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第一章 王道的転生
黒のオーク
しおりを挟む義足の狐が「始め!」と叫んだ瞬間、オークを鎖で繋いでいた冒険者たちが手を離した。
解き放たれた四体のオークはいずれも素手で、村の広場の中央——噴水に向かって突進し、離れて見物している村人らが歓声を上げる。
「なんえー!?(なんで)」
俺も乳児ながら叫んでいた。
クソ女神——イヤ、ウソデス☆ 偉大なる女神様からのメールを何度も読み返すが、そこには俺に返答を求めるようなボタンは無く、いくら読んでも時間は停止しない。前言撤回だ。ざっけんなクソ女神!
「行くわよカッシェ!」
「ほえ?」
母が俺を抱えたまま踊るように一体の白いオークへ突撃した。なにしてんのと問う間もなく彼女は腰のナイフを抜き放ち、俺の両手に無理やり握らせる。そしてクルッと身を翻し、オークの土手っ腹に回し蹴りを決めた。
〈——遁法:とんぼ返り——〉
キックの反作用で一撃離脱の大ジャンプを見せ、母は旦那に向かって叫んだ。
「よしっ、カッシェが『攻撃』した! あなた!」
「おう! 息子に『経験値』を寄越せ、ブタめがーッ!」
父・ナンダカが細剣を抜き、オークに切りかかる。
いや待って。俺なにかやりました? 攻撃した気がしないのですが。ていうかそれより父、待て。ダメだって!
「あぇー!(ダメー!)」
「大丈夫よカッシェ、父さん強いから♪」
「ぃあー!(違う)」
俺がトドメを刺さなきゃ一族皆殺しなんだよ!
だのに父・ナンダカは強かった。剣が青白く発光したかと思うと、
〈——骸細剣術:飛燕の太刀——〉
〈——ニノ太刀:燕返し——〉
母の時と同様に、俺の視界の端に文字が表示された。アクシノさんの〈鑑定〉とは管轄が違うのか、テロップだけで朗読は無い。
父はそんな技名とともにヒトの動きとは思えない速さで二連撃を繰り出し、咄嗟に腕を交差させ身を守ったオークが両腕をボトッと切り落とされる。スゴイ切れ味だね、父の剣。トマトやパンも真っ二つだろうし、深夜の通販でバカ売れしそう。
「肉だッ!」
「焼けー☆」
見物していた村人たちがささっと腕を回収し、哀れなオークは痛みに吠えた。腹が震えるような野太い叫びを上げ、自分に残された最後の武器——牙でナンダカを噛み殺そうとする。
「やっちゃえ、あなた!」
「うにぇえー!(逃げてブタさん)」
〈——骸細剣術:流浪の剣閃——〉
ナンダカの剣が溶けたように揺らいだ。噛み付こうとしていたオークはウッと目を見開き、重たい首がボトリと落ちる。アクシノさんの怜悧な声が聞こえた。
〈オークを撃破しました。レベルが1、上昇しましたが……おやおや、おまえがトドメを刺せってクエストだろ? 世界神に殺されたいのかい……?〉
オークの死骸を前に父が拳を握り、母も同じようにした。
「「 ヨシッ☆ 」」
「あうあえー!(ヨシじゃねー)」
——と、俺は左手に違和感を感じた。慌てて確認すると皮膚が——真っ黒に変色している。
〈星を統べる女神・ファレシラ様の「天罰」が発動しました。世界から存在を否定されます。あなたと家族は、数時間のうちにこの星から消失します〉
天罰……? 存在を——否定?
「あれ……変ね、足が……」
母の声が聞こえた。靴で隠れてわからないが、右のつま先に違和感があるらしい。
「……あうあお(やめてよ)」
「ん? あれ?」
オークの死骸の前で父も右肩をさすっていた。鎧や服でわからないが、彼は右肩に違和感があるようだ。死骸に群がる村人を無視して確認するように剣を振っている。
「……あうお(やめろって)」
俺はナイフを持ったまま母を蹴飛ばし、反動で飛んで地面に着地した。
「カッシェ? どこに……」
「……うぬあーーーーッ!」
予想通り俺はもう走れた。8に上がったレベルの、敏捷のパラメータに物を言わせて村人の群れに突っ込む。混雑に紛れれば父母も俺を捕まえにくいはずだ。
焦燥感に頭がおかしくなりそうだった。黒ずんだ左手はまだ一応動くが、ピリピリと痛みを感じる。小さな虫に少しずつ肉を食われているような、おぞましい、嫌な感覚だ。変色は肘に向かって侵食を広げていて、おそらく、このまま全身を蝕むのだろう。
なるほど……これがファレシラの言う「死」か。「ついでに皆殺し♪」の正体かよ。
ステータスを怒鳴るように念じ、俺は自分の状態を確認した。「カオスシェイド〈天罰〉」の文字が見え、同じ状態異常たる〈思考加速〉の類推で、思わず詠唱してしまう。
「あうあ(調速)……」
唱えた瞬間、体全体が震えた。夜、寝ているとき急にビクッとなる感覚に似ている。俺は転んで砂だらけになり、周囲の村人が驚いた。冷酷さすら感じる叡智アクシノの声が聞こえた。
〈調速スキルは、演奏中または思考加速中にのみ利用すべきスキルです〉
そうかよ。どうも!
