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無為の時間
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「カイメンって、何のために生きてるんだろうね」
私は、読んでいた本から顔を上げると、眼鏡越しに訝しげな視線を送った。
「カイメンって、生き物の海綿のこと?」
そう、そのカイメン、と彼女がシャープペンシルの先を私に向ける。
危ないからやめなさい、と言っても、なかなかやめようとしない。彼女の悪い癖だ。
「知ってる? クラゲですら筋肉があるんだって。
でも、カイメンには、筋肉も脳もないんでしょ?
ただ、海の中で漂って、水の中にある目に見えない小さな虫やプランクトンみたいなものを食べて生きてるだけなんて……虚しすぎない?」
そんなことを私に聞かれても……と、ため息を吐く。
彼女の不思議なネタ振りは、今に始まったことではないが、毎回相手にされるこっちの身にもなって欲しい。
「……海綿って、あのスポンジみたいなやつよね。
スポンジになって役に立ってるんだから、案外喜んでるんじゃない?」
すると、彼女は、露骨に顔をしかめて見せると、机から上半身を少し引いて見せた。
「えぇ~それはないよ。
だって、人間の汚い垢を落とすために自分の身体をゴシゴシされるんだよ?
私だったら、絶対にイヤっ」
彼女に言われて私は、自分の身体が他人の身体に押し付けられる様を想像し、確かにそれは嫌だな、と思った。
「まあ、そういう生き物だって、いるってことでしょ」
私は、読みかけていた本の続きに目を落とした。
しかし、彼女の話は、まだ終わってないらしい。
「私って、どうもそういう生きてるんだか死んでるんだか、よく分からない存在って苦手なのよねー。ほら、蟻とかさ、あんな小さな身体のどこにそんな力があるの?って思うことない?
バッタなんて、折り紙で作ったのかよっ、て突っ込みたくなるもん」
そんなのバッタの勝手でしょ、と私は、彼女に突っ込みたい。
だが、それでは、彼女の話が終わらないことを私は知っている。
「筋肉があるからって、幸せとは限らないでしょ」
すると彼女は、目を丸くして、それもそうね、と納得し、再びシャーペンを紙に走らせる。
どうやら続きの文章を思い付いたようだ。
私たちは、明日、戦争へ行く。
帰って来られるかどうかは分からない。
だから、心残りがないように、家族や愛する人へ手紙を書いたり、夜の街へ繰り出したり、私のように読みかけの本を読んで心を落ち着かせたりする。
彼女は、字も読むことが出来ない幼い弟に向けて手紙を書いていた。
彼が大人になった時、姉という存在があったことを少しでも実感してもらえたら、という想いと、むしろ姉など初めからいなかったことにして手紙など書かない方が良いのでは、という相反する想いが彼女の筆を遅らせていた。
もう一時半もそうして、書いては手を止め、また書いては止め……と繰り返すので、相手をしている私も、なかなか読んでいるページが進まない。
さっきからずっと主人公が恋人か友人かを選ぶシーンで止まっている。
彼女の筆がまた止まった。
次は、何の話題を振ってくるんだろうか、と私は、同じ一行を目でなぞりながら考えた。
願わくば、彼女の弟が手紙を読めるようになった頃には、こうして無為の時間を過ごすことのない世界になっていてくれたら、と切に思う。
(いっそ海綿に生まれてきていれば……)
筋肉も脳もない海綿として、海の中でただ口を開けてプランクトンを飲み込むだけの日々を想像して、私は、それはそれで、幸せなんじゃないか、と思った。
私は、読んでいた本から顔を上げると、眼鏡越しに訝しげな視線を送った。
「カイメンって、生き物の海綿のこと?」
そう、そのカイメン、と彼女がシャープペンシルの先を私に向ける。
危ないからやめなさい、と言っても、なかなかやめようとしない。彼女の悪い癖だ。
「知ってる? クラゲですら筋肉があるんだって。
でも、カイメンには、筋肉も脳もないんでしょ?
ただ、海の中で漂って、水の中にある目に見えない小さな虫やプランクトンみたいなものを食べて生きてるだけなんて……虚しすぎない?」
そんなことを私に聞かれても……と、ため息を吐く。
彼女の不思議なネタ振りは、今に始まったことではないが、毎回相手にされるこっちの身にもなって欲しい。
「……海綿って、あのスポンジみたいなやつよね。
スポンジになって役に立ってるんだから、案外喜んでるんじゃない?」
すると、彼女は、露骨に顔をしかめて見せると、机から上半身を少し引いて見せた。
「えぇ~それはないよ。
だって、人間の汚い垢を落とすために自分の身体をゴシゴシされるんだよ?
私だったら、絶対にイヤっ」
彼女に言われて私は、自分の身体が他人の身体に押し付けられる様を想像し、確かにそれは嫌だな、と思った。
「まあ、そういう生き物だって、いるってことでしょ」
私は、読みかけていた本の続きに目を落とした。
しかし、彼女の話は、まだ終わってないらしい。
「私って、どうもそういう生きてるんだか死んでるんだか、よく分からない存在って苦手なのよねー。ほら、蟻とかさ、あんな小さな身体のどこにそんな力があるの?って思うことない?
バッタなんて、折り紙で作ったのかよっ、て突っ込みたくなるもん」
そんなのバッタの勝手でしょ、と私は、彼女に突っ込みたい。
だが、それでは、彼女の話が終わらないことを私は知っている。
「筋肉があるからって、幸せとは限らないでしょ」
すると彼女は、目を丸くして、それもそうね、と納得し、再びシャーペンを紙に走らせる。
どうやら続きの文章を思い付いたようだ。
私たちは、明日、戦争へ行く。
帰って来られるかどうかは分からない。
だから、心残りがないように、家族や愛する人へ手紙を書いたり、夜の街へ繰り出したり、私のように読みかけの本を読んで心を落ち着かせたりする。
彼女は、字も読むことが出来ない幼い弟に向けて手紙を書いていた。
彼が大人になった時、姉という存在があったことを少しでも実感してもらえたら、という想いと、むしろ姉など初めからいなかったことにして手紙など書かない方が良いのでは、という相反する想いが彼女の筆を遅らせていた。
もう一時半もそうして、書いては手を止め、また書いては止め……と繰り返すので、相手をしている私も、なかなか読んでいるページが進まない。
さっきからずっと主人公が恋人か友人かを選ぶシーンで止まっている。
彼女の筆がまた止まった。
次は、何の話題を振ってくるんだろうか、と私は、同じ一行を目でなぞりながら考えた。
願わくば、彼女の弟が手紙を読めるようになった頃には、こうして無為の時間を過ごすことのない世界になっていてくれたら、と切に思う。
(いっそ海綿に生まれてきていれば……)
筋肉も脳もない海綿として、海の中でただ口を開けてプランクトンを飲み込むだけの日々を想像して、私は、それはそれで、幸せなんじゃないか、と思った。
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