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【本編】

ファムファタル

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私は、今度こそ言葉を失った。
幾度もコウヤの口から聞いたその名前を目の前にいる見ず知らずの女の口から聞かされるとは思いもしなかったのだ。

……いや、もしかしたら、と考えなかったわけではない。
でも、きっとそれはコウヤが自分にだけ向けてくれる特別な魔法の言葉なのだと、心の奥底で信じていた。
信じたかった自分がいたのだ。

「だから、もう彼のことは諦めて……」

東条先生が話の途中で、はっと表情を変えた。
何故だろう、と思って、私は、自分の頬を涙が零れていくのに気付いた。

(やだ……私……なんか、涙腺弱くなってる。
 こんな弱い人間なんかじゃなかったのに……なんで)

慌てて袖で涙を拭っても、涙が溢れて止まらない。
胸がひどく痛い。
なぜこんな気持ちになるのだろうか。

「あなた……」

東条先生が戸惑った口調で何かを言いかけた。
その時、

「ファム!!!」

私の耳に、聞き慣れた呼び名を叫ぶ力強い声が届いた。
私が顔を上げるより先に、駆け付けた誰かの広い胸が私の視界を覆う。
驚く間もなく、強い力で抱きしめられた。
嗅いだことのある匂い。
聞き覚えのある声。

「コウ、ヤ……?」

「ファム。会いたかった……!!」

コウヤが私を抱き締めている。
息が詰まるほど強く。
私は、本当に息が出来なくなった。
すると、私の様子に気付いたコウヤが慌てて拘束を緩めてくれる。

「……ごめん、大丈夫か?
 つい、嬉しくて……」

そして、今度は、私の頬にそっと優しく手を当てると、私の顔を愛おしそうに覗き込む。
コウヤの顔がすぐ目の前にある。

「コウヤ……どうして、ここに?」

私の質問に、コウヤが気まずそうに視線を外す。
そして、コウヤが何かを言いかけようと口を開く前に、後ろから成り行きを見守っていた東城先生が口を挟んだ。

「あーあ、もうちょっと堪えてて欲しかったわ。
 あと少しで彼女の気持ちが聞けたのに」

東城先生は、大仰にため息をついてみせると、腕組みをした。
そんな彼女に向かって、コウヤが恨むような視線をやる。
私は、東城先生とコウヤの顔を見比べながら尋ねた。

「……どういうこと?」

「言葉のままよ。
 あなたがいつまで経っても、ハッキリしないから、私が貴方の気持ちを確かめようと思ったわけ」

「じゃあ、さっきの話は、全部嘘なんですか?」

「いいえ。私は、嘘なんてつかない。
 言い方の問題はあったかもしれないけれどね」

「嘘だ!!
 俺のファムファタルは、ファムだけだ!」

怒りながらコウヤが私をキツく抱きしめる。
私は、もう訳が分からない。
東城先生は、呆れた顔でハイハイとコウヤに向かって手を振る。

「まずは、場所を変えましょう。
 ここだと話せない内容もあるし。
 とりあえず、私の執務室へ来て。
 話は、その後でね」
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