「カッシェ! どこなの? あなた、カッシェが走って……」
「走った!?」
「私、急に足がつって、あの子が逃げて——」
「あんたらの子ならここだぞ!」
両親の声が聞こえたが、俺は自分を捕まえようとする村人にナイフを振り回し、広間の奥の黒い怪物を目指した。
「うむ! 真っ先に倒したのはナンダカの家じゃ! 最後の1体の経験値は、カオスシェイドに与えよ! 鎖を解き放て!」
狐のババアの声が聞こえ、俺は自分が「即死」せずに済んだ理由を確信する。
(まだ一体……あれを俺が殺せば!)
広場の奥に〈黒豚〉がいた。他のオークがどれも白い中、あのオークだけ体が黒い。ついでに言うと体格も一回り大きかったが、俺は最後の黒豚を目指して走り、頭の中で必死に考えた。
修行は無理だ。時間が無い。蜂を殺した〈調速〉も使えない。俺に残された能力はレベル8のステータスと、〈翻訳〉と……。
——鑑定だ。
それくらいしか使えるものが無い。だけど、今さらオークを鑑定してどうする!?
〈【オーク】は豚のような二足歩行の魔物で、カオスシェイドの使う単位で三メートル以上の巨体を誇ります。棍棒の一撃は城壁を崩すことがあり、素手であっても、丸太のような腕による打撃は致命的です。分厚い脂肪は魔法に抵抗します。一方で動作は遅く、高速で繰り出した剣や槍、遠距離からの弓にも弱い魔物です〉
使ってみたがやはり無意味だった。
俺は剣を知らねえ。槍も無理だし弓も撃ったことがねえ。魔法スキルも持ってねえ!
戦う術がなにも無い。思考加速中でなきゃ〈調速〉は無意味だし、残るは〈鑑定〉だ。〈鑑定〉しかないのに——。
「ぅえ、あ……」
走りながら変な声が出た。こんな状況で奇妙なことだが……俺は、爽快感に震えた。
「ぅあう……」
蜂と、夕日と、さっきの儀式——活路を探し続けた俺に、それこそ〈叡智の女神〉の祝福のような瞬間が訪れていた。
このひらめきが俺の自力だとは到底思えない。夕日以外はずっと、ずっと女神どもに仕向けられていた気がする。主犯はアクシノなのだろうが、邪神ファレシラも一枚噛んでいる。
俺は黒豚オークの前に立った。
黒豚は両手・両足の鎖を解かれ、その周辺に槍を構えた冒険者がいる。
「おい、まずいぞ! 子供が!」
「子供のほうに行かせるな! 最悪殺しても……」
「だーーーー!(だめ)」
冒険者に怒鳴りつつ、俺は意識を集中させた。
(……俺はもう、オークを鑑定している。オークについて、鑑定結果のすべてを知っている……)
念じると、どこかで叡智のあんにゃろがほくそ笑んだ気がした。
(……おい、アクシノさま。俺の鑑定レベルは2だけど、今からレベル1を使いたい)
返事は無かったが構わない。あいつは絶対俺の願いを聞いている。
(レベル1だぞ。2以上の〈鑑定〉は無駄だろ?)
蜂を殺す時、女神ファレシラは「〈鑑定〉だけで勝てる」と言った。そのあとサービスで時間停止をくれたが、あれはファレシラからすれば「あ、こいつバカなんだな」って気分だっただろう。ワンパンするとは情けないとも言われた……ムカつくが正しい。
ついさっき、〈鑑定の儀式〉の時、叡智の女神本人が「剣神なんて雑魚w」と笑っていたのだから。
そして、夕日だ。
俺はあの時、単に時間経過を知りたくて夕空のなにもない場所を〈鑑定〉した。そうしたら、叡智の女神はなにをした?
「……あんえい(鑑定)」
黒豚に〈鑑定〉を発動すると、豚はそれを敵対行為とみなした。怒りの視線を乳幼児に向け、太い両腕を振り回して襲いかかってくる。
すっげえ怖いけど大丈夫なはずだ。だってアクシノは〈叡智〉の女神だから。
〈……気づいたか、ワタシの知恵ある眷属よ。まあ、おまえのMPは異常に多いからそのうち気づくと思っていたがね。この戦い方は本来、レベル40を超さないと実用に耐えないが——よかろう。ならば鑑定だ〉
ようやく返事をしたアクシノは得意げで、俺は静かに〈鑑定〉の結果を聞いた。
「危ない、避けろ!」
「誰かあの子を助けて!」
村人たちが叫び、それを上回る声量で豚の唸り声が響く。悲壮感のある声だった。屠殺場の豚が、せめてひとりは巻き添えにしてやるとでも言うようだ。
悪いね、無駄だよ黒豚。
豚は小さな0歳児に対し、ゴキブリを潰すように踏み降ろしを仕掛けてきたが、俺は左にたった一歩動くだけで攻撃を回避した。俺が消えたように感じたらしい。黒オークは驚いた顔で周囲を見回したあと、激怒し唸って俺を殴ろうとするも、その攻撃も当たらない。青ざめていた村人たちから歓声が上がる。
自分のスキルのヤバさに震えたが、考えてみればこれは当たり前のことだ。女神ファレシラは、最初からずっと俺との約束を守っていた。
鑑定スキルで無双とか、異世界転生の王道だもんな。
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