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3.百花展
7.
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展示場は、休日だからか、若い男女から年配の人まで幅広い客層で賑わっていた。
これなら見つからないで済むかもしれない、と内心胸を撫でおろしながら、麗良はラムファを足早に探して回った。
展示品は、壁に沿って設置された台の上に並べられ、特に順路もなく好きなものから見て回れるような作りになっている。
そして、真ん中に幾つかの大きな作品が並べられており、それらが有名な花道家による作品であることは見てすぐに分かった。
それらは、他の壁に並べられた作品とは一線を画す存在感と美しさを放っていたからだ。
そして、ある一つの作品の前に、ラムファはいた。
人混みの中、頭一つ分突き出ているので遠目でもすぐに分かった。
麗良が近づいても気付くことなく、目の前の作品に魅入っている。
何を見ているのだろう、と気になった麗良がラムファの視線の先を追い、その目がくぎ付けになった。
それは小さな箱庭だった。
かぐや姫が月へ帰るシーンを描いた屏風を背景に、二メートル程で切られた竹がすっくと立ち並び、下生えとして添えられた笹や、白梅に似た花をつけたバイカウツギ、まだ咲き切っていない小さな蕾のついたムラサキシキブらがまるで自然の中に生えているかのように演出している。
ぽっかり空いた真ん中の空間には、斜めに切り取られた竹の中から凛と立つ杜若が一本だけ生けられ、水を表現した白い砂の上には小さな笹船が浮かんでいる。
そして、よく見ると、竹の枝葉からは乳白色の稲穂のような花が咲いている。
竹の花は、六十年から百二十年の周期で咲くと言われるとても珍しい花で、一生見ることの叶わない人もいるような花だ。
その珍しさが多くの観客を寄せ付けているようだ。
作品のタイトルは、『かぐや姫』。作者名には、『花園 良之』とある。
作品に魅入っていたラムファが自分のすぐ傍にいた麗良に気付き、はっとした表情で目を見開く。
麗良は泣いていた。
静かに声も出さず、両の目から零れ落ちる涙を拭おうともせず、ただ目の前の作品を見つめている。
『どうして、私の方があの子たちよりずっと上手に花を生けることができるのに』
麗良が十歳になる頃、一度だけ良之に盾突いた時があった。
その頃、良之は、自宅の離れで子供たちに生け花を教えていた。
まだ幼かった麗良もそこによく顔を出している内に、いつの間にか他の生徒と混じり、花を生けるようになっていた。
毎年夏になると、十五歳までの子供を対象にした地域コンクールが開催される。
全員が参加できるわけではなく、各教室の中から数名が選ばれて出場するのだが、麗良もこれに自ら手を挙げた。
物心つく頃から祖父の手腕をすぐ傍で見ていたこともあり、教室内では年上の子らに引けを取らないほどの腕前となっていた。
生まれ持ったセンスの才もあり、麗良自身もそれをよく分かっていたので、今年こそは自分がコンクールに出場できるものと信じて疑わなかった。
参加者を決めるのは、師である良之だ。
彼は、麗良が手を挙げるのを不機嫌な顔で一瞥すると、ためらいなく他の生徒たちから出場者を選んだ。
それまでと同様に年齢を理由に納得させられるほど麗良は幼くなかった。
一旦その場では言葉を飲み込んだものの、生徒たちが教室から帰った後、片付けで残っていた良之に先の不満をぶつけた。
しかし、良之は、片付けの手を止めることなく、まだ早い、と答えた。
『おじい様は、私のことが嫌いなのよっ』
それは、思わずかっとなって口から出た言葉だったが、それまでずっと麗良が胸に秘めてきた想いでもあった。
さすがの良之もはっとした表情で振り返ったが、その時にはもう庭へ駆け出す麗良の後ろ姿しか見えなかった。
庭の片隅で、麗良が笹の葉の影に隠れて泣いていると、すぐ背後で枝の折れる音が聞こえた。良之だった。
麗良のことを追い掛けて、ここまで探しに来てくれたのだ。
麗良はまさか良之が自分を追い掛けてきてくれるとは思っていなかったので驚いた。
それまでの良之は、麗良にまるで関心を示さなかったし、気にもかけていなかったのだ。
だから、良之は何も言わなかったが、彼がここまで自分を探しに来てくれたという事実だけが麗良には嬉しかった。
良之は、無言で笹の葉を手に取ると、その皺だらけの指で器用に笹の船を作った。
その様が物珍しく、思わず泣いていたことも忘れて麗良は魅入った。
ただの一枚の葉っぱから船ができるなんて考えもしなかったのだ。
まるで魔法のようだと思った。
そして、良之は、作った笹船を池に浮かばせた。
船は、その場をしばらく揺蕩うと、やがて風に吹かれてゆっくりと池の真ん中の方へ泳いで行く。
それをじっと見つめていた麗良は、ふと頭に浮かんだ歌を小さく口ずさんだ。
その声は、もう泣いてはいない。
海は広いな 大きいな
行ってみたいな よその国
たったそれだけの思い出だった。
それでも、良之は、覚えていたのだ。
目の前にある作品は、あの時の情景を麗良にまざまざと思い起こさせた。
誰が見てもきっと分からないだろうが、麗良にだけは分かる。
あの時、初めて良之と心を通わせることができたと感じた大事な瞬間だったのだ。
つまり、これは麗良に向けた良之からのメッセージなのだ。
杜若の花言葉は、〝幸運は必ず訪れる〟、〝思慕〟。
そして、英語では〝メッセージ〟を意味する。
麗良の好きな花で生けられた小さな箱庭。
