき5人に満たないと言われている。しかも、スキルがあっても成功率が不安定で、うまくいくかは〈ワタシら神々の気分次第だ。別にふざけてるわけじゃなくて、事情があるんだよ〉とアクシノが言っていた。
スキルの使用も面倒な手順が必要だ。まずは地面等に魔法陣を描く必要があり、詠唱についても、ひとりより数名が参加したほうが成功率があがる。大規模な「儀式」をしないと発動は難しいということだ。
面倒なうえ不安定なスキルだ。とてもオークに追いかけられながら使えるような異能ではなかったし、事件は、ゴリがオークから攻撃を受けて兜を破損され、心配したフェネが〈鑑定〉した直後に起きた。
〈なんてこと……あいつは裏切り者ですよ、フェネ! ワタシの子として、偉大なるファレシラ様の敵を殺しなさい。あの者は〈月〉に魅入られている!〉
叡智の女神は張り詰めた声を上げ、フェネ婆さんは鑑定結果に驚いたが——しかし、遅かった。
婆さんによると、〈月〉に魅入られた裏切り者は、自分が鑑定されたことに気がつくらしい。
ゴリは突然マキリンを突き飛ばした。マキリンは直前に母が発見していた落とし穴の床に倒れ、崩れた床と一緒に深い穴の底へ落ちて行った。生死は不明だが、「死んだ」というのが母と村長の判断だ。
『ゴリ、どうして!?』
オーク2体に追われながら母は悲鳴を上げた。
『ナサティヤ、あれを殺せ!』
フェネ婆さんは怒鳴った。豚に追われていなければ極大魔法を使っていたと村長は語った。
『ゴリは〈月〉じゃ! あいつは「天国」に憧れて、星辰様が禁じた「月の神々」から加護を受けておる!』
母は怪盗術の〈巾着切り〉でゴリの大剣を奪い、フェネ婆さんは炎Lv3の〈癇癪玉〉をくらわせたそうだ。Dランク冒険者のゴリがその程度の魔法で死ぬことはないが、爆発が起こり、母と村長は煙に紛れて迷宮の小道に逃げ込んだ。
ゴリは2体のオークに追われる中で素手のまま置き去りにされ、以降のことはわからない。
母と村長は18層を迷走したあと〈倉庫〉で休憩を取り、マキリンの救助に向かおうとしたのだが、崩落のせいで迷子になってしまった。そして18層を歩くうち、〈女王〉と配下に出会ってしまった……。
『月じゃよ、シュコニ』
話の最後にフェネ婆さんは繰り返した。
『はるか昔、この世界の夜空には〈月〉と呼ばれる大きな惑星が浮かんでいたのじゃが、月には我らの大地とは別の神々がいた。
星と生命の男神レファラドが統べる〈月〉の神々はファレシラ様に戦いを挑み、叡智様の知恵が及ばぬ迷宮を作り出し……また一方で、この地上に生きる我らに裏切り者を求めた。
はるか昔、夜空に浮かぶ別世界を地上の者共は「天国」だと考え、星辰の女神様と同様に信仰していたのじゃ……月に魅入られた愚か者どもは〈月の眷属〉と呼ばれ、ファレシラ様を裏切り、この世界の生き物を次々と殺した。わしらが魔物を殺すと経験値を得るように、月の神々に守られた者はこの世界の生き物を殺すと経験値を得られたからじゃ。わしらを食えばMPが得られた……』
そしてフェネ婆さんは締めくくった。
『ゴリは、〈月〉の神々から加護を受けていた。叡智様の加護を受けながら見抜けなかったのはわしの不覚じゃが、敵はこの大地には無い不思議な術を使ってアクシノ様の目を誤魔化せる。
その最たるものが迷宮じゃな。ダンジョンはただの洞窟ではない。我らが今いるこの場所は、〈月〉の領地そのものなのじゃ。そこには多くの魔物がいるし……我らを裏切った「月の加護を持つもの」もいる。
……もう15年以上前になるかの。これはわしが必死に祈りを捧げ、ようやく叡智の女神様から教えて頂いた「この世界の真実」じゃ』
◇
シメに投じた平たい細麺と卵を含め、昼食は猫と狐に好評だった。ミケは村長に唸り声を上げてうどんを独占しようとしたし、狐の村長も、なんなら魔法攻撃すら辞さない構えで卵を溶いた稲庭うどんを奪い合った。
その後は一時間ほど食休みになり、ちょっとした作業の反作用のために寝室で寝ていた俺は母さんに起こしてもらった。
リビングに集結した冒険者たちは俺とフェネ村長から〈鑑定〉を受けて回復したMPを確認し、火系魔法に特有の燃素が楽しげに爆ぜる暖炉に向かい合った。
「……消すぞい」
狐がつぶやいて素早く詠唱し、暖炉の火が消える。
「にゃ。色々聞いたが、子猫とカオスの目標は変わらない」
ぶかぶかのチェインメイルを装備した三毛猫が入り口を出た。HPはまだ全快しておらず、残り1HPしかなかったが、子猫の顔は勇気と冒険の気概に満ちていた。
「ついに〈怪盗〉を見つけたし、ナサティヤおばさんは無事だった! 他のみんなもきっと無事のはず。あとはナンダカおじさんと、パパとママを探すだけ!」
……ミケさん、ムサを忘れないであげて。
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