そして、笹船が意味しているのは、旅立ち。
良之は、麗良がラムファと一緒に家を出て行くことを揶揄しているのだ。
これなら見つからないで済むかもしれない、と内心胸を撫でおろしながら、麗良はラムファを足早に探して回った。
展示品は、壁に沿って設置された台の上に並べられ、特に順路もなく好きなものから見て回れるような作りになっている。
そして、真ん中に幾つかの大きな作品が並べられており、それらが有名な花道家による作品であることは見てすぐに分かった。
それらは、他の壁に並べられた作品とは一線を画す存在感と美しさを放っていたからだ。
そして、ある一つの作品の前に、ラムファはいた。
人混みの中、頭一つ分突き出ているので遠目でもすぐに分かった。
麗良が近づいても気付くことなく、目の前の作品に魅入っている。
何を見ているのだろう、と気になった麗良がラムファの視線の先を追い、その目がくぎ付けになった。
それは小さな箱庭だった。
かぐや姫が月へ帰るシーンを描いた屏風を背景に、二メートル程で切られた竹がすっくと立ち並び、下生えとして添えられた笹や、白梅に似た花をつけたバイカウツギ、まだ咲き切っていない小さな蕾のついたムラサキシキブらがまるで自然の中に生えているかのように演出している。
ぽっかり空いた真ん中の空間には、斜めに切り取られた竹の中から凛と立つ杜若が一本だけ生けられ、水を表現した白い砂の上には小さな笹船が浮かんでいる。
そして、よく見ると、竹の枝葉からは乳白色の稲穂のような花が咲いている。
竹の花は、六十年から百二十年の周期で咲くと言われるとても珍しい花で、一生見ることの叶わない人もいるような花だ。
その珍しさが多くの観客を寄せ付けているようだ。
作品のタイトルは、『かぐや姫』。作者名には、『花園 良之』とある。
作品に魅入っていたラムファが自分のすぐ傍にいた麗良に気付き、はっとした表情で目を見開く。
麗良は泣いていた。
静かに声も出さず、両の目から零れ落ちる涙を拭おうともせず、ただ目の前の作品を見つめている。
『どうして、私の方があの子たちよりずっと上手に花を生けることができるのに』
麗良が十歳になる頃、一度だけ良之に盾突いた時があった。
その頃、良之は、自宅の離れで子供たちに生け花を教えていた。
まだ幼かった麗良もそこによく顔を出している内に、いつの間にか他の生徒と混じり、花を生けるようになっていた。
毎年夏になると、十五歳までの子供を対象にした地域コンクールが開催される。
全員が参加できるわけではなく、各教室の中から数名が選ばれて出場するのだが、麗良もこれに自ら手を挙げた。
物心つく頃から祖父の手腕をすぐ傍で見ていたこともあり、教室内では年上の子らに引けを取らないほどの腕前となっていた。
生まれ持ったセンスの才もあり、麗良自身もそれをよく分かっていたので、今年こそは自分がコンクールに出場できるものと信じて疑わなかった。
参加者を決めるのは、師である良之だ。
彼は、麗良が手を挙げるのを不機嫌な顔で一瞥すると、ためらいなく他の生徒たちから出場者を選んだ。
それまでと同様に年齢を理由に納得させられるほど麗良は幼くなかった。
一旦その場では言葉を飲み込んだものの、生徒たちが教室から帰った後、片付けで残っていた良之に先の不満をぶつけた。
しかし、良之は、片付けの手を止めることなく、まだ早い、と答えた。
『おじい様は、私のことが嫌いなのよっ』
それは、思わずかっとなって口から出た言葉だったが、それまでずっと麗良が胸に秘めてきた想いでもあった。
さすがの良之もはっとした表情で振り返ったが、その時にはもう庭へ駆け出す麗良の後ろ姿しか見えなかった。
庭の片隅で、麗良が笹の葉の影に隠れて泣いていると、すぐ背後で枝の折れる音が聞こえた。良之だった。
麗良のことを追い掛けて、ここまで探しに来てくれたのだ。
麗良はまさか良之が自分を追い掛けてきてくれるとは思っていなかったので驚いた。
それまでの良之は、麗良にまるで関心を示さなかったし、気にもかけていなかったのだ。
だから、良之は何も言わなかったが、彼がここまで自分を探しに来てくれたという事実だけが麗良には嬉しかった。
良之は、無言で笹の葉を手に取ると、その皺だらけの指で器用に笹の船を作った。
その様が物珍しく、思わず泣いていたことも忘れて麗良は魅入った。
ただの一枚の葉っぱから船ができるなんて考えもしなかったのだ。
まるで魔法のようだと思った。
そして、良之は、作った笹船を池に浮かばせた。
船は、その場をしばらく揺蕩うと、やがて風に吹かれてゆっくりと池の真ん中の方へ泳いで行く。
それをじっと見つめていた麗良は、ふと頭に浮かんだ歌を小さく口ずさんだ。
その声は、もう泣いてはいない。
海は広いな 大きいな
行ってみたいな よその国
たったそれだけの思い出だった。
それでも、良之は、覚えていたのだ。
目の前にある作品は、あの時の情景を麗良にまざまざと思い起こさせた。
誰が見てもきっと分からないだろうが、麗良にだけは分かる。
あの時、初めて良之と心を通わせることができたと感じた大事な瞬間だったのだ。
つまり、これは麗良に向けた良之からのメッセージなのだ。
杜若の花言葉は、〝幸運は必ず訪れる〟、〝思慕〟。
そして、英語では〝メッセージ〟を意味する。
麗良の好きな花で生けられた小さな箱庭。
そして、笹船が意味しているのは、旅立ち。
良之は、麗良がラムファと一緒に家を出て行くことを揶揄しているのだ。